高齢領主との結婚から逃げたい田舎の聖女ですが、都から来た美貌の青年と出会ったおかげで未来が開けそうです。
先立つ不孝をお許しください
ふらついていた青白い顔の娘が、目の前で倒れる。
彼女のポケットから落ちた紙片。そこに書かれた文言を見た男は瞠目した。
◇
「うん。文字は合っているけれど、的確な文面とは言えないね」
「ほうれふか?」
くちいっぱいにハムを頬張ったままでレオナが首を傾げると、目前の青年は穏やかな笑みを浮かべ、机上のコップを指さした。
注がれた水で、くちのなかの食べ物を喉の奥へ押し流してから、再度問い返す。
「そうですか? 具体的にどのあたりが」
「えーと、先立つ不孝っていう書き出しは、自害するときに使われがちだが」
「死ぬつもりはありませんね」
「うん、だと思った」
だったら、こんなに食べないよね。
そんな言葉をくちにしない青年は、なかなか良い気質だとレオナは感じた。
エドアルドと名乗った男は、十八歳のレオナよりもおそらく年上だろうか。
顔はいい、性格もいい、そしてたぶん金持ちだ。
でなければ、見知らぬ娘にご飯を奢ってくれたりはしないだろうし、そのついでに持っていた手紙の添削をしてくれたりもしないだろう。
顔色が悪いのは空腹だからだと知ると、近くの店に誘ってくれた。
オープンテラスの軽食屋でカップを傾ける姿は上品で、ここは王都だっただろうかと勘違いをしたくなるが、テーブルに広げているのはレオナが書いた『夜逃げ用の書き置き』である。場違いにもほどがあった。
場違いといえばエドアルド青年も浮いている。彼は美青年すぎるのだ。
白粉を叩いたかのような白い肌。紅を乗せれば花街のナンバーワンになれそうな艶っぽい唇。憂いを帯びた眼差しは、女であるレオナでも息を飲む麗しさである。
そんなひとが、オープンテラスに座っているのだ。陽光にアッシュブロンドの長い髪をきらめかせる姿に道行く娘たちの目が集まり、そのあとこちらに向く視線が痛い。
赤錆色のくせ毛髪のレオナは穴があったら入りたい気分でいっぱいだった。
穴を掘るのは慣れている。畑仕事は日常だ。
「では、夜逃げにふさわしい文面はいかがなものでしょうか」
「手紙を残すことは前提なんだね」
「だって心配ですもの。相手はあの領主、ゲイリー・ラッセルですからね。教会にはお世話になりましたから、私自身の意思で出奔した証拠がいるのです」
レオナは明日、結婚することになっているが、それは意に添わないものだった。
相手はこの地方を治めるラッセル卿。教会前に捨てられていたらしい身元不詳のレオナにとって、高位貴族との婚姻は降って湧いたような幸運だろう。
だが、相手はおっさんなのだ。おっさんどころか、自分のおじいさんともいえる年齢なのだ。自分より年上の孫が何人もいる相手に嫁ぐことを喜ぶ女子は絶対にいない。たとえ生い先短い老人の後妻におさまって、遺産がガッポリ入ってくるとしても、だ。
加えてあくどいことでも有名だった。
都から遠い地方は王族の目が届きにくい。それをいいことに私欲に走る領主が多いが、ラッセル卿もそのひとり。
彼が領主の任について、かれこれ四十年以上。世代交代を許さずやりたい放題で、領民たちは「はやく誰か下克上しろよ」とラッセル家の親族たちにイライラしている。領主一家の評判など地に落ちて久しい。悪辣領主を野放しにしている王室の権威にいたっては、ゴミ以下だ。
「ゴミ以下とは恐れいった」
「だってゴミのほうがマシですよ。燃やせば燃料へ転換できますし、生ごみは堆肥にすることが可能ですから」
「なるほど。王室の問題はさておき、悪評高い高齢の男が若い女性を妻に望む理由は、貴女が聖女のちからを宿しているから、かな?」
「でしょうね。どこで知ったんだがわかりませんが、いい迷惑です。私のちからなんてちっぽけですよ。すっごく中途半端。癒しのちからは弱いですし」
赤錆色の髪を指でくるくるいじりながら、深緑と藍、色違いの瞳を伏せる。
手をかざしただけで怪我を治してしまう治癒能力を持った者を、この国では聖女と呼んで崇めている。かつて大きな戦があった際に活躍した英雄が命にかかわる怪我をし、その傷を癒して救った女性を聖女と称したのが始まりだとか。
空の青、大地の緑、命の炎たる赤。
みっつの色を宿した者は、最上の聖女たる資格を持つことが知られているが、どの色も暗く濁っているレオナは「あー、そういえば一応三色だね」と慰められる程度の、かろうじて聖女っぽいだけの田舎娘だった。普段は教会の診療所で看護師の真似事をしていて、有名でもなんでもない。
「王侯貴族にとって、聖女は財産だからね」
「金を産むガチョウってことですか」
「……うーん、そういう側面もあるにはあるだろう。だけど、良識ある貴族は聖女を大事に保護するよ。国にとっても大切な存在だから」
知ってる。保護っていうのは、鉄格子の中だったり、地下だったり、出入り口がひとつしかない高い塔だったりするのだ。
「ええ、監禁ですね」
「いまなにか違う単語が聞こえた気がしたけど」
「気のせいです」
ゆで卵が挟まったパンをかじって告げる。まろやかなソースが絡まって舌が嬉しい。こんな美味しいもの、久しぶりに食べた。ああ素敵。これを最期の晩餐にしよう。
涙を滲ませるレオナに青年。
「こんな軽食を最後の晩餐にしてほしくないんだけど」
「なに言ってるんですか。私ひとりでこんなの食べたことが知られたら、みんなに恨まれます」
「みんなっていうのは、この手紙に出ていた子たちかな」
「そうです。教会で暮らす家族です」
ルンビーニ孤児院。教会に併設されているそこが、レオナの家だ。
母親がわりのシスター・アイラと、父親がわりの医者・モーリスを中心に、いまは子どもが十人ほど。レオナは最年長として皆の代表となって働いているのだが、それが発端だったともいえた。
領主の客人に急患が出て、モーリスが往診した。彼はかつて王都で開業していたことがあるらしい。
いったいなにをやらかして地方へ飛ばされたのか知らないが、腕は立つため、貴族街への立ち入りも許可されている。
買い出しついでに手伝いに出たレオナの姿を見た領主館の誰かが、「あの子は聖女の色を持っているのでは?」と言い、それがまわりまわって領主の耳に入ったようなのだ。
なにをいまさら、という話だが、領主らが住む貴族街にレオナが足を踏み入れることはなかったし、彼らが孤児院を訪れることもないため、顔を合わす機会が皆無だったのだから仕方がない。
領主はラッセルの家に聖女の血を入れたいと考えて、レオナに求婚したというわけだ。
「年を考えろって話ですよ。求婚なんていりません。メルリの球根なら欲しいですけど」
発芽すれば葉は煎じて薬になるし、花びらは香り袋。ついでに茎と根は食卓に並ぶ。なにひとつ無駄にならない万能の植物。ああ素晴らしい。
「それは素敵だね。ところでデザートはどうだい?」
「それは素敵ですね」
エドアルドはさりげなく手を挙げる。すると、すかさず女性店員が飛んできて注文を受けた。応答する声がワントーン高い。片田舎では見かけない美青年だ。気持ちはわからないでもない。
夜逃げの手段を探るために町中へ出て知ったが、都から王家のひとがやってくる予定があるのだとか。
重い腰をあげ、領主の所業についてようやく調査する気になったのか。この付近を管轄している第二王子が来る――かもしれないという。
第二王子は病弱らしく、日陰の王子と呼ばれて久しい。表舞台に姿を現さないことで有名なので、本当に来るかどうかはわからない。
だが、もしもやってくるのだとしたら、貴重な機会。ただでさえ王族の姿を目にすることのない地方の民にしてみれば、それが本当かどうかなんてどうでもいいのだ。都から王家の使者が来るというだけで、お祭りである。
おかげで近隣の町からも観光客が訪れているようで賑わいをみせており、若い娘にとっては外から来る男性は『脱田舎』の獲物。あきらかに外部の人間であるエドアルドは、さっさと唾をつけておかないと手が届かなくなるのは目に見えている。
(ほんと、優雅だなあ、このひと)
冷めてしまった紅茶を飲みながら、レオナは相手を観察する。値踏みするような視線を受け、男は苦笑いを浮かべた。
「勝手に頼んでしまって悪かったね」
「いえ、甘ければなんでもいけます」
「評判のメニューらしいから、美味しいはずだよ」
「よくご存じですね。だってエドアルドさん、王都の方ですよね」
「……どうしてそう思うんだい?」
「言葉に訛りがないもの。お役人が使うような綺麗な発音だし」
教会を調査するために、都から役人が来る。エドアルドの言葉は彼らのそれにとても近い、標準的な美しい発音だ。
大体にして、まとう空気が違う。着ている服は全体の印象を簡素に見せるデザインだが、袖口を飾るカフスボタンは王都の役人たちが付けていたものによく似ているうえ、輝きが段違い。きっと上物に違いない。
――レオナ姉、こいつはいいカモだぜ。
脳内では、孤児院でもっとも頭がきれるニックがニヒルに笑うが、レオナは自分を戒める。さすがにそんな失礼なことはできないだろう。この気持ちは、ご飯を奢ってもらったからではない。決してない。
果物がたくさん載ったタルトレットを堪能しているあいだ、エドアルドはレオナが書いた手紙を取り上げる。
改めてはじめから読んでいるらしい。長い指がはらりと紙をめくっていく。
「長くてすみません」
「うん、まずそこだよね」
言いながらも指は紙をめくっていき、不揃いの紙束が一巡。ちいさく息を吐いたあと、エドアルドはレオナに向き直る。
澄んだ青空のような碧眼に見つめられると胸が騒いだが、形のよい唇から零れた言葉は辛辣だった。
「要点を絞ろう。長いとたぶん途中で読んでくれなくなる。出だしの言葉はさっきも言ったけど、まるで今から死ぬみたいだからやめたほうがいいね。どうしてこの言葉を選んだのか甚だ疑問だ。まあ、それだけ悲観しているという雰囲気は出ているから、悪いとも言いきれないのだけど。しかし次が問題だ。不幸を嘆いていたはずなのに、子どもたちへの言葉が始まる。ああ、それも駄目なわけじゃないんだよ。贈る言葉、おおいに結構だ。ただ内容に気をつけよう」
「でも、大事なことなんです」
「ニワトリが?」
「ええ、ニワトリが」
エドアルドが指さした箇所には、こうあった。
トニー。ニワトリ小屋の管理をお願いします。あなたが最年長になるのだから、しっかりね。コッコの機嫌を損ねては駄目。あなたは女帝に気に入られているから平気だと思って託すのよ。
「教会は町外れにあるから、食料品の買い出しも大変なんです。基本的な野菜は庭で育てています。新鮮な卵を産むニワトリはライフラインですよ」
「まあ、そうかもしれないね。それで、女帝というのは」
「コッコです。うちのニワトリたちの女王です。彼女が駄目になると、すべてのニワトリが死滅します」
「死滅」
「コッコは男には甘いからトニーに託すんです。私はへりくだってへりくだって、なんとか認めてもらってました。ちなみに前任も男でした。あのときほど、トレイク兄を恨んだことはありません。まあ、最年長が私だったので仕方ないんですが」
卵の管理は最年長者の仕事だが、男に託すようにすればいいのではないかと思っている。
そのあたりは、孤児院の将来について語っている箇所に記してある。ざっと数えて六枚ほどあとにはなるが。
九人の弟妹たちへの言葉、親代わりのふたりへの感謝の言葉、教会と孤児院に対する思い出と憂いと願いと要望と――
「うん、嘆願書かと思ったよ。このまま城の文官に見せたくなった」
「ありがとうございます!」
都から来た役人(推定)に褒められたことで、レオナのこころは明るくなった。
ジジイの後妻になるつもりはないので逃げるつもりで、早めに逃げても追っ手がつきそうなのでギリギリまでこうして待っていた。
逃げたあとのことは考えておらず、なけなしの「聖女っぽい能力」で食いつないでいこうかと考えていたが、他にできることがあるかもしれない。だって褒められたし。
「あの、ものは相談なんですが」
「なにかな」
「エドアルドさんはお城付の役人のなかでも、部下をお持ちの方だと思われます」
「まあ、たしかに城で仕事はしていて部下もいるけど、それが?」
「私を買ってくれませんか」
「……キミ、領主のところじゃなければどこでもいいって、自棄になっていないかい?」
いきなりの身売り宣言に、エドアルドの顔には憐憫が浮かんだ。レオナはあわてて否定する。
「ちがいますちがいます、自分を売り込んでいるだけです。いや売り込むっていっても、春を売る系のやつじゃなくって、労働力としての話で」
「それはそれでたくましいね」
「自分で言うのもなんですが、わりとなんでもできるほうだと思うんですよ。孤児院育ちなので子どものあしらいは慣れてますし、看護師として仕事をしていたので、医療の現場にも慣れています。教会暮らしなのでそっちの事情にも明るいですし、裏も表も知っています。聖職者が意外とただれた生活を送っていることとか」
「うん、それは内緒にしておこうか」
「わかってます。そういう内情を知っていてくちをつぐんでおく分別があるということです。あ、市場で店番を手伝ってお駄賃をいただいたりしたので、客商売的な仕事にも長けてますよ。酔っ払いの相手もしたことありますし、鼻っ柱の強い都の役人たちのヨイショだってできます」
拳を握ってレオナはアピールを続ける。
子どものお手伝いから始まり、彼女の職歴はたしかに多岐に渡っている。
だが、エドアルドを『城付きの高位役人』と断じているわりに、「役人って偉そうだけど、うまいこと持ち上げてやればたいしたことないんですよ」と笑っているのはいかがなものか。
わたしの短所は字があんまり上手じゃないところかなあとレオナは苦笑したが、一番の問題点は話が長いところではないかとエドアルドは思った。
しかし彼は沈黙を選んだ。
彼女の持つ明るさは、美点でもあると感じたからだ。
「売り込むのが労働力とは。キミは聖女だろう? そのちからを売り文句にしないのかい?」
「でも、都の聖女さまってもっと優秀なんでしょう? 貴族の方が専属で雇ったりするんですよね」
病気を治すのは医者だが、外傷ならば聖女の癒しで事足りる。そのため国営騎士団には聖女が専属で常駐しているらしい。
高位貴族であれば私設の騎士隊を有しており、彼らのために聖女をひとり雇うこともあるというが、国が管理しているわけではないので、待遇は家によって違う。レオナのように、弱小聖女が赴いたところで、薄給で使い倒されるのがオチだろう。絞るだけ絞りとられてポイだ。
図書館で借りた少女向け小説にもそんな話があった。
あの物語では王子さまが手を差し伸べてくれたし、主人公はじつはさる公爵のご落胤であることがわかり、求婚されてハッピーエンドだったが、現実は甘くない。
「どうもキミは物事を悲観的に捉えがちだね。それでいて向こう見ずに飛び出そうとしている。不思議だ」
「そうでしょうか? 身のほどをわきまえ、自分にできる精一杯をやればいいと思っているだけですよ。それに、どうせわたしはそのうち教会を出なければいけない身ですし」
「どうして?」
「わたし十八歳なんですよ。外で働くには遅いぐらい。女だから大目に見てもらっていただけで、本当はもっと早く自立しなくちゃいけなかったんです」
赤錆色の髪はともかくとして、不揃いな色の瞳は良くも悪くも目を引く。レオナが捨てられたのはそのせいだと思うし、子どものころは孤立もした。
育ての親はシスターと医者という職種のため聖女を知っていたけれど、一般人にしてみれば遠い存在。領主のように身分が上の者でないかぎり、レオナはどこまでも『風変りな姿をした子』で、だからこそ医者が管理していると思われている。
レオナのせいで、教会で暮らす子どもたちが虐げられるようなことがあってはならない。
いい機会だったのだ。
このままズルズルと教会に居座って、みんなが独り立ちするのを見送る高齢オババになるまえに、聖女を知らないこんな田舎とはさよならグッバイ。新天地で普通の生活を送る。
それがレオナの目指す未来。
「できればお給金はいただきたいですけどね。教会に仕送りはしたいですし」
「領主がキミを探すのなら、送金履歴から身元が知られると思うけど」
「えー、でもそこまでして手に入れたいほど、わたしに価値なんてありますかね?」
不審そうな顔をしながらも、食べる手は止まらない。
テーブルに並んだ軽食をパクパクと平らげていく姿は、無作法すぎると高位貴族の令息らは顔をしかめることだろう。淑女ならば、小鳥がついばむように食べる姿が良しとされる世の中だ。
けれどエドアルドは、レオナの健啖ぶりが気持ちよいと感じた。
「美味しいかい?」
「とーっても」
「だろうね。思わずこちらも食べたくなるぐらいだ」
「え。――た、食べま、すか?」
瞬間、顔が強張り、ものすごーく嫌そうな顔をして告げてくるレオナに、エドアルドの顔が崩れる。
笑いをこらえてレオナに言葉を返した。
「食べないよ。このテーブルに置いてあるものはキミのものだ。遠慮しなくていい。存分に食べたまえ」
「ありがとうございます! あー、テイクアウトしたいなあ。みんなにお腹いっぱい食べさせてあげたい」
「なら持ち帰るかい? 頼めば包んでくれると思うけど」
「さすがにそこまでしていただくわけにはいきませんので」
名残惜しそうにしながらもレオナは断った。エドアルドもそれ以上押しつけることもなく、話題を手紙へ戻す。
字が下手だとレオナは言ったけれど、さほど悪くはない。平民と貴族を区別するわけではないが、教育の場が提供される率は、どうしたって貴族に軍配があがるのは仕方がないだろう。
そのなかにあって、レオナの字は丁寧だし、読みやすい。『教本どおりの字』といえばいいだろうか。おかしな癖がなく、誰にとってもわかりやすいのだ。
貴族は幼少期に、各家のお抱え教師に師事することが多いため、学び舎へ入学するころには自己流の字が確立している。癖を消すのは難しい。
裏を返せば『字を見ればどこの誰か推測がつく』ということでもある。
読み書きが不得手な者だけではなく、癖を厭うて代筆を頼む貴族は、ひそかにいるのだ。書き心地の悪そうな紙に、これだけの情報を書き記すことができるレオナなら、そういった方面での仕事もできることだろう。
「治癒のちからが弱かったとしても、付加価値をつけることで自分をあげることはできると思うよ」
「なるほど、騎士団では事務方も兼務するということですか」
「雑務が苦手な男は多いからね」
「ちなみに、騎士団の聖女に空席があるか、ご存じないですか?」
のめり込んで問うてくるレオナに、エドアルドは視線を上にあげて、しばし考える。
「国が管理する騎士団は、王族警護を主とする近衛と、あとは東西南北、各地方に配置している騎士団があるんだけど、それぞれ聖女が在籍しているね。三人だったかな」
「さ、さんにんも!」
「ひとりに負担を強いるわけにもいかないし、そのひとりが倒れたときに困るからね。大きな組織になると複数置くのが通例だ」
「うう、そんなエキスパート揃いのところに行っても、わたしなんてせいぜい包帯巻き要員じゃないですかあ」
嘆くレオナにエドアルドが続ける。
「もうひとつ、聖女に働きぐちがあるんだけど」
「なんですか」
「王城で仕事をするひとの補佐をする役だよ」
「でも、そういうのは文官さんがやるのでは?」
「誰を雇うのかは、ひとそれぞれ。とくに決まりはないよ。ちなみにその補佐には空きがあるんだけど、どうかな」
茶目っ気にウインクを寄越すエドアルド。
その色気と素敵さと同時に、突如降ってきた意外な就職先に対する衝撃とで、いろんな意味で心臓を高鳴らせたレオナ。
ごくりと唾を飲みこんで「よろしくお願いします」とエドアルドに宣言。「もうちょっと考えて返事したほうがよくない?」と苦笑しながら、エドアルドはレオナに手を差し伸べて握手を交わしたのだった。
◇
「おかえり、レオナ姉。どうだった?」
「ど、どうって?」
教会に戻った途端にかけられた声に、レオナは思わずどきりとした。
弟妹たちには出奔することを告げていないのに、逃亡順路の下見に行ったことがバレたのかと冷や汗が流れる。
集まってきた子どもたちは、口々に声をあげた。
「都から王子さまが来るんでしょ?」
「町のようす、どうだった?」
「あたしもおまつり、いきたーい」
ああ、そういう。
胸を撫でおろしつつ質問に答えを返す。
たしかにすごい賑わいだったこと。王子さまみたいに素敵なひとには会ったけれど、夜逃げにかかわる事項なので、これは内緒だ。
昼を過ぎ、そろそろ日が翳り始める時間帯。子どもたちを促して、洗濯物を取り込みに走らせる。
よーいドン。
いちばん綺麗に畳んだひとには、夕食のおかずが一品多く贈呈されるため、みんな駆け足だ。
そんななか唯一この場に残った少年がひとり。レオナ無きあとに最年長者となる予定のトニーは、ひたとレオナを見据えた。
しっかり者のトニーには、いつだってすべてを見透かされているような気がする。だが、おとなたちがなにかを隠しているのであれば、それは故あってのことだろうと判断してくちにしない少年だ。
しかし今日ばかりはようすが違っていた。
彼にしてはめずらしく、レオナを心配そうに見て、腕を引く。
「あのさ、レオナ姉」
「どうしたのトニー」
「オレもさ、シスター・アイラと一緒にさっきまで町に出てたんだ」
「え……?」
まさか、レオナがエドアルドと出会って、お腹いっぱい食べたことを知られているということなのか?
やっぱりお土産に包んでもらばよかったか、食の恨みはとてもおそろしいのだ。
焦るレオナにトニーは言う。
「ゲイリー・ラッセルのお屋敷で、あした、なにかが起こるって噂してた。しかも、あんまり楽しくなさそうなこと」
「どうしてそんなことがわかるのよ」
「あのお屋敷だよ? くちの軽い使用人が愚痴吐きがてら、しゃべっていったらしいんだ。まだ若いのにかわいそうになあって言ってたって」
さっきとは別の意味で冷や汗が出る。
それはつまり『若いのに悪評高いジジイに嫁がされる娘』に対する憐憫なのでは?
かの屋敷では、いったいどんな目にあわされるのだろう。これはやはり逃げなければ。
決意を固めていると、トニーはさらに言った。
「あしたまで待たず、今日のうちに連れて行くっていうんだ。このあと、|孤児院に行くって、そう言ってた。シスターに言われてオレだけ先に帰ってきたんだ。ねえ、レオナ姉、それって――」
ドンドン。
すべてを言い終えるまえに扉が叩かれた。青ざめるトニーを背に隠し、レオナは音の方向に向き合う。
さすが悪党、考えることが一般人とは違う。
約束を守る気はなく、期限の一歩手前で連行し、『家族で過ごす最後のひととき』を奪うことで、こころをへし折るのだ。
「トニー、先生を呼んできて」
「わ、わかった」
パタパタと走り去る音が遠ざかったのを確認し、レオナは肩で息をつく。
さて、どうしよう。このまますんなり連行されるのは癪にさわる。なにかしら反撃しておきたいが、それが原因でここに迷惑がかかっては本末転倒。
もういちどノック音が響く。
焦らせるだけ焦らしてやろうかと思ったが、蹴破られてはかなわない。修繕にもお金がかかるのだ。
覚悟を決めて扉を開くと、そこに立っていたのはエドアルドだった。
「やあ、さっきぶりだね」
「どうしてここへ?」
「早く伝えてあげようかなと思ったんだ。キミが毛嫌いしているラッセル卿の失脚についてさ」
「なんですって?」
トニーが言っていたことと食い違いがある。別人の話をしているのではないだろうか。
「それは本当にゲイリー・ラッセルの話ですか? 失脚って、なんで急にそんなことに」
「だってほら、キミは本当なら王都へ行くより、ここで暮らしたいんだろう? 顔にそう書いてあったよ」
「ですが、それは無理なので」
「うん。だからその憂いをさっさと払っておこうかなって。明日まで待つこともないだろう。どうせ領主の座から引きずり落とすつもりだったし」
「うん? あなた、そんな高位のお役人さんだったんですか?」
「きちんと名乗っていなかったよね。僕は――」
「殿下! エドアルド殿下ではありませんか。お懐かしい、お元気であらせられますか?」
背後から響いたモーリスの声に、レオナは腰を抜かして座り込んだ。
◇
第二王子、グレイ・エドアルド・パウロ・ヘイダル・ロスアン。
やたらたくさん名前がくっついている理由は、彼が病弱だったせいらしい。死神に連れていかせないように、どれが本当の名か分からないようにしたことが経緯である。
「それが功を奏したのかどうかわからないけど、おかげでこうして生きている。二十歳まで生きられるかって言われてたけど、先日無事に宣告年齢を超えたよ」
「それはようございました。して、治癒の護符はまだ持っておられるので?」
「うん。手放してなにかあると周囲の者が心配するからね。一応、身につけているんだけど、誰が護符にちからを込めるのか問題にもなってきていて。いまはもっぱら、現役を引退した年配の聖女に持ち回りでお願いしているところだよ」
レオナの前で言葉の応酬を繰り返しているのは、エドアルドとモーリス。
会話の内容を繋ぎあわせて考えるに、かつて王都で医者をやっていたというモーリスは第二王子の主治医で。その第二王子が、レオナにご飯をおごってくれた麗しの美青年。
さらに第二王子はラッセル卿の悪行について現地確認に来ていて、ばったりレオナと遭遇。人身御供となってしまったレオナが窮状を訴えたため、夜逃げしなくてもいいように、今日のうちにお裁きを下したらしい。
さすがだ。顔のいい男は仕事も早い。
「しかし、どうしてレオナのことを」
「事前に町を見てまわっていたとき偶然ね。青白い顔で倒れたものだから心配になってさ。子どものころ、周囲に心配をかけたことをしみじみ実感した瞬間だった」
「レオナ、具合が悪いのか?」
モーリスに問われ、レオナは視線をそらせた。
言えない。お腹が空いてふらついたなんて、とても言えない。
「大丈夫だろう。たくさん食べて元気になったようだ」
「――レオナ。おまえは」
「えー、レオナ姉だけずるーい」
モーリスの呆れ声に重なるように、子どもたちが飛び込んできた。扉の外で聞き耳を立てていたらしい。
「彼女を責めないでやってくれ。心痛で食欲が後退していたのだろうしね」
「しんつうってなに?」
「レオナ姉、びょうきなの?」
「やだやだ、あたしのごはんあげるから、レオナ姉げんきになって」
半泣きで寄ってくる幼い弟妹たちに、レオナは胸が熱くなる。
ラッセル卿が領主の座を下りたからには、レオナの嫁入りも白紙に戻っているはず。もう逃げなくてもよくなったのだ。
独り立ちするにしても、もっと近い場所を探そう。
休日にはご飯を持って訪ねてこられるぐらいの距離がいい。
「あのエドアルドさ――いえ、殿下」
「エドでいいよ」
「そこまで図々しくはないです。知らなかったとはいえ、とんだご無礼を。無礼ついでに、さきほどお話ししていたわたしの就職先についてなんですが」
「ああ、その話。ちょうどそれをしようと思って訪ねてきたんだ」
「どういうことだいレオナ?」
モーリスの問いかけにレオナはかいつまんで答える。
小さな子どもたちがいるので、高齢ジジイに手籠めにされかけた話は濁して、嫌われ者の領主にこき使われそうになったので、しばらく身を隠そうとしていたことにして。
「そうしたらエドアルドさんが、お城で高位貴族のお抱え聖女として働けるくちがあるって。でも、もうここから出なくてもよくなったし、できればもっと近くにツテがないかしらって、思って……」
言いながら図々しさに気づいたが、すでにくちに出してしまっている。おずおずと相手を見ると、エドアルドは艶やかな笑みを浮かべて言った。
「キミはもともと領主館へ赴く予定だった。ならば、それをそのまま活かせばいいんじゃないかな。新しい領主のお抱え聖女だよ」
「領主さま? ラッセルの誰かが後釜に収まるんですか? 誰も歓迎しないと思うんですけど」
「それはないよ、権利を取り上げたから」
「では都から派遣されてくるんですね。どなたですか?」
「僕」
「え?」
「第二王子が管理することになった。だから僕が領主になる。虐げられていたぶん領民の信頼を得るには時間もかかるだろうし、民の声も聞きたい。ここにいるみんなにも手伝いをしてほしいと思っているんだ」
エドアルドはそう言って、集まっていた子どもたちを見まわした。
発育不良なのか頬はこけ、一様に背も低い。けれど瞳は濁っておらず、こころは腐っていないのだと知れる。レオナを中心に、みな明るい性質を持っているのだろう。
「それって正式な仕事になるのか? 当然、賃金は発生するんだよな」
「こらニック! 思ってても、そういうことは直接言わないの!」
「だってレオナ姉、王子って言ってたじゃん。あるとこからはちゃんともらわねーと、もったいねえよ」
「だからって、あんたって子は」
少年とレオナのやり取りに、エドアルドは声を出して笑った。腹がよじれるほどに笑うなんて、はじめてだ。笑いすぎてお腹が痛くなって撫でていると、蒼白になったモーリスが隣に座った。
「殿下。ご無理は禁物ですぞ」
「平気だよモーリス。おまえが知っていたころより、僕はずっと丈夫にはなっているんだよ」
「ならばよいのですが。しかし、レオナのことは本気ですか? お抱え聖女というのは」
「おまえだって知ってるだろう? 都における聖女事情。レオナは、なんていうか、貴族の悪意に気づかなそうだし、面倒なやつに捕まるまえに僕が雇うかたちにしたほうがいいかなって」
貴族の私設騎士隊に聖女をつけるのは、資金に余裕のある一部の貴族だけ。それとて、国に対して届出が必須ではないため、ひそかに隠し持っている可能性はある。
そういった場合は、あまり表には出せない使い方をしていることが多く、可哀そうな結果になった例も少なくない。こと地方の邸宅に警備を兼ねて騎士隊を抱える領主には監視の目が行き届きにくく、国が知らぬあいだに聖女を抱え込み、私欲のために使い倒しがちだった。
モーリスが、十八歳になってもレオナを手元に置いていた理由は、おそらくそのあたりにある。
医師を志して実家を離れた公爵家の係累であるモーリスは、貴族の事情に詳しいはずだから。
「しかし、ですな」
「癒しのちからを護符に込める役目を、お抱え聖女に頼む。雇うに足る理由だと思うよ」
王子に恩を売りたい貴族たちが、聖女である娘たちを送り込んできたり。あるいは聖女たちが「私が王子の専属になっていずれは伴侶に」と野心を持って売り込んできたりするのにも辟易だ。
王族の婚姻は貴族のパワーバランスにも影響する。
争いの種になるようなことは避けるため、特定の聖女を近くに置くのはやめていた。
「でも、レオナならいいかなって思ったんだよ、モーリス」
「さようですか」
「急ぐつもりはないよ。レオナの気持ちもきちんと考慮するし、断られたからって無理強いして囲い込むようなことはしないからさ」
子どもたちを相手に諭したり、抱きつかれて笑ったりしているレオナを見ていると、エドアルドは胸の奥からなにかあたたかいものが湧いてくるような気持ちになってくる。
あの子たちがうらやましい。
病弱で、腫れ物に触るように遠巻きにされた幼少期、自分の近くにレオナがいたら、きっと楽しかったと思うのだ。
「さて。僕の就任に対する前祝いってことで、パーティーをしようじゃないか。さっき町で食事の配達を頼んできたんだ。レオナから人数は聞いていたから多目に頼んであるけど、足りなかったら言ってくれ」
「やったー、ごちそうだー」
「いっぱいたべていいの?」
一番年下らしい女の子にあどけない顔で問われたエドアルドは、小さな頭にそっと手を置いて微笑む。
「勿論だ。お腹をこわさないように気をつけてくれ」
「えへへー」
「そんなこと言ったら、みんなバカスカ食べますよ。男の子たちは食欲魔人ですからね」
ひょっこり顔を出したレオナがそう言うけれど、彼女だってじゅうぶんに食欲魔人だろう。自分のことは棚にあげて嘯くレオナの頭にもそっと手をやって、エドアルドは言ってやる。
「食い気が勝っているのはいいことだよ、健康で。大人になると、男はべつのものも食べたくなるものだし」
「はあ?」
「殿下。そういった冗談を言えるほど成長されたことは喜ばしいですが、子どもたちの前ですぞ」
「ああ、失敬」
モーリスの苦言で、エドアルドの言葉について悟ったのか、レオナの顔が赤くなる。
エドアルドは子どもたちに聞こえないよう、彼女の耳もとでそっと囁いた。
エドアルドがレオナになにを言ったのかは、お好みでどうぞ。
なお当作品における聖女の設定は、既存作の「強面兵団長と、癒しのハーブティー」と同一のものです。
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