きれいなバラにはトゲがある
フリージア、デイジー、マルグリットの『仲良し3人組』がこうして顔を合わせるのは、寄宿学校を出てからはじめてのことだった。
デイジーはかねてからの約束どおり、政略結婚で十も年上の相手のもとへ嫁ぎ、いまは伯爵夫人としてお屋敷を切り盛りしている。心なしか、少し大人っぽくなったみたい。結婚するって、妻になるって、うら若い乙女を女に変える魔法みたいなものなのかしら。
一方で、独身のマルグリットはいまでも独学で勉強を続けていて、女性の社会進出を求め日々精力的に活動している。フリージアも時々その活動に参加させてもらうことがあるけれど、彼女の熱意にはかなわないとさえ思う。さすがは寄宿学校を首席で卒業した実力の持ち主だ。
「家柄が低いから、学を上げるしかないのよ」と彼女は言うけれど……。
「ところで、フリージアはどうなの?ものすごいパパっ子のあなたのことだから、きっとお父さまを置いて嫁に行くなんて考えてもいないのでしょうけれど、これからのこともちゃんと考えているのよね」
もちろん、いますぐ結婚しようなんて思ってはいない。嫁に行くために、フィオーレの家を出ることも考えられない。
でも気になる人はいる。
腹の立つこともあるけれど、基本的には紳士で、仕草も立ち居振る舞いも洗練されていて、何より頭がいい。センスも良くてウィットにも富んでいる。顔立ちだって悪くないし、一緒にいて心地がいいと思える男だった。
フリージアの話を聞いたマルグリットは、不安そうに眉をひそめた。
「でも、フリージアは家を継ぐのでしょ?だったら、相手の殿方にはフィオーレの家に婿に入ってもらう必要がある。彼が次男か三男だったらいいけれど、もし長男だとしたら、彼は自分の家を継がなくてはならないのよ。それは確認したの?」
確認……しているわけがない。
レイとおしゃべりするのが楽しくて、彼のいろんなことが知りたくて、次はどんな話をしようか考えるのに夢中で、すっかり忘れていた。
「忘れちゃだめよ。『きれいなバラにはトゲがある』とよく言うでしょう。美しいものには必ず裏がある。きれいだからって近づいて行ったら、じきに痛い目を見るわよ」
「ええ……わかっているわ」
フリージアだってわかっている。レイに近づきすぎてはいけない。彼女はまだ彼のことを何ひとつ知らないのだから。
だけど。
レイの顔を思い浮かべると、その決意がほんの少し揺らぐのを感じた。
彼がもし長男だったら。婿に入るのではなくて、嫁に来てほしいと言われたら。
「フリージア、あなた、まさかプロポーズされるかもなんて思っているんじゃないでしょうね」
心の内を見透かしたかのような発言に、思わず、ドキリとした。
「勘違いしちゃだめよ。あなたはまだ19歳になったばかりで、社会経験もろくにない小娘なのよ。そんな女を、話に聞いたような『洗練された大人の紳士』が嫁に娶るはずがない。妻に迎えるとしたら、あなたよりもずっと大人で、洗練された本物の淑女でしょうね」
それを聞いてフリージアも考える。確かにマルグリットの言うとおりだ。
『然る伯爵のもとで紳士の修行をしている』というレイはおそらくそれなりに名のある貴族の御子息だろうし、もし長男ならば家を継がなくてはならない。フリージアが彼と結婚するとしたら、彼女がフィオーレ家の家督を継ぐ夢も叶わなくなる、ということだ。
社会経験も、それに恋愛経験だってないフリージアに、レイほどの優れた男性の妻だなんてそう簡単に務まるとは思えなかった。
貴族同士の結婚で、お互いの『好き』だけで婚姻が成立するほど甘い世界じゃないのはわかっているし、だからといって『お互いに愛し合っている』という条件を妥協するつもりはないが、フリージアがレイにふさわしいかと聞かれたら自信がない。
――いまわかった。わたし、レイが好き。このまま結婚してもいいくらいに、彼のことを信用している。
でも。彼がもし長男だったら。
フィオーレ家を出なければならなくなったら。
わたしはそれでも耐えられる?
わたし、この恋をあきらめなくてはいけないの?
※きれいなバラにはトゲがある(Every rose has its thorn.There's no rose without a thorn.)
=美人に裏がある、の意味。英語圏で使われる慣用句。