女の涙に敵うものはありません
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結論から言おう。私の仕事は運び屋さんだった。
朝の仕事は十時からだ。運び屋さんだから、少しゆっくり目に来ていいというから、朝は厩舎に寄ってみた。リナンさんはいなくて、二人の若い騎士団の服を着た人が馬達の世話をしていた。
「ニンジンあげてもいいですか?」
髪も少し伸びて、娼婦と間違われないくらいはなったが、いまだ男の子の格好のままだ。楽だからね、元の世界でも仕事以外ではスカートとかはいてなかったし。
「やぁ、朝からラッキー。女の子がこんなところに来るなんてね」
三人は、まだ十代くらいだろう。声をかけてきたのは、うん……軽い人だった。
「おはようございます。いいですか?」
日本人の社会人らしく知らない人には、笑顔で愛想よく。
「いいね。可愛いね」
う、出た。可愛い――……。
「おい、やめろよ。知らない女の子だろ。チャラチャラするな。騎士団の権威が疑われる」
真面目そうな顔の男の子が嗜める。
「そんなことばっかりいってると、将来彼女も出来なくて寂しい事になるぞ。ね? 俺とさ――」
その男の子が手を伸ばして私に触れようとした瞬間、背後で激しく嘶くザンドルフの声が響いた。前足をガツガツ! と鳴らし、まるで怒っているかのようだった。
「え? ザンドルフ?」
男の子達は慌てて宥めようとするが、二人が近寄っても威嚇している。
「ザン? おなか痛いの?」
疝痛と呼ばれる馬の病気かと思うほど、激しい前掻きに、私も慌てて側によった。
「おなかの音聞くね」
私が横に立つとザンドルフは、静かになった。そして、頭を下げてリラックスしたような顔になった。
おなかに耳をあてても、特に異音は聞こえないし、正常のような気がする。
「君、馬のこと……」
不思議そうな顔で、真面目な顔の男の子が私に何かを尋ねようとしたが、怒声のような叫び声に三人は一様に固まった。三人で声のほうを見ると、凄い勢いで何ががかけてくる。
「ユーキー!! ザン!」
シルヴィー殿下が走ってきた。ゼイゼイと肩で息をするシルヴィー殿下と側近のジークハルトさん、反対側からリナンさんが走ってきた。
ビックリして三人を見回すと、ザンドルフが鼻の先で私を突いた。いきなりでビックリしてよろけそうになるのをシルヴィー殿下が抱きとめてくれた。
「ご、ごめんなさい」
慌てて離れようとしたけれど、「どこにも怪我はないか? なにかあったのか?」と腕を掴まれて、焦った。心配してくれているのに、突き放すなんて出来なくて、困っていると、リナンさんがコホンコホンと咳払いをした。
「なんだ?」
不機嫌な声で、シルヴィー殿下がリナンさんに尋ねる。その間も私は抱きすくめられたままで、正直顔が火照って仕方ない。
「あの、こちらの若造達が……何かやらかしたのかと……」
男の子達は、少し強張った顔で私を見ていた。
「見習い騎士か?」
リナンさんに確認するようにシルヴィー殿下が問う。
頷いたリナンさんは、いつもと違った。いつも暑そうにシャツを肌蹴て、無駄に筋肉をみせびらかしていた姿とは違って、キッチリと上まで襟を閉め、腰には剣を佩いていた。どこからどうみても騎士の姿だった。
「リナンさん? なんかいつもと違いますね。まるで、騎士みたい……?」
思わず口に出すと、周りが声を揃えて笑う。リナンさんだけが、困ったような顔で「今まで何だと思ってたの?」と情けなさそうな声を出した。
「馬の世話係?」
何か間違えたのだろうか? とシルヴィー殿下を見ると、笑いながら「違いない。馬の世話は騎士団の仕事だからな」と言った。
「騎士? リナンさんが?」
鋤のようなものを持って、私と一緒にボロを片付け、馬に抱きついて嫌がられていたこの男が? ああ、だから昨日きたお姫様はリナンさんを見て驚いていたのか。今の姿と違いすぎて。
「で、お前達は何をしたんだ?」
リナンさんの声は、いつもの優しく楽しそうな男の出す声とは違った。大人の責任というものを知っている男の声だった。
チャラい男の子も正直なもので、「あの、可愛かったので、ちょっとナンパを……」を言葉を濁しながらリナンさんに向って話した。
リナンさんも言っていたが、騎士は嘘がつけないのか可哀想にと、思わず同情したくなった。
その場が一瞬凍りついたような気がしたのは私だけだろうか。
「えっと、ニンジンをね、あげていいか聞いたの。そんなナンパなんてしてないよ。君、ナンパっていうのは、もっと、こう肩を抱いてね『君ちょっとお茶でもしていかない?』とかで……あれくらいでナンパなんていってたら、笑われちゃうよ」
ごまかせたかどうかわからないが、空気は更に悪くなったような気がする。主にシルヴィー殿下の周りの。
「お前は危機感がなさ過ぎるんだ。大体馬の世話は他のものがやるんだから、さっさと私の部屋に来い」
シルヴィー殿下が何を怒っているのかわからないが、私の怪我をしていないほうの手を握って、連れて行こうとする。
このままじゃ、レオに会えなくなる。そう思ったら手を振り払っていた。
「ユキ?」
訝しげにシルヴィー殿下は私の目を見る。ちょっと感情が昂ぶって、潤んだ目を見られたくなくて、私は俯いた。
「ユキ、何故泣く?」
「泣いてない!」
そういったら、涙が零れた。私はシルヴァー殿下の拾われ物でリオもそうだ。シルヴィー殿下の許可がなければ、リオに会うことも出来なくなるのだと思ったら、心が痛んだ。
「泣いているだろう? その目の涙はなんだ?」
「涙じゃないもの。汗だもの。汗が……」
目に入ったのだと言おうとしたが、ギュと抱きしめられて、声はシルヴィー殿下の胸あたりに吸い込まれた。
「私が悪かった――。何がそんなにいやだったんだ? 教えてくれないとわからない――」
シルヴィー殿下が私の頭の天辺に子供にするような優しい口付けを落とした。
片手で、シルヴィー殿下の背中の辺りを握ると、「ユキ?」と促される。
「リオにあいた……い。馬に触れないと、私は……」
この世界に来て、馬が私の最大の癒しとなった。それを自分のせいだとはいえ、取り上げられたら、私は息ができない魚のようになる。
「わかった――。右手を使わないなら、ここにいくら来てもいい。ただし、一人では駄目だ。リナンがいるときだけだ。それで、いいか……?」
頷いて、顔を上げると、シルヴィー殿下が気遣わしげに私を見つめていた。
「ありがとう……シルビー殿下」
「シルヴィーだ」
鼻を摘まれて、笑われた。
私は本当に幸せだと思う。拾ってくれたのがシルヴィー殿下で。渡ってしまったのが、この世界で、良かった――。
シルヴィー殿下は、ザンドルフに何か話しかけて、首筋を叩いている。また、熱々だよ、このカップルは。ザンドルフも鼻面をシルヴィー殿下によせ、シルヴィー殿下の顔を舐めたり甘噛みをしている。
その隙にリオにニンジンを上げた。リナンさんが後ろからついてきて、「ごめんね」と謝ってくれた。リナンさんが謝ることじゃないのに。
「なんだかユキさんに借りばっかり作っているよな。今度シイナさんとユキさんを王都の美味しい店に招待するからね」
「私をダシにしてますよね、それ」
白い目を向けると、リナンさんは口笛を吹いてごまかした。今時、そんなごまかし方があるのかとか、世界は変わっても同じようにごまかすのだなと、私は泣いたことを忘れるべく笑ってしまった。