新居で大暴走
とある日の昼下がりである。都心から離れた新興住宅街は、北欧風のデザインが施された住宅が並んでいる。歩道も周囲の住宅に似合った舗装がされ、一見異国に来たのかと錯覚させるほどの景観だった。その住宅街は更に山を切り拓いた高台にもあった。そこはマンションをメインに建設され、上階に行けば住宅街を一望出来る贅沢な気分が味わえる物件となっていた。
「この部屋がいい!」
玄関を入るや否や靴を乱暴に脱ぎ捨てると一目散に廊下を走り抜けて左の角を曲がり、更に左側の扉を開けた少年は、まだ何も置かれていない部屋で大声を発した。少年は目を見開いて広々とした室内を観察するように歩き回り、あっと何かを発見した声を上げると、少年の身長に比べて倍の高さがあると思われる掃き出し窓に駆け寄る。その窓の向うには今彼がいる部屋と同等の広さはある、いわゆるルーフバルコニーが見えた。
「一輝、部屋ならまだ他にもある。すぐに決めると後で後悔するぞ」
窓の外を好奇心剥き出しの眼差しで眺めていると、低い声が一輝を呼んだ。一瞬我に返った一輝は、声のした方へと顔を向ける。そこには一輝を追うように部屋に入って来たと窺える背丈が疎らな男4人が立っていた。
4人の先頭に立つ男は、フレームのない眼鏡を軽く指で押し上げ、何事にも屈する事のない眼差しが一輝の姿を捉えている。背は低いながらも、一輝を含め5人の中で絶対的な存在と思わせる程の風格がある彼は、彼らの中で一番年が上だと分かる。
「惣司さん、俺たちはリビングの方を見てくる」
「そうか。俺はもう少し……一輝が満足したら、そっちに行く」
惣司の後ろに立つ男に声をかけられ、その人物の方へと身体の向きを変えると小さく頷いた。やや上目遣いに男を見やると、再び一輝の方へと注意を向ける。すると、今まで室内にいた一輝は、いつしか部屋と隣接したルーフバルコニーに出ていた。
惣司に声をかけた男は一旦一輝がいる方へと視線を移したが、すぐに踵を返し、後に続く2人を連れて部屋を後にした。
南側に面したリビングは、モダンテイストで統一され、家具が全く置かれていないためか相当な広さを感じる。ちょうど昼時で、南側の大きな4枚の窓から太陽の光が差し込んでいた。
「ここ、本当にマンションなのか?一戸建てでも十分通用する広さだぜ……」
リビングに着くなり中央まで歩いた少し性格の捻くれた印象を見せる青年は、ぐるりと身体を転回させ感嘆の声をあげた。
ここまでの道のりは、玄関から2部屋に挟まれた廊下を通り、廊下とダイニングを遮断する扉を開け、左右に水回りが設置されている部屋を横切る。すると右手側には対面式キッチンのあるダイニング、その左側にリビングとなっていた。一見狭苦しい印象を与えるも、ダイニングとは一切間仕切りがないリビングが目の前に広がっているのだから、彼の言葉はあながち間違ってはいない。
「新興住宅街にあるマンションは、大抵こんなものじゃないか?最終的にここを決めたのは惣司さんだから、詳しい事までは知らない」
リビングの中央に立つ青年の言葉に半ば自信のない返答をした。
「ねえ、冬馬兄さん。どうして惣司兄さんが決めたの?」
「さあ……そこのところは、本人に聞いても教えてくれなかったな……。そんなに気になるなら、健お前が聞いてみるといい」
自分ですら事の詳細を知り得ていない分、若干煮え切らない態度を装う冬馬は、健の質問に答えた後、口元に薄い笑みを浮かべた。
冬馬の笑みに嫌な予感が胸を過った健は、即座に困惑顔で「え、遠慮しときます」と両手を胸元まで上げた。
「おい、健!こっち来てみろよ!リビングよりバルコニーの方が広いぞ!」
リビングの広さに感動していた青年は、冬馬と健が話をしている間に、リビングを隣接した東側の窓から、一輝が出たルーフバルコニーの数倍はある、この物件2つ目のルーフバルコニーに移動していた。
自分を呼ぶ声に反応した健は、興味本位で彼の後に続く。
「ほんとだ。リビング以上の広さ……」
圧倒という言葉がよく似合う健の声以上に、彼らの立つ場所は想像以上だった。下手をすれば室内よりも広い、ここでホームパーティが出来るのではないかと想像も出来るほどだ。
「ここ……和磨兄さんの部屋にすればいいよ」
健が想像していた広さを遥かに超えたルーフバルコニーで、見た印象から和やかな口調で隣に立つ和磨に言った。健の発言が冗談に聞こえた和磨は、悪乗り半分で「じゃあ、そうしようか」と嬉々と答えた。
「ほう……。ここが和磨の新しい部屋か」
和磨が健に言葉を返したと同時に、背後から不敵な笑みを含んでいるであろう惣司の声が聞こえた。はっと和磨と健が振り向くと、外が明るいせいかフレームのない眼鏡が目元を覆い隠し、口元は緩く上へ弧を描き、腕を組んだ惣司が立っていた。
「な、今のは冗談に決まってんだろ!何、真に受けてんだよ!」
一瞬、惣司に何を言われたのか理解出来なかった和磨は、振り向いた姿勢から固まるも即座に反論した。しかし、惣司の笑みは変わらない。もはや、決定事項と捉えてもおかしくない表情だ。
「和磨、惣司さんが納得したら終わりだ」
惣司の背後で冬馬が小さく呟く。その声は、いくら小さくとも外にいる和磨にも聞こえた。
「冗談じゃねえ!自分の部屋は自分で決める!」
「今、ここを部屋にすると言ったじゃないか」
「だーっ!だから、違うっつーの!」
和磨の揚げ足を取った惣司の表情は大層嬉しそうである。それに反論する和磨の行動も既に把握していたためか、腕を組んで立つ姿は彼よりも遥かに高い地位にいた。
「惣司兄さんは、俺らの兄さんだから」
「そーしにーちゃん、一番偉い」
今まで別の場所にいたはずの一輝が、ひょっこりと惣司の影から顔を覗かせる。どうやら、惣司がリビングに行く際ついてきたのだろう。屈託のない笑みを和磨に向けると、一輝は好奇心を剥き出しにして、再び広い空間の冒険に出た。
「一番偉いってな……俺から言わせれば惣司兄貴はただの独裁者だ」
一輝が去った後、和磨は一連の会話から惣司に対する不満を呟く。
惣司は彼らの中で一番年が上である。つまり、彼らが“兄”と慕うのだから、おそらく長男であろう。順に惣司の呼び方から冬馬が次男、健が四男、一輝は末っ子の五男。そして、惣司に敵意を剥き出しにする和磨が三男だ。兄弟と言えども性格が全員異なるため、まとまりがないように見えるが、そこは長男である惣司の威厳で上手くまとめられている。
「とりあえず……荷物を持ってくる前に、お前たちの部屋を言っておかないとな」
何も置かれていないまっさらな空間を見渡した惣司は、肩を竦めて言った。
彼らが個人個人で使える部屋は全部で4つある。人数からいくと、1部屋足りない。各部屋の広さは広くて約6畳、次が約5畳、残りの2部屋はそれぞれ約4畳となっている。この物件の最終決定者は、長男の惣司である。部屋のレイアウトなども計算して決定しているのだから、どの部屋に誰を入れるのかさえ既に決定済みなのだろう。
「何で既に決定事項なんだよ。部屋決めは、全員で決めるんじゃねえのかよ」
「和磨……お前の口からそんな言葉聞けるとはな。……意外だ」
「“意外”は余分だっつーの!何もかも決められたんじゃ、面白味がねえんだよ」
「ほう。ならば一度決めてみるがいい」
不敵に笑う惣司の表情は、和磨の行動を読んでいるかのようだ。その表情に癪に障った和磨は「やってやろうじゃねえの!」と威勢を張った。完全に蚊帳の外で二人のやり取りを見ていた冬馬と健は、呆れかえった顔で互いの顔を見合わせていた。
和磨が自分たちで部屋を決めると言ってから暫く経ち、5人の男たちはどこか納得のいかない状況になっていた。
「和磨、どうしてお前が一人部屋を取ってんだ」
「どうしてって、俺兄弟の中で真ん中だし、不憫だし」
「不憫?どこがだ。我儘ばかり言ってるじゃないか」
最終的に決まった一番広い部屋に集まった男たちは、和磨の決定に不服を露わにする。
「いいじゃねえか。惣司兄貴と冬馬兄貴は、一人部屋になったんだからよ」
「まあな。俺と惣司さんが一人部屋なのは当然の事だ」
冬馬はふんと鼻を鳴らし、和磨の不貞腐った言葉をさらりと認めた。
現段階の彼らの部屋割は、惣司と冬馬が約4畳の2部屋を使い、約6畳の一番広い部屋を健と一輝が使うことになっていた。それぞれ自分がこれから使う部屋は、意見交換で決めて行ったため、決まった部屋に対しては文句はない。年功序列で決めて行ったはずなのだが、何故か和磨が納得いかず、延々と悩んだ末約5畳の部屋を和磨の一人部屋として決定したのだ。それが、一輝を除く三名の男たちにとって納得のいかない点だった。結局のところ、全員で決めて行くと啖呵を切った和磨の発言は、自分がいかに広い部屋をとる計算だったのではないかと、思えざるを得ない状況だった。
「和磨兄さんだけ、ずるい」
「ずるーい」
「な、何だよ。広い部屋なんだから、いいじゃねえか」
「兄さんが一人部屋ってのが、ちょっと納得出来ないんだよね」
「どうして?」
「兄さんが一人部屋だったら、絶対に部屋から出てこないから」
健の不満を聞いた和磨は、言葉に詰まる。あり得ると不覚ながらもそう思ってしまったからだ。しかし、一度決めたら曲げないのが和磨の性格だ。いくら不平不満が出ようと、変える意思は全くない。意思がないというより、信念を曲げた和磨のプライドが許さないのだ。
「もう決定済みなんだから、これでいいじゃねえか」
「いや……」
半ば投げやりな和磨の発言に、今まで黙っていた惣司が口を開いた。
「全員が納得しなければ意味がない。この部屋決めは取り消しだな」
そういう惣司の顔に笑みはなく、鋭い眼光が和磨に向く。その目に怖気づいた和磨は言葉を失い、反論出来ずにややうつむき加減に顔を背ける。
一度体験してみないと分からない事は多い。それを知っている惣司はあえて和磨にそれを実感させた。これから先、長く同じ場にいるのだから全員が気分のいい生活をさせたい。その思いが、惣司の一言に含まれていた。
惣司の一言で、彼らの部屋決めは一からやり直しとなったのだが、その決定はすぐだった。
「和磨、お前は健と一輝と同じ部屋だ」
フレームのない眼鏡を指で押し上げた惣司は、あっさりと和磨の部屋を決めた。
拍子抜けした和磨は「それだけ?」と呟き、惣司の顔をじっと見る。
「皆が不満を抱く点は、お前が一人部屋であることだけだ。それならいっそのこと、三人仲良く同じ部屋にすればいい」
なんならルーフバルコニーでもいい、と、惣司はにやりと笑う。広さだけでいけばリビングに面したルーフバルコニーが一番広い。その上、一人の時間がおおいにとれるのだから、文句はないだろう。先刻、健との会話を掘り返した惣司は、和磨の意志を確認する。
「結局、兄貴の言いなりかよ」
「何とでも言うがいい。一人だけいい思いをするのは、兄弟の中ではご法度だ」
和磨の発言を否定することなく、惣司は言葉尻を強める。
同じ空間で暮らす以上、それぞれの勝手な行動は許されない。たとえ兄弟であっても、互いの意思は尊重すべきだと惣司は言うのだ。
惣司に押し黙らされた和磨は、兄の言う事に逆らえず軽く舌打ちをする。勝手な行動で兄弟間の関係がこじれるのはごめんだ。だが、それ以上に兄への不服が強い。もう少しましな言い方はないのか、その思考が和磨の脳を支配していた。
部屋決めが一段落し、一時的に冷え切った空気は戻った。
「よし、今日のところはこれまでだ。既にこっちに引っ越す手配も整ってるから、後はむこうの家の片付けだ」
仕切り直しに惣司はハリのある声をあげる。
新居となるこの部屋を引っ越す前に下見しておこうと言う事で、休日の昼間に訪れていた。まさか、下見の際に部屋をあらかじめ決めて行く事になるとは思ってもみなかった彼らは、一日のスタミナを消費してしまった。
新しい環境の新しい居住空間。男5人兄弟の新生活がこれから始まろうとしていた。
【終】