少女の名前
唐突に意識が浮上する。目を開けると知らない天井が見えた。ぼんやりとここがどこか考えて、寝る前の事を思い出した。空腹を感じてベッドから降りると上着を羽織って部屋を出た。あの少女はまだ眠っているのか姿は見えない。念の為少女が寝ている部屋に行ってみる。気配を消してベッドへと近づいて覗き込むと、その瞳は閉じられたままだが呼吸はしっかりとしているので、眠っているだけのようだ。そのうち起きるだろう。
少女の部屋を出て台所に向かう。だが、使い方が分からない。平らな所に大きな魔法陣が書かれていて、その下に小さな魔法陣が書いてある。水も蛇口はあるが、ハンドルは無い。どうやって水出すんだ、これ。
使い方が分からないのではどうしようもないので、諦めて保存食を齧りながらソファーに座って少女が起きてくるのを待っていたのだが、いつのまにか俺は眠ってしまっていた。
カチャリ
ドアノブが回り扉が開く。部屋の中から少女が出てきた。どこかの部屋に向かおうとしたらしいが、ソファーにいるルーカスに気づいた。動かないルーカスを不審に思ったのか、そっと近づいていてルーカスの顔を覗き込む。何事か呟いたようだが、声になる事はなく少女はそっとルーカスの傍を離れて、今出てきた部屋へと戻っていく。今度はすぐに出てきた少女のその手にはひざ掛けが握られていた。寝ているルーカスに足音を忍ばせながら近づくと起こさないよう慎重にルーカスの体に持ってきたひざ掛けをかける。そして足音を忍ばせながらそっと離れると、台所へと入っていった。
カチャカチャとなにかがぶつかる音がする。その音はすぐに止み、今度はコトリと何かを置くような音がした。そしてパタパタと誰かが歩いている音。俺に近づいてくる足音……。歩いてる?誰が?……!?
ガバリと勢いよく起き上がり傍に置いていた剣を取り、引き抜くとこちらに近寄ろうとしていた奴に突きつける。
剣を突き付けられた相手は、驚いたのか銀色の瞳を見開いて固まっている。そして俺も固まった。俺が剣を突き付けたのはあの少女だったのだから。
慌てて剣を少女から引く。剣が離れると少女はペタンと床に座り込んでしまった。
「ごめん。寝ぼけてた。」
急いで剣を鞘に戻して、少女の傍に屈む。呆けたように俺を見ていたが、手を差し出すと手を重ねてきた。手を引いて一緒に立ち上がったが、まだショックから抜け出せないらしく呆然としている。
「ほんとごめん。怪我しなかったか?」
頭を撫でながら聞くとコクリと頷いた。怪我はさせずに済んだらしい。
足元に落ちていた布、ブランケットだろうか?を拾い上げて、ソファーにかけていると衝撃から回復したらしい少女が俺をじっと見上げてきた。
「大丈夫か?怖かっただろ、本当にごめん。」
重ねて謝ると、ふるふると首を横に振った。そしてテーブルを指さす。テーブルの上には皿が並べられていて、皿からは湯気が立ち上っていた。
テーブルに近づいて皿の中を見る。皿の中身は干し肉が少し入ったスープだった。
少女が皿の置いてある席に座る。俺も向かい側に用意された席に座る。
少女が指を組み瞳を閉じて祈りを捧げる。俺はその様子をみて安堵する。大分と落ち付いたようだ。
しばらくすると少女が目を開けて用意していたスプーンを手に取った。俺もスプーンを手に取り皿の中に入れる。ちらりと少女を見ると、普通にスープを掬い口に運んでいる。
(このスープの中の干し肉って俺があげたやつか?)
少し掬い口に入れる。味は薄いがまずくはない。視線を感じ顔を上げると、少女が不安そうに見ていた。
「おいしいよ。料理は得意なのか?」
おいしいという言葉が嬉しかったのか、恥ずかしげに笑うと頷いた。安心したように自分用のスープを飲み始めた。俺もスープを飲みながら自己嫌悪に陥っていた。この少女がスープを作っている間、まったく気付かずに眠りこけてたなんて。駄目すぎだろう、俺………。
スープを飲み終わり食器を片付けるのを手伝う。一緒に台所に向かうと、少女は洗い場に食器を置いて蛇口の横にあった魔法陣に触れる。すると蛇口から水が出てきた。しかも湯気が出ているのでお湯らしい。お湯で食器をきれいに洗って伏せるとまた魔法陣に触れると今度は止まった。
「なあ、今どうやったんだ?」
蛇口を指差して聞いてみると、驚いたような表情で俺と蛇口を見比べている。少女にとっては当たり前の物らしいが驚きが去ると、使い方を教えてくれようとしたのだが、ジェスチャーだけでは上手く教えられないらしく、なかなか上手くいかない。時間がある時に練習するしかないだろう。
上手く教えられなかった事に落ち込む少女の頭を撫でて慰めてから、これからの事を話す為に少女をソファーへと座らせた。まず確認すべきはやはり文字についてだろう。本を1冊借りてきて少女に見せる。
「これ読めるのか?」
本を見せながらの問いにコクリと頷いた。次はポーチから小さな瓶を取りだす。そして貼ってあるラベルを指差すと、ジッと見ていたが首を横に振られてしまった。
「嘘だろ…。」
項垂れた俺を見ていたが、置かれたままの瓶を手に取りラベルを俺に見せながら指を差す。
「『やけど』って書いてあるんだ。」
口元に指を当てて何か考えていたようだが、立ち上がると自分が寝かされていた部屋に入っていく。しばらくしてその手に大きな布と箱を抱えて戻ってきた。ソファーに座ると布に枠を嵌めて針に黒い糸を通す。そして刺繍を始めてしまった。
「なんで刺繍なんだよ……。」
聞こえているはずの俺の声は完全に無視して、素晴らしい早さで針を刺していく。途中で赤い糸を通した針に持ち替えてこれまた、すごい速さで針を刺す。そうして出来あがった物を俺に見せてきた。
枠の中には黒い糸で『やけど』その上に赤い糸で古代文字が刺してある。
驚いて少女をみると手を差し出してきた。意味が分からず手を出すと手のひらを上にしてなにか書く。首を傾げて見上げてくるが何と書いたのかは分からず首を振ると、今度は逆に自分の手を差し出してきたので、その手のひらに『ルーカス』と声に出しながら書く。ジッと俺の指の動きを見ていたが書き終わるとすぐに黒い糸を通した針を手に取り刺繍を始める。そして俺に見せてきた。そこには間違いなく俺の名が刺してあった。頷くと今度は赤い糸で古代文字を刺繍する。そこからは一文字一文字言いながら少女の手に文字を書き、少女がそれを刺繍するという事を繰り返す。こうして全部の文字が布に描き出された。テーブルの上に完成した布を広げて、俺の服を引っ張る。そして一文字一文字指を指していく。
なんだ…れ、て、い、ん、し、あ…。
「レテインシア?」
声に出して言ってみると、首を横に振り『い』を指差す。『い』の発音が違うのか?
「・・・・・・レティンシア?」
すると大きく頷いて自分を指差す。
「レティンシア、これが君の名前?」
こくりと少女―レティンシアが頷く。
漸く名前が名前が判明した。でもちょっと長いな。
「『レティ』って呼んでもいいか?俺の事もルカでいい。」
そう提案すると、驚いたような、それでいてどこか悲しそうな表情を浮かべた。
「ごめん。嫌だったか?」
フルフルと首を横に振って、俺の眼を真っすぐに見て頷いた。
「いいのか?」
確認の為にもう一度問うとしっかりと頷いた。
「レティは、ここで何があったのか知ってるのか?」
その問いに辛そうな表情で頷いた。そしてゆっくりと布の上を指が滑る。そうやって示された言葉は、
『銀色』『異端』『禍』『忌み子』『冷気』『食料』『不足』『大地』『凍る』『滅び』『防ぐ』『贄』
この示された単語から、俺なりの解釈で話をまとめてみたので、レティに聞いてもらう。
「ここでは銀色の髪と瞳のレティは異端で、禍の忌み子と呼ばれていたけど、冷気の所為で作物が育たずに食料不足になり更に大地が凍った。このままじゃ滅びるからそれを防ぐために、禍の忌み子と呼ばれていたレティが贄として選ばれた、ってことであってるか?」
俺の仮定の話を聞いたレティは、あっさりと頷いた。なんとも胸糞悪い話である。ただ、他とは違う色で産まれただけで異端だの、禍の忌み子だのと言われ、挙句の果てには自分達の為に死ねと生贄にした。
だけど、皮肉な事に生贄にしたレティが生き残り、自分達だけ助かろうとした者たちは滅びた。もしかしたら、どこかで生きているのかもしれないが、この地が滅びから免れられなかったのは一目瞭然だ。
だけど、疑問が残る。どうして贄としたレティの為にあの箱を残した?自分達が結晶に閉じ込めたから、レティが生きている事を知っていたのだとしても、普通は残さない。仮に、レティが結晶から出れる事を知っていたとして、どうして洞窟の奥に隠すように置き去りにしたんだ?
レティを生贄にした奴らは何を考えていたのだろう………。
ありがとうございました。