それは、ナイ!
ガタガタガタガタガタッッ!!
ガガッ!!!!!!
ものすごい音がしたと同時に、体が揺れに耐えきれずにフワリと浮かんで。
「いったぁああああ!」
思いきり頭をぶつけてしまい、大きな声をあげてしまった。
「……うううううう」
打ちつけた場所に手をあてて、腰かけた格好のままで上半身だけを折って頭を抱えるような姿勢になった。
「いたぁい」
と、ガタガタッと音がした後、自分が乗っていた何かの動きが止まって。
「大丈夫ですか? すみません、何か動物が飛び出してきたのに馬が驚きまして」
なんて感じで、あたしへ向けて声がかかったのがわかったんだ。
小さく呻きながら、頭に手を当てた状態で自分がいる場所を視線だけ彷徨わせて確かめる。
「ここ……どこ?」
見覚えのない、何かの乗り物。顔ごと窓の方へと向ければ、本当にここはどこ? って感じで。
コンコンとノックをされてから、さっきと同じ誰かが声をかけてきた。
「車輪の方を念のため確認いたしますので、少々お待ちください」
って、いかにもな丁寧な言葉つきで。
窓らしいのがあるけど、開けるためのボタンはない。レバーもない。窓の上の方に掴めそうな場所を見つけて軽く揺らすと、下げられそうだったので下げてみる。
ああ、窓の桟か。これ。
途中で止められそうもなく、ガバッと窓が全開になった。
どこかの森の近くだろうか、緑の香りが濃い。
(一体どこにいるの? こんな場所に来る予定になってたっけ?)
外の景色を覗きこむようにすると、手の形が窓の桟を握っているっぽくなっていた。
「…え」
人間の視界って、まっすぐ見ていても意外とまわりの光景も映りこむもので。
間接的に視界に入ったのは、自分のその手だ。
「これ………あたしの手じゃ、ない」
あかぎれ。細い手。マニキュアがない。よく見れば、普段の自分なら着ない系統の服を身に着けている事にも気づかされた。
窓を全開にしていたことで、さっき声をかけてきていた相手が誰なのかを見てしまったあたし。
「シンデレラさま。車輪の方は問題がなさそうですので、すぐに出発いたします。窓はお閉めください。まだ森の中ですので、虫が入ってしまうかもしれません」
とか声をかけてきたのは、どう見てもネズミ。
(え? ネズミ? 初めて見た! ネズミだけど、噛まれないの? 衛生的に問題なし? この小ささで、さっきは一体どうやって窓をノックしてきたの? それにこれって)
馬車だ、馬車。初めて乗ったんだけど、馬車。
言われたように、さっきの逆で桟を握って真上にスライドさせれば窓が閉まった。
「それでは参ります」
声がした方へと体を寄せれば、進行方向の壁に幅が狭いガラスっぽいものがあって、そこからさっきのネズミが手綱を掴んで走らせているのが見えた。
あんなに小さなネズミが馬車を? と戸惑い。
馬車って、なに? と、混乱し。
「って、さっきなんか…言ってたよね? シンデレラ…さま?」
22年間呼ばれてきたはずの名前じゃないもので呼ばれたような。
「シンデレラ? あたしが?」
紗雪って名前に、微塵もかすってない名前。
というか、アレなの? あのシンデレラなの?
ガタゴト揺れる馬車。揺れながら、現状をなんとか把握しなきゃと思うものの。
(情報量の少なさよ)
転生なのか? これって。流行りのヤツ? それもまさかのシンデレラの話の中に? 冗談でしょ?
もしも、本当の本当にシンデレラの中にいるんだとすれば?
うんうん唸っている間にも馬車はどこかに向けて走り続け、暮れた空に浮かぶ月の明かりに気づいて窓の方を見やれば、わかりやすいシルエット。
「お城…! お城だよね? アレはお城でしょ?」
虫が入るからと閉めてと言われた窓をもう一度開けて、御者のネズミに大声で話しかけた。
「え? そうでございますね。本日は舞踏会の方へ送るようにと、魔女様から申し付かっておりますが……。行き先の変更でも?」
あたしの言葉に不安な要素でも感じたのか、そんな質問を投げかけてきたネズミ。
けど、じゃあどこにという何処かも思い浮かぶはずもないし、そもそもでシンデレラは舞踏会に行かなければならないのでしょ。
(例のイベントのためになんだとしても、ちょっと行きたくないかも)
「行き先の変更はナシで」
短くそう伝えると「あと30分ほどで到着いたします」とだけ言うと、手綱をキュッと握りなおして前へ向き直してしまった。
これ以上は何も聞けなさそうだ。
そっと窓を閉めて、窓の向こうで徐々に大きく見えてくるお城を眺めながら馬車の揺れを感じていた。
言われていた通り、それなりの時間が経過してから馬車はお城の前へとたどり着く。
ネズミが御者なんかやってて変に見られないのかとドキドキしていたけれど、到着した時間が遅かったのか人気がなく大丈夫そうだった。
「それでは楽しい夜を。自分も人間だったなら、参加したかったくらいです。12時を知らせる鐘が鳴り終えるまでには、この馬車に戻るようにお願いいたします。馬車はご自宅へと戻るまでは魔法の効果を持続いたします。馬車を降りたその瞬間、魔法が解けることになっておりますので」
馬車を降りる直前に、長々と説明をしてくれる。よく口が回るネズミだ。
「とにかく、鐘が鳴り終えるまでに馬車に乗れば問題なし…で合ってる?」
「左様でございます」
(王子と踊る気もなきゃ、靴を落としてくる気もない。出来れば回避したい。なんせ、シンデレラとしての自覚もないんだから)
そんなことを考えながら、馬車を降りて振り返る。
(カボチャといえばそれっぽい形の馬車だ)
この馬車の魔法は、帰宅するまで。まるで家に帰るまでが遠足ですよと言われた気分。とにかく、馬車に乗ればいい。
馬車に乗って、また時間をかけて記憶の無い家に戻ればボロボロの服になるんだよね。
そして全ての魔法が解ければ、シンデレラとしての生活が待っているだけなのだろうな。
灰かぶりとか言われて、召使い以下の扱いを受けて。
それを想像するだけで、体がブルッと震えた。寒さのせいじゃない。
短く息を吐きつつ顔を上げれば城が眼前に迫り、視線だけを下げれば服装はそれらしくなっているけど荒れた手が目に映った。
(いっそのこと肌もどうにかしてくれたらよかったのに、気の利かない魔法使いめ)
転ばないようにだけ気をつけ、多分…帰りに駆け下りるかもしれない階段を上がっていく。
一段一段上がっていくにつれ、緊張感が増していく。
会場に入ると、想像以上の人数で。
「これがごった返すってやつか」
思わず口からもれてしまったのは、そんな言葉。
記憶が曖昧だけど、家事をしていなさいねと言いつけて舞踏会に一足先に参加している家族がどこかにいるはず。
顔が思い出せないから、なるべく目立たないようにしなきゃと心に決めた。
ダンスに興じる人もたくさんいる。
男性から手を差し出されたら、ドレスの裾を摘まんでカーテシーを取って。
記憶が思い出されたばかりではあるけれど、シンデレラじゃなくても憧れはするよ。
きっとね? きっと、本物のシンデレラだってこんな場所でダンスに誘われて踊るのを夢見ていたと思うんだ。
でも、今日のあたしはそっちに足を向けている場合じゃない。いかに一つでも多くのフラグを折りつつ、そこそこ楽しみ、義理の家族に見つからずに帰宅するかだ。
(――とはいえ、こんな場所に来るなんてそうそうないでしょ? 会費がいくらか知らないけど、いただけるものはいただいてもいいよね? さっきからいい匂いがしてて、つられてお腹鳴るし)
今の自分に出来る範囲で静々と横移動をして、お皿にいくつかのケーキを盛りつけ。
(どこか目立たない場所で食べたいけど、どこがいいのかサッパリだ)
自分のように食べ物に手をつけようとしている人が少ないことに気づき、すこしでも早く目立たない場所を見つけたいと思った。
考えている間にも早く食べろと、腹の虫があたしを急かす。
一旦足を止めて、壁を背に一つめのケーキに手をつけつつまた視線を彷徨わせた。
大きなカーテンで覆われている箇所がいくつかある。この世界のこういう場所の大きな窓は、こういう場ではカーテンは開けられているよう。
馬車の中から眺めていたお城も、らしき場所を示すように四角が何か所もあったっけ。
ならば、窓じゃない場所を隠すため? どんな場所? 絵本にどんなイラストが描かれていたっけと、遠い記憶をなんとか引っ張り出して「あ」と声が出た。
(あれって、バルコニーとかいう場所じゃ。ベランダよりもバルコニーの方が広いんだっけ? 多少の広さはあるよね?)
ススススーッと壁に沿う感じで、また横移動。フロアーの中を突っ切って移動したら、目立ちそう。手にはケーキが乗ったお皿を持ってるしね。しかも、四つも。
(もしかしたら、そこでならゆっくり食べられるかも)
なんて感じで少し上がったテンションとともに大きな扉を勢いよく開けて、すぐに「ご、ごめんなさい!」と逃げるハメになった。
バーン! と扉を開けた先にいたのは、ちゅっちゅイチャイチャちゅっちゅっちゅーって感じの男女。
バルコニーじゃなく寝室だったなら、ナニかが始まりそうなほどお熱い感じで。
「次は気をつけて、そっと開けてみよう。ゆっくりケーキを食べるためにも」
そろりそろりと扉を開けると、重たいカーテンが邪魔をしてバルコニーにすぐ入れず。もたついた先にも、またさっきよりもイチャイチャしたカップルがいた。
え? ここ、ゲストルームとかVIPルームとか寝室じゃないよね? 今にも始まりそうなほど、二人の世界にどっぷり浸って声まであげて…。
(うわぁああ)
今度は声もあげずに、そっと退散する。
「どこでならゆっくりケーキを食べられるのよ」
ん…もう! と口を尖らせていると、給仕のスタッフらしき人から、シャンパングラスを手渡される。断れずに受け取ると、両手が完全に塞がってしまった。このままじゃ、シャンパンは飲めてもケーキが食べにくいことこの上なし。
控えめにキョロキョロしながら、広い会場をひたすら進んでいく。シャンパンをもらう前も歩きながら食べる雰囲気でもないなと思って、二つめのケーキを食べたところで止まっている状況だ。
「…あ」
あるバルコニーへの扉が目に入った。これまでとは違い、思いきり扉もカーテンも開いているじゃないか。
(え? ちょっと待って? もしかして今までのバルコニーって、トイレじゃないけど入ってますっていう意味で閉められていた? それか、知らないだけで合図みたいなものが存在してたとか?)
これまでとは違う様子を感じながら、そのバルコニーを目指す。
顔だけヒョコッと覗かせてみたけど、人影らしい人影が見当たらない。これならイケる!
少し早足でバルコニーの手すりのところへと向かう。すぐさまシャンパングラスを手すりに置き、ふうと息を吐いた。
「やーっと残りのケーキ食べられそう。ただケーキ食べるだけなのに、なんなのよ…もう!」
遠巻きに会場を眺め、手すりを背にして三つめのケーキにフォークを突き立てた。
一つめはマカロンに似たものだった。二つめは、ミニサイズのシュークリームを積んだアレから取ったのだったかな。クロカンなんとかってやつに似てた。見た目がパーティー映えしてるアレ。
三つめのこれは、色とりどりのフルーツを使ったフルーツタルト。サクサクした生地の食感が好きだ。タルト生地も、予想していたより固めじゃない。むしろ若干しっとりしてて、ポロポロこぼさずに食べられそう。
タルトを咀嚼し終えて、せっかくなのでもらったシャンパンをクピっと。
「んはーっ、美味しい! 偶然だけどもらってて、大正解」
そうして最後にととっておいた真四角のチョコケーキを、フォークで切り分けたその時だ。
「…んむ、先客がいたか。失礼したな」
影だ。相手の顔はほとんど見えない。とりあえず、声だけで男性だなとだけ認識。
どこの誰だか知らない男性は、そう言ってから入ってきて「ふむ」と唸ってから首をかしげたように見えた。
「誰かと待ち合わせか何か?」
何を見てそう思ったんだろうと、まるで彼に倣うように首をかしげてから「誰とも」と返す。向こうからはあたしの顔は見えているのかもしれない。
「……そうか。ならば…」
と言いかけて腕を組んでから、彼はこう続けた。
「君はバルコニーの取り決めについては」
なんて、何の話かサッパリな話を。
反対へと首をかしげ直したあたしに、同じ方向へと彼も首をかしげる。
まばたき二つ分無言で見つめあった気配の後、彼が「そうか」とだけ呟く。
取り決めがあったのかな、やっぱり。使用中とか待ち合わせ中とか、プレートでもあったのかもしれないな。
だいたいシンデレラとしての記憶があったとしても、夜会だなんだと外に出してくれる機会も立場ももらえていないはず。それに勉強させてもらえた記憶も、あったのか…微妙。
ってことは、この世界の常識らしい常識についての知識がない可能性の方が高い。
(多分だけど、無自覚で何かをやらかしたのかもしれない)
これ以上のやらかしは回避したい。というか、今は一体何時だ。モグモグと最後のチョコケーキを咀嚼し、ゴクンと飲みこんだその時。
ゴー…ンンンンンンンンン…。
と、やたら余韻を感じさせる大音量で鐘が鳴り響く。一つめの鐘の音だ。
「あ、ヤバ」
反射的に口からそうこぼし、バルコニーの端からこの場所を把握する。覗きこむと、すこし遠くに外に向けた無駄に長い階段があった。
(あれがシンデレラに出てきた、ガラスの靴を落とすとこかも。さっき入ってきたのもあそこだっけ)
なんて絵本の一場面を思い出している場合じゃない。
鐘と鐘の間隔が意外と短く、もう二つめの鐘の音が鳴りだしたからだ。
この場を離れなきゃと手元のお皿とグラスをどうしようかと、キョロキョロしてから中へと急いで戻ろうと踵を返す。
一歩踏み出した瞬間、両手がふさがっているあたしに「待て」と言いつつ右手をガッチリつかむ誰か。
「ちょ…時間ないのに…。なんですか?」
一瞬で焦りとイラつきが脳内を満たしていく。
「お前は俺のことを知らない…のか?」
よくわかんない質問なんかで、人を引き止めないでほしい。
「は? 知りません。というか、顔も見えていないのでわかりません。すみませんが、時間がないんです。離してもらえませんか」
グイッと掴まれた方の右手を自分へと引くが、思いのほか強く掴まれているようで離せない。
そうしている間に、三つめの鐘の音が鳴り響く。
「そうか。ならば、よく顔を見てから答えよ」
と言い、さっきまでと位置が逆になるように腕を引かれ、彼の顔が明かりに照らされる。
徐々に照らし出された彼の顔は、目鼻立ちクッキリハッキリ。モデルでもやれそう。髪の色は紅と茶色の間くらいかな。その目立つ髪色のところどころに、金髪か白っぽい毛束があって。
まだわずかしか頭の中で共有出来ていないシンデレラの記憶の中に、この顔も髪も該当者がいない。
この人がこんな風に言うってことは、それなりに有名人なのかも。
(でも記憶ないんだから、下手に嘘ついても逆効果になりそうな予感しかないや)
とかなんとか考えている間も、誰か知らない人からの視線は向けられっぱなしだ。居心地悪い。
(って、これ……あたしの返答待ち?)
「…………」
「……」
ホールとは違って静かなここの空気に耐えられず、思わず本音がもれる。
「……誰?」
と、思いのほか怪訝さが乗った声で。
「あ?」
返ってきたのは、いかにも不機嫌そうな一文字。
あ、ミスったと思った。そうしてそれらしく咳ばらいをしてから、やり直す。
「…存じ上げません」
さっきよりはマシだろうなレベルの返しかもしれないと内心思いつつも、一秒でも早くここを去りたい一心で腕に力を込める。
答えたのに、相手はいつまでも手を強く掴んだまま。
「痛いです」
「…すまない。が、一つだけ答えてくれ」
謝るくせに、力を緩めてくれないのか? とイラつきと焦りが増していく。
「時間がないって言ったじゃないですか。なんなんですか、早くしていただけません?」
失礼がないボーダーがわかんないなりに、何とか抵抗する。
「わ、わかった。が、答えよ。この顔を見ても、何か思うことや伝えたいことはないのか」
こういう人って、最終的には自分の都合ばっかりなんだよね。好きになれないな。
ふう…と短くため息を吐いてから、「何をお伝えしても、不敬に問われませんか?」と問いかける。
即座に「は?」と言った気がしたけど、聞かなかったことにしよう。さっきあたしも似たことやっちゃったんだし。
「ん、んんっ。ゴホッ。あー…問わぬ。何か思うことがあれば、申してみよ。正直にな」
さっきの「は?」をごまかしたつもりらしい彼が、大した変わりない質問を投げかけてきた。
(んなこと言われても、見憶えないんだもん。しょうがないじゃない。それに、好みの男ってんでもないしな)
とりあえずメンドクサソウな男だなとは思った。そうこうしている間に五つめの鐘の音が鳴った。
奥歯をギュッと噛み、息を長く吐いてからゆっくりと口を開く。
そうして、告げた。
「では、失礼を承知で。感想としては、嫌いではないが好みでもない。ただ、とても整った顔つきなので、モテそうだなぁというところでしょうか。どこのどなたかは、本当にまっ…たく! 存じ上げませんので、それ以上の感想が浮かびません」
相手からは、さっきの彼同様であたしの表情が逆光になってて見えていないはず。
ものすごくムスッとした顔になっている気がするので、見えていなくてよかったと思ったんだ。
「離していただけませんか? 本当に時間がないんです」
グッと力任せに腕を引くと、勢いよく体がグラついた。
手にしていたお皿とグラスが落ちかけたのを、目の前の彼が上手いことキャッチしてくれたのはよかったのだが。
「わ…っ、キャアッ」
靴が片方だけ脱げた。あの、ガラスの靴が。
(フラグになっちゃう!)
それをわかっていても、気づけば七つめの鐘が鳴りだしたので慌てて彼へと言いつける。
「貴重な時間を使ったので、お願い聞いてください! その靴、投げといてください! 拾って履いてる時間がないの!」
そう言いながら、もう走りだしていた。
バルコニーとホールの間のカーテンの間を、勢いよく駆け抜け。
さっき目視した方角へ続きそうなドアへと向かう。その途中で、もう片方の靴も脱げた。拾ってられないし、片方だけだと走りにくかったからコレでいいとも思えた。
ホールではダンスに興じている人や、シャンパンかワインを口にしながら楽しげに語らっている人がいる。
横目に自分の家族がいないかを確かめつつ、なんとか階段へのドアにたどり着いた。
「待て!」
階段を駆け下りかけたタイミングで、さっきの声が背後から聞こえたけれど。
(鐘が鳴り終わる前に戻らなきゃ!)
コッチはそれどころじゃない。相手にしてる暇などない。
(途中で脱げたもう片方のガラスの靴も、あの彼が投げといてくれたらいいのに)
階段を駆け下りている間に、鐘の音は十を超えた。あと二回しかない。
ものすごい勢いで階段を駆け下りる自分に向けられる視線は痛い。見ないで! と叫びたい。が、目立つわけにいかない上に、もうすぐ時間が来てしまう。
階段下のドアを勢いよく開け、一気に馬車の方へと駆けていく。
「遅いですよ!」
見ると、カボチャの馬車のドアを開けて待つネズミの御者が手を振って待っていた。
「ご、ごめ…ん……ハァ、ハァ…」
素足でバタバタと馬車に乗りこむと、すぐさまドアが閉められる。その瞬間、安堵の長いため息がこぼれた。
「よか、ったー」
程なくしてネズミが御者席に戻ったのか、馬車がゆっくりと動き出す。
動き出したのとほぼ同時に、十二回目の鐘の音が響いた。その音を馬車の中で聴き、自分の格好を確かめ、本当に間に合ってよかったなと思った。
第何番目の王子か知らないけど、誰ともダンスは踊っていない。話してもいないハズ。階段で靴は脱げていない。たまたま出くわした誰かに投げといてと言った。ああいう自分のことばかりの人なら、面倒事に巻きこまれたくなくてバルコニーじゃない場所に捨ててくれたと思う。事件はバルコニーで起きていないとばかりに。
(何も問題はない。何も起きてない。フラグは立たなかった。あたしは、名前だけのシンデレラだ)
などとホッとしながら馬車で家へと向かうシンデレラと反対に、先ほどまで同じバルコニーにいた男がガラスの靴を手に眉間にシワを寄せて呟く。
「投げといて、だ? …………あの女、まさか…生まれは…北海道とか言わねえだろうなぁ」
と。
実は彼はこの国の第二王子であり、しかも転生者でもある。
前世は日本に住んでいて、何人目かの彼女は北海道出身。いわゆる道産子だ。
投げといて=捨てておいて……の意であることを、そういう記憶でもなければ気づくことがなかったかもしれない。
下手すれば、本当に言葉の通りに投げたかもしれない。王城の庭かどこかへ向かって。
だが、幸か不幸かその言葉の意味を正しく理解していた彼が相手。
「同じ転生者か転移者のどちらかか。…………やっと出会えたのなら、逃す気はない。婚約者としてコンタクトをとるのなら、何ら問題はないな。…というか、ガラスか? この靴。女の子が好みそうな話のネタっぽいな。プラスチックなんかないしな。ガラスか? ガラスで靴つくるとか、すげーセンスの奴がいるな。ハハハッ」
どこぞの庭にガラスの靴を放り捨てることもなく、大事に従者に預けられてしまう。
「この靴は…一体……」
いきなり預けられたガラスの靴に戸惑う従者に、第二王子は告げた。
「この靴の持ち主を探せ。婚約者候補に挙げたい相手が、その靴の持ち主だ」
第二王子のその言葉に、従者は体をしっかり折り、そうして去っていく。
転生をし、前世の記憶を思い出し、この国の第二王子として過ごし。国を背負うつもりもないので、いかにも出来が悪い王子らしく暮らしていた。
勉強はこの世界の方が遅れている感があり、最初に神童だのなんだのと若干騒がれたりもしたが、途中でマズいと気づいて以降はイイ感じで調整をしてごまかした。
成長してからの勉強が難しくて、追いつけなくなったとかなんとかかんとか。いかにもな理由をつけて。
元の世界とは生活環境も生活習慣も違いすぎて、外国に旅行に来たと思えばいいと思えるまでかなりな時間を要した。
ましてや、子どもの時に記憶が戻ったもんだから尚更。
勉強を始めた頃のやりすぎた時期に、何度か第一王子派の連中に殺されかかったりもした。
「…なんて時もあったな。…はあ」
従者が去っていった方を眺め見て、ため息しか出ない思い出を振り返る。
「兄上、兄上。先ほど従者が靴を…」
第三王子のたる弟が、従者とのやりとりでも見ていたのだろう。物陰から顔だけ出して、遠慮がちに問いかけてきたが。
「んんっ」
咳払いひとつで、その先を言わせない。
「…あ、申し訳…ありません」
この弟は、まるで小型犬だ。ペタリと折れた耳が幻覚で見えそうだ。
「俺のことよりも、自分のことだろう? どうだった?」
兄貴らしく優しく笑み、さっきまで凹んでいただろう頭を撫でてやると。
「あの、ですね! 僕は…その……」
この舞踏会で出会った令嬢の話を、それはそれは楽しそうに頬を赤らめて話しはじめた。
話を聞きつつ、さっきの子のことを思い出す。
同じ転生者か転移者かを知りたいだけじゃなく、なにか気になる。それが恋かどうかは、まだ答えが出せなくとも。婚約者になるならないは別としても、同郷のよしみで気を抜いて話す時間が欲しい。
王族という立場があれば、欲しいと望むもののだいたいは手に入れられた。が、どこか孤独さを感じていた。どんな繋がりになってもいいから、天海大翔として付き合える存在がいたらと願っていた。
普段はそこまで考えることのなかったそれを、たった今…気づかされたようなもの。
なんだ、寂しかったのか俺は…なんてガキみたいなことを心の中で呟きながら、弟の恋の始まりに相づちを打つ。
どんな繋がりになってもいいからと思いつつも、それでも出来れば楽しく近しく親しく繋がりたいとも願う。と思った時、思っていたよりも自分勝手だなと苦笑う。
「それでですね、すぐそばにあった」
こんな風に初めての恋に頬を赤らめるようなことはもうないかもしれないが、楽しく会話が出来る間柄にでもなれたなら。
(絶対に繋がってみせる。俺に対して、嫌いではないが好みでもないなどと言い放ったままで終わらせるつもりはない)
「…聞いてくださってますか? 兄上」
「聞いてるよ」
それぞれにそれぞれの思惑を抱いて、舞踏会の夜が更けていく。
シンデレラは、捨ててもらっているはずの靴が翌々日には新聞に載ってしまうなど予想もせず。
「……いつも通りのいつものボロ服、かぁ」
魔法が切れて元通りになった自分の姿を、ヒビが入り一部が欠けている姿見で見て苦く笑っていた。
*****
第二王子は、例の靴の素材がガラスであることを改めて知り、アゴに手をあてて小さく唸った。ぽいなとは思っていた程度だったから。
(やっぱりアレって、そういうことか? 細かい設定まで知らんが)
保育園で読み聞かせの中にあった、シンデレラという絵本。個人的には読む機会はなかったはずだが、なにかの機会に読んでもらった記憶があるあの本だ。
小学生になってから図書室でも見かけたその本は、保育園で読んでもらったものよりもすこしだけ違っていた。たしか、名前かなにか。
シンデレラであって、シンデレラじゃない。あだ名かと思いながら読んで、蔑称だと知ったのは高校の頃に出来た当時の彼女の説明でだったはず。
「灰かぶりのエラ、って。自分らがそういう仕事させといて、何様だよって感じだよねー」
と、海外の昔話の設定にガチで怒りを滲ませた彼女を慰めたっけというところまで思い出していた。
「ふ……む」
小さく唸りながら、あの時の状況その他諸々を思い出す。
12時を知らせる鐘が鳴っていた。そのタイミングで、彼女は去ろうとしていた。そこに置いていかれたガラスの靴。それを拾ったのが、王子たる自分。
ところどころ設定に誤差があるとしても、大まかなところは重なっている。完全一致じゃなくとも、話は成立するのか、否か。
「あの女、まさか靴を落とした場所に一緒にいたのが王子だと思ってもいなかったっぽいな」
ダンスをしていた中に、あの女の姿はなかったはずだ。もしもあの状況下で踊るとするなら、年齢的に俺か兄の二択。婚約者候補次第で、自分が今後置かれる立場にも変化が起きてしまう以上、踊る相手は選ばれていたはずなんだ。
しかも、俺と兄の派閥それぞれに見張りじゃないが、たくさんの目が向けられていたのは周知の事実。
どんな相手と踊っていたかくらい、把握して当然だ。
「…で、あの女の名前が…シンデレラ…。絵本の名前まんまだな」
シゴデキな部下からの報告書をペラッとめくり、間違いないなとうなずく。
「エラ、か。確定だ」
絵本のままでいけば、この靴に足が合う女性を探しているとかいうアレをやるんだが。
「効率悪すぎだろ。そもそも、このくらいの足のサイズの女なんざ、いくらでもいそうなもんじゃん」
あの年頃で、あの身長の女の平均的な足の大きさ。
23.5。
身長もそこまで高くなかったんだし、本当に平均的な足のサイズだ。
我こそはと手を挙げられたら、誰かの足に嵌ってしまうだろう。会っても、話してもいない相手の足に。
(ピンポイントでこの靴をあの女のところへ持って行こう)
あの話の中で不思議に感じていたことの答えが、目の前に鎮座している。
本筋でいけば、時間が来たら彼女にかけられた魔法は解けて元の姿になっているはずだ。
にもかかわらず、残された靴の魔法だけは解けていない。
こんな時に自分が王族でよかったと、生まれて初めて思った。
なぜか?
王族には影という隠密部隊がついていて、あの時あの場所の自分にも影の部隊がつけられていたのだ。
怪しい人物がいれば、その人物にも影がついていき、その身元含めて身辺調査が行われる。
今の自分の環境を思えば、あの絵本の中身に疑問を感じずにはいられない第二王子は呟いた。
「人材不足か、単に頭が悪い奴しかいなかったのかもな」
などと、自分についている影の優秀さに納得しながら。
それと、靴にかけられている魔法についても、魔法特化研究機関へと持ち込み済みだ。
なぜ、この靴の魔法だけは解けずにいるのか。それかそのうち何かの条件つきで解けるのか。
その答えが書かれた報告書を、さっき隅から隅まで読みこんだ。
最終的な答え合わせは、真実の元へと持ち込んでこそだ。
同じ足のサイズの女などごまんといるとしても、本人以外にはその魔法は反応しない。
「答え合わせは自分の目の前で、だな」
報告書を机の上にバサッと置いて、天井を仰ぐ。短く息を吐いて、目を閉じた。
思い出そうとしても、ぼんやりとしか彼女の姿を思い出せない。可愛かった気はするのに、性格というか物言いは可愛くなかった。多分。
「さっさと迎えに行ってみるか。どんな反応をするかは、予想つかないけど」
愚痴のように呟き、報告書の傍らにある例の新聞を横目で見た。
対象者を絞り込んだのにもかかわらず、会いに行く前にあえて新聞で公表したのには理由がある。
もしも彼女が新聞を読んだと想定して、「今から迎えに行くからな逃げんなよ?」という大々的で公的な手紙の役割を果たしているつもりだ。
毎朝、父親の執務室に新聞を置くのが彼女の仕事だという事まで調べがついている。
ならば畳んだ時に表になる一面にその記事が書かれていれば、嫌でも彼女の目に留まることになるだろう。
「首洗って待ってろよ…エラ」
ケンカをしに行くはずがないのに、第二王子の口からもれたのはそんな言葉。
すぐ近くでその言葉を聞いていた執事は、普段のポーカーフェイスはどこへやら。
珍しく眉間にシワを寄せて、残念なものを見るような目で第二王子を見ていた。
*****
数日後。
王家の紋章が描かれた一台の馬車が、シンデレラの屋敷を訪れる。
新聞での記事が出た直後に前触れがあったこともあり、今まで以上に着飾った義母と義姉二人が浮かれながら第二王子を出迎える。
自分たちが選ばれたのだと、盛大な勘違いとともに。
邸宅の表の方ではそんな騒ぎにも近いことが起きているなど思いもせず、当事者は別な場所でいつものように家事に勤しんでいた。
そもそもで前触れのことは知らされず、裏庭で大きな桶に入った洗濯物を足で踏みつつ洗濯をしているシンデレラ。
新聞の記事は流し読みしたものの、すぐさま父親が執務室に入ってきたので詳しくは読めず。
来てほしくなくとも、いつか来るのだろうとため息を吐き。ガラスの靴を落とした場所など無関係に、やはりフラグは立ってしまったと痛感させられ。
「面倒なことになっちゃったな」
とか言いながら、洗濯用の水で濡れないようにと持ち上げていたスカートの裾を、もうすこしだけと持ち上げる。
元の世界でいえば、膝下くらいの丈などなんてことない長さだった。けれど、この世界じゃはしたないと言われる短さ。でも、そこまで上げなきゃビッチャビチャだ。
天気は良く、今から干せば夕方には乾きそうだなと鼻歌を口ずさむシンデレラ。
好きだったアーティストの中でもノリがいい曲は、何かのアニメの主題歌だったはずだ。
ふんふんふんと鼻歌を口ずさみ、リズムに乗って足で洗濯物を踏み。
さっきまで若干気が滅入りかけたことも、洗濯物を踏み続けているうちに泡と一緒に空へ飛んで行って弾けて消えてくれそうな気がして。
ジャブジャブジャブジャブ…と踏んでいくにしたがって、どんどんテンポが上がっていく。
まるであの夜叶わなかったダンスのステップでも踏むように、軽やかに楽しげに。
嫌な家事を回避は出来ない。ならば、いかに楽しくやり過ごすかだ。その一つが、この洗濯だ。今の時期のこれは楽しいし、濡れはするが気持ちがいい。
気分よく洗濯をしながら脳裏にあったのは、あの夜あの場所で食べた美味しいケーキたちだ。
普段の食事はしなびた野菜が入ったスープか、下手すれば具ナシのスープだ。
(あんなケーキ、もう食べられないかもな)
シンデレラとしてのフラグの一部を折ったのは、他の誰でもない自分。その道を選んだのは、自分。
どこまでそのフラグが折れているのかは、自力で確かめようがないとしても。
シンデレラとしての自覚がないんだから、何が正解かわからないことに手は出せない。それもあって関わろうとはしなかっただけな気がする。
シンデレラとして召し上げられさえすれば、きっとお腹がすくことも寒さに震えて目を覚ますこともなくなると知っていても。
だから、美味しいケーキがもう二度と食べられないのも仕方がないこと。自分が決めたこと。
記憶が戻ってからわずかな時間じゃ、何をどう考えればいいのかわからないんだもん。未来なんてすぐさま決められない。ならば、ひとまず今までと同じ環境に身を置いて、これまでの暮らしに慣れながら考えることにしよう。
あの日は思いつきでイベントらしきイベントから逃げたつもりだったけど、やってしまったものは仕方ない。
「とはいえ、だよね」
迎えが来てしまったとしても、きっとこの家族からは逃れられないんじゃないか? 舞踏会を終えた夜、その翌日。これが日常かと笑みさえ浮かべることも出来ない現実に、涙も出なかった。
家族といっても、所詮義理だもんね。せめてお父さんだった人でも生きていてくれたら違ったのかな。
(でも義母の性格を考えれば、お義父さんに気づかれないように上手いことイジメてたんだろうな)
自分が置かれている環境を頭の中で整理してみても、やっぱり自力じゃどうにも出来ない。これが現実だ。
(王子様がやってきて、王命だと言ったとて)
たとえ、召し上げられたとしても、この家族に縛られたままなんじゃないのかな。都合よく、ここぞとばかりに可愛い娘なのでとか嘘をついて。もらえるものはもらおうとするはずだもん。
なんて思いながら、泡立つ洗濯物を踏み続ける。
(とはいえ、お腹は空くんだよね)
ジャブジャブと洗濯物を踏む足を止めずに、お腹を鳴らす。それはもう、洗濯をしている水音に負けないくらいに大きな音で。地鳴りか? というほどに。
けれど、いくらお腹が空いていても食事はあたらない。やることを終えなきゃ、座ることすら許されない。それが今の自分の立場なんだもの。
この洗濯物が終われば、山ほどの玉ねぎとじゃがいもの皮むきが待っている。
どっちも普通に考えれば、つまみ食いなんか出来ない代物。
(隙を見て、じゃがいもの皮を揚げ焼き出来れば、腹の足しになるかもだよね。それかキンピラみたいに炒めて)
玉ねぎの皮はスープの出汁取りか何かに使えた気がするけど、つまみ食いには向かない食材だ。
大きな桶の中から出て、洗濯物を絞っていく。全部絞ったら、次は水を運んですすぎだ。
ストレスがかかっている時こそ無理矢理テンションを上げるのに歌うのは、元いた場所と変わらない。
「ふふ、ふーん、ふふふふん、ふーふふー…」
洗濯機か、昔々の洗濯機についていたローラー二つの間に洗濯物を挟んで絞るアレがあればなと思う。
摘みあげていたはずの裾は濡れてしまった。それに絞る作業をしていれば、両手がふさがる。どう考えても、水が飛んできてもどうしようもなくなる。
「まあ、今日は天気もいいからそのうち乾くと思っておこう。うん」
服の裾をビチャビチャに濡らしながら絞り終え、また大きな桶に洗濯物を戻してから水を汲みに井戸へと向かった時だ。
「……ふー、ふふ、ふふんふふー…だろ? その続き」
背後から自分の鼻歌の続きが聴こえ、手に持っていた桶を奪われた。
(ってか…え?)
「なんでその曲…っっ!!」
ガバッと勢いよく振り向いたその先に、あの夜の男らしき人物が立っている。片手に桶をぶら下げて。
あの夜は暗かったけれど、声もあの時聴いたのと同じはず。
「お前、シンデレラ…で合ってるか?」
口角だけを上げて不敵に笑む彼に、あの夜の感情がすぐさま戻ってくる。
どうして鼻歌の続きを知っているとか聞きたいけれど、それよりも面白くないことを先に片付けてしまいたい。
濡れたスカートを指先でつまみ、カーテシーをする。
それから、あの時のように問いかけた。
「何をお伝えしても、不敬を問われませんか?」
そう伝えてから、視線だけをあげる。目に入ったのは、さっきよりも口角を深く上げた顔で。
「かまわん」
短く伝えられたその言葉に甘え、シンデレラは視線をまた下へと落としてから告げた。
「私の名は、シンデレラではなく…エラと申します。その名を私自身は好んで使いたいと思っておりません」
その声は自分が思っているよりも重く、低くこぼれ出た。
「愛称というわけではない、と?」
頭を下げたままで、即答する。
「はい。愛称というものは、愛をこめて呼ぶものと考えております。シンデレラという名は、我が家族が勝手に呼んでいるだけのもの。その名づけには、一切の愛などという情を感じたことはございません。むしろ、その逆かと」
実際、そうなのだろう。
地面に向かって話しているようなその会話だが、下げた頭の先にいる彼には伝わったようだった。
「やはりそういうことなのか。……悪かったな、好まない呼び方をしようとした」
「いえ」
続けて重い声で返すと、「なるほどなー」と軽い口調で声がしてから。
「そういう設定なんだな、やっぱ」
と続く。
設定と聞いて、「え?」と思わず反応しながら顔を上げてしまった。
「…あ。申し訳ありま…」
またやらかしたかと慌てて顔を下げようとしたシンデレラに「もういいよ」と軽口が重なる。
「…………」
「……」
(違和感しかないが、感じているものが合っている気がする。かなりな高確率で)
シンデレラはそう感じて、「あのー」と切り出した。
「シンデレラの語源は、灰=Cinderまみれのエラ=Ellaなのでシンデレラ…となります。この世界の暖房器具、暖炉の掃除を押しつけられて灰にまみれた姿かららしいですよ。と言っても…好きでまみれたわけじゃないけど」
その説明を聞き、第二王子はうんうんとうなずき腕を組む。
「その辺も全く同じなんだな。ってことは、あのシンデレラで合ってるの?」
首をかしげつつ、質問を続ける。
「多分? 確証はないですけど、舞踏会に向かった馬車と御者があの設定まんまで」
「え? マジ?」
「カボチャとネズミで」
「うっわ、見たかった」
「…………あのー、もしかして…王子、なんですかね? そちらさん」
フラグをそれなりに折ったはずなのにと思いつつ、確認をしないわけにはいかない。
シンデレラがそう切り出すと、目の前の男が手を上げると背後からクッションに靴を載せた従者が現れた。
「有名なあのガラスの靴は、捨ててねえ。…残念だったな」
残念だったなと言いながらも、目の前の彼はどこか楽しげだ。
「投げといてって言ったのに…なんで…」
ガクリと項垂れるシンデレラの肩を、第二王子が慰めるかのように手をポンポンと二度軽く叩くようにしてから。
「それが問題だったんだって」
という、どこか楽しげな声が続く。
「へ?」
さらに楽しげな王子の言葉が続く。
「俺の元カノ、道産子だったんだけど」
懐かしい響きの言葉が、目の前の彼の口から飛び出す。
「え? は?」
「アレ、ダメだろ。方言だぞ? 投げといてって」
「…え?」
いたって普通に日常会話のつもりで使っていたその言葉を、彼はダメだぞという。
「……嘘だぁ」
「嘘じゃねぇよ」
「捨てておいてってことだったんだろ?」
答え合わせのような会話が続く。
「あ、うん。靴がその場にあったらフラグが立っちゃうから、庭かどこかに向けて放り投げて捨ててくれるか、本当にゴミ箱にでも捨ててもらえたらって賭けに出たような感じで」
「あー…そっちの意味も含んでたのか。なら、投げといてはあながちハズレじゃなかった…?」
「いや、まあ、捨てておいての意味合いの方が割合高めで」
「そっかそっか、ふんふん」
これはつまり、そういうことか。
ここまで来たら、本来の話とは若干違うとしても、腹をくくるしかない。
「ん」
短く声をあげ、彼の手にある桶を返してと促す。
「ああ、これな」
そう言って彼は空の桶を差し出した。
受け取った桶を地面に置いて、いざ話を! と思った次の瞬間だ。
「何をしているの! シンデレラ!」
叫び声に近いボリュームの声で、名前を呼ばれた。
義母と義姉二人に。
裏庭にハイヒールでズカズカとこちらへと向かってくるのが見えた時、目の前の彼の口から「うへぇ」と露骨に嫌そうな声がもれる。
あの格好でコッチに来たら、濡れている地面で滑るんじゃないかな。ドレスの裾もヤバいことになるような。目の前の彼の靴も、ちょっとだけ濡れているほどだもの。
「お義母さま、お義姉さまがた。足元が…、あ、その辺は特に危ないで…」
す。と言い切ろうとしたその瞬間、ぬかるんだ地面に足を取られた下の義姉がよろけた。
しかも、目の前の彼へ向かって倒れようとしている。
(結構距離あったのに、上手いこと倒れかかろうとするなんて。…執念と根性? それとも、そういうテクニック?)
あ…! という間もなく、彼へと飛びかかる勢いで倒れかかった義姉は、彼がちょっといいとこのレストランでウェイターでも呼ぶようにスッと手をあげた瞬間、一緒に来ていたらしき騎士に支えられていた。
「…執念実らず、か」
思わず呟くあたしに「えぇー」と声をもらして顔をしかめる彼の視線が向いていた。
「あんなの、相手にする気ないっての。怖ぇよ、ガツガツしてるし、香水臭ぇし」
「あ、そう…なんだ」
モテる男は、予想通りで苦労していそうだと納得する。うんうんうなずきながら。
そうこうしている間に、ギャアギャアとやかましい義母と義姉二人がすこし遠ざけられる。
離れなさいだの、何もしてないのに…許さないわだの。やかましい。ゲンナリするからやめてほしい。
「そのうなずきは、どういう意味だよ」
「いや、大変だなって」
「は? それは、どっちかってーとお前の方だろ。大変そうなの」
「いや、まあ、外れてないけど。だって、見た目がよくて王子で…ったら。…ねえ?」
「ねえ? じゃねぇわ。ストレスかからん相手の方がいいに決まってんだろ。そもそも、もう…察しただろうが転生者だからな。こっちじゃ政略結婚が貴族の当たり前だとしても、可能なら恋愛結婚の方がいい」
そう言いながら、目の前の彼が遠ざけられた義姉たちをチラ…と見てから、あたしへと視線を向けた。
「あー…まあ、はい。誰かいい人がいるといいですね」
その視線の意味を考えることなく、素っ気なく返す。
「本…っ当に、他人事なんだな。今、こうして明るい太陽の下で俺を見ても、あの夜と感想は変わらないのか」
ふん…と腕組みをして、多分180cmくらいある高さから、ジーッとあたしを見下ろす彼。
「いや、あんな場所で感想を問われても、よく知らない相手なら見た目の話にしかならないじゃないですか。その見た目も、ああいう場所だと普段よりも豪華だし。そもそもであの場所には出会いなど求めていったわけじゃなかったので。…………だいたい、好いた惚れたって相手を探すよりも命を繋ぐ方に全振りするつもりで、日々暮らしてますしね」
「あー…うん、まあ、そうか…うん」
その返しで、察せてしまった。
調べたな、コイツ。ということを。
「ならば、話が早いですよね? 靴を持ってきてもらっていても、あの話のようにお迎えが来たらそれでオールオッケーってわけじゃないんで。そちらのことを好みとして見るか否かは、二の次三の次ってこと。とりあえず、洗濯を終わらせなきゃ次の仕事が出来ないので、話は終わりでいいですか」
空腹を知らせる地鳴りのような腹の虫が騒ぎ出す。
「食事の下ごしらえが待ってるので」
同じ転生者なのに、不公平だ。
目の前の彼の肌は、すべすべツヤツヤ。あの夜の時以上に毎日美味しいものばかり食べているんだろうし、ふかふかの布団で寝てるんだろう。
「……シンデレラなんかになりたくなかった」
思わずこぼれた本音は、誰かに否定も肯定も求めてない。ただ、吐き出したかった。
なのに、目の前の彼がその呟きを拾ってしまう。
「ならんくていいぞ。お前には…エラって名前があるんだろ? これから俺がその名で呼ぶ。シンデレラなど、二度と呼ぶ機会を与えないと誓う」
王子として転生したからか、元の性格なのか。都合よく理解しちゃえば、未来の自分を護ってもらえるように聞こえ。
「今はまだ俺のことが嫌いではないが好みでもない程度だとしても、だ。俺を信じてこの靴を履いてくれ」
急に振られた話に「は?」とささやかな抵抗を見せる。
「や、ちょ…。この状況で?」
遠くにはめんどくさいことになりそうな三人がいて、足元はビチャビチャで。
暗に嫌だよと伝えると、今度は背後からいかにもな魔法使いっぽい人が現れて。
「……お、おぅ…」
一瞬で地面を乾かした、引くほどの速さで。
(ちゃんとした魔法、魔法使いのおばあちゃん以外で初めて見たかも。おぼろげな記憶だけど)
記憶が戻ったのが舞踏会行きの馬車の中だったから、シンデレラとしての記憶が混じってきてからボヤ―ッとした感じでそれっぽいのが思い出せる。
「外野のうるさいのは無視して、とにかく履いてくれ。先のことはその後だ」
「……えぇえええー」
本当にどうにかしてくれるのかな? 本物のシンデレラって、あたしみたいに転生者じゃないじゃない? どうにかなるの? 階段でガラスの靴…脱げてないのに? 王子様とダンス踊ってないのに? 本当の名前だって、紗雪なのに。
「紗雪って呼んでくれたら…履いたげなくもないけど」
そうして、小さな願いを乞う。元の場所にいた自分を消したくない。それだけ。
「紗雪な? うん、紗雪。…かわいー名前じゃん。ちなみに俺は大翔な。わかったから、はよ履けよ。時間がねぇ」
そんな気持ちを知ってか知らずか、明るく笑んでからなおも急かす彼。元の名前つきで。
ここまで急かすのには、意味か理由あるのかもしれない。
「…………」
「……」
ガラスの靴に足を滑らせ入れると、ヒンヤリとして気持ちがいい。
「…うん。さすがピッタリだな」
彼がそううなずくと、遠くから上の義姉が叫んだ。自分だってピッタリだったんだ、と。
その叫びに彼が反応し、ボソッと呟く。
「だけじゃあダメなんだっつーの」
と。
「え?」
その声は義姉に届くことなく、聞こえたのは多分あたしくらいじゃなかろうか。
でも、驚いている暇がなくなってしまう。なぜならば、あたしの足元がまぶしく光り出したから。
「きゃああっ」
LEDかなにかですか? ってくらいのまぶしさに、思わず目をギュッと強く瞑る。
数秒後、彼があたしを呼ぶ。
「目を開けてみろよ、紗雪」
って。
「――――噓でしょ」
ほう…とため息混じりにもれた声は、嬉しさがこもっていた。
ガラスの靴を履いただけなのに、あの夜のドレスも装飾品もすべてそのままに再現されている。
耳たぶにシャラリと揺れるイヤリングまでも。
その姿を見て、彼がさっきとは違ううなずきを見せた。どこか満足げに。
スッと真っ直ぐに、手が差し出される。
あの日、あの夜。フラグを折りたくて足を向けなかった場所で、憧れを諦めて遠巻きに見ていたあのお誘いのように。
この手の意味が全く違うんだとしても、一瞬でもときめかないわけがない。
(まあ、相手が相手なんだけどね)
「紗雪、この手を取れ。こんな場所から一秒でも早く連れ出してやるから。めんどくさい連中とは縁を切らせてやるから、後は俺に任せろ。仮にも王子だからな、俺は」
とかなんとか偉そうに彼が告げる。
「ちなみにこの手を取ったら結婚確定?」
ひとつだけ確認をとる。
キョトンとしたように目を丸くしてから、破顔して「まさか」と彼。
「まあ、おもしろそうな女だなとは思っているが、まずは保護だ。未来の話はあとでじっくり話そう」
保護。
この家から連れ出し、この歪んだ家族と距離を置かせてくれるというの?
信じてもいいのかな、どんな人か知らないけど。ただ、同じ転生者だというだけで。
伸ばした指先。触れるギリギリで躊躇う。
シンデレラになったけど、本当に幸せになる保証もなく、ガラスの靴ひとつで王子様が迎えに来る確定事項もなく。
あれは絵本だけの話だと思えば、エラとして普通に生きられれば良かっただけで。死なない程度に。
ましてや王族の仲間入りだなんて、幼い時から学んでやっとのはずの教養だってすぐさま身に着けないと一方的に責められるだけになるはずだ。
貴族の一員として学びの機会でも与えられていたならば、多少は話が違ったはず。
そんな状況になった自分を想像したくなかった。今とは違った意味でキツい。
なので一つだけと言い、「王族にはなりたくない」そう言いながら彼が差し出した指先だけを掴んだ。
知らないうちに涙がこぼれていたらしい。
掴んだ手とは逆の手が頬に触れ、その指先が涙を掬った。
「未来の話はこれからだからな。約束は出来ないが、考慮するとだけ伝えよう。俺の一存だけではなく、紗雪の意見も願いもきちんと聞いてからにする。……悪いようにはしない」
「…約束は無理なんだね」
「まあ、何も話し合ってないし」
「………」
「……」
「あたしのことが好きなの?」
たったあれだけの邂逅と、あたしは思ってて。互いに転生者だと気づいただけで状況を知ったとて、同情心だけでこんなことをしてくれるだなんて思えなくて。
「それとも王族として、下々の憐れな民を救ってやろうか? とか?」
「……」
「うぬぼれているつもりはないの。好かれる要素あるとも思えないし、後継者争いに役立ちそうな場所にもいないのにって。なに枠なんだろうって思うじゃない?」
不思議なほど本音があふれ出してくる。彼は救いに来てくれているのに、聞きようによっては責めてしまうように。
「んな高尚なもんねぇよ。ただ……普通に話したいだけだ。今んとこ婚約者候補って扱いにして探した方が動きやすかっただけで、確定にはしてない」
「こっ…婚約者?」
「だーかーら、確定じゃねえ。それにさっき話しただろ? 悪いようにはしない、と」
そこまで言ってから、彼はもう一度告げる。
「同郷のよしみでお願いします! ってのは、どうだ?」
って。
実年齢はわからないけど、クシャッと笑ったか俺の顔がどこか幼く。
「ん…じゃ、オネガイ、シマス」
渋々といった空気を出しながら、今度はしっかりと彼の手を取った。
*****
その後の話。
実父が亡くなって以降の我が家の経済状況をしっかり調査し、義母には任せられないとなり。
あたしが実父が亡くなった時期には年齢的に後継者扱いに出来なかったものの、現在ならば問題なしとし。
「戻ってきてくれてありがとう、ジェームズ」
「…いえ。旦那様からお嬢様を見守ってほしいと申し使っておりましたので。やっと約束が果たせることは、心の底から…う…本当に…喜ばしく…て、ですね」
「やだ、ジェームズったら泣かないで」
「ですが…お嬢様」
二人で涙を浮かべながら笑いあっていると、ノックもなく勢いよく執務室のドアが開けられる。
ドバーン! とか言っていそうな勢いで。
「いるか? エラ! 視察先で見つけたものを持ってきたぞ。米だ、米。炊いて一緒に食おう」
「ちょ、なに? って、え? 米って言った? 食べたい!」
「だろ? しょう油さえあれば、玉子かけご飯一択なんだけどよ」
「ないものはしょうがないでしょ? なら、せめて…玉子焼きでも焼くよ。甘いのでもいいなら」
「お? いいね。炊くのは出来ないが、研ぐのだけならやるからよ。…あ、ジェームズったっけ? 一緒に食うか?」
いきなり話を振られるわ、やってきたのがこの国の第二王子だわで、ジェームズはポーカーフェイスを取り繕うのが難しそうだ。
「ごめんね? ジェームズ」
何に対しての謝罪かを理解したらしいジェームズは、何事もなかったかのようにドアの方へと進み。
スッと頭を下げて、どうぞと示した。
「じゃ、行こっか。マローネ第二王子」
「って呼ばれるの慣れないな」
「しゃーない」
「二人きりん時は、アレでいいんだろ?」
「ん、まあ、はい」
結婚前の男女が締め切った部屋にいるのはよろしくない。
が、婚約者ならば話は違うらしい。
「視察から戻ったら一緒に見に行くってしてた約束、果たすからな? 婚約指輪」
と、まあ、そういうことになって。
第一王子が王位を継承することになって、近々結婚もする。
第三王子はあの舞踏会で出会った令嬢と婚約をし。
第二王子の彼はというと継承権を放棄して爵位を授かり、兄である第一王子の下に就くこととなった。
王城の近くに居を構えるという話も出たが、あたしの両親との思い出の場所でいいだろうという事で話がまとまったのはつい先日の話。
なので、ご飯が炊けても部屋でとはならずに食事同様で食堂に行くことになる。
「ジェームズも一緒に食おうぜ、米」
ジャカジャカ言わせながら米を研ぐマローネの手元を覗きこみ「…虫?」と引きつった表情になったジェームズを見て、二人で笑う。
「ジェームズに食べさせてみたかったの。お願い、一緒に食べて?」
可愛くお願いをしてみたあたしの耳に聞こえたのは、両手を祈りのように組みながら呟いたこんな言葉。
「あの時、お嬢様をお守りできなかった罰がこんな形でだなんて……」
罰ゲーム扱いで食べさせられるご飯が、その後のジェームズの好物になるなどと誰も知らず。
「じゃ、お米を水につけてる間に、視察の話でも聞こうかな」
「お。それじゃ、庭にでも行くか」
時間にして小一時間。ご飯を炊きはじめたら、コンロの前でも他愛ない話をする。
王族になるための勉強も大変そうだけど、後継者になるための勉強もなかなかにハードだ。
王族にはなりたくないと願ったそれを、結果的に叶えてくれた彼。
どっちの方がよかったなんて、今はまだわからないけど…それでも。
「じゃあ、蒸らしの間に、焼いちゃおうか。玉子焼き」
「楽しみすぎる」
肩ひじ張らずに過ごせて、彼が王族として過ごした間に学んだことで時々アドバイスをもらい。
「なあ、なあ。そろそろ嫌いじゃないけど好み…ってとこくらいまで上がった?」
時々こうして気持ちを確かめてくるけど、ツンとすまして「さぁね」としか返さないあたしがいる。
素直になれるのはいつだろう。
「…はい。イイ感じに焼けた方あげる」
今はまだ、これが限界。
「………そ」
口元を緩めて素直に喜ぶ王子らしくない彼の表情に、つられるように笑んで。
「いっただきます」
「どうぞ召し上がれ」
幸せだなと感じながら、炊き立てのご飯を頬張った。




