思い出のスープ
バーゼルが家に歩み入ると年季の入った木の床はギィと小気味よく鳴ったが、それはいつものことなので誰も気にしない。
外はよほど吹雪いていたのか、バーゼルの肩や頭に雪が積もっていた。
手で軽く雪を落とした後、バーゼルは近くの椅子の背に外套を掛けて笑いながらアガスに話しかけた。
「あー、やっぱり満月の日は月神様のお力が強くなるせいか雪が凄いな。めっちゃ寒い。」
「当たり前だろ。ったく、まだ食事は出来てないから暖炉にでも当たって身体温めていろよ。」
「おー、ありがと。」
バーゼルはいそいそと家に二脚しかない椅子の一脚を暖炉の前まで持って行ったあと座り、肩を丸めながら炎に手をかざしていた。
そしてアガスは、今日捕まえたキツネを使ってスープを作り始めた。
このスープは、父と初めての狩りに行ったとき教えてくれた思い出のスープだ。
最初に鍋で肝を使ったタレを作り、次に肉に焼き目が付くまで焼いて、保存していた野菜を鍋の中に入れてあと水を注ぎ入れて、味を整えたら完成するものだ。
最後にバーゼルを呼んで味見をさせて、感想を聞くと笑顔で親指を立てていた。
どういう意味のポーズ分からず聞くと、最近街で流行っているもので、"とても良い"という意味らしい。
流行には疎くならざるを得ない立場だが、バーゼルを真似ながらやってみるとなんだか面白く2人して大笑いしてしまった。
父が亡くなってからの3年間、バーゼルは3日と開けず会いに来てくれている。
父を恋しく思わない日はなかったが、バーゼルのおかげで心の傷は少しずつ癒えていった。
そして、もはや定番となったバーゼルのと向かい合っての食事は非常に楽しく、食事中の会話は日常の取り止めのない話から村で起きた大小様々な事件など多岐に渡り、族長より村との関わりを厳しく制限されているアガスにとっては村の近況を知る数少ない機会でもあった。
しかし、このような満月の日に温かい食事を2人で囲んでいるとふとした瞬間に過去の情景が思い出されることもあった…
アガスは五柱いる神々の中の一柱である月神を祀るシーラの一族の子供だった。
それも村の中では族長の次に力を持つとされる司祭のニースィヤと、村一番の狩人と名高いギスパの間に授かった子供だったこともあり、村の誰もがアガスの誕生を心待ちにしていた。
しかし、実際に生まれたのはシーラの特徴である白髪も緑眼も何一つ持っていない赤子。
シーラが崇め奉る月神の憎き敵、狂った神である"太陽神"の特徴である黒髪橙眼を持った子供が生まれてしまったのだ。
そして悪いことは重なるもので、産後の肥立が悪かったためかニースィヤは、アガスを産んで3日後に静かに息を引き取った。
一族の中でも最も慕われていたと言っても過言では無いニースィヤが命を落としたこと、憎き太陽神の特徴を持って生まれてしまったことが重なったことにより忌み子の烙印を押されてしまったアガス。
そのアガスを守る為に、父ギスパはアガスを連れて一族が暮らす雪山の頂きを降りてその雪山の麓に家を建て、生きていく上で必要なすべての術を教え育てることに決めた。
シーラの一族は半人前の子供に権利はなく、親の付属物という扱いとなる。
そのため、半人前の子供は霊山である一族の暮らす山で狩猟の道具の携帯を許されていない。
弓と短剣にのみ施すことができる装飾は一人前のものにしか許されていない。
そのため、半人前の子供が狩猟の腕を磨こうと思ったら一人前の"狼"になってから5年は経過しているベテランとともに粗悪品の弓を携えて狩りに出なければならないのだ。
一人前と認められるには10歳のときのみ受けることのできる憑獣の儀と呼ばれる試練を受けることによって個人として認められるようになる。
そしてその憑獣の儀にアガスを送り出し見事に狼となって帰ってきた一ヶ月後、父ギスパは母ニースィヤの後を追うように穏やかに息を引き取った。