4.迫り来る刻限
その日、勤めの為に登城したメーロウに不機嫌そうな声で呼び止めたのは仕事以外では滅多に話してこない彼の義兄だった。
「いつまで手間をかけている、メーロウ」
主語の無い非難にメーロウが後ろを振り返り、首を傾げる。腹違いの兄、レダは声色と同じ位に不機嫌そうな顔をして彼の後ろに立っていた。
「リツィア姫の事だ。毎日毎日ラウ夫人の屋敷に通い、花だ詩だの武人らしからぬ事をしていると皆が騒いでいる。お前は何をやっても無駄に目立つのだから、欲しいものがあるのならさっさと手に入れてしまえ。公爵達の愚痴を聞くのもうんざりだ」
「それはまた……申し訳ない。これで必死に努力しているのですが中々うまくいかず。いや、求婚をするとは思いの他多難なものですな。今は彼女に嫌われないようにするのが精一杯でして」
「……彼女がお前を拒んでいるのか?つまり『反抗』していると?」
金色の毛並みをした虎人の瞳が底光りする。リツィアは捕虜の立場だ。勝者の命令は絶対服従。反抗はそのまま、反逆罪へと繋がる。
しかしメーロウはふるふると首を振った。その顔は穏やかでどこか優しい表情。義弟の様子に、レダは僅かに眉を潜める。
「反抗ではありません。ただ、私は待っているのです。彼女が私を許してくれることを」
「許す?何をだ。まさか、お前が彼女の国を滅ぼした事か?」
「まさか。かの国の滅びを決定したのは王です。私は王の剣。剣は後悔もしないし許しも請わない。私が彼女に許してもらいたいのは……私がリツィアを好きになった事ですよ。それを許してもらった時、ようやくその先に進むことができる。だから、私は待っているのです」
「まどろこしい。相手は捕虜だぞ?欲しいのならさっさと彼女に命令するべきだ、己の妻になれとな。その一言で問題は解決するのに待つだの許すだの、あの人間に意思など無用だ。再度言うがアレは捕虜だぞ?大体、性奴にしても良いような存在を妻にしたいと言うお前の思考も理解し難い」
唾棄するような勢いでレダが吐き捨てる。
その瞳は憎しみに揺れ、同時に何故お前がリツィアを欲するのだと問いかけているようだった。
メーロウは義兄と同じ色の目をゆっくりと伏せる。暫くして顔を上げた彼の相貌はやはり穏やかで――どこか、何もかもを悟りきった賢者のようだった。
「閣下の気持ちも判ります。ですが、私はもう、誰も憎みたくはないのです。そう、どうせ憎むのなら愛したい。そんな折現れたリツィアはまるで運命のようでした。だから私はどうしても彼女が欲しいのです」
「……。ならばこそ、お前は彼女に命じるべきではないか?憎しみを愛すると申すのなら」
「いいえ、命じて手に入れたものなど、ただエインラークの中将が慰み者を得ただけにすぎません。私は、メーロウの欲しいものは、己の力のみで手に入れなければ意味がないのです。――階級も、愛する女も」
――それは本当に、己の力のみで欲しいものを手に入れた男の言葉。
後ろ盾もなく身一つで兵舎に入隊し、一等兵から中将までのしあがった男の信条。
レダは嫌なものを見たように眉間に皺を寄せ、わずかに口から牙を出す。
お前のそういう所が大嫌いなのだと言わんばかりに。
◇◆
しかしどうしたら良いものか。
メーロウは毎日花を摘み、試行錯誤の上作成した詩を携えラウ夫人の屋敷に行く。
だが、心中は割と穏やかなものではなかった。むしろ、彼は日ごと追う度焦っていた。
リツィアがラウの元で世話になるのは有限だ。覚えるものを覚え終われば、いずれあの屋敷を出なければならない。
彼女の気持ちがこちらに傾くのを気長に待っていたいが、現実がそれを許してくれなかった。
リツィアはあくまで捕虜にすぎない。そして、彼女が囚われの身から解放されエインラークの民として生きる時、それはメーロウにとって刻限に繋がる。
ひとたび市井の民となれば今のように頻繁に通うことはできなくなるし、どうしても人の目が避けられない。それでなくても彼は目立つのだ。接し方を違えばたちまち不利な立場になるのはリツィアである。
できればその前に自分が引き取りたい。それも、捕虜や使用人ではなく、彼の妻として――。
時を追うごとに、王城でねちねちと言われる公爵伯爵の言葉もしつこくなる。リツィアを妾にして正妻を娶るべきだと言ってくる者もいる。
側室などごめんだ。自分は庶子の子であるだけに、余計側室という制度が好きではなかった。女を囲う側は気楽なのかもしれないが、その水面下で争われる女の争い、子同士の確執。どろどろしたあの世界を嫌になるほど見せ付けられたメーロウは側室制度が大嫌いだった。それに、リツィアは妾ではなく妻にしたいのだ。その気持ちは明確に彼の中で存在している。
だが……。
ハァ、とらしくもなく溜息が出る。
どうしてもあと一歩が出ない。愛は伝えた。待つとも言った。その上で毎日通うことも許してくれた。
だが、それ以上の前進ができない。嫌われるかもと思うと二の足を踏んでしまう。
全く――全戦全勝の英雄が情けない。敵を斬るのはためらわないくせに、愛の言葉はためらう。まともな人間であれば本来逆であって然るべきなのに。
考えれば考えるほど、自分は歪な生き物なのだなと彼は自虐的に薄く笑い、さて、と声を上げて笑顔を作った。ラウ夫人の屋敷へと入り、彼女が待っているであろう園庭に歩を進める。
――最初に感じたのは、異変。
いつも庭にあるテーブルつきの椅子に座りながら、休憩の時を香茶と共に過ごしている彼女がいない。屋敷の中だろうか?メーロウは野原で摘んできた青く小さな花を手に、あたりをきょろきょろとして探す。
瞬間、その碧のベリルが大きく見開いた。
「リツィア!!」
駆ける。摘んだ花は手から零れ、彼の疾風のような足の運びと共に空を舞う。
リツィアが、美しく整えられた生垣の近くで倒れていた。
「こ、これは……何があった。リツィア!」
抱き起こすと、彼女の額からこめかみにかけてが赤い血に濡れている。まさか、とメーロウの背中がざわりと冷たくなるが、息はあった。
彼女を抱いたままあたりを見渡す。すると、傍にはメーロウの拳大の石が落ちていた。そこにも血がついており、明らかにこの石による怪我だと判った。
黙って抱き上げ、生垣の向こうを睨む。既に犯人は去った後だろうが、生垣の外――つまり、敷地外から投げられたのだ。リツィアに向かって。
視線だけで殺せそうな程、メーロウは生垣を睨みつける。だが、まずは彼女の手当てが先だとメーロウはきびすを返し、屋敷に向かって走っていく。
……彼女の体は、やはり羽根のように軽かった。
「ごめんなさいね。最近は貴方達ふたりきりにしようと思って気を使っていたのが仇となったわ」
目を伏せ、寝台で横になるリツィアを見ながらラウがぽつりと呟く。彼女の手によってリツィアは適切に処置され、頭には包帯を巻いていた。
メーロウは巨木のように黙って立ち尽くし、リツィアの姿を穴が開きそうな勢いで見つめる。心の中で占めるものは炎のように燃え上がる怒り。ただ、それだけだった。
しかし、スッとリツィアの瞳が開く。それだけでメーロウの体がばねのように動き、がばりと寝台に身を寄せた。
「リツィア!大丈夫か、頭は痛くないか?」
「あ……メル、様……。はい、大丈夫……です」
「気持ち悪くはないか?何か異変を感じるならすぐに言ってくれ。ああ、あと、患部は冷やしたほうがいいのか。氷、そう、氷を持ってくるから」
「メル様、わたくしは平気、です。少し驚いただけ……ですから」
「しかし……」
ぎゅ、と寝台のシーツを握る。白銀が波打つ大きな自分の手に対し、寝台で横になるリツィアは酷く小さい。こんなにも、自分と彼女は体格が違う。否、虎人に比べ圧倒的に人間は小さいのだ。
敵兵でもなく、彼女が何か悪さをしたわけでもない。あんなに大きな石を投げられる謂れは無い。それなのに彼女は事実石を投げられ、血を流して地に伏せた。
石を投げたのは間違いなく虎人だ。敵ではなく味方。メーロウが命を張って守った民達の誰か。それなのに、怒りが沸く。心の中が煮えたぎるようにぐつぐつと音が鳴る。
知らず、自分の口から恐ろしい程に低い声が零れ出た。
「誰だ」
「……え?」
「リツィアに石を投げたのは誰だ。名前がわからなくてもいい。特徴を覚えていないか?毛並みの色、性別、どんな服を着ていたか、大人か子供か。何でもいい、見たものを全てを話すんだ」
「……で、ですが……」
「そなたが傷ついた。そなたを監督している責任者は私だ。ならば、捕虜を傷つけた者を見つけ出し、罰を与えなければならない。捕虜は悪戯に傷つけてはならんのだ。こんな事を許せば、この国は捕虜を虐待する非人道的な国だと指をさされかねない。だから言うのだリツィア。これは命令だ」
「……っ」
僅かに表情を歪ませ、寝台に横たわったままメーロウから顔を逸らすリツィア。その瞳は伏せられ、唇が震えている。
そんな彼女を見て、ハッとメーロウは俯く。
――しまった。怖がらせた――
「あ、リツィア、違うんだ。怒っているのではなくて、私はただ……こんな事を許してはならないと」
「いえ……。その、見て……いませんから。申し訳ございません。後ろから石をぶつけられたので、そのまま気を失っていたようです」
リツィアの怪我をした部分は額からこめかみにかけて。つまり、間違いなく正面から石をぶつけられたのだ。もし当たり所が悪かったら取り返しのつかない大怪我をする所だった。
それなのに彼女は嘘をつく。捕虜が尋問に対し、偽りを口にするのは厳罰ものだ。しかし、彼女はそれをわかっていながら偽った。明らかに、石を投げたものをかばっているのだ。
「どうして……リツィア」
耳を垂れさせ、外套に隠された尻尾もたらりと下を向く。リツィアは少し黙った後、ゆっくりと起き上がった。慌ててラウが支えようとするが「大丈夫です」と自分の力で寝台に座る。
「いつか起きる事だと思っていましたから」
「どういう事だ?」
「わたくしは人間です。それが、ここで虐げられる事もなくのんびりとお茶を飲んで余暇を過ごしていれば……。彼らの目に、わたくしは恵まれているように見えて然るべきです。事実、わたくしはとても恵まれていますから、それがきっと許せなかったのだと思いますわ」
「彼ら……か」
複数の市井の民。この屋敷付近に住む者。冷静な自分がそう分析する。彼らはきっと、生垣のすきまから眺めていたのだ。この園庭で香茶を楽しみ、白銀の英雄と暢気に詩を交わす彼女の姿を。
それは事情を知らない者からすれば、敵国であり敗戦国の姫であるはずの女が、本来は惨めたらく汚泥をすするべき女が無責任に平和を謳歌しているように見える。恐らくはそれが、許せなかったのだ。
しかし、とメーロウは拳を握る。彼女は頑張っているのだ。それなのに、どうしてこんな扱いをされなくてはいけないのだろう。……やりきれない思いが、彼の心を占めていく。
「以前、メル様は仰いましたね。ご自分のなさったことを。わたくしの国の民を、兵を沢山その手にかけたと仰いました」
「……ああ」
「ですがそれは、わたくしも同じなのです。父……国王の命令のままに、兵は沢山の虎人を殺しました。兵の意思は国王の意思。なら、兵の殺意はわたくしが背負うべき責任です」
いつの間にかラウは席をはずしており、二人は互いに向かい合う。寝台に座るリツィアと、立ちすくむメーロウ。碧のベリルと、宝石のような不思議な色を帯びる瞳が交差する。
「わたくしはあの国に生まれ、民に生かされた公人です。わたくしは自分の手を染めずとも、貴方様の同胞を沢山殺しました。その中には家族や大事な人を殺され、行き場のない憎しみや怒りにかられている方も沢山いるでしょう。ですが、彼らは悪くありません。……わたくしが、悪いのです」
「そんな……。そなたはただ、あの国に生まれただけだ。そなたの父の判断は、そなたの父の意思。リツィアが責任を負う必要はない!」
「そういう訳には参りません。ですからメル様。わたくしはずっと、貴方様に謝りたいと思っておりました。わたくしはあの時黙っていたけれど、本当はわたくしも同じなのですと謝りたかった。……でも」
ふ、とリツィアが瞳を伏せる。
ぎゅ、と握る白いシーツ。やがて彼女は顔を上げ、そして……初めて微笑んだ。
まるで柔らかな蕾がゆっくりと花開いてくような、ふわりとした微笑み。だが、その瞳は哀しみに彩られていて。
……メーロウの眦が悲痛に下がっていく。
「わたくしは少し、舞い上がっていました。メル様からお花を頂き、詩の話をして……それがあまりに楽しかったから、わたくしはつい思ってしまったのです。……せめてこの時間だけでも、幸せになっても良いのだろうか、と」
それが間違いだったと彼女は笑う。何かを諦めたような、吹っ切るような表情で。
「……彼らは思い出させてくれました。わたくしは、幸など求めてはならないと。これからを生きる残りの生涯を、全て償いに捧げよと。本来ならばわたくしはあの時、死ぬはずだったのです。けれど生き残ってしまった……だからもう、わたくしは……いいのです。メル様」
「ま、待て、リツィア。死ぬはずだったとは、どういう事だ」
嫌な予感がして震える声で問う。リツィアは優しく目を細め、両手を胸に置いた。
「あの時、滅び行く王城で、王と王妃は自決しました。その時、わたくしもいたのです。共に毒を飲むつもりでした。ですが……わたくしはどうしても怖くて……怖くて。死ぬのが、怖くて……毒を口にすることができなかった。やがて、なきがらとなった父と母を目の前に呆然としている所を、虎人の兵に捕らえられたのです」
ぽろりと一筋、リツィアの瞳から涙が流れる。それはとても美しく、まるで儚い宝石のような輝きを放っていた。しかしそれはメーロウにとって尤も見たくない表情で、彼女は泣き顔のまま、薄く微笑む。
「もうお判りでしょう?メル様。わたくしはメル様に好きだと言ってもらえる資格など無いのです。死ぬ事が怖くて逃げ出した臆病者。本当は姫と名乗ることすらおこがましい……生きる価値もない屍のようなものなのです」
ずっと心に秘めていた疑問。どうして彼女は全てを淡々と物事をとらえ、どのような処遇を受けようと悲観せず、全てを受け入れていたのか。身分を落とされる事さえ不満一つ零さなかったのか。
無気力だったからだ。
生きる希望をなくしていたからだ。
そして彼女をそうさせている原因は、彼女自身が持つ罪悪感。父と、それに続いた母から逃げた自分を許せず、自責の念にかられている。それに加えて、敵国だった民から向けられる悪意の視線――。
耐えられるわけがない。そんなものを抱えられるほど、彼女は強くない。だが、リツィアは中途半端に責任感が強いから余計に自分の首を締めてしまうのだ。
全ては自分が悪いのだと自罰的にかられている。誰も罰しないから、自分を苦しませている。
やがて、メーロウの嫌な予感は的中した。
リツィアが自ら言ってきたのだ。傷が治ったら、ラウ夫人の屋敷を出て一人で生きると――。
刻々と迫りくる期限。
もうなりふりを構っていられない。メーロウは一人、決意を新たに拳を握り締めた。