1話
「……ここは……」
ゆっくりと、上半身を起こす。
煤けた天井。
ひび割れた土壁。
見知らぬ、でもどこか“既視感”のある粗末な小屋。
視界の端に、半透明の文字。
《ログアウトは現在使用できません》
だが今回は、違う文字も見えた。
《名前:未登録》
喉が、ひくりと鳴った。
「……未登録?」
動揺していると、ドアが、きい、と音を立てて開いた。
「……起きた?」
少女の声だった。
「ここは……“はぐれの村”。で、あんた……名前は?」
一瞬、言葉に詰まる。どうして思い出せないんだ?さっきまで覚えていたはずなのに…沈黙のあと、俺は短く息を吐いた。
「……ない」
声は、自分のものなのに、やけに乾いていた。
少女は一瞬だけ言葉を失い、まじまじとこちらを見た。冗談か、隠しているのか、判別しようとするように。だが、こちらの目に浮かんでいるのが戸惑いでも演技でもなく、**本物の“空白”**だと理解した瞬間、彼女は小さく息を吐いた。
「そう、まあどうでもいいけど…」
そう言って、彼女は部屋の壁に背を預けた。
「名前があろうがなかろうが、ここに落とされた時点で……みんな“失敗作”だから」
その言葉は、淡々としていた。憐れみも、慰めもない。ただ事実を述べているだけのように思えた。
少女は壁にもたれたまま、外をちらりと見る。
「ここに落ちたやつは、たいてい二択」
指を二本立てて、小さく振った。
「諦めて、静かに死ぬか」
「……諦めきれずに、足掻いて死ぬか」
乾いた笑いが漏れた。
「どっち選んでも、だいたい長生きはしない」
外から聞こえる、かすれた咳。
遠くで何かが崩れる音。
誰かの怒号。
それらが、この村の“日常”なんだと、理解させられる。
「…なんで、その二択しかないんだ?」
少女は少し驚いたような顔をし、言った。
「私たちはただの人間じゃない。選ばれ損ねた“候補者”。本来なら、勇者とか、管理者とか、救世主とか……そういう枠に入るはずだった連中なの。でも不具合が出た。レベルが上がらない。スキルが定着しない。想定通りに動かないなどのね。」
少女は小さく肩をすくめた。
「つまり私たちはこの世界に捨てられたのよ。」
その言葉は、やけに軽かった。
軽すぎて、重く響いた。
小屋の外で、風が柵を鳴らした。
乾いた木の音が、骨に残る。
「……でも、捨てられたなら…」
小さく、言葉を探す。
少女は首を傾げる。
「?」
「なんで……俺たちは……“まだ生きてる”んだ?」
一瞬、沈黙。少女は目を細めた。
「多少問題があっても元候補者だからね。一定数保険として残しておいてるんだよ。毎日補充された分だけランダムに消されてね。」
「……それで……誰も、逆らおうとしないのか?」
少女は、ゆっくりと首を振った。
「逆らった人、いたよ。この仕組みを壊そうとした人。上の世界に行こうとした人。だけどもちろん神によって消された。」
その言葉は、空気を切った。小屋の中が、静かになる。木の軋む音さえ、遠くなった気がした。
「……神、か」低く、呟く。
「そいつは全能なのか?」
少女は一瞬、言葉に詰まる。
「……は?」
「もし神が全能なら、こうして人間を別世界から持ってこなくても目的を達成できるし、そもそも失敗作なんか出ないだろ。全能じゃないならやりようがある。」
少女は、その言葉を聞いた瞬間、完全に固まった。
「……あんた……何言ってるの?」
薄く笑うでもなく、怒るでもなく。
ただ、本気で“理解できないもの”を見る目だった。
「ここでそういうこと言う人、初めて見た」
小屋の隙間から入る風が、煤の匂いを揺らした。
「神は……“設定”そのものよ。空にいる誰かじゃない。世界のルール。ログ。選別。削除。例外処理……全部。」
指で、空中になぞるように小さく動かす。
「逆らうとか、抜け道探すとか……そういう発想する前に、心が折れる。壊れる。……だから二択しかないの」
少しだけ、声が低くなる。
「……なのに」
少女は、あんたを見た。
「全能じゃない、って……普通そこに疑問持たない」
静かに、笑った。でもそれは、乾いた諦めじゃなかった。
「ねえ。」
一歩、近づく。
「もしよ。もし神が“完全じゃない”としたら……あんた、何するつもり?」
外で、風が強く鳴った。柵が、がたがたと震えた。
その音の向こう側で――
何かが、“違和感”として空間を引っかいた。
一瞬。視界の端にだけ、また文字が走る。
《―――例外を検出―――》
誰にも見えないはずの、それ。
胸の奥で、何かがわずかに熱を持った。
選択肢なんて、いらなかった。
諦めるか。
足掻いて死ぬか。
――そんな“用意された分岐”したいを。壊せばいいだけだ。
口を開く。
ゆっくりと、音にする。
「……神を、仕様ごと殺す」
少女の目が、わずかに見開かれた。
《名前:未登録》
――その文字が、ほんの一瞬だけ、揺らいだ。
小屋の天井が、きしんだ。
世界のどこかで、なにかが――初めて“気づいた”。




