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虎の求婚  作者: 桔梗楓
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2.戦上手は恋下手

 自らが滅ぼした亡国の、しかも他種族の姫に恋をしたと。

 その噂は国中とまではいかないが、少なくともメーロウが務める兵舎内ではその話で持ちきりだった。

「人間ってあれだろ?体毛の薄い、全身が肌色に見える種族」

「あの手足を恥ずかしげもなく曝している所がすごいよな。俺達にとっては体毛を剃り、肌の色を見せるのは屈辱と同様なのに。ましてや女性とあっては……」

「他国に捕らわれた虎人の女は尻と乳房の部分だけ肌色になるまで剃られて性奴にされるという、そんな恐ろしい逸話もあるくらいだからな」

 うんうん、と深刻そうに頷きあう兵士達。兵舎に務める兵士の多くは虎人だが、他にもちらほらと別の獣人もいる。だが、人間が一人もいないのは長年かの国と敵対していたが故の原因だろう。

「それで、件の中将様はどこにいらっしゃるんだ」

 いつもなら休憩時でも休暇日でも暇とあれば必ず兵舎に顔を出し、稽古などをつけていた大柄で豪快な男がいない。英雄は戦場では鬼神の如く圧倒的な豪腕を持って全てをなぎ倒す猛者だが、普段は気さくでよく笑う、剣技を競うのが好きな男だ。

 そこにいるだけでむさくるしい程の存在感がある中将がいない。

「ゼルデ卿なら今日も飽きもせず通っておりますよ。ラウ夫人のお屋敷に」

「またですか!?」

「然り。休憩の度にまめまめしく通う中将など、この目で見る日が来るとは思いませんでした」

 ハァ、と呆れたようなため息をつく伝令の男。メーロウを上司に持つ部下達も一様に腕を組み「あの中将殿がなぁ」と口々にこぼした。

「高級娼婦を相手にさえ余計な睦言など無用。気に入れば襲うが信条のような方でしたのに」

「何せ豪快な方ですからなぁ。ですが、歴戦の英雄も恋をすればただの雄という事ですか」

「しかし相手は人間の雌ですぞ。しかも若く、小柄な姫だ。うまくいくとも思えませんがね」

「まぁ相手は亡国の姫なのです。拒む事はすなわち反抗したと見なされ処罰を受けるでしょう。そういった意味では確実に中将殿の思いは届きますよ。ご本人が望む形かどうかはわかりませんが」

 異種族同士の恋愛は特に禁忌ではない。この世界には雑種と呼ばれる混血獣人が溢れる程に存在しており、兵舎の中でも歴代が純血である虎人は少ない。皆、誰かしら異なる獣人の血を混在させているものだ。

 ただ、人間という種族だけは特殊で、彼らは非常に閉鎖的で他種族を嫌う傾向が強い。だからこそ、人間との混血を持つ獣人は少なかった。

 メーロウは剛毅で果断な人物。偽りを嫌い、策謀を好まない。

 その人柄は部下にとって頼りがいがあり、またつきあいやすい良い上司であった。だが同時にきっと前途多難な恋になるのだろうなと皆が心配に、思いを馳せた。



 ラウ夫人とは、メーロウの頭が上がらない数少ない女性の一人だ。青みがかった白の毛並みを持つ壮年の虎人。春に舞う花びらのような色を持つ瞳はメーロウのような男と違い、とろりと目尻が下がって穏やかで優しげな雰囲気がする。彼女はメーロウの乳母だった。

 まるで恋を覚えた青年貴族が足繁く令嬢の屋敷に通うように、メーロウはかつて乳母であった女性の屋敷に足繁く通い続ける。そんな彼にラウはフゥと溜息をつき、鼻にかけた小さな眼鏡をカチャリと外した。

「通いすぎです。そんなに頻繁に来られても困ります。織物の技術は一日二日で上達するものではないのですよ?」

 ぴしゃりと英雄をたしなめる。どんなに戦場を駆けようが数多なる功績を上げようが、ラウ夫人にとってメーロウは第二の息子も同じ。そんな彼女に全く弱い彼はしゅんとした表情で肩を落とし「だってなあ」といい訳がましい声を上げる。

「心配なのだ。なぁ、その、姫君はちゃんと生活ができる程に織物ができるようになるのか?その細くてちまこい手が果たして充分な仕事を果たすようになるのか。あの、な、彼女は一国の姫だったのだ。だから、優しく、優しく扱うのだぞ。私にしたような扱いをしてはいかんぞ」

「貴方にしたような扱いって、悪戯をした際そこの木に尻尾をくくりつけてぶら下げたり、夜中に食料庫を漁った罰にそのヒゲを思い切り引っ張ったり等の事を指しておられるのですか?」

「そうだ!全く、ラウの扱いは妾の子とは言え、ゼルデ家の姓を持つ者にする扱いではなかったぞ!」

「まぁごめんなさい。つい、自分の息子と全く同じように接してしまいましたわ。まぁ安心なさいませ、そのような扱いはしておりませんから」

 だからさっさと帰れ、と言わんばかりにツンとそっぽを向くラウの傍には件のリツィアがいて、彼女は機織り機を前に黙々と作業をしていた。

 姫という身分を剥奪され、労働階級の身分に落として日々を働く。国王から通達されて以来、彼女はラウ夫人の元で生活し、彼女から機織りの技術を教わっていた。

 本来ならば身分刑という名の刑罰に匹敵する程の屈辱だ。だが、彼女は特に悲観するような表情をしているわけでもなく絶望している雰囲気でもなく、ただ淡々と糸を通し、おさという櫛のようなものを使って機織る。その姿を、メーロウは舐めるように見た。

 ふんわりもちもちとした柔らかそうな頬は軽く化粧を施しているのかほんのりと紅く、目を伏せて機を織る瞳は翠がかった碧という不思議ないろ。彼女が手を動かす度、さらりさらりと長くまっすぐな金の髪が揺れ、陽の光りに反射してきらきらと光る。

 小柄な彼女に虎人の服は合わないらしく、幼子用の可愛らしいドレスを身に纏っている。恐らくラウ夫人が幼少の頃に着ていた古着なのだろう。しかし、その可憐なドレスは彼女にとても似合う気がした。

 きこきこ、ガタン。

 機械的な音が規則正しく響く。リツィアの白く細い手が緯糸を通し、おさを使って機織る。

 まばたきを一つ。意思の強さが伺える引き締められた唇から、ひとつ小さな息を吐く。……それが疲れによるものだと瞬時にメーロウは察知して、慌ててラウに顔を向けた。

「そっ、そろそろ休憩してはどうだ。根を詰めるのもよくないだろう?」

 意味もなくばたばたと手を上下させて提案してみると、ラウは「そうですね」と小さな眼鏡を掛け直した。

「リツィア、休憩にしましょう。その前に出来上がったものを見せて頂戴」

「はい」

 今日、メーロウがこの屋敷に来て、初めて彼女が口を開く。可愛らしく白い花が風に揺れるような、いつまでも聞いていたいと思う声にうっとりした。

 そんなメーロウを知らず、椅子から立ち上がるリツィアに代わってラウが機織り機の前に座り、彼女の織った織物を手に取り、眺めた。

「……。うん、大丈夫ね。次はこの出来栄えを維持したまま、もう少し作業を早めるようにしましょう」

「はい、判りました」

 こくりと頷くと、リツィアの髪がまた一房、肩を流れて胸元に落ちる。きっとあの髪に触れればしゃらしゃらと良い音を奏でるのだろうな、とメーロウは思った。


 

 リツィアの待遇はかの亡国から収容された民に比べれば大分と良いのだろう。しかし、かといって収容所の人間を奴隷のように扱っているわけではない。

 あくまで身分に則った扱いをしているだけだ。ただ、姫も民も窮屈で居心地の悪い思いをしている所は同じだろう。

 庭師に世話をさせている美しい庭で、お茶を飲む。静かにカップを傾けるリツィアの仕草ひとつひとつを注意深く眺めるメーロウ。コホンとラウ夫人の咳払いが園庭に響く。

「全く貴方はいつまでいる気ですか。そろそろ休憩も終わりでしょう?兵舎に戻ったらいかがですか」

「このお茶を飲んだら帰る!いちいちと煩いのだラウは。やっと戦も終わったのだから少しくらいゆっくりとさせてくれ!」

 思わず大声で口答えをして、はたとメーロウは鋭い牙の生えた大きな口を閉じる。

 ――戦が終わったのだから。

 言ってから気づいた。戦とは、リツィアの国と交わした戦。彼女の国を打ち滅ぼしたから戦が終わったのだ。慌ててメーロウは伺うように彼女を見る。リツィアは何一つ表情を変えず、また何も言わず、静寂を守ったままティーカップの取っ手を摘んでいた。

「す、すまぬ。思い出させるつもりはなかったのだ」

「……」

 体格の良い体を無理矢理押し込めるように精緻な彫り細工のされた小さな椅子に座りなおす。リツィアは口を閉ざしたままカップをソーサーに戻し、少し目を伏せた。

 しかし、ややあってぽつりと小さな声がメーロウの耳に入ってくる。

「……終わった事、ですから」

 その涼やかで可愛らしい声が自分に向けられたのだと判ってパッとメーロウが顔を上げた。普段は外套の影にある白銀の尻尾がピンと伸びるのが判る。

 まるで初恋を覚えた少年がするようなわかりやすい反応に、ラウが吹き出そうになって慌てて咳払いでごまかした。

「あっ、あの、そうだな。お、終わった事、だ。だが、これはそなた達にとって今が始まりも同じ。私も陛下も出来る限りの助力をするつもりだから、それ故っ……」

「はい。わたくしのような者にまで慈愛のお心を頂き感謝の言葉もありません。ですがどうか、助力を差し上げてくださるのならば、わたくしよりも民を優先していただきとうございます。わたくしが意見できる立場でないことは重々承知しておりますが、どうか」

「わ、わかっている、勿論だ。今、レダ殿……元帥が、新たに住まわせる領地を探している。多少の息苦しさはあるかもしれないが、収容所よりもずっと住み心地は良いだろう。納めるべきものを納め、領地から出さえしなければ自由も認めるし、ああいや、あの、そういう事が言いたいのではないのだ!わ、私は」

 違うのだ。そんな、公の場でかわすような会話がしたくてここにいるわけではない。そんな『敗戦国の姫と勝戦国の将軍』然とした話はしたくない。

 もっとこう、一歩二歩と踏み込んだ会話がしたい。しかしどうすればいいのだ、とメーロウはおたおたと慌て、テーブルの真ん中に置かれた菓子に手を伸ばす。

「あ、あの……。その……」

「……?」

 白銀の毛並みに黒のまだら模様のついた顔が妙に色づき、赤くなる。自分自身、一体お前はどこの思春期だと激を飛ばしてしまいそうになるが、ぎゅっと目を瞑り、尻尾の先まで緊張をみなぎらせた。

「り、り……。リツィア」

「はい」

「……と、呼んでも、良いの、だろうか」

 自分は何を言っているのだろうか。名前くらい自由に呼べばいいものを、一々と彼女に伺ってしまうあたり、相当自分はやられている。

 しかしリツィアは笑うわけでもなく嫌悪の表情をするわけでもなく、表情の無い顔のまま「はい」と頷いた。

「ご自由にお呼びください」

「そ、そうか。じゃあリツィアも、私の事はメーロウ……いや、あの……メル、と呼んでほしい。……嫌、か?」

 自分をメルという幼少時の愛称で呼ぶ者は今や一人しかいない。メーロウの親友、ラウの息子。唯一の乳兄弟だ。名の響きがどこか少女のようでメーロウは他人に愛称を呼ばれるのを好まなかったが、何故かリツィアにはメルと呼んでもらいたいと思った。

 彼女は表情の読めない顔でメーロウを見上げる。翠がかった碧の瞳はまるで対になった宝石のようだ。

「……。いいえ。……メル、様、ですか?」

 リツィアが自分の愛称を呼んでくれた。

 それだけでメーロウは舞い上がったように嬉しくなり、こくこくと何度も彼女に向かって頷く。

 ラウが心底呆れたように片手を額に当てるが、そちらには目を向けず、メーロウは彼女に気を使いながらほんの少しだけ、身を寄せた。

「あ、あの、リツィア。その、そなた、好きなものや欲しいものはないのか?」

「いえ、今頂いているもので充分、生活には事足りております。これ以上は」

「そうではなくっ!足りないものを聞いておるのではない。欲しいものや、好きなものを聞いているのだ」

「……。……そんな、わたくしが何かを望むなど……。それならばどうか、わたくしよりも今を収容所で生きる民達にお尋ねくださいませ。きっと、何らかの要望が上がるでしょうから」

「そ、そういう事が聞きたいのではなく……。ああいや、そなたの杞憂も尤もだ。そなたの民については後に要望を聞いておくから、とりあえず今はそなたのだな」

 何でもいい。年頃の娘が欲しがるような装飾品や獣人のお下がりではなくきちんと採寸したドレス、何でもいいのだ。彼女が望むなら出来る限りのものを与えたい。幸い、恩賞金を国王よりたっぷりと賜った身だ。多少高くついてもかまわない。

 彼女になにかを贈ったら、リツィアは喜ぶだろうか。その時、少しは自分に微笑んでくれるだろうか。思えばメーロウはリツィアの無表情な表情しかまだ見ていない。彼はもっと、沢山の表情が見たかった。

 なのにリツィアは小さな唇を引き締めたまま、表情のない顔で瞳を伏せる。

 それがまるで拒絶しているように見えて、悲しくなった。

 自分は彼女の国を滅ぼした男なのだから嫌われて当然だが、それでも何もするな、お前には何も望んでいないと言っているようなリツィアの雰囲気にメーロウの細い尻尾が垂れ下がり、常にピンと跳ねている耳がシュンと垂れていく。ついでにきりりと伸びる6本のヒゲまでがてろりと下がってしまって、その全力でしょんぼりとしているメーロウの様子にラウが再び吹き出した。今度は咳払いで誤魔化すことができず、クスクスと笑ってしまう。

「な、なんだラウ。突然」

「フフフ、ごめんなさいね。あのねリツィア。メーロウは貴女に贈り物がしたいのよ」

「お、贈り物、ですか?」

「ええ。どうして、は聞かないで頂戴ね。ただ貴女は自分の好きなものを言えばいいのよ。身を飾る装飾品でも香水でも、お好きに言ってみなさいな?」

「……」

 無表情が若干困ったものになり、リツィアは再びメーロウを見上げる。再び宝石のような瞳に見つめられてメーロウの尻尾がぴくりと反応した。

 じ、と見詰め合い、交差する人間と虎人の瞳。固唾を飲むようにメーロウがぐびりと喉を鳴らすと、リツィアがその小さな唇を開いた。


「花……が、すきです」

「花?こ、この庭園にあるような花か?」

「いいえ。もっと素朴な、野原に自生しているような花が好きなのです。後、わたくしが好きなものは詩、でしょうか。詩集を読むのも好きですが、自分で作ったり、同志と詩を交換して読みあうのも好き、です」

「花に詩……そんなものが好きなのか?そなたは」

「……はい。あの、おかしいでしょうか」

 自分の趣味が一般的に奇妙なのだろうかと困った顔をするリツィア。そんな彼女にメーロウは慌ててぶんぶんと首を振り、同時に両手も横に振った。全力で否定しているのである。

「そんなことはない!花に詩。なんとも可愛い趣味ではないか。わかった!花に詩だな。花に詩……。よし、花に詩!しかと覚えたぞ、リツィア!」

「は、はい」

 少し驚いた表情をして目を丸くする彼女にメーロウは満足げにウムウムと頷き、ラウの淹れたお茶を飲み干すと「馳走になった!」と短く礼を言ってばたばたと去っていく。

 大柄な虎人が走ればまるで地響きでもしそうな程、彼の走り方には重量感があり、またメーロウが去ると一気に庭園が広く感じる。

 ラウとリツィアはそんな存在感がたっぷりあるメーロウを見送った後、思わずぱちくりと目を見合わせてしまった。


 

 そして次の日、街の一画にある憩いの広場で一人、嬉々としながら鼻歌を歌い、花を摘む歴戦の英雄の姿が見られた。市井の民達は一様に恐ろしいものを見たような目で彼を眺め、ひそひそと囁きあったのだった。

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