名前
ライの隠れスポットは、校舎の裏にある物置小屋の屋根の上だった。
低い屋根。平ら。裏手の壁をよじ登れば上がれる。校舎の影になっていて、教師からは見えない。ライが入学三日目で発見した。
三人で屋根に座っていた。足を投げ出して、空を見上げていた。午後の授業を丸ごとサボっている。マイト先生の体育だった。ライは「上腕二頭筋はもう限界だ」と宣言して逃げてきた。シノは「体育は嫌い」と一言で片付けた。アルクは二人に引きずられただけだった。
「バレたらマイト先生に殺される」
「大丈夫だ。あの人は見つけても『なぜここで筋トレをしていない!』って言うだけだ。逃げたことじゃなくて筋トレしてないことを怒る」
「大丈夫と言わない」
下の小道を、黒髪を後ろで縛った先生が通り過ぎた。ソージロー先生だった。眼帯の片目がこちらを見上げて、不敵に笑う。何も言わずに行ってしまった。
「なあ、アルク」
「ん」
「お前、夜どこ行ってんの。そろそろ教えてくれてもよくないか」
空を見ていた。雲が一つ、ゆっくり東に流れていた。
「……話す。全部話す」
ライが少し驚いた顔をした。聞き出すつもりで聞いたのではなかったらしい。シノは何も言わず、横を向いていた。
話した。
塔のこと。スフィアのこと。声のこと。結界が自分にだけ開くこと。百年間閉じ込められた精霊が、毎晩少しずつ言葉を取り戻していること。あの光が、塔から来たものであること。学園長に呼び出されて、学園の目的を知ったこと。
全部。
ライはじっと聞いていた。途中で一度も口を挟まなかった。ライは普段、三秒黙ることができない。それが五分間、一言も発さなかった。
話し終わると、ライが口を開いた。
「信じる」
「——根拠は」
「お前が嘘つくときは目が泳ぐからな。今、泳いでない」
根拠とも呼べない根拠だった。
シノがしばらく黙っていた。風が髪を揺らしていた。
「私の故郷は——もうない」
アルクとライが、同時にシノを見た。
「スペリオルに飲まれた。七年前。私が八歳のとき。村が一晩で消えた。黒い霧が来て——朝には、何もなかった」
声が乾いていた。涙は出ていなかった。もう涸れてしまったのかもしれない。
「——塔のことは、他人事じゃない」
ライが何か言おうとして、やめた。三人の間に、風だけが吹いていた。
「シノ」
ライが言った。
「ん」
「お前もメンバーな」
「……メンバー?」
「サボり同盟。三人目」
シノが小さく、本当に小さく、口の端を上げた。笑顔とは呼べないかもしれない。目が少しだけ柔らかくなった。
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午後。図書館。
窓辺では、チャーミィ先生が腹を見せて寝ていた。図書館の静けさが、そこだけ犬の寝息になっていた。
塔の系譜について調べていたら、パルフィー先生がいた。
「アルク君、何か探してる?」
「塔の——系譜について調べたくて」
「ああ、それならこっちよ」
パルフィー先生は「塔の系譜」の棚を、一秒も迷わず案内した。三階の奥の、壁際の棚。ラベルも何もない場所だった。
「この辺りに基本的な文献があるわ」
「先生、よく知ってるんですね」
「えっと——まあ、歴史教師だからね」
笑って去っていった。
一秒も迷わなかった。ラベルもない棚を。歴史教師だから、で説明がつくのかどうか。
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2番目の塔の外壁を歩いた。日課になっていた。
外壁の東面に、見慣れない傷があった。傷というよりは文様。石の表面に刻まれた細い線の集合体。触れると、指先にかすかな振動が伝わった。
符紋だ。パルフィー先生の授業で、名前だけ聞いたことがあった。
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夕方。物置小屋の屋根の上。
三人で何もしないで座っていた。空を見上げていた。雲が流れていた。風が髪を揺らしていた。
誰も何も言わなかった。
「……こういうの、初めてかもしれない」
シノが呟いた。
「何が?」
「友達と——何もしないで座ってるの」
ライが肩をすくめた。
「俺たち友達なのか」
「違うの?」
「いや、そうだけど。改めて言われると照れる」
「照れないでよ」
「無理だろ」
風が通った。三人分の影が屋根の上で重なっていた。午後の日差しが高くて、影は小さかった。小さいけど、ちゃんと三つあった。
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夜。塔の中。
「今日はいいことがあった」
スフィアが首を傾げた。最近、首を傾げるようになった。
「どんな?」
「友達と三人でサボった」
「さぼる?」
「何もしないこと。一人じゃないやつ」
スフィアが少し考えた。百年前の記憶を探っているようだった。
「——いいな。それ」
「いいだろ」
「うん」
静かな夜だった。塔の中は、いつも静かだった。今夜の静けさは温かかった。
「君の好きな場所はどこ?」
スフィアがしばらく黙っていた。
「ここ」
「ここ?」
「あなたが来るようになってから、好きになった」
何も返せなかった。返す言葉が見つからなかったのではない。返すと壊れてしまいそうな、そんな言葉だったから。
ポケットの中の石が温かかった。今日はいつもより少し。
「符紋が増えている」
スフィアが言った。声の温度が変わった。
「三つ目が刻まれた」
温かい夜が、少しだけ冷えた。




