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誰もが秘密を持っている

 噂は翌日には広まっていた。


 廊下を歩くと視線が集まった。食堂に行くとひそひそ声が追いかけてきた。「あの子だろ」「適性0.2のやつ」「あの光」「コネ入学の割には」。好意と敵意と好奇心が、区別のつかない塊になって漂っていた。


 廊下の角、使い魔術の教室の前で、チャーミィ先生が丸くなって寝ていた。クリーム色の毛並みが日だまりに溶けていて、ひそひそ声の中で、犬の寝息だけが妙に平和だった。


 あの光は自分の力ではない。塔の方角から来た何かが、自分を通り過ぎただけだ。それを説明する言葉がなかった。


「気にすんなよ。そのうち飽きるさ」


 ライが干し肉を齧りながら言った。


「お前は気にしてないのか」


「俺の相棒がすごいんだから、むしろ誇らしい」


「相棒じゃないだろ」


「俺が決めたんだよ」


「双方の同意がいるだろ」


「細かいことを気にするな」


---


 パルフィー先生の特別授業は、午後の教室で行われた。


 戦後の復旧期間中、通常授業は半分に減らされていた。パルフィー先生の授業は「スペリオルの起源」。教室に入ると、生徒は十人ほどだった。アルクとシノがいた。ライは「歴史は寝る」と言って体育場に行った。


 パルフィー先生は相変わらずだった。教壇に上がるとき躓きかけて、教科書を落として、チョークを探すのに三十秒かかった。


 授業が始まると、声が変わった。


 スペリオルは百年前に現れた。異世界からの侵略。グラディアスには魔法がなかった。唯一の防壁が七つの塔。塔の精霊たちが大封印を行い、侵略を食い止めた。代償として、精霊たちは塔に封じ込められた。


 ここまでは教科書通りだった。


 パルフィー先生は教科書の先を歩いた。塔ごとの封印の順序。精霊の属性。大封印のとき何が起きたか。まるで——自分で見てきたような語り口だった。


「先生、それは教科書に載っていないんですが」


 シノが手を挙げた。


「あ——ごめんなさい。少し詳しく話しすぎましたね」


 パルフィー先生は慌てて教科書を開いた。ページを間違えて、二回めくり直した。


 シノの目が、パルフィー先生をじっと観察していた。何かを探している目だった。


---


 中庭を横切ったとき、マスク先生がベンチに座っていた。木剣の手入れをしていた。手だけが、黙々と動いている。


 校舎の方からエメロード先生の声が聞こえた。マスク先生が一瞬だけ顔を上げた。ゆっくりと体を回して、エメロード先生がいる方角に背を向けた。もともとそちらを向いていなかったかのように。


 自然な動作だった。自然すぎた。


 渡り廊下の柱の陰に、見慣れない男性教諭が立っていた。ダークブラウンの長い髪が片目を隠している。金のイヤリングが光った。要素武術担当のラングリース先生——元舞台役者で、スペリオル出身だという話を入学式の日に聞いた気がする。普段は上級生の授業が多くて、あまり見かけない。

 ラングリース先生はパルフィー先生の教室がある棟を、前髪の隙間から眺めていた。視線が——観察だった。一瞬だけアルクと目が合って、芝居がかった笑みを浮かべて去っていった。


---


 深夜。塔に向かう途中、研究棟の窓に明かりが灯っていた。


 窓際を通り過ぎるとき、ちらりと中が見えた。シノだった。図書館の奥の研究スペースで分厚い写本を広げている。表紙に「塔の系譜」と書いてあった。


 声をかけようとして、やめた。シノの目があまりにも真剣だった。何かを確認しようとしている目。


 黙って通り過ぎた。


---


 塔の中。スフィアに話した。


「あの力——塔が反応した。俺が手を伸ばしたら、光が出た」


 スフィアがしばらく黙っていた。虹色の瞳が、青白い光の中でゆっくり揺れた。


「私の——封印が、少しだけ揺れた」


「封印が?」


「あなたが力を使うたびに——塔が応える。塔が応えるたびに、封印が揺らぐ」


 声に、かすかな震えがあった。嬉しいのか、怖いのか。たぶん両方だった。


「それは——いいことなのか」


 スフィアは答えなかった。手を差し出した。半透明の手が、アルクの手のひらの上で止まった。触れられない。


「わからない」


---


 学園長の部屋に呼び出されたのは、翌日の夜だった。


 部屋は質素だった。机と椅子と本棚。窓からは学園の全景が見える。2番目の塔だけが、他より少し明るかった。


「座りなさい」


 向かいの椅子に座った。学園長はフードを被ったまま、椅子の奥に沈んでいた。


「キミが怒るかもしれない話だがね」


 声は穏やかだった。


「この学園は塔のためにある。塔を守るため。精霊が消えれば封印も消える。封印が消えれば——この世界を守るものがなくなる」


 言い切らなかった。間を置いた。フードの縁を指で弄った。


「お前だけが、あの子に届く」


 あの子。スフィアのことだ。


「百年間、誰も塔に入れなかった。結界を開けた人間は、キミが初めてだ」


「——じゃあ、俺を入学させたのは」


「そうだよ。スフィアのため。正直に言うよ」


 何か言いかけた。口を開いて、閉じた。フードの奥の目が揺れた。


「——いや。まだ早い」


 まだ早い。何が早いのか。言わなかった。


 椅子から立ち上がった。言葉を探していた。頭の中で組み立てて、崩して、もう一度。まとまらなかった。


「スフィアを——」


 拳を握った。


「道具に、しないでください」


 声が震えた。格好悪い。0.2で、何もできなくて。これだけは。


 学園長がしばらく黙っていた。


「……善処するよ」


 約束ではなかった。


---


 部屋を出ると、廊下にマスク先生が立っていた。壁にもたれて、腕を組んでいた。


「……聞いてたんですか」


「聞いていない。学園長の部屋から出てくる生徒は、大抵あの顔をしている」


「あの顔?」


「殴りたいような、泣きたいような」


 図星だった。


 マスク先生が壁から体を起こした。


「——この学園にいる理由がある。話すつもりはない」


「……はい」


「お前もそうだろう。理由がある。それだけだ」


 足音が廊下に響いて、角を曲がって消えた。


 一人残された。窓の外に、2番目の塔が見えた。かすかに光っている。


 誰もが何かを持っている。学園長も。マスク先生も。パルフィー先生も。シノも。


 スフィアのことを、まだ誰にも話していなかった。


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