表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
虎の求婚  作者: 桔梗楓
3/5

3.玉砕求婚

 虎人の王が治める大国の一つ、エインラークの街には大きな図書館がある。その一画に、彼はいた。メーロウは戦場を駆ける時以外はいつも碧い胸鎧キュイラスを着用し、金の縁取りがされた黒の外套を羽織っている。大男、という表現が一番に思い浮かぶほどの美丈夫で、背が高く体の節々が逞しい。

 それでいて戦の功績は華々しく、一国の将でしかも独身という立場ならば数多の女が黙っていない。事実、メーロウは日がな王城であの令嬢はどうだ、私の娘はどうだと引っ切り無しに声をかけられる。勿論、女が自ら己を売り込む事も少なくない。

 そんなわけで、兵以外立ち入り禁止の兵舎以外でメーロウという男は滅多に王城で姿を見かけなかった。

 しかし、彼にはそれなりに雑多な事務仕事もあるもので、それをどこで行っているのかと言えば。

「やっぱここにいたか」

 街の図書館の一画でカリカリとペンを走らせるメーロウがつい、と顔を上げる。そこは自習室のような個室になっていて、メーロウの手元には大量の書類と墨壺、右手には羽ペンがあった。

 遠慮のなさそうな足取りでずかずかと部屋に入ってくる男は茶色の毛並みを持つ虎人。にやりと笑えば、鋭い牙がぎらりと光る。

「ゾーク」

「王城でお貴族様方がこぞってメルを探しているぞ?人間の女に懸想したとあっては彼らも必死だ」

「むぅ、恋愛くらい好きにさせろと言いたいのだがな。しらがみも全て捨てた身だ。今更策略だ政略だのといった駒にはなりたくない」

「全くだな。お前は恋愛くらいは好きにやったらいいと思うよ。それ以外の全てを国王に捧げてきたんだからな」

 命も剣も生きる指針も、彼は全てを国王に捧げた。忠誠を誓ったあの日から、メーロウの王はあの白金の王ただ一人だ。

 メーロウの守るべきもの。守りたいもの。それは国であり国王であり国王の治める民達である。彼はその為に多くを殺し、多くを蹂躙し、時には尊いものを踏みにじった。

 その白銀の毛並み全てを鮮血に染めるほど、彼の手はすでに汚れている。

 しかしだからこそ、恋愛は自由なのだとメーロウのただ一人の親友、乳兄弟のゾークはにっかりと笑った。

「このように、一つの過程を楽しむなんて事は今まで一度も無かったんだがな」

「ふぅん?口説きを楽しめるようになったのは良い事じゃないか。何事も結果を急くのはよくない。オトす楽しみも見出さなければな」

 にんまりと笑うゾークはメーロウの姿と違い、鎧を着ていない。彼は紫の縁取りがされた藍色の裾が長いローブを着ており、肩には同色のケープを羽織っていた。王城に勤める文官の成りである。

 メーロウは暫くペンを走らせ、やがて一息ついたように「ふぅ」と息を吐き、椅子の背もたれに体を預ける。

「どうでもいいが、ゾークは私の場所を見つけるのが早すぎるぞ。しかも丁度良い時に来る。……ほら、出来たぞ」

「メルを見つけるのも俺の仕事だからな?うん、書類作成お疲れ様」

 人の悪い笑みを浮かべたまま、メーロウの差し出す書類の束を受け取り頷くゾーク。メーロウは事務仕事が尤も苦手だ。だからすぐに逃走する。しかしゾークがすぐさま見つけて仕事をさせる。だが、最近は書類仕事を持って逃げる事も増えたので、ゾークは書類を受け取る為にメーロウを探す。

 近くにあった椅子を引き寄せ、ゾークが座ると書類を改め始める。そんな彼を軽く見やって、メーロウは机の脇に置いていた本を開き、白い紙になにやらを書き始めた。

「そういえばさ、メル」

「なんだ」

「最近おまえ、街の公園で雑草摘んでるんだって?街で噂になってるぞ。英雄殿が草むしりをするなど、どれだけ王城の役人は人手不足なのだと」

「草むしりではない。花を摘んでいるのだ」

「花ぁ?そんなもの花屋でいくらでも買えるじゃないか。何、メルは意外と薄給なのか?」

「違う!……彼女は野花を好むのだ。小さく柔らかで、名もないようなささやかな花をな。だから公園で摘んでいる。本当は彼女を王城の外にある野草の丘に連れて行きたいが……それはできぬのでな」

 仕方ない、と呟いてメーロウは熱心にペンを走らせている。時折耳の辺りを掻いたり、頬杖をついたり、開いた本を数頁めくったり。

 書類を確認し終えたゾークがそれに気付き、何をしているんだと覗き込む。彼は、有名な詩集を片手に必死になって詩を書いていた。

「メル、なぁ、なにしてるんだ?」

「見てわからんのか。詩を書いている」

「いやそれはすごくわかるけど、なんで書いてるんだよ。おまえ、詩を読む趣味なんか皆無だっただろ。むしろ読み書きが大の苦手……」

「うるさいわかっておる!だが、リツィアが詩を好むのだ。ならば、私は努力せねばならない。……うーん『今日見つけた花に、白い花びらを持つ花を、見つけた。きれいだな』……違う、美しい、いや、かわいい……?」

「今日見つけた花が白かったって、それは詩じゃなくて日記じゃないか?」

「日常の中にこそ感動があるとリツィアは言っていたのだ。だから、って、お前は煩い!さっさと書類を持って帰れ!」

 ガーッと牙を光らせて怒り出すメーロウに、ゾークは心の底から呆れた顔をした。


 いくつもの戦場で勝利を導いた英雄が毎日公園で雑草のような花を摘み、暇を見つけては詩を書いているという奇行は瞬く間に街や王城で噂になる。

 戦場の世界に嫌気が差し、何らかの癒しを求めるようになったのか、はたまた訪れた平和に頭がついていかず、おかしくなってしまわれたのか。

 様々な憶測が飛び交うが、しかしメーロウは全く気にせず毎日花を摘み、新作の詩を携えてラウ夫人の屋敷に通う日々を過ごしていた。


「リツィア。今日書いた詩はなかなかの出来だったと自負しておる。読んでみてくれるか?」

「はい」

 彼女の休憩時間を見計らってメーロウは訪れる。最近はすっかりこの大柄な虎人と庭でお茶をする事が日課になってしまったリツィアは、メーロウがニコニコと渡してくる白い紙を受け取り、小さな声で読み上げた。

 自分が一生懸命書いた詩を、優しい花そのもののような可愛らしい声が読んでくれる。それだけでメーロウの心は大きく高鳴り、照れと嬉しさに顔が赤らむ。

「星空を見て、その星を手に取りたいと願う。それがまるで、今日見つけた白い花びらに似ていたから。あのきらめく星を、あなたに見せたら喜びますか?――とても浪漫的で素敵な詩ですね。星を花に見立てるところに共感を覚えました。この一節は好き、です」

「すっ…好き!?」

 がたんと椅子を立てて思い切りのけぞり、顔を真っ赤にしたメーロウの体がぶるぶると戦慄く。同時にテーブルやその上に乗せられた小さな花瓶などもカタカタと音を立て、リツィアが不思議そうな表情をした。

 しかしメーロウがすぐさまリツィアに向かって身を寄せる。ついでに彼女の細く小さな手を毛むくじゃらの大きな両手で包み込んだ。

 柔らかい。まるで羽のような白い手。勢いで掴んでしまったが、あまりの手触りのよさにうっとりして慌ててぶんぶんと首を振る。そして少し驚いた顔をして身を引かせるリツィアに凄むような声で呟いた。

「わっ、私も、私も、好きだ」

「え?ええ。素敵な一節ですものね」

「違う!あの、詩ではなく……いや、詩も気に入ったが、そうではなく……。そっそなたが、好きなのだ、リツィアっ!」

 思い余った突然の告白にリツィアの瞳が大きく開き、ぽかんと小さな口も開く。そんな彼女の表情の変化が嬉しく、またどんな顔をしても可愛らしいと熱く見つめながらメーロウは秘めていた想いを打ち明ける。

「リツィア……。私の妻になって欲しい」

「……ど、どうして、ですか?国王様から何かご指示を賜ったのですか?」

「何も指示などされておらぬ。私がそなたを望んでいるのだ。リツィアに傍にいて欲しい」

「――そんな。なんて……こと」

 メーロウに手を握られながら、そっとリツィアが顔を伏せる。さらさらと金の髪が簾のように流れ、彼女の顔を隠す。

 しかし、リツィアはゆっくりと顔を上げた。その表情はいつか王城で見た、初めて彼女を見た時と同じ。僅かに震える唇をきゅっと引き締め、意思の強い瞳で見つめる、あの表情だった。

「いけません、メル様。わたくしは人間です。更に言うなら貴方の国に攻め入った挙句、戦を長引かせた敵国の者。その国王の娘であるわたくしを娶れば、貴方様の名に傷がつくどころか非難の的にされてしまいます。どうかそのようなお戯れなど仰らないよう――」

「戯れではない!私は本気だ。そなたを妻に迎えるという事がどういう事なのか、それは重々承知している。それにリツィア、敵国などと言ってくれるな。もう、終わったのだ。そなたにとって辛い終焉であったが……」

 悲しい瞳でしかと見つめるリツィアに反し、メーロウは耳を垂れさせヒゲを下ろし、肩をもがっくりと落とす。――判っているのだ。自分が何を言っているのか。そして、自分の求愛を彼女が受け入れ難いという事も。


 何故なら自分は……。


「私はそなたの国を滅ぼした。それぞれの国の思惑や戦に至る経緯はあれど、私が剣を取り、士気を高める為の雄たけびを上げ、鮮血を浴びて戦場を駆けた。そなたの民を殺し、そなたを守る兵を殺した。だが、そなたの好意を得たい一心で謝罪することはできない。私は一言謝れば、それは……私を信じた部下の行いすら、否定することに繋がるからだ」

 こんな風にしか言えない自分がもどかしく、嫌気がさす。もっとうまく口説けばいいのに、どうして自分はこんな性格をしているのか。その場しのぎの甘い台詞が言えない。真実しか口にできない。まだまだ夢を見ても咎められないであろう少女に、わざわざ言わなくても良い事まで口にしている。

 だが、それでも好きになってしまったのだ。

 こんな自分ができることは、ただ彼女の好きな花を摘むこと、詩をうたう事、誠実に愛すること。

 メーロウの求愛はひたすらに不器用で、そして目の前の壁に自ら体当たりするような、非常に稚拙極まりないものだった。


 自分はなにかを愛する資格などない――。

 そんな風に自虐する時もあった。身に浴びた鮮血は洗っても消えることがない。ひとつ瞬きをすれば、メーロウの両手は常に血に濡れていて、耳に聞こえるものはそよ風の囁きではなく死にゆく者の怨嗟。

 だが、どんな修羅に身を堕とそうとも、首入れの白い袋を真っ赤に染めて満杯にしようと。

 

 神という存在はどこまでも平等だった。いっそ、惨い程に。


 愛したい、愛されたい。

 生き物が持つ当たり前の感情を、自分は捨て去ることができなかった。


「リツィア。そなたの気持ちも判るつもりだ。私を許せないだろう?だが、どうかお願いだ。もし、そなたが私を憎む気持ちが少しでも薄れているのなら……。私のことを考えて欲しい」

「メル様……」

「答えは急かないよう努力、する。だ、だが、その……」

 嫌われたくない。嫌われるような事をした自覚をしているのに、リツィアに嫌われたくない。自分でもおかしくなる程の自分勝手な想いを持て余しつつ、それでもどうしても言いたくて顔を上げ、リツィアを見つめる。

「あ、明日も……また、来ても良いか?は、花と、詩をまた、持ってくるから」

 ここで拒否されてしまったら自分は情けなくも泣いてしまうかもしれない。そんな風に思いながら必死になってお願いすると、リツィアは少しだけ瞳を丸くする。

 そして、僅かに頬を染めながら「はい」と小さく頷いた。



◆◇



 ラウ夫人によるリツィアの指導は続いていた。収入を得る為の機織りから生活する為の家事仕事。リツィアは当然世話をされる側の人間であったので生活能力は皆無に等しい。そんな彼女に一から全てを教えるのは大変だっただろうが、ラウは何一つ不満を零さず懇切丁寧にリツィアに教えており、リツィアもまた、懸命に覚えようと努力する姿勢が見られた。

 柔らかだった手は水仕事の辛さに負けてあかぎれだらけになり、炊事の仕事もするから火傷が絶えない。メーロウが屋敷を訪れる度リツィアの指は包帯で巻かれていて、時折ラウに薬を塗ってもらっていた。

 ……包帯。包帯は好きではない。戦場で嫌ほど見てきたからだ。

 メーロウはかすかな危機感を覚えてリツィアを見る。彼女の手は荒事に全く慣れていない。このまま指導が続けば彼女の手はずっと傷だらけのままだろう。

 自分が好きになった彼女の白い手が――。


 ついに自我を抑えきれなくなってこっそりとラウに注意をしてしまう。リツィアが機織りをしている時間に少しだけ彼女を別室に呼び、あまり傷をつけるなとたしなめた。するとラウは呆れたような顔をして腰に手をあて憤然とした表情をする。ついでに目を思い切り細めてジトッとメーロウを睨んだ。

「私の指導が気に入らないのならさっさと彼女を娶り、ご自分の屋敷にも連れていきなさいな。そうすればリツィアはお姫様のまま、何の苦労もせずに皆から世話をされて生活できますよ。貴方の大好きなお手手だってすぐに柔らかなお嬢様の手に戻るでしょう」

「そ、そうしたいのは山々だがなかなかに彼女は手ごわいのだ。花や詩の話をしている時はとても穏やかで優しいのに、求婚の話になると途端に口を閉ざしてしまう。……今は嫌われずに彼女と過ごす事で精一杯なのだ。だが、あの包帯の手はいただけない。水仕事や煮炊きはまだ教えるに早いのではないか?」

「では何時が適した頃だと?――全く貴方は。駄目にも程があります。この駄目男!剣だけしか能のない力馬鹿!大柄!」

「おっ、大柄は悪口なのか!?なんだいきなり。私はただ……!」

「貴方がリツィアを好きになったと聞いて、少しは機微を知る事に長けたのかと思えば貴方は全く変わっていませんね。『メル』?貴方はリツィアのどこを好きになったの?貴方が好きなリツィアは容姿だけですか。そんな事……リツィアが知ったらさぞかし嘆くでしょうね。まるで物珍しい愛玩動物を手に入れようとする子供のようだわ」

「なっ……」

 ずけずけと幼少時の頃のような、全く遠慮のない物言いにメーロウの顔が赤くなる。しかしラウは腕を組んでまっすぐに彼を見上げた。まるで教師と叱られた生徒である。

「リツィアは何の不満も言っていませんし、また嫌々とやっているわけでもありません。彼女自身が必要だと思っているから努力しているのです。手に傷がつくのは今までの生活を考えれば当然の事。彼女もそれは判っているのですよ」

 だから文句も零さず、黙々と作業をしているのだとラウは言う。

 何も言い返せず黙り込むメーロウに、次は諭すようにゆっくりとした口調でラウが話しかけてきた。

「メル。リツィアはね、可愛らしいお人形のような姿をしていますが、それだけではありませんよ。彼女は沢山の複雑な思いを心の中で抱え、悩み苦しんでいます。愛し愛される事だけが夫婦の形ですか?彼女を妻としたいなら、リツィアを理解し、支えてあげるべきです。――もう一度聞きますよ?貴方はリツィアのどこを好きになったのですか?容姿だけですか?」

 メーロウの碧のベリルが見開く。そうだ。自分はリツィアの何処が好きなのか。

 ささやかに可愛らしい花のような相貌?金糸のような髪?傷ひとつない、細くかよわい手足?

 違う。いや、それも勿論好きな所だが、それだけではない。境遇を悲観し泣くだけではない芯の強さ、儚げに見えるが懸命に今を生きようとする彼女の強い意思。そして、どんなに怖くとも涙を見せず振り乱さない、その気高さ――。

 ぎゅ、と大きな手を握る。そうだ。彼女が受け入れた傷を自分が受け入れないでどうする。あの柔らかな手が硬くなろうとまめだらけになろうと、彼女のあり方が変わるわけではない。


 自分はリツィアの、あの強い眼差しに心奪われたのだから。


「わ、私は……」

「ようやく判ったようですね。なら、さっさとお行きなさい」

「……行く?どこへだ」

 ぼんやりと首をかしげるメーロウに、ラウは「気の利かない男ね」と言わんばかりに耳をピンと立てて目尻を上げる。

「あかぎれによく効く軟膏でも買っていらっしゃい!貴方が彼女の手を痛ましいと思うのでしたらね!」

 尻でも叩かんばかりにラウが強い口調で言うと、メーロウは慌てて飛び出すように屋敷を後にし、街中の薬屋を巡るのだった。 

 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ