僕の小さな出来事
外は風がごぉごぉと音をたてて窓を揺さぶっている。
薄暗い部屋の中。
僕は毛布を頭からかぶり、がたがたとふるえながら風が止むことを、ひたすら待つことしか出来なかった。
父さんがいたら「お前は男だろう。こんなことで怖がるな」と怒るかもしれない。
でも僕はこんな夜がとても怖い。
星も月も、真っ黒で厚い雲が隠してしまって、光ひとつもない。
真っ暗なハズなのに。
夜空の黒に溶け込むことなく、山々がまるでおとぎ話にでも出てくる恐ろしい大きな蛇のように見えて、僕の家を取り巻いていた。
父さんはこんな山を越えて東の街へ行ったのだろうか…。
身震いしながらベッドに横になっていた僕は、そのうち、うとうととしはじめて。
そのまま眠ってしまったみたい。
部屋の窓から差し込む光で目を覚ました。
あれだけ真っ黒だった山も色を取り戻し、頂を雪で真っ白に染めたいつもの雄大な景色が僕の目に飛び込んできた。
僕はキヤ。今年で十になる。
母さんはいない。僕を産むとすぐに死んだらしい。
だから兄弟もいない。
父さんはティヤ。二年前、山を越えた大きな東の街に行くと行ったきり帰ってこない。
手紙も届かない。
たくさんお金を稼ぐと言っていたから、とても仕事が大変なのかもしれない。
だから家族はおばあちゃんだけ。
僕の家は山の中腹にある。
おばあちゃんの名前はオーリア。
山の麓の村に住んでいる。
僕にたったひとりで住まないで、家を出ろと言う。
そして村で一緒に暮らそうと言う。
おばあちゃんは五十五になる。
最近はすぐに疲れた疲れたと言っている。
だからこの山に登ることが面倒で、僕に一緒に住めなんて言うんだ。
おばあちゃんは好きだけど、そんなところが嫌いだ。
でも父さんは村の人たちが嫌で、この山にある家に住んだんだ。
それにいつか父さんはたくさんのお金を稼いで、この家に帰ってくる。
だから僕はそれを待っている。でも…いつ帰ってくるのだろう。
村の人たちはもう諦めろと僕に言う。
「父さんは山で何かあったのかもしれない。二年も帰ってこないなんて普通じゃない。
おばあちゃんももう年だ。諦めておばあちゃんと暮らすんだ」
そんなことを言う。
村の人たちはいちいちうるさい。父さんはそんな面倒なことが嫌いだった。僕も嫌いだ。
きっと、父さんがたくさんお金を稼いで戻ってくることを妬んで、僕にそんなことを言ってるんだ。
僕は騙されないと思った。
父さんは何年かたったら、たくさんのお金を稼いでこの家に戻ってくる。
そしてそのときはおばあちゃんもこの家で、みんなで幸せに暮らせる。
だから僕は…我慢することが出来た。
◆◆◆
それからまた二年が過ぎた。僕は十二になった。
父さんはまだ戻らない。手紙も届いていない。
そして今日。
おばあちゃんが病気で死んだ。僕はひとりぼっちになった。
おばあちゃんが死んだ夜、僕は一度中腹にある僕の家に戻ることにした。
この山道は通い慣れているはずなのに。
どうしてこんなに息苦しいんだろう。
どうしてこんなに立っていることが苦しいんだろう…。
そのとき。僕はどうしておばあちゃんが大変だと言っているのか、やっとわかった気がした。それでもどうして僕に会いに来てくれたのか…わかった。
わかったら、それまで出なかった涙が湧き出てきて止まらなかった。
僕は大声で泣いていた。
そして村の人たちがどうして僕にうるさく言うのか…少しわかった気がした。
僕のことを心配している。だからうるさく言うんだ。って。
だから僕は決めた。
「父さんに会いに、東の大きな街へ行く」
僕は十二になったのだから、少しは大人だ。
そう言ったら村の人たちはみんなが止めた。
「子供ひとりに山越えなんて無理だ」
「お前は本当に父さんのティヤに似て変わってる」
村の人たちは口々に僕にそう言った。
僕は父さんが本当は村の人たちが言ってくることが面倒で…少し嬉しかったけど、それをどうしていいかわからなかったから、山の上の家に住んだのかな。そう思った。
僕にはともだちはいない。
でも――たったひとりだけ、トニという同じ歳のやつがよく話してくる。
トニはともだちというよりは、あいつが勝手に僕に話しかけてくるという感じだ。
「キヤ。本当に行くのか?」
おばあちゃんの家にいた僕に、トニがいつものように勝手に遊びに来ては話しかけてきた。
「ああ。決めたことだから」
「死ぬかもしれないんだぞ」
「死なないよ。僕は父さんに会いに行くだけだから」
トニは本当に変なやつだ。いつも僕のことを気にかけている。
トニには僕と違って、他にもともだちはたくさんいるはずなのに。
僕にはそれが不思議だった。心配をしてくれているのだろうけど。本当に変なやつ。
「行くなよ」
「行くよ」
「ここで暮らせばいいだろう?」
「暮らさないよ。僕は嫌われているから」
「誰もお前のことを嫌ってなんかいないよっ。お前が知らないだけなんだ。お前が嫌がって避けてるだけなんだ」
二年前の僕だったら――こんな面倒なことをいうトニのことを嫌いになったかもしれない。トニはおばあちゃんのように家族じゃない。
でもすごく僕の心配をしてくれている…。
僕はわかった気がした。これが――トニが「ともだち」なんだって。
「そうかもしれない」
「なら…ここで一緒に暮らそう。俺の家に来ればいいよっ」
トニが嬉しそうに僕の顔を見た。
それは本当に嬉しそうに。僕は胸の中が少し痛くなった。これはどういう気持ちなのだろう?
「ありがとう、トニ。僕は行くよ。向こうについたら手紙を書くから」
「ばかっ…手紙なんかいらないっ。お前ひとりで山なんか越えられるものかっ!!」
さっきとは全然違う、今にも泣き出しそうな顔で僕を睨んだ。
僕は本当の「ともだち」も失ってしまうのだろうか?
でもやっぱり、どうしても父さんに会わないといけない。そんな気がするんだ。
「行ってきます」
「ばか。どうなっても知らないからなっ!!」
泣き出したい気持ちを堪えて、僕は叫ぶトニに大きく――笑顔で手を振った。
トニはもう泣き出していて、僕を最後まで止めていた。
僕は思った。今度帰ってきたら、一番にトニに会いに行こうって。
◆◆◆
村を出て三日目。
畑が広がる村でただ一軒。僕はようやく今晩泊まる宿を見つけた。
「こんな小さな男の子が一体何しに山越えなんかするんだね?」
宿にはオーリアおばあちゃんよりも、もっと歳をとった女の人がひとりでいるだけ。
そのおばあちゃんが僕の部屋にランタンを運んできた。
そして僕にどうしてこんなところにひとりで来たのかと尋ねてきた。
こんな歳のおばあちゃんがひとりでやっている宿に僕は少し不安に感じたけど、ここしか泊まる場所もなかったので、仕方なくこのおばあちゃんの話に付き合った。
外はもう山の向こうに日が落ちかけていて、慣れない旅の疲れが僕に眠気を誘っていた。
「こんな小さい男の子」と僕のことを言った、このおばあちゃんのことは気に入らないけど。僕は「父さんに会いにいくんだ」とだけ答えた。
「ばか言うんじゃないよ。あんたみたいな子供が山越えなんか出来るわけがないだろうっ」
「出来なくても、僕は父さんに会いに、東の大きな街にいかないといけない。
父さんに会って、父さんと一緒に村に帰って…帰ったらトニにその街の話をしたいから」
おばあちゃんは僕にもわかるように、ほうと大きなため息をついた。
「いいかい。よくお訊き。
山にはそれは怖い怖い魔物の女王様が住んでいるのさ。
その女王様は人間が大嫌いでね…。
夜の山がどうしてあんなに怖くて大きく見えるか知っているかい?
それはね。
人間が近寄らないように、あんな大きく怖い姿をしているんだよ。
昼間は天の国にいる神様が見張っているから、女王様は悪さは出来ないけどね。
夜になると本当の姿を現して人間を近づけないようにしているんだ。
もしそれでも無理に山に登ろうとすると、魔物の女王様に地の底深く引きずりこまれてしまうんだ。
その先はだーれも知らない…とても恐ろしい国なのだそうだよ。
そんなことになってごらん。
父さんにだって会いにいくことは出来ないし、トニというおともだちに街の話なんてすることなんかもっと出来ない。
誰もあんな山を越えることなんて出来ないんだ。特にあんたみたいな子供はね。
明日…お日さまが登ったら村にお帰り。きっとトニが首を長くして待っているはずさ」
そのときごぉっと、ひときわ風の音が大きくなった。
僕が驚いて窓の外を見たあと、おばあちゃんへと顔を向けると――その姿はもう部屋にはいなくて、ランタンの明かりだけが暗くなった部屋を照らしていた。
風が相変わらず大きな音を立てて、がたがたと窓のガラスを揺さぶっている。
外の木々はざぁざぁと大きくなびいていた。
僕はベッドに潜り込んで、毛布を頭までかぶった。
冷たいシーツは僕の怖い気持ちをますます大きくするようで、ただ僕はひたすら我慢するしかなかない。
外は――まるで山にいる魔物の女王様が怒っているように感じた。
父さんはその女王様に、地の底に引きずり込まれてしまったのだろうか?
僕もこのまま魔物の女王様に連れて行かれてしまうのだろうか
おばあちゃんの話が僕の頭から離れず、僕はしばらくベッドに丸まって震えていた。
そして相変わらず止まない風をずっと怖がって、そのまま僕は疲れから意識を手放していた。
◆◆◆
その夜。
これは夢だと思う。僕はいつも遠くから眺めていた雪に覆われた山のてっぺんに立っていた。
ナイフのように鋭く尖った頂を隠すように、真っ白い雪が積み上がり、僕の足はそんな雪に埋まりながらなんとか立っている。
「キヤ」
突然声が聞こえた。
それは僕がとっても会いたかった人の声。
「父さんっ!!」
僕の目の前に父さんが立っていた。
四年前、家を出ていった姿のまま、白い歯を見せてにやりと笑っている。
僕は父さんに近づこうと二、三歩、歩みを進めるとすぐに雪に足を取られてしまった。
父さんは倒れ掛かる僕の体を支えてくれた。
でも――雪には僕の足跡がしっかりとついているのに、父さんの足元にはひとつも足跡がついていない。どうして?
「大きくなったなぁキヤ。お前いくつになったんだ?」
「十二だっ!!父さんが家を出て行ってもう四年も経つんだぞ。
一体どこで何をしていたんだっ!?おばあちゃんが…死んだんだぞっ!!」
僕は泣きたい気持ちを抑えて、父さんに言った。
それを訊いた父さんは――俯き加減に――悲しそうに呟いた。
「そうか…おばあちゃんが。本当に悪いことをしたな」
父さんは僕の頭をゆっくりと撫でた。
「本当だ。手紙もよこさないで。…本当に心配したんだぞっ」
「そうだよな。本当に悪かった。
で…どうしてお前はこんなところにいるんだ?」
「どうしてって…父さんに会いに、東の大きな街に行こうとしてるんじゃないか。父さんが全然帰ってこないから…僕から行こうとしてるんだよ」
僕の頭を撫でていた父さんの手が止まる。
「それは駄目だ」
「どうして?やっぱり子供じゃ山越えは無理とか言うの!?」
「違う。父さんは東の大きな街にいないからだ」
「じゃぁ、どこにいるんだよっ!?」
僕はイライラしてきた。父さんの言いたいことが僕にはまるでわからない。
「父さんは村に帰ったんだ。たぶん、お前が父さんに会いにここまで来る間にな」
「…父さんが何が言いたいかわからないよ」
「そういう意味だ。今、お前が山を越えて東の街に行っても、父さんには会えない。
それを伝えに来たんだよ」
「……父さん」
「一度村に戻れ、キヤ」
「父さんっ!!」
急に父さんの体が、雪の色よりも淡く眩しい白い光に包まれて。
まるでそのまま消えていなくなってしまいそうで。
僕は一生懸命手を伸ばしたけど――僕の手は父さんの体をすり抜けてしまった。
「父さんっ!!」
僕はそう叫んで、目を覚ました。
目は――涙で濡れている。
いつの間にか風は止んでいて、窓の外は光に満ちていた。
僕はベッドから体を起こすと、そのまま身支度を始めた。
◆◆◆
階段を降りると、ふわりといい匂いが僕の鼻をくすぐった。
そのまま食堂に目を向けると、おばあちゃんが朝食の準備をしていた。
「おお。起きてきたのかい、おはよう。昨日はよく眠れたかい?」
笑顔のおばあちゃんに、僕は小さく頷いて。
「…村に帰ることにした」
「そうかい。うん、それがいい、それがいい。
きっとあんたの父さんも心配しているよ」
僕は驚いて、おばあちゃんの顔を見た。
「どうして知っているの!?」
まるで昨日の夢のことを知っているようなおばあちゃんに、僕はそう尋ねてしまった。
「それは…山を越えてまで会いたいと思うあんたの大好きな父さんなら、あんたに山越えなんて無理はさせないと思ったからだよ。
昨日はちゃんと父さんに会えたかい?」
そんな優しいおばあちゃんの言葉に、僕は堪えきれなくなって、涙が溢れてきた。
「そうかい…会えたんだね。それで、村に帰れと言ったんだね」
僕は声を出せなくて、無言で頷くしかなかった。
「じゃぁ、父さんが待っている村へお帰り。きっとあんたの帰りを待っているはずだよ。
けど、その前に朝ごはんだけはしっかり食べて行きな。
そうしないと、途中でへたばってしまうからね」
僕はおばあちゃんにしっかりと頷いた。
涙は止まらなかったけど、おばあちゃんが作ってくれたこの朝ごはんの味は、とても美味しかったことを――僕は今でも覚えている。
◆◆◆
それから僕は村へ帰った。
村では僕の帰りを待ちわびたように、トニやみんなで迎えてくれた。
何より僕が無事だったことを、みんな喜んでくれた。
数日前、山を越えたとある国の商人たちがこの村に立ち寄ったとき、山で見つけたのだと、ひとつの大きなカバンを持ってきたのだそうだ。
もう何年も放置されていて雪に埋もれていたせいで、すごく汚れてはいたけど、そこまで痛みはなかったらしい。
そのカバンの上部に「ティヤ」という名前が確認出来たことで、この山で遭難した人のものではないかと商人たちは考えた。
そしてその商人たちが泊まった宿の老婆が、ここから三日歩いた先の村からやってきた「ティヤ」という男の人が、数年前から行方不明になっているという話を商人たちにしたらしく、行く先々で、商人たちはこのカバンの持ち主を探してこの村にたどり着いた――ということだった。
「間違いない…父さんのカバンだ」
僕はトニの父さんからの話を聞きながら、あの宿のおばあちゃんのことを思い出していた。
まさか――と思った。けど、その商人たちが泊まったという宿の話と、僕が泊まった宿がよく似ていることを考えると――。
四年前、父さんもあの宿に泊まったということなのだろうか。
おばあちゃんは何もかも知っていて、僕にあんな話をしたのだろうか?
だから僕が山に行くことを止めたのだろうか?
ここではたしかめようもないことだけど――。
◆◆◆
僕はその後、トニの家に住むことになった。
それからほとんど村から出ることはなくなってしまったけど。
それから何年か経って、僕は一度だけあのおばあちゃんに会いに――お礼が言いたくてあの宿を訪れたことがあった。
あの村はあった。
でもあの宿は建物ごと跡形もなくなくなっていた。
村外れにあったはずだ。夕暮れ時、探し歩いてようやく見つけた古びた建物は今でもよく覚えている。 間違えることはないと思うのだけど。
似たような場所も探したが、どうしても見つからなかった。
しかも村の人たちに尋ねても、誰もそんな宿は知らないし、そんな老婆を知らないと言う。
この村には何十年も「宿屋」など存在していないとまで言われて。
僕は途方に暮れてしまった。
父さんのカバンを届けてくれた商人たちも、どこの国の人たちかもわからない。
当然行ってたしかめることも出来ない。
もしかすると、幼かった僕と――父さんと同じように――村の人たちと距離を置いて、ヒッソリと生活していたのだろうか?
それでも誰かは知っているはずだし。
あの朝食の味も今だにはっきりと思い出せるのに。
さて――どうしたものか?
僕が出会ったとき、おばあちゃんはそうとうの歳だったはず。
宿をやっていることは村のひとたちに隠して、普通に暮らしているようにみせていたとか。などといろんなことを考えながら、もう亡くなっているのだろうかとも思い、墓に添える花束まで買い込んでいた。
生きていられたなら、そうとう失礼な話だろう。
でもそれの方が嬉しい。おばあちゃんにはいろいろ話を訊きたいのだから。
僕が疲れを感じて道端の岩に腰掛けていると――あの時の僕と同じ歳ぐらいだろうか?
そんな年頃の女の子が声をかけてきた。
「どうしたの?」
僕はその少女に、この村に来た理由、その時に僕が体験したことを話して聞かせた。
「だとしたら、あなたは山の女神様に会ったのかもしれない」
「…いや。僕は山には魔物の女王様が住んでいると言われてんだけど……」
あの話には怖い思いをさせられたんだ。忘れるはずもない。
「山の女神様は、子供が大好きなんだって。だから子供が困っていると必ず助けてくれるんだって…。
あなたもその時に山の女神様に助けてもらったんじゃない?だから山に近づかないように、そんな話をされたのかも……」
「…そうなのかな?」
僕は少女に苦笑いを見せるしかなかった。
だってもう何を信じていいかわからなかったから。
「君の名前は?」
話すことに困り、僕はそんなことを少女に訊いていた。
「アルよ」
アルと答えた少女は屈託のない笑顔を僕に向けた。
「そうか…。じゃぁ、アル。お願いがあるんだけど。
この花を山の女神様に渡してもらえないだろうか?助けてもらったせめてものお礼のつもりなんだけど……。
そして僕が「ありがとう」と言っていたと伝えて欲しいんだ」
「…わかったわ」
僕はおばあちゃんの墓に供えるつもりで買った花束をアルに渡した。
こんな花束じゃ女神様が怒るかもしれないなと考えながら。
「本当はこんなんじゃ足りないんだろうけどなぁ。
でもどうすればいいかわからないから……」
「足りないことなんてないわ。きっと、あなたの思いは女神様に通じるはずよ」
「うん、そう願うよ。これからもあの時の僕のような子供がいたら、助けてあげてほしいから。
それとありがとうアル。本当に助かったよ」
僕は腰掛けていた岩から立ち上がり、隣にいたアルに言った。
アルは小さく頷くと、「よかった」とだけ答えた。
僕は「もう行くよ」とアルに伝え、小さく手を振った。
「またね」とアルはそう答えた。
僕はその言葉の意味を深く考えることなく、一度はアルに背を向け、歩きだそうとした。けど、よくよく考えてみたら――とても不思議な意味だと思い直してすぐにアルへと振り返った。
そこにアルの姿はなかった。
荷馬車が通るには十分な広さの一本道。
両側には畑が広がり、とてもどこかに姿を隠す場所なんて見つけられない。
「また…やられたかな?」
「またね」と言ったアルの言葉の意味が気にかかるけど、それもそのうちわかるのだろうか?
山には雲が掛かり始めている。
急がないと夜までには風が多くの雨雲を連れてきそうな気配だった。
もう僕が風の音を怖がることはなくなった。
それだけ僕は大人になったのだろうか。
いつまで山の女神様が、僕の前に姿を見せてくれるか気になるけれど。
僕はそんなことを考えながら、ふぅとひとつため息をついてもと来た道を戻っていった。
自然と口元には微かな笑みを浮かべながら――。
終わり