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塔が閉じた日

 塔に入れなくなった。


 結界がアルクを拒んでいた。手を伸ばしても、何も起きない。鉄の門は開かない。透明な壁は消えない。


 一日目。授業に出た。食事もした。ライが「おい」と声をかけてきた。返事をした。返事はしたが、声が自分の耳に遠かった。


 二日目。パンを食べた。味がしなかった。前は味がした。


 三日目。マスク先生の剣術の授業で、木剣を握る力が入らなかった。振り下ろす動作が遅い。一回目で弾かれた。


---


 授業のあと、マスク先生がアルクを呼び止めた。


「残れ」


 他の生徒たちが去っていく。ライが振り返った。アルクは小さく頷いた。


 剣術場に二人きりになった。マスク先生が木剣を投げてよこした。


「構えろ」


 構えた。


「振れ」


 振った。三回。五回。十回。マスク先生は一切打ち返さなかった。見ていた。


「力みすぎだ」


「……」


「腕じゃない。心がだ」


 木剣を下ろした。


「お前は今、弱い。力がないからじゃない。力の使い方を間違えたことに、耐えられていないからだ」


 手が止まった。何があったかは知らないはずだ。塔のことも、スフィアのことも話していない。わかっていた。


「どうやって立ち直ったんですか」


 聞いてから、失敗したと思った。マスク先生の過去を知らない。無礼な質問だった。


 長い沈黙があった。


「立ち直っていない」


「え?」


「立ち直っていない。立っている」


 仮面の奥の目が、見えない。声だけが、硬い木の床に落ちた。


「立ち直ることと、立ち続けることは別だ。お前が今やるべきことは、立ち直ることじゃない。倒れないことだ」


 木剣を握り直した。振った。一回。二回。三回。力みが——ほんの少しだけ、抜けた。


「明日も来い」


---


 裏では、教師たちが動いていた。


 アルクは知らなかった。教師会議室で、夜ごとに密談が行われていた。


 リベルタ先生が符紋の拓本を広げていた。


「この術式——古い。百年前の、いや——それ以前のものであるよ」


「確かか」


 エメロード先生が腕を組んでいた。


「我輩の目を疑うのか。この符紋構造は失われた系譜に属する。現存する術師で、これを刻める者は限られている」


「限られているどころか、いないはずだ」


「であるな」


 マスク先生が壁にもたれていた。腕を組んで、黙って聞いていた。


 古代語担当のミラージュ先生が、キセルの煙を揺らした。深紅のドレスの裾が椅子からこぼれている。銀の筋が混じるマゼンタの髪。魔女帽子の影で、笑っているのは口元だけだった。授業では古い文献を朗読するのだが、あの声で読まれると、千年前の言葉が今も生きているように聞こえた。


「古い術式ねぇ……あたくし、見覚えがあるわ」


 誰も問い返さなかった。煙だけが天井に昇っていった。


 パルフィー先生が控えめに手を挙げた。


「あの——私にできることがあれば」


「生徒たちの心のケアをお願いしたい。不安を抱えている子も多いだろう」


 エメロード先生が言った。パルフィー先生はうなずいた。


 「はい、もちろんです」


 窓際にいたラングリース先生が、パルフィー先生の横顔をちらりと見た。目を細めた。何も言わなかった。


 会議室の外の廊下で、チャーミィ先生が伏せていた。閉じた扉の前で、犬だけがじっと起きていた。


---


 四日目。


 塔の前に立った。手を伸ばした。何も起きなかった。


「スフィア」


 返事はなかった。


 五日目。同じことをした。返事はなかった。


 ライが毎晩、ベッドの上で起きて待っていた。アルクが帰ってくると、何も聞かずに「おかえり」とだけ言った。シノは昼間、アルクの隣に座って、何も言わなかった。何も聞かなかった。いた。


 六日目。


 塔の前に立った。手を伸ばした。


 壁が——ほんの少しだけ温かかった。


 夜の石壁は人肌よりもずっと冷たいのがこの塔の常だった。それが、指先に触れた瞬間、わずかに温度があった。


 手を引かなかった。壁に手のひらを押しつけたまま、しばらく立っていた。


「明日も来る」


 壁に向かって言った。返事はなかった。温度は消えなかった。


---


 七日目の朝。


 空の端が黒く染まり始めていた。


 黒い雲ではない。霧だった。黒い霧が、地平線の向こうから広がってきていた。


 緊急召集の鐘が鳴った。前回の警報とは質が違った。前回は警告だった。今回は命令だった。


 マスク先生の声が校庭に響いた。


「——来る。前回より、はるかに大きい」


 アルクは塔を見た。2番目の塔は、朝の光の中で震えていた。


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