花のワルツ
美しい女性のことを、人はよく花のようだと形容することがある。
その姉妹もまた『花のよう』というたとえがしっくりくる美しさを持っていた。
姉のフローラは22歳。
妹のフリージアは16歳で、この春から寄宿学校に通っている。今日は久しぶりに長期休暇で家に帰ってきているところだ。
馬車の窓から昔なじみのメイドの姿を見つけたフリージアは、降りるなり、飛びついてきて言った。
「会いたかったわ、リラ。元気だった?」
「ええ、もちろん。お嬢さまも元気そうで」
古参のメイドであるリラは、フリージアの身体をひしと抱きとめると嬉しそうに目を細める。
昔はわたしの腕のなかにすっぽりと収まっていたあの子が、いまではわたしの背を軽く追い越すようにまでなったのか。その成長は、嬉しいようでもあり、少し寂しくも感じられた。
ふと、腕のなかのフリージアが、身体を引いて探るように屋敷のほうを窺い見る。誰を探しているのか?いや聞かなくてもわかる。
「お姉さまですか?お姉さまでしたら……」
「そうよ。あの人、今日は家にいるの」
その言い方には明らかにトゲがあった。リラに問う言葉の端で、できればそうあってほしくない、と言外に告げているような気がした。
リラはそんなフリージアに慰めの目を向けたが、そんなものに効果があるとは思えなかった。
「……ええ。残念ながら」
フリージアの『姉ぎらい』は相当なものだ。
3年前、当時18歳だった姉のフローラが3年間に及ぶ寄宿学校生活から解放されてこの屋敷に戻ってきてから、いや、それよりもずっと前…、フローラが寄宿学校に入ったころから変わっていない。
6つも離れているのだから仕方がないのかもしれないけれど、リラとしては、なまじ姉妹の仲睦まじかった時代を知っているだけに、随分とせつない思いもするのだった。
(お可哀想なフリージアさま。それにフローラさまも気の毒だわ。何がおふたりをこんなふうにさせてしまったのかしら)
フリージアはつまらなそうに目をそらすと、溜息を吐いて言った。
「そう。またいつものように、どこかへふらりと出かけていてくれればよかったのだけど。あの人も間の悪い人ね」
「フリージアさま、そんな言い方はいけませんよ」
リラは堪らずに諫めたが、彼女は聞かなかった。
「だって、本当のことじゃない。帰ってきたと思ったらまたどこかへ出かけてしまって、きっとお勉強もせずに遊び歩いているのだわ。あなたも聞いたことくらいあるでしょう。 “放蕩のフローラ” あの人、街ではそう呼ばれているのよ」
どこからそんな噂を聞いてきたのやら。もう16歳だというのに、存外、子どもっぽい娘である。特に姉のこととなるとムキになるあたりは。
「そういうフリージアお嬢さまは、相変わらず、図書館に入り浸りですか? 今日もここに来る前に寄ってきたのでしょう。その本だって、また新しく借りてきたんですね」
抱えた本に視線をやると、その視線をたどったフリージアがポッと顔を赤らめる。まるでいたずらがバレた子どもみたいだ。
「いえ、責めているわけではないのですよ。ただ、お姉さまとお嬢さまとはまったくタイプの異なる人間ですから。お嬢さまが本がお好きなように、そして賑やかな場所がお嫌いなように、お姉さまの好きなものも異なるということです」
フリージアはそもそも、読書と勉強が好きな物静かな娘だ。対して姉娘のフローラはお転婆で、木登りやかけっこをしてしょっちゅうひざを擦りむいてはメイドの手を焼かせていたっけ。
「でもお姉さまは、あんな悪評を立てられることを、恥ずかしくは思わないのかしら。お姉さまだって、仮にも伯爵の娘よ。それも、この村で一番の古い歴史を持つ領主の家のね」
カルド・フィオーレ、またの名をオルム伯爵というのが、姉妹の父親の名前であった。
フィオーレ家がこの地に屋敷を構えたのは、彼の曽祖父の時代から、つまり姉妹の高祖父の時代のことだ。そんな伝統と歴史ある血を、彼女たちは引いている。
ただ、当代の領主に息子はいない。子どもはフローラとフリージアのふたりだけだ。
そして、この辺りの土地では、古いしきたりを大事にする家であればあるほど『限嗣相続』の決まりを守っている。
跡取りは長男だけ。
長男がいない場合には、遠戚にあたる男子1名のみが当主との養子縁組の末に爵位・土地・屋敷を含む全財産を相続することを許される。
そこに、当家に生まれた女子の介入は許されていなかった。
フリージアはきっとまだ知らないのだ。だからこんな夢想じみたことだって言えてしまう。
「お姉さまがこの家を継ぐと思う? “長女だから” そういう言い訳が通用する人ではないわ。わたしも、お姉さまは『跡取り娘』という役回りには向いてないと思う」
「でしたら、誰がふさわしいと?」
「それは……その」
フリージアはそこまで言って、恥ずかしそうに俯いた。
ややあって顔を上げると、何かを決意したようにきっぱりと言い放つ。
「わたし……、わたしがお父さまの跡を継ぐわ」
『継ぎたい』ではなく『継ぐ』と、はっきりそう言った。
「わたしはお父さまの娘だもの。お父さまがこれまで守ってきたものを、娘のわたしが、次の代まで継いでいきたいの」
「でも、それは……」
「おかしい?おかしいわよね。お姉さまもいるのに、なんでわたしなんだろうって。世間はそう言うと思うわ。でも、お姉さまはあんなだし、頼りになんてなるわけない。わたしが継ぐしかないのよ」
この娘は『限嗣相続』の実情を知らない。知らないがゆえに、大胆なことを言ってのける。
「何も、お嬢さまがそこまでなさることは……」
言いかけてリラは口を閉じた。
思い出したのだ。
フリージアが、昔っから筋金入りのパパっ子だったことを。
まだよちよち歩きだった赤ん坊のころからお父さまの書斎に入り浸り、大好きな父親の膝の上でむずかしい本とにらめっこばかりしていた。そんなフリージアだからこそ『お父さまの跡を継ぐ』という考えに思い至ったのかもしれない。
それに、まだフリージアに可能性がないと決まったわけではない。
確かにこの地域は限嗣相続制が主流だが、必ずしも限嗣相続でなければいけない決まりはない。
旦那さまのオルム伯爵さえ承知していれば、限嗣相続を廃止し、娘たちにその財産を相続させることだってできる。
その上で、フローラがすべての財産相続と爵位の継承権とを破棄したとなれば、妹のフリージアに継承権が回ってくるのも夢ではないのだ。
今のフローラの振る舞いぶりからして、彼女が父親の跡継ぎ問題に興味がないのは明らかだった。
「でも、旦那さまがなんとおっしゃるかしら……」
あれほどに古いしきたりや価値観を大事にする方が、そう簡単に、ご自分の意見を捻じ曲げるとは思えなかった。