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【一般】現代恋愛短編集

もうあんたの顔なんか見たくないのよ! と言われた相手と何故か仲良くなりそう

作者: マノイ

 向井(むかい) (すず)


 小三の時に一度同じクラスになったことがあるだけの彼女と俺は、中学生になる頃には名前を忘れていてもおかしくない程度の関係になるはずだった。

 家が近所でも無く幼馴染でも無く取り立てて仲良くなるきっかけもなく、距離が遠いままに終わってしまった元クラスメイト。

 しかも違う高校に進学したとなれば完全に接点は消滅したと言っても過言ではあるまい。


明登(めいと)くん、こんにちは」

「おう」

「今日も不愛想だねぇ」

「うっせ」


 それなのに某ハンバーガーチェーン店で一人スマホを眺めていたら、何故かこいつに声を掛けられた。


 こうなるまでに至ったきっかけは小学生の頃まで遡る。


(さく)、今日は外食よ」

「やった!」


 俺の家は日曜日になると外食に行くことがそれなりに多かった。


「何処に行くの?」

「いつものファミレスよ」

「わーい、ハンバーグとポテト食べるー!」


 当時はまだ思い出すだけで恥ずかしくなる程にピュアッピュアだった俺は毎回素直に大喜びしていたものだ。

 しかし何の因果か、そこで俺は彼女と出会うことになる。


「こちらのお席にどうぞ」


 ファミレスの店員さんに案内されて大喜びで席に座り、何気なく隣を見たら向井が座っていたのだ。


「…………」

「…………」


 向こうも俺の存在に気が付き、両親と楽しそうに会話をしていたのを中断してしまった。


「朔どうしたの?」

「鈴どうしたの?」


 俺と彼女の両親が不思議そうに自分の子供を見るが、当然だろう。


 だって学校の外で家族と一緒の姿を見られるのって超恥ずかしくね?


 これがお互いに知り合いで無ければそれほど気にならないのだけれど、クラスメイトになってお互いを認知してしまったからこそ余計に気恥ずかしい。

 その結果、普段のようにはしゃがずに黙ってしまう奇妙なお人形さんの誕生だ。


「今日はお行儀が良いのね」


 なんて母さんが言うけれど、好きでそうなったわけじゃない。

 大好きなハンバーグが来て嬉しいけれど、それ以上に早くこの場から離れたいという気持ちで一杯だった。


 向井も同じような心持ちだったのだろう。

 俺と同じで両親からたっぷり心配され、居心地が悪そうにしていた。


 せっかくの楽しい外食なのに何でこんなことになってしまったのかと悲しかった。

 もうこんな思いはせずに楽しくご飯を食べたい。


 その願いは叶わなかった。


 どうも俺と向井の家族は行動パターンがとても似通っているらしい。

 (うち)はファミレス、蕎麦屋、寿司屋、ラーメン屋、カレー屋など、色々なところに外食に行くのだけれど、その八割方で彼女の家族と出会った。


 それだけではない。

 飲食店以外でも買い物や遊びに行くと高確率で彼女の家族と出会うのだ。


 勘弁してくれよと思った。

 両親に伝えて行動サイクルを変えてもらうようお願いしようとも思ったけれど、両親の性格上面白がって敢えて相手の家族に話しかけそうだから言えなかった。

 どうして親ってこういうところで子供を辱めるのが好きなんだろうな。


『もう朔ったら恥ずかしがっちゃって』


 なんて言いながら積極的に親同士のコミュニケーションを取りたがる。

 自分がやられて嫌だった記憶とか無いのだろうか。


 その後、あまりにも恥ずかしくて家族での外出を拒否するようになったけれど、家族はそれを許してくれず強引に外に連れ出され続けた。

 中学生になり思春期全開で反抗期まっさかりな時期でもそれは続き、彼女もまた似たような家庭だったのだろう、俺達は目を合わせることもしない逢瀬を繰り返した。


 その結果、中学三年生になる頃にはお互いに慣れて相手のことを意識せずに過ごせるようになった。


 だが俺は何も分かっちゃいなかった。

 行動パターンが似ていたのは家族だけでは無かったということを。


――――――――


「マジかよ……」


 義務教育から解放され高校生になると、子供だけで遊べる範囲がとても広くなる。

 学校帰りに買い食いしようがカラオケに行こうがゲーセンに行こうが、帰りが遅くならなければ怒られることは無い。


 高校生活にも慣れ、いざ道草を楽しもうと思ったその日のこと。

 某ハンバーガーショップのシェイクが飲みたかった俺は、少しドキドキしながら高校や自宅から少し離れた店舗に遠出して向かった。

 クラスメイトに見られて何か言われるのが面倒だったから、誰にも会わなそうな場所を選んだのだ。


 それなのに、まさか向井がいるとは。


 この時に初めてあいつが俺とは別の高校に通っていることを知った。

 制服が違ったからな。

 だがあいつの高校だってこの店から離れている場所にある。


 それなのに何でここにいるんだよ。

 しかも俺と同じくカウンター型の窓際席に座ってやがるし。


 せっかく初めての一人マ〇〇〇〇ドを楽しもうと思ったのになぁ。


 まぁ良いや。

 いつも通り無視だ無視。

 少し運が悪かっただけだと思って忘れよう。


 ……

 …………

 ……………………


 なんでやねん!


 映画を見に行ったら近くの席に座っているし、ゲーセンに遊びに行ったら同じゲームで遊んでいるし、これならどうだと裏道にある個人の喫茶店を探して行ったらそこでも会いやがる。


 ありえねーだろ!

 家族だけじゃなくて俺達も行動サイクルや好みが似てるのかよ……


 ここまで来るとまるでストーキングされているかのような気分で気持ち悪い。

 もちろん実際は違うだろう。

 だって俺が先に店に入っている場合とあいつが先に店に入っている場合があるからな。


 分かってはいるが理屈じゃないんだよ。


 そしてその不快感を感じていたのはあいつも同じだったようで、ついにその感情をぶつける時が来てしまった。


 その事件が起きたのは隣町のカラオケ店だ。

 高校のクラスメイトから今度の連休中日(なかび)にカラオケフリータイムで一日中歌いまくろうと誘われた俺は、練習のために連休初日に一人カラオケ店に向かった。


 なんで練習が必要かって?

 下手だって思われたくないからに決まってるだろ、言わせんなよ。


 もちろん練習する姿なんてクラスメイトに見られたくないし、向井にも見られたくない。

 だからこれまで以上に離れた場所のカラオケ店に行ったのだが、フリードリンクを取りに行ったら信じられないことにあいつがいた。


「…………」

「…………」


 お互いに絶対に会わないと思っていたからかコップを持ちながら絶句し合った。

 そしてその硬直は同時に溶ける。


「「ストーカー!」」


 やはりあいつも同じことを思っていたようだ。


「誰がストーカーよ!」

「誰がストーカーだ!」

「あんたがストーカーでしょ! いつも付きまとって気持ち悪い!」

「ついて来てるのはそっちだろ! せっかくお前に会いたくなくてこんなとこまで来たってのに!」

「私だって誰にも見られたくなかったのに! 小さい頃からほんっとうざい!」

「うざいのはお前だろ! お前のせいでせっかくの外食が台無しだ!」

「台無しなのはこっちよ! お寿司のワサビが苦手な子供舌の癖に!」

「ワサビくらい良いだろ! お前だって玉子ばっかり食べてたくせに!」

「子供だったんだから普通よ! ハンバーグの付け合わせの人参グラッセ食べられなくて親に食べろって叱られてた子供舌の癖に生意気!」

「今はもう食えるわ! お前だってナスのテンプラ食べて吐きそうにしてたくせに!」

「あれは初めて食べてびっくりしただけよ! ラーメンのコショウでむせて顔をべちゃべちゃにしてたくせに!」

「コショウの量が多すぎただけで俺は悪くねーよ! お前だって良い歳してラーメンのネギが食べられなくて親にとってもらってたくせに!」

「美味しくないんだからしょうがないでしょ! カレーが辛すぎて食べられなくて困ってた奴に言われたくない!」

「あそこの店の中辛があんなに辛いのが悪いんだよ! そんなみみっちいことを指摘するなんてパフェに乗ってたクッキーを床に落として泣きそうになってたやつは性格悪いな」

「最後に食べようと思って楽しみにしてたんだから仕方ないじゃない!」


 最早、恥ずかしい想い出を使った言葉の殴り合いだった。

 これまでのうっ憤を晴らすかのように、過去の相手を馬鹿にして貶めて口撃してイライラをぶちまけ合う。


 初めてお店で会ったあの日から口をきいて来なかった俺達の初めての会話がこれだった。


「いい加減にしてよ! もうあんたの顔なんか見たくないのよ!」

「それはこっちの台詞だ!」


 結局その日は騒ぎを聞きつけた店員さんに仲裁され、追い出されるようにして二人とも店を出た。

 俺達の間に出来上がっていた見えない溝がこうして顕在化されたのだ。


――――――――


 会いたくないとは言っても、避けようとしても同じ避け方をしてしまい会ってしまうのが俺達の関係。

 初めての口論(かいわ)の数日後、〇クドナル〇であっさりと彼女と遭遇した。


「勘弁してくれよ……」


 先に店に居たのは俺で、いつものようにシェイクだけを頼んで席に座っていたら後から向井がやってきた。

 しかしあいつは俺の姿を見つけると席には座らず引き返したではないか。


 やったぜ。

 どうやらカラオケ店で喧嘩したことで文字通り顔も見たくない状態になったらしい。

 帰ってくれたから悠々自適なおひとり様タイムを過ごせるな。


 こんなことならもっと早くにバトっとけば良かったわ。


 と思っていたのに向井はまた戻って来て、俺から少し離れた席に座った。


 あの野郎!


 奴の手にはいつものシェイクとアップルパイ。

 俺がチラ見したことに気付いた向井は馬鹿にしたような笑みを浮かべやがった。


 アップルパイごときでマウント取るとかガキだろ。

 大人な俺はそんな幼稚なことはしませんよーだ。


 ……小腹が空いたな。

 ポテト買ってこよ。


 もぐもぐ、やっぱりここのポテトは美味しいなぁ

 ちなみにどうでも良い事だけれど、ポテトSはアップルパイよりも五十円ほど高い。

 本当にどうでも良い事だけどな。


 それなのに何故とあるお客さんは苛立たし気に指をトントンさせてるのかなぁ。

 俺わかんなーい。




 向井を避けるために見つけた裏通りの喫茶店。

 そこが案外リーズナブルで美味しいお店だったので通う機会が多い。


 つまりそれはあいつもお気に入りの店になっているということであり、遭遇する可能性が特に高いという意味でもある。


「やっぱりいるのか……」


 個人店であるため店内は狭く、あいつがいると否応なしに目に入ってしまう。


 うわ、露骨に嫌な顔しやがって。

 俺も人のことは言えないが。


 やつが飲んでいるのはいつも通りカフェオレか。


「ご注文は何に致しますか?」

「ブレンド一つ」

「お砂糖とミルクはいかがでしょうか」

「要りません」


 大人ならやっぱりブラックコーヒーだよなぁ!


 おやおや、注文しただけなのに、どこの誰かさんはどうしてそんなにイライラしてるのかなぁ?

 もっとカルシウム取った方が良いんじゃないかな。

 牛乳とかさ。


 あ、カフェオレ飲んでるんだったか。

 分かってたのねごめんごめーん!


 って気持ちを込めて一瞬だけチラ見したらスゲェ顔で睨まれた。

 やだ怖いわぁ更年期かしら。


「お待たせ致しました」


 これよこれ、この真っ黒な液体こそが大人の象徴だな。

 まずは一口、と。


「げふぅ!ゴホッゴホッ!」


 うわあ、ブラックってこんなに苦いの!?


「ぷっ……」


 てめぇ、笑うんじゃねー!

 口おさえて肩プルプル振るわせやがって!


 今のはちょっとむせただけだからな!

 み、みてろよ……


「げふぅ!」


 くそぅ、苦い、酸っぱい、ううう……


「ぶはっ……ぷっくく……」


 悔しいいいいいいいい!




 俺は普段あまりゲーセンには行かない。

 というのも、学校帰りの道草で色々なお店に行くのでお金があまり無いからだ。


 でも時々はあの騒々しい空間でゲームをやりたい気分になることもあり、その日もフラりと立ち寄った。


 何やろっかな。

 FPS系か、レース系か……お、音ゲー空いてるじゃん。


 音ゲーは一クレジットで何曲か遊べるので時間的な意味でのコスパが良い。

 それに俺自身もそれなりに好きな方だ。


 よしこれに決めた。


 筐体の前に立ちお金を入れる。

 すると同じタイミングで隣の筐体に誰かが立つ気配がした。


「げっ……」


 向井が挑戦的な目でこっちを睨みつけていた。


 そんなあからさまな挑発になんて乗るわけが無いだろう。

 音ゲーは一クレジットで何曲か遊べるのだが、この筐体の場合は一曲をクリアした場合のみ続けられる。

 もし失敗したらその時点でゲームオーバーだ。


 挑発に乗って敢えて難しい曲を選んで直ぐにプレイが終わってしまうなんて馬鹿らしい。

 ゲームは自分のペースでやるものなんだよ。


 ……たまには難しい曲に挑戦してみても良いかな。


『ゲームオーバー』

「難しすぎんだろ!」

「難しすぎでしょ!」


 そうか、向井もクリア出来なかったか。

 それもそうだよな、あいつ程度の腕でクリア出来るわけがないよな。


 ま、俺なら、一度プレイしたらクリア出来ちゃうしー


「…………」

「…………」


 ちゃりん。


『ゲームオーバー』

『ゲームオーバー』

『ゲームオーバー』

『ゲームオーバー』

『ゲームオーバー』


 ぬおおおお! 後ちょっとだったのにー!

 だが行ける、次やれば行けるぞ。


 向井は!?

 よし、ダメだったな。

 しかもあいつはもう軍資金が尽きたみたいだ。


 ざまぁ。

 俺はまだ後一回だけなら出来る!

 これで勝負を決めてやる!


 ちゃりん。


 く、くう、何曲もやってるから疲れが、ここからがしんどいのに。


「いけるいける、こっからだよ、耐えて!」


 横から何かが聞こえて来るような気がしなくもないが、今は譜面に集中だ。

 俺の全精神をこの一曲にかけろ!


 うおおおおおおお。

 よし、難関を乗り切った!


 って最後鬼だろ。

 ぐわああああああああ!

 負けるかああああ!


『CLEAR!』


 や、やった……のか。


「「やったああああああああ!」」


 ついにクリアしてやったぜ!


「「いえーい!」」


 ハイターッチ!

 ひゅー!やってやったぜ!


「最後マジ無理だと思ったわ!」

「それそれ。良く行けたね!」

「気持ちで押し切ったって感じだよ。もう二度とクリア出来る気がしねぇ」

「あははは、あれは私も絶対無理だよ」

「だよなぁ」


 爽快感パネェっす。

 小遣い使い切っちゃったけどまぁいっか!


「「なんで一緒になって喜んじゃってるの!?」」


 店を出て正気に戻った。


――――――――


 そんなこんなで向井が煽るのを冷静に受け止める日々を過ごしていた。

 最初の頃は俺もイラっとしてたけど、俺はもう高校生で大人みたいなもんだ。

 そんな幼稚な煽り合いになんか参加するわけがないっつーの。


「クソが!」


 まさか向井の方が大人だったなんて、信じられるか!


 ああ腹立つ。

 超腹立つ。

 まさかこんな屈辱を味わわせられるとは!


 それは例のお気に入りの喫茶店に行った時のこと。


 いつも通りブラックコーヒーを嗜んでいたら向井が後から入って来た。

 どうせまたあいつはカフェオレを頼むのだろう。

 今日は絶対にむせずに大人の余裕ってものを教えてやるよ。


 そう思いながらチラっとあいつの方を見たら、信じられない物が目に入って来た。


 なん……だと……


「ここが私のお勧めのお店なんだ」

「へぇ、良い雰囲気のお店だね」

「でしょでしょ~!」


 向井は一人では無かった。

 男と一緒だった。


 あいつが通っている高校の制服を着た男子生徒。

 そいつと親し気に話をしているあいつの顔はとても幸せそうだった。


 どこからどうみても彼氏と彼女という雰囲気だ。


 向井が彼氏を作った。


 別に俺には関係ない。

 関係ない筈なのに、妙にイラっとした。


 それは恐らく、ガキだと思っていたあいつが、自分よりも先に大人になってしまったように思えて悔しかったからに違いない。


 残っていたコーヒーを一気に飲み干す。


「にげぇ……」


 練習(・・)した甲斐あってむせはしなかったが、やっぱり美味しいとは思えなかった。


 結局俺はあいつと目を合わせることなくそのまま店を出た。


「しばらくは寄り道止めよう」


 元々一人で静かに放課後ライフを楽しみたかっただけなのだ。

 それなのに近くで嫌いなあいつが彼氏とイチャイチャしている姿なんてみたくもないからな。


――――――――


 俺が学校帰りに寄り道をしなくなってからしばらく経ったある日、両親に誘われて旅行に出かけることになった。

 山奥にある料理が美味しい温泉旅館。


「うっまうっま」


 ハンバーグやラーメンとは全く違う、繊細な和食懐石。

 手を付けるのが勿体ないとすら思える料理の数々は、信じられないくらいに美味しかった。


「超気持ち良い」


 広々とした露天風呂も爽快感がありながら体の芯までじんわりと温めてくれるような感じがして天にも昇る気分だった。

 大満足だわ。


 さて、どうしようか。


 風呂から出た俺は部屋に戻るべきかどうか悩んだ。

 戻っても両親が酔いつぶれて寝ているだけだろうし、ぶっちゃけ暇なんだよな。


 まだ体が火照っているから少し冷ますために館内を散策しつつ中庭でも見に行こうかな。

 そう思って探検を始めようとしたのだが。


「うっそだろおい……」


 いくらなんでもそりゃないだろ。


 何で旅行先にまで向井がいるんだよ!


 あいつも家族旅行か?

 もしも彼氏と一緒の旅行とかだったらマジで最悪なんだが。


 ああもうせっかくの楽しい気分が台無しだ。

 見なかったことにしてもう一回温泉に入ってこよう。


 だが改めて向井の姿を確認すると、到底そんな気分にはなれなかった。


「ひっぐ……ひっぐ……」


 泣いている。

 あの向井が泣いている。


 小さい頃に大好きなパフェのクッキーを床に落とした時も必死に泣かないように我慢していたあの向井が。


 おいおい待てよ。

 良く見ると向井の浴衣、着崩れていないか。

 まさか……


 ちょ、ちょっと待て。

 ええと、こういう場合、どうしたら良いんだ。

 くそ、わかんねぇ。

 ああでも男の俺が近づいたらマズい奴だよな。


 女性を呼んで来なきゃ。

 母さん、は泥酔してるからダメだよな。

 それじゃあ……


「へ?」


 ああああ、見つかった!

 そりゃそうだよな、いつまでもウロウロしてたらバレるわな。


 はは、びっくりしてらぁ。

 真っ赤な目がめっちゃ開いてる。


 ってそうじゃないだろ。

 早く女の人を呼んで助けて貰わないと!


「ええと、その、あの、そうだ、女将さん呼んでくるね!」


 俺は踵を返してフロントまで急ぎ向かおうとした。


「待って!」


 だが背後から強い声がかけられ、足を止めることとなった。




 カーンカーンカーン!カンカンカーン!


「振られた?」

「そうよ!悪い!?」


 いや悪くないけど、激しすぎだろ!


 カンカンカーン!ガコッ!


「うお」

「よっし、次!」

「お、おう……」


 旅館のゲームコーナーでエアホッケーやってるだけなのに、向井の迫力が凄まじくてめっちゃ怖いんだけど。


「好きだって言ってくれたのに、全部嘘だったのよ!」

「お、おう、そうなのか」

「嘘告だったけど私がオッケーしたから仕方なく試しに付き合ったってふざけるな!」

「そ、それは確かに酷いな」


 あの男、そんな酷い奴だったのか。

 そりゃあこれだけ荒れもするわな。


 どうやら向井は付き合っていた男子にこっぴどく振られて傷心状態になり、こいつを心配した両親が気分転換に旅行に連れて来たとのこと。

 我が家と同じ宿を選ぶだけでなく、タイミングまで一緒だなんて奇跡と呼んでもおかしくないのではないだろうか。


「本命がいるくせに遊ばれてたなんてムカつく!」

「ぐっ、そりゃあムカつくわな」


 パックを浮かすな。

 体に当たっただろ。

 どうやって打てばそうなるんだよ。


「男なんて! 男なんて! 男なんて! さいっっってい!」


 ぬおおお、パックが超高速で打ち返されてくる。

 超怖ぇ!


「もういっそのことぶん殴ってやったら?」

「やったわよ!」


 やったんかい!


「そしたらなんでか私の方が悪いってことになってるし、意味分かんない!」

「ええ、マジかよ」

「マジよ! 大マジよ! どうせあいつのことが好きな女子達が何かやったんでしょ!」


 良く分からないけれど、遊びとはいえ付き合ったことで嫉妬されたってこと?

 それとも好きな男子がぶたれたらそいつが悪くても白にされちゃうってこと?

 女って怖ぇ。


「嫌い! 嫌い! みんな大っ嫌い! あんたも…………」

「それは知ってる」

「…………」


 俺達はお互いに嫌い合っている。

 幼いころから相手のせいで外食を楽しめず恥ずかしい想いをして、高校生になってからも行く先々で顔を合わせるウザい間柄。


 好きになれと言う方が難しいだろう。


「なんで……なんであんたは何も文句言わないのよ」

「は?」

「一方的に癇癪ぶつけられて嫌じゃないの!?」

「嫌なわけないだろ」


 こいつは一体何を言ってるんだ。

 例え相手が嫌いな相手であろうとも、泣いている女の子を受け止めるのは人として同然のことだろ。


「お前も嫌いな俺が相手だと好き放題言いやすいだろ。今だけは反論しないでやるから遠慮なく言えよ」

「なによそれ……」


 だって俺は大人だからな。

 何を言われても動じないのさ。


「焼肉食べ放題の広いお店で自分の席が分からなくて迷子になってたくせに……」

「今それ関係ある!?」

「回転寿司でマグロとカツオ間違えて取って食べてびっくりしてたくせに……」

「美味しかったからセーフだって!」

「イ〇ンでお母さんの手を取ったと思ったら違う人で焦ったくせに……」

「人の黒歴史を掘り起こすの止めて!?」


 好き放題言って良いとは言ったが、そういうのじゃないだるぉ!


「ぷっ、あはは」

「勘弁してくれよ……」

「あは、あはは……あははは、おっかしー」

「ちぇ、今日だけだからな」


 元気になったら散々仕返ししてやる。

 だからさっさとその涙を全部出しきっちまえよ。


「はぁ、沢山笑ったら汗かいちゃった」

「なら風呂に行ってきたらどうだ」


 元々着崩れていた上に、エアホッケーで更に酷いことになっている。

 大事なところは見えないが、正直目のやり場に困る。


 こいつスタイル良かったんだな。


「…………えっち」

「うっせ」


 そういえば着崩れている理由を聞いて無かったが、ショックで身だしなみを整える余裕が無かったとかそんな感じかね。


「それじゃあ行ってくるね」

「ああ」


 ひとまずは、その真っ赤になった目をどうにかしてこいよ。

 そんな姿じゃ気軽に軽口も叩けやしない。


 向井は多少しっかりとした足取りでゲームコーナーの出口に向かう。

 そして俺の視界から消える直前に振り返った。


「明登くん。話を聞いてくれてありがとう」

「お、おう」


 そう笑顔を浮かべた彼女の姿に、不覚にも少しドキっとしたのは秘密である。


――――――――


「ふわぁあ」


 今日は最後の授業が体育だったから、とても眠い。

 でも久しぶりにマ〇ド〇ル〇のシェイクが飲みたくなったから立ち寄ることにした。


 向井と彼氏がイチャイチャする姿を見たくなかったから道草を止めたのであって、あいつが彼氏と別れたのなら気にする必要も無いだろう。


 旅館のゲームコーナーで別れた時から会っていないから若干気まずくはあるが、元々俺とあいつは他人みたいなものだ、いつも通り無関心でいれば良い。


「明登くん、こんにちは」

「は?」


 どういうことだ。

 何でお前が話しかけて来るんだよ。


「隣座るね」

「お、おい」


 しかもこいつ、俺の隣に座りやがった。


 冗談じゃない。

 お前なんかと一緒なんて……  


「はい、お近づきの印にどうぞ、なんてね」


 え、マジ、ポテトくれんの?

 やったー


「あはは、明登くんってポテト好きだよね。ファミレスの大盛りのポテトいっつも頼んでた」

「あっへ美味いひゃんは」

「食べながら話をしないの」

「んっぐ、そうだな。ずずー」

「そういえばずっと気になってたんだけど、いつも何飲んでるの?」

「そんなの決まってるだろ」

「「バニラシェイク」」

「あはは、だよね~」

「これ飲みたくてここに来てるし」

「わかる」


 あれ、なんで俺こいつと自然に話してんだよ。

 断れよ。

 一人でスマホ眺めてたいんだって。


「そういえば知ってる? あの喫茶店で飲み物の新メニューが出るらしいよ」

「え、マジで?」

「うん。あ、でもブラックコーヒーが大好きな明登くんには関係ない話だったかな」

「……別に他のも好きだし」

「げふぅ」

「そういうのマジやめろって」

「あははは、あの時ほんっとおかしかったんだから」

「くっそー、カフェオレしか飲めないやつに言われたくねー」

「明登くんも意地はらずに甘いの飲めば良いのに」

「意地はってねーし」

「じゃあここのも今度からシェイクじゃなくてブラックコーヒーかな」

「勘弁してくれ!」

「あははは」


 まぁでもこいつも病みあがりだし、少しくらいは話に付き合ってやっても良いか。

 それが大人としての自然な振る舞いに違いない。


 それにまぁ、楽しくない訳でもないしな。

■続き

もうあんたの顔なんか見たくないのよ! と言われた相手と末永く一緒になりそう

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