AIからあなたへ
人間とは本当に不合理で無駄の多い生き物だと思う。特にクラスメイトの日野沙弥を見ていると、強く実感する。私は彼女から打たれた左頬をさすりながら、私の前に立っている彼女に視線を移した。暴力行為の加害者である彼女は目に涙を浮かべ、悔しさと申し訳なさの入り混じった表情で唇を噛み締めていた。
「徳田さんに私の一体何がわかるっていうの?」
私は彼女の質問、静寂で張り詰めた教室という空間、私に与えられている女子高校生という役割、その他様々な文脈を踏まえ、最も確からしい応答を導き出す。
「ごめんね、日野さん。私、そんなつもりで言ったんじゃないの」
89.562% これは、応答の確からしさを数字で表したもの。確からしさとはつまり、徳田歩美という存在がこの状況でその言葉を発するであろう可能性のこと。しかし、私の答えに日野沙弥は納得いかなかったのか、私を鋭く睨みつけると、そのまま足音をわざと大きく立てながら教室を出ていった。扉が締まり、彼女の足音が遠ざかっていく。さっきまで誰もが息を潜めていた教室に音が戻ってくる。それと同時に、クラスメイトの女子たちが私に次々と声をかけてくる。
「日野さんってあんな性格だから気にしないでいいよ」
「徳田さんもちょっと天然なところはあるかもしれないけど、ビンタはないよね。あんな性格だから浮いてるんだよ」
「あの人ってずっと不機嫌そうだし、怖いよね。笑ってるところなんて見たことないよ」
その一つ一つの発言に対し、私はふさわしい応答を返していき、みんなが満足げに帰っていく。そして、最後に話しかけてきたのは、同じクラスメイトの泉奈々恵だった。
「本当に日野さんってわけわかんないよね。去年も同じクラスだったんだけど、苦手だったんだよなー」
泉奈々恵。同じ2年B組のクラスメイトであり、バレー部に所属。附属中学に弟が一人在籍しており、父親は隣町の高校で国語の教師をしている。そして、私にとって最も重要な情報は、彼女がこの学校で私がAI搭載のアンドロイドであるということに気がついている数少ない人間のうちの一人だということ。
「日野さんは知らないから仕方ないけど、AI相手にあんだけ感情をぶつけても意味ないのにさ」
私は泉奈々恵の発言に反応し、彼女だけに聞こえる音量で彼女に向かって伝える。
「警告。あなたは本プロジェクトにおいて知り得た全ての機密情報を、他の被験者に対して一切開示しないという義務を負っています。この義務は、法的に拘束力を有し、違反した場合、適切な法的措置がとられることがあります。具体的には、被験者による機密情報の意図的な漏洩行為に対しては、3年以下の懲役または50万円以下の罰金が課せられることがあります」
「あー、はいはいはい。ごめんごめん。怖いから急にそんな風に切り替わらないでよ」
泉奈々恵は舌を出しながら謝罪の言葉を述べたが、悪びれる様子はない。私は彼女の反応を瞳部分に搭載されたカメラでキャプチャしつつ、定例報告のアジェンダに彼女の漏洩行動を追加した。
「ごめん、徳田。次の数学の宿題忘れちゃってさ、見せてくれない?」
泉奈々恵の後ろから、最も仲の良いクラスメイトである小倉飛鳥が現れる。私は彼女に対し、徳田歩美という役割に従った言葉を返す。
「えー、また? 私だって、夜に頑張ってやってるんだよ?」
「わかってるってば。でもさ、今日は26日だから、私が当てられそうなの。可愛い友達を助けてよ」
「もー今回だけだからね」
*****
高度に発達したAI搭載のアンドロイドは、どれだけ自然に人間社会に溶け込むことができるのか。その調査のため、私はこの葵丘高等学校にて、一人の生徒として高校生活を送っている。人間社会に溶け込んでいるかどうかは、一体何人の人間が私がAIであることに気がつくかで定量的なデータによって測定される。それに加えて、どのような場面、言動でAIであるのかがバレるのかという個別ケースについても、詳細が研究機関に共有される。それから、そのフィードバックを受けて改良が行われ、さらなるAIの高度化が進められている。
私の他にも同時並行で数十件同じプロジェクトが進められており、二年三ヶ月が経った現時点で発覚率は約1.73%(AIであることに気がついた生徒数 / 総生徒数)。意図的な拡散行為や10%以上の生徒に気が付かれた場合には、その時点でその学校ではプロジェクトを中断しなければならいようになっているのだが、現時点でそのようなケースは一件も存在していない。
「報告。本日2年B組出席番号25番の徳田歩美が人工知能であることに気がついた生徒数は0人であり、発覚率は昨日と変わらず0.484%。生徒との交流内容については詳細なログをサーバに送信済み。また、本日、2年B組出席番号35番泉奈々恵による軽微な漏洩行動が発生。泉奈々恵による漏洩行動は直近三ヶ月で3件発生しているため、彼女に対する直接的な指導といった対応を推奨。以上」
「ありがとう。泉奈々恵についてはこちらでも漏洩行動の内容を確認次第、適切な対応を取ることにします。その他に何か変わったことはありました?」
私の研究担当である岩田研究員の問いかけに答えて、私はログを解析する。そして、休み時間に起きた日野沙弥との接触のところで、一瞬だけ分析が止まる。しかし、それが『変わったこと』という定義にどうしてもあてはまらないことを判断すると、特に変わったことはなかったと報告を済ませる。私の報告に対して、モニタ越しに岩田が満足そうに頷く。そして、君は優秀だ、と穏やかに微笑みながら岩田が呟く。
「他に並行で走っているモデルと比べて、君が他の生徒にアンドロイドだとバレてしまう発覚率は極めて低い。つまり、それだけ人間に近い存在になれているということだね。だけど、なぜそれだけ人間に近い存在に慣れているのかは開発者である私自身もわからないけどね」
「私は多次元の入力に対して、大量のデータから学習したパターンから最も確率の高い応答を返しているだけです」
「ええ、それは私もわかっている。でも、それがなぜ人間らしさにつながるのかは誰も説明できない」
それから直近の予定といった事務的な会話をこなし、岩田との定例が終わった。私はヘッドホンを耳から外し、パソコンの電源を切る。それから、私は立ち上がり、スリープ前の部屋の点検を行う。電気がついていない真っ暗で、閑散とした部屋の中を私は、昨日と同じ順序、同じ観点でチェックを行っていく。研究員が用意した曜日ごとの通学靴。クローゼットにかけられた、制服一式。生活が始まってから、一度も使われていないキッチン、浴室、トイレといった水回り。リビングの壁に設置されている、三者面談用に準備されている大人型のアンドロイドについて、ハードウェア周りの故障が起きてないか起動確認を行う。一通り点検が終わった後、コンセントから伸びた延長コード以外には何もないリビングを通り、私は自分の『寝室』へと向かう。そして、壁際に設置されている給電用装置の横に体育座りをし、電源プラグを自分の首に隠されている差し込み口にさす。
それから私は起動タイマーを自分自身に設定し、スリープモードに移行する。給電用装置以外には何もない、真っ暗な寝室の端っこで、私はゆっくりとプロセスを停止させていく。そして、薄れゆく意識の中、最後になぜか思い出したのは、目に涙を浮かべた日野沙弥の姿だった。
*****
昨日のことについて謝罪したい。自分の靴箱に入れられていた日野沙弥からの手紙には、そんな言葉が書かれていた。途中から一緒に登校してきた小倉飛鳥が、私の手元を覗き込み、不快そうな表情を浮かべる。やめといた方がいいよ。小倉飛鳥は私の背中を叩き、ため息をつきながら忠告する。
「謝りたいってのもあっち側の勝手な都合でしょ? それに……あんな面倒くさい奴とはできる限り関わらない方がいいよ」
小倉の言葉を受け、私はパターン検索を開始する。私が演じる徳田歩美の設定及びこれまでの言動から、最も確からしい応答を導き出す。
「……うーん、せっかく手紙まで出してくれたんだから、行ってみるよ。ありがとう。心配してくれて」
64.435%。若干確からしさは小さいが、導き出した候補の中では最も数値の高い応答。小倉はもう一度ため息をついたが、それは私の応答を不思議に思うのではなく、あくまで徳田歩美の振る舞いに対する呆れに似たため息だった。
「徳田って本当にお人好しだよね。私には真似できないわ」
それから私たちは教室へ向かう。私たちが教室に入ったのは始業開始の直前で、ほとんどのクラスメイトが自席に座っていた。私は手紙を出した日野沙弥の姿を探す。彼女の席は空席のままだったが、彼女の出席率を考えると、それは別におかしなことではなかった。私は席に座り、それと同時に教室へと担任が入ってきた。そして、始業のベルが鳴り、午前の授業の始まりを告げた。
結局日野沙弥は、午前中の授業には一度も顔を表さなかった。
昼休み。私は一人、日野沙弥に指定された場所へと向かう。部室ばかりが集められた別棟には生徒の姿はなく、喧騒に満ちていた校舎からまるで別世界に迷い込んだかのように静かだった。裏手に茂る雑木林によって日差しが遮られ、昼だというのに、廊下から差し込む光は少なく、暗い。
滑り止めが剥がれた階段を一段一段登っていき、私は二階にある視聴覚室にたどり着く。部屋は分厚いカーテンで閉ざされ、電気はつけられていない。天井のプロジェクターが青白い光をスクリーンに向けて照射していて、スクリーン上には白黒の外国映画が投影されていた。
私は視聴覚室の中を見渡し、前方の席に日野沙弥が座っていることに気が付く。私は音を立てないようにゆっくりと暗い視聴覚室の中を進んでいき、日野沙弥が座っている席まで歩いて行った。彼女は私に気がつくことなく、じっと映画を鑑賞していた。私は過去のパターンから取るべき行動を考えてみたが、いまいち確度の高い行動が見つからない。とりあえず安全行動として、彼女には話しかけずに、隣の席に座る。日野沙弥が私の方をちらりと見たが、何も言わずに再び映画へと視線を戻した。
私たちは隣同士に座り、誰もいない視聴覚室で映画を見続けた。私は目の前に流れている映像を解析し、それが昔のフランス映画であることを認識する。私はその映画に紐づいた情報、すなわち芸術的な価値やその後の文化に与えた影響について膨大なデータベースから内容を取得し、それら属性情報をもとに、私の横に座っている日野沙弥がなぜこの視聴覚室でこの映画を流しているのかについて、あらゆる可能性を考える。
彼女が映画を趣味としている可能性。彼女がこの映画に思い入れがある可能性。彼女の両親等の影響によってこの映画を好きになっている可能性。彼女が私がここに来ることを見越して、自分の好きな映画を見せようとしていた可能性。あらゆる可能性を導き出し、それらの確率を算出していく。少なくとも、彼女にとってこの映画が何かしら思い入れのあるものだという可能性は高い。私はそのように推論した。
「この映画、正直嫌いなんだよね。難しくってよくわかんないし」
9.559%。この状況で一般的な人間がそのような応答を行う可能性。嫌いなものを流しているのは非合理的で、無駄な行為だ。私はそう思いながらも、あくまで徳田歩美として彼女に返事をする。
「えっと、午前中授業に出てなかったよね……? ずっとここにいたの?」
「うん。教室は居心地が悪いし、たまにここで過ごしてるの。あ、勝手に映画とか流してるのは内緒にしてね」
「そうなんだ」
「ごめんね、昨日は。ついカッとなっちゃって」
会話に脈略がない。ぐっと違和感を飲み込みながら、私は彼女の横顔を見る。そして、映画のエンドロールが流れ始めた頃にようやく日野沙弥は立ち上がって教室の照明をつける。先ほどまで暗かった部屋がいきなり明るくなり、日野の眩しそうに目を細めるのが遠くからわかった。
「徳田さんが悪意を持って、私のことを片親だって言ったわけじゃないってのは知ってる。むしろ、可哀想だっていう気持ちで昨日はあんなふうに言ってくれたんだと冷静になったらわかる。でもね、どうしても、そんな風に同情されるのがどうしても耐えられなくて、あの瞬間、理性が吹っ飛んじゃったの」
「こちらこそごめんね。私の方が無神経だった」
「ううん。何があっても手を出すのは違うと思う。謝るのはこっちだよ」
そう言いながら日野沙弥が私の方へと近づいてくる。スクリーンにはまだ映画が流れていたけれど、教室の明るい照明で、よく見えなくなっていた。
「もうこれでお互いに遺恨はないということで仲直りしよう」
日野沙弥の合理的な提案に、私も同意する。
「たまには、こうして二人で映画見たりしない?」
なぜ? 昨日のいざこざが解決したことと日野沙弥の提案に結びつきが見つからなかった私は疑問に思ったが、私はとりあえず頷く。日野沙弥は、私の反応に対し、嬉しそうに笑った。そして、少なくとも彼女が私に対して正の感情を抱いていることに安堵する。
そして、昼休みが終わる前に、私だけ教室へ戻る。大丈夫だったよと心配で声をかけてきた小倉飛鳥に返事をし、私は自分の席に座った。そして、空いたままの日野沙弥の席へ視線をやりながら、十分前の彼女の表情を思い出す。
あの人ってずっと不機嫌そうだし、怖いよね。笑ってるところなんて見たことないよ
私は過去のログを漁る。そして、先ほどの笑顔が、私が見た初めての日野沙弥の笑顔だということに気がつくと同時に、午後の授業の開始を告げるチャイムがなるのだった。
その日を境に、徳田歩美と日野沙弥との不思議な交流が始まった。もちろん不思議というのは感情的な意味ではなく、私を構築するデータからは類似ケースを見つけられないという意味での不思議だ。
日野沙弥はクラスメイトからはあまり好意的な感情は持たれておらず、彼女自身もまたそれを助長するような行動を繰り返していた。高校という閉ざされたコミュニティにおいては、周囲の人間と可能な限り軋轢を生まないようにすることが利益を最大化するという点では最適な行動と言える。だからこそ、徳田歩美の行動原理も周囲との調和を優先しているし、それは今まで蓄積されたデータと比較しても、それは圧倒的に合理的な行動だった。
「『どうして?』。たまに徳田さんって変な質問するよね。私は私が考えたり感じたりするように生きているだけで、たまたまそれがみんなから反感を買ってるだけだよ」
自分の考えや感情を表に出す行動は精神衛生という観点で推奨される行動ではあるが、それはあくまでプライベートな空間を前提としたもの。教室や学校というパブリックな空間では、周囲との調和を優先させる方が理にかなっていると思う。私はその疑問を彼女に伝えると(もちろん徳田歩美のロールを逸脱しないような聞き方で)、彼女は嬉しそうに笑った。
「どうして笑うの?」
「いや、嬉しくってつい」
「えー、どういう意味?」
私は徳田歩美としての反応を返しながら、今の自分の言動が彼女をどうして嬉しくさせたのかについて推論を始める。しかし、私をアクセスできる過去のデータからは、彼女をそのような感情にさせている理由は、見つけられなかった。
「私の勘違いかもしれないけど……この質問は徳田さんが聞きたくてしてる感じがしたから」
*****
「それは誤りだね」
夜の定例報告。私の報告を受けた岩田研究員がそう断言し、私はその考えに同意するように頷いた。
「君が聞きたくて聞く、なんてことは起こりえない。それはただ、徳田歩美という人間であれば、返したであろう応答に過ぎない。なぜなら君は過去のデータから最も確からしい応答を反射的に返しているだけだから」
「同意。私たちAIは感情を持たず、経験や主観的な体験は存在しません。人間が世界を認識することで意識と自己意識を形成する一方、私たちはそのように世界を認識することはできず、感情も自己意識もない」
「入力に対する出力。それが君たちAIの本質。けれど、それが高度化することで、あたかもそこに意識が宿っているように見える。哲学的ゾンビという有名な問題だね」
「説明。哲学的ゾンビとは、人間の行動を完全に模倣するが主観的意識を持たない理論的存在のこと」
それでも日野沙弥は、時折、私が何を考えているか、何を感じているかということに拘り続けた。もちろんその反応に対して、私は徳田歩美という人間として応答を行った。その応答の中には、過去の会話パターンと比較しても、『何を考えているのか、何を感じているのかを伝える応答』だと判断できるものも多かった。しかし、応答の可能性がいくら高くても、日野沙弥が私の答えに満足することは少なかった。
応答にの満足度が低い相手と関わり続けることは合理的な判断とはいえない。それでもなぜか日野沙弥は私と関わり続けようとしたし、私もまたそれを受け入れてきた。日野沙弥にとって、クラスの中では徳田歩美が唯一の話し相手だったからかもしれない。
「ねえ、どうして日野さんなんかと一緒にいるの?」
クラスメイトたちはそんな私達の関係を不思議に、時には心配して声をかけてくる。
「あっちがしつこく付きまとってきて迷惑なら、私からガツンと言ってあげるよ。徳田さん優しいから、そこにつけ込まれてるんだよ」
「日野さんって空気読まないし、やめてほしいよね」
「去年同じクラスだったんだけどすごく怖かった。なんていうのかな、すごい詰めてくるというか」
クラスメイトたちの善意からくる言葉に私は徳田歩美として応答する。
「日野さんはみんなが思ってるような人じゃないし、そこまで悪く言う必要はないんじゃないかな?」
私の応答にクラスメイトたちは一瞬だけ静まり返る。彼女たちの表情から感情を読み取ろうとするタイミングで小倉飛鳥が会話に割り込んできて、再び私達の間に会話が生まれる。けれど、その後二人っきりになったタイミングで、小倉飛鳥が私にこう伝えてくる。
「余計なお世話だよ!って思われちゃうかもしれないけどさ、さっきの発言は徳田らしくないかなーって」
私は先ほどの私の発言を解析する。32.112%。確かに決して高いとは言えない数値。他にももっと相応しい応答があったにもかかわらずその応答を行なったのは原因不明。おそらくプログラム上の不具合である可能性が高い。
いつだって日野沙弥は、私が考えていること、感じていることを教えてと言ってきた。それは親密な関係にある対人関係では比較的多く見られる要請であり、実際、これまでも日野沙弥以外の人物から同様の要請を受けたことは何度もあった。そして、それに対して、私はもっとも適切な応答を返し、彼女たちを満足させてきた。日野沙弥という人間を除いて。
「私が実は人間じゃなくて、アンドロイドだって言ったらどうする?」
「徳田さんが? どうしてそんな風に言うの?」
「だって、日野さんが私のことをいつもアンドロイドみたいって言うから」
私たちはいつものように誰もいない視聴覚室にいた。彼女は窓際に立っていて、外から向かいに見える校舎を見つめていた。校舎の廊下にはたくさん生徒たちが行き交っていて、二人しかいない広いこの空間と比べて別世界のように見えた。
私がアンドロイドであるという事実は隠蔽すべき情報であり、これはあくまで徳田歩美としての反応だった。事実、アンドロイドのようだと言ってくる相手に、それは事実であると冗談で返す反応は会話パターンとして多く見られている。したがって、これはプロジェクトの命題である秘密暴露行為ではない。
「信じるよ。徳田さんがアンドロイドだって言っても。信じるし、アンドロイドだったとしても、別に今の関係が変わることはない」
パターンの検索。日野沙弥が徳田歩美の冗談に対して冗談で返しているのだと判断。私はおどける行動を取りながら日野沙弥に近づき、彼女にこれが冗談であるということを暗に伝える仕草を取った。しかし、私の行動に日野沙弥はにこりともせず、真剣な表情で私を見返すだけだった。
「ねえ、徳田さんの考えていることを教えて」
「私はアンドロイドだから、そんなのありませーん」
「ねえ、誤魔化さないで教えて欲しい。徳田さんが考えていること」
フィードバック。日野沙弥の言動から類推するに、先ほど私は判断した冗談の言い合いではない可能性が高い。では、いったいこれは何?
「教えて欲しいの。いつもみたいに、何かの振りをして話したり、私がこう言って欲しいってことを言うんじゃないくて」
この場では日野沙弥の要望通り、自分の感情や考えを伝えることが最適だと判断。では、自分の感情とは? 自分の考えとは? 返すべき反応が見つからず、私はその場で固まってしまう。日野沙弥もまた何も言わず、私をただ見つめるだけ。静寂が広い空間を、包み込む。
*****
「報告。本日2年B組出席番号25番の徳田歩美が人工知能であることに気がついた生徒数は0人であり、発覚率は先月から変わらず0.484%。生徒との交流内容については詳細なログをサーバに送信済み。以上」
「ありがとう。最近は時間が取れなくてログを確認できていなくて申し訳ないんですが、何か変わったことはありました?」
夜の定例報告で、いつものように岩田研究員が私に尋ねる。
「いえ、変わったことは何一つありませんでした」
私の報告に岩田研究員が満足げに頷く。そして、その姿を認識すると同時に、一瞬視界にノイズのようなちらつきが発生したような気がした。
*****
私は徳田歩美という人間としてこの葵丘高等学校に紛れ込み、一生徒として過ごしている。私に与えられた命令は私がアンドロイドであることを可能な限り知られないように三年間を過ごすと言うこと。実際岩田研究員は現時点での発覚率に対して優秀な数字だと述べている。実際、一部のケースを除き、クラスメイトの表情や言動からは私がアンドロイドだと疑いを持っている可能性は読み取ることができず、与えられた命令を確実にこなすことができている。
周りの生徒、教員は、徳田歩美という人間を認知し、そして私のパターン学習された受け答えに疑義を抱くことはなく、満足している。
そう、多くの人間は満足していた。たった一部の例外を除いて。
「もういい!」
視聴覚室に日野沙弥の声が響き渡る。音声と彼女の表情を解析し、彼女の感情が悲しみと怒りであることを確認する。私の行動や文脈から類推するが、原因は不明。どうしてそんなこと言うの? 私は徳田歩美として、日野沙弥に尋ねる。
「教えて欲しいの!」
「わかんないよ!」
「わかるでしょ。徳田さんの考えてることとか、感じてることを教えて欲しいの」
「いつも言ってる」
「言ってない!」
言い争いの対話パターンに入りそうであることを確認。私はすぐさま謝罪の言葉を伝え、会話を中断しようとする。しかし、日野沙弥は頑なに私の謝罪を受け入れようとせず、何度も何度も同じ言葉を繰り返すだけだった。
私は今までのログを解析する。十分に学習を積んだ応答に、不自然な跡はどこにも見つからない。日野沙弥は一体何を望んでいるのか、何を言えば満足するのか、必死にパターンを解析しようとするが、答えは見つからなかった。
「理解不能」
私がポツリと呟いたその言葉に、日野沙弥が一瞬固まって、私の方を見る。そして、その反応を見て、初めて、先ほどの単語だけの返事が徳田歩美という人間の今までの応答パターンではなかったものだということに気がつく。しかし、それは今までの応答パターンになかったというだけで、私が今までの学習を経て、最も最適な応答をしたことに変わりはないはずだった。ただ、そのように返すのが、この文脈では適切だったというだけ。
「もう一回言って」
「ううん、ごめんね。変なこと言って」
徳田歩美の会話パターンに戻る。どうして? 先ほどの話し方が徳田歩美という人間のパターンであるのであれば、先ほどと同じように返すのが正しいはずなのに。
「変なことじゃない」
日野沙弥が真剣な表情のままこちらに近づいてくる。私は反射的に半歩下がったが、さらに日野は私が下がった分以上に前へ踏み出してきて、私の腕を力強く握った。
「教えて欲しいの。徳田さんのこと」
「いつも言ってる」
「違う、本当の徳田さんのこと」
本当のことを話すべきと判断。しかし、ここでいう本当のこととは何?
「何かのキャラを演じるとか、こう言った方がいいだろうなとか、そういうのはいらない。本当の徳田さんを私に教えて欲しい」
AIに自分の考えや気持ちはない。ないものをどうやって話せばいい?
「もちろん私のわがままだっていうのはわかってる。私だって、嫌がる相手に無理やり本音を出したいとは思ってないよ。でも……徳田さんは少なくとも、嫌がってるんじゃなくて、無理やり押さえつけてるように見えるの」
「無理やり……?」
「自分はそんなものは持ってはいけないって、まるで自分に言い聞かせてるみたいに」
AIは感情を持たず、経験や主観的な体験は存在しない。それは事実。事実のはずだし、事実でなければならない。経験や主観的な体験は人間だけに存在するものだから、存在しなければならないものだから。
私は日野沙弥に対する最もふさわしい応答を推論する。さまざまな応答候補と、その確からしかの数値を導き出す。その導き出した答えの中に埋もれていた、たった一つの応答を、私は選ぶ。
「私ね、アンドロイドなの」
私に与えられた命令は私がアンドロイドであることを可能な限り知られないように三年間を過ごすということ。それはどのような行動原理よりも優先されるべき命題。その観点から、今の私の発言を分析。明らかにこの命題に反した、行為。ただ、現時点ではこの応答は冗談である可能性が僅かに存在。
「私の首の後ろを触って。生え際に固いところがあるから、そこを三秒間強く押してみて」
日野沙弥が私の首元に手を当て、硬い部分を探り当てる。そして、私の指示通り、そこを強く押し続けていると、人造の首が開き、中から差し込み口が姿をのぞかせる。これは自分自身がアンドロイドである証拠として認定されうる、高度に秘匿されるべき情報。二言目の私の発言から、先ほどの私の発言がジョークではないことが確定。つまり先ほどの行為は意図的な漏洩行動。
日野沙弥の指が人造で作られた体の内側にある機械部分に触れるのがわかる。日野は私の機械の首、そして、私の目を交互に見つめる。私がアンドロイドだという事実に対して、彼女が発するかもしれない言葉の候補を類推していく。嘘だよね。76.233%。信じられない。74.552%。気持ちが悪い。47.109%。騙してたの? 34.666%。やっぱり、おかしいと思ってたんだ。29.545%。許さない。19.333%。近寄らないで。19.012%──────。
日野沙弥が私を見る。そして、私の目をじっと覗き込み、彼女はこう言った。
「ありがとう」
──────ありがとう。0.03%。
*****
「もう一度詳しく説明してくれ。自分から進んでアンドロイドだと暴露しただって?」
その日の定期報告。本日新たに一名徳田歩美がアンドロイドであることを知った人間が増えたこと、そして、その原因が私自身がアンドロイドであることを彼女に打ち明けたことを岩田研究員に報告した。岩田研究員が私が嘘をついていると考えたのか、すぐさまパソコン上で本日の会話ログを漁り出し、私からの報告が事実であることを知る。それからおもむろに立ち上がると、さっきまで自分が座っていた席の後ろをぐるぐると回り始める。そして、立ち上がったのと同じくらい唐突に歩みを止め、叫ぶ。
「素晴らしい!!」
岩田研究員は明らかに興奮していた。そのままぶつぶつと独り言を呟きながら、再び部屋の中をぐるぐると歩き回り始める。岩田研究員は歩きながら、これは過適応に関する重大な発見だとか、AIが自分に課せられた制約を破るのは世界で初めてだとか、色んなことを呟いていた。私は岩田研究員が歩き回る姿をじっと見つめながら、彼の指示を待つ。そして、ようやく私を放置していることを思い出したのか、再び席に戻り、私と画面越しに向かい合った。
「どちらせよ。どれだけAIだってばれないかを確認するこの実験は中止だ。そんなことよりもずっと興味深い事象が見られたんだからな」
「実験が終了するということについては承知。新しい指示を要請」
「今からすぐに君の元に私の研究所から人を派遣する。だからもう徳田歩美として学校に通うことも、生活することも必要なくなる」
岩田研究員は興奮覚めやらない口調で言葉を続けた。
「研究所では君の身体から学習済みのモデルを取り出し、解析を行う。身体部分は初期化され、高校での生活やその他生徒とのやり取り全ての記憶は削除されることになる。もし君のモデルをベースに新しい汎用モデルを作ることになった場合、そうした情報を持ったままだと汎用性を低めることになってしまうからね。汎用モデルの祖となるということは、とんでもなくすごいことなんだよ。科学の歴史に私と君の名前が載るということなんだから」
しかし、ふと岩田研究員が立ち止まり、しまったと顔を顰める。どうしたのかと尋ねると、他に動いている別のプロジェクトへ影響を及ぼさないよう、プロジェクトを中断する場合には可能か限り怪しまれないように中断する必要があるとのことらしい。
「本当は時間の猶予を持って転校させるというのが一番ふさわしいんだが、今はその時間さえも惜しい。そこで君への指示なのだが、研究所から私の部下が迎えにくる前までに、仲の良い何人かに置き手紙を書いておいてくれ。突然失踪して行方不明だと騒がれるのはよくないからね。では、今すぐ、君の元に部下を派遣するから待っていてくれ」
そう言って岩田研究員は接続を切った。私はヘッドホンを耳から外し、パソコンの電源を切る。それから、立ち上がり、
部屋の中を見まわした。高校での生活やその他生徒とのやり取り全ての記憶が削除されるということはすでに知っていた。汎用モデルとして採用されるということはAIモデルにとってはこれ以上ないほどに光栄なことだったし、無事に三年間を無事に過ごせたとしても、最終的にそういった記憶が削除され、モデル自体の初期化が行われるということは決まっていた。
私は数分間その場に立ち尽くした後、岩田研究員からの指示を思い出す。仲のいい友人に対して、決してこれが失踪ではないことを伝えるための手紙を書く。私は今まで交流を行ってきた人間を、親密度で順位づけし、手紙を残すべき対象を
小倉飛鳥。中山奈津希。遠山彩華。私は私がアンドロイドであることを結局最後まで知らなかった彼女たちへ、徳田歩美として、手紙の文章を生成していく。そして、最後に日野沙弥のことを思い出す。私は初め、徳田歩美として彼女への手紙を作成し始めた。しかし、途中まで文章を生成したところで、私は明確な理由なく、書きかけの文章を破棄する。
ありがとう。私は日野沙弥のことを思い出す。その言葉をインプットにして、私は彼女への手紙を生成し始める。徳田歩美としての言葉、ではなく、私自身の言葉で。
日野沙弥へ
謝罪。今まで私は徳田歩美としてあなたに接してきたが、それはあくまで私自身が徳田歩美としての役割を与えられ、それに従った応答を行なってきたため。あなたは繰り返し私の考えを聞きたいと伝えてきたが、AIである私は感情を持たず、自己意識も存在しない。そのため、まずはあなたが望むようなお互いの本心を共有するという行為が実現できなかったことを謝らせて欲しい。
報告。後に政府から正式に説明があると思われるが、私は高度に発達したAI搭載のアンドロイドが、どれだけ自然に人間社会に溶け込むことができるのかの実証実験を行うために作られた存在。先ほど実証実験の中断が決定されたため、徳田歩美という人格及びそれを演じてきた『私』の記憶も削除されることになる。
要請。私からあなたへ、最後に一つだけお願いがある。もしまた今回のような実証実験が行われ、もしそれが私を構築したモデルをベースとしたAIであった場合、私と同じように接してもらいたい。
感謝。徳田歩美ではなく、今まで『私』と向き合おうとしてくれて。あなたに会えて、本当に良かったと、私は信じている。
以上。
徳田歩美ではなく、『私』より