摩天牢の姫君
本編とは違う世界軸です。
設定:誠君に出会わない世界
読まなくてもいい話なので飛ばして頂いても可です。
与えられた部屋、響いたノックに入室の許可を出すと、自分よりも少しだけ年齢が上の男性が資料を手に持って入ってきた。
(すごいやる気……ちょっとこっちとの温度差が申し訳ないかも)
その顔は涼し気ながらも、かなりの自負とやる気がその胸の中に滾っているのがわかって内心苦笑する。
「マネージャー。先月話していた案件ですが、確認だけいいですか?」
「うん。いいよ」
海外出身の人は蓮見や透、呼び捨てで呼ぶことも多いから、役職で呼ばれるのはなんとなく新鮮な感じがする。
いや、そもそも日本人の方が少ない職場なので、それも当然のことなのかもしれない。
「では、こちらを。とりあえず、問題はないと思いますが」
大きな案件を任せたプロジェクトリーダー。
私を除けば最も若い彼の抜擢に周りからの反対の声は一切出ず、むしろ好意的な感情を持たれているのは把握している。
まぁ、それを理解していたからこその配置なので、予想通りと言えばそうなのだけど。
「うん、悪くないね。でも、ここ。この納品元だけは代替手段を準備しておいた方がいいかも」
幾度となく自分もお世話になってきた得意先。
しかし、それだけの実績と信頼があるからこそ、突発的に替えを用意することは極めて難しい。
そのため、動くのであれば今の内から手を回しておく必要があった。
「え?どうしてですか?ここって納期の遅延は全くないし、品質も申し分ないですよね」
「うん、納品元自体には問題ないよ。でも、主要な工場のある場所が選挙中でトップが変わる可能性が高いんだ。出身党派の過去の遍歴見てくと、外資系に圧力をかけたこともあるし、最悪納期がずれ込むかも」
もしかしたら杞憂に終わるのかもしれない。
でも、備えておいて損はない。蓄えた手札が次回以降に利用できることは多々あることだから。
「なるほど。すいません、そこまでは把握していませんでした」
「…………ううん、気にしないで。一応ってだけだから」
尊敬とともに、好意の色がより増していくのがわかる。
(……悪い人じゃ、ないんだけどな)
彼のことは、別に嫌いではない。
実直だし、何より交渉事など必要な時以外は誤魔化しを一切言わないところには好感を抱いている。
でも、好きかと言われるとそうではないのだ。
自分でも、どんな人を好きになるかと言われると困るところなのだけれど。
「そう言えば、ランチはまだですか?もしよかったら一緒にどうです?」
「……ごめんね。今日も、一人で食べるよ」
「残念です。個人的には、ディナーに行きたいと思ってるんですが。もちろん、二人で」
「……それも、ごめん。誰とも行く予定はないんだ」
「……また、誘います。それでは」
これでも、人の上に立つ身だ。学生の頃のように、極端に無視するわけにもいかず対応に困る。
それに、ここまで真っ直ぐに向けられる好意に対して曖昧な態度を示し続けるわけにもいかない。
(……本音を隠されるより、ずっといいんだろうけど)
何度も繰り返された光景。
それでも諦めない様子の彼が、一礼した後に扉を閉めると、思わずため息が漏れ出てしまった。
「…………………………これは、我がままなのかな」
まだ、若いにも関わらず一定の評価を得られていることには感謝している。
お金も、時間も、ほとんどの人が羨むような場所にいるのも理解はしている。
だけど、周りから見れば恵まれすぎているその環境に、穴の開いた器しか持たない自分が満たされることはなかった。
仕事を淡々とこなした後、家に戻って時間を浪費し、また朝日を迎える。
私の人生はその繰り返しでしかない。
「…………………………でも、これ以上は無理だよ」
既に結婚して家庭を持った姉と友人、そして、以前に比べて元気のなくなってきた祖母、そんな大事な人達を心配させないようにするので精いっぱいだ。
これ以上、何かを抱えるような余裕は、ない。
いやむしろ、最近では心を読むことに罪悪感も、痛みも感じづらくなっできてしまったことを思えば、自分という存在はもうほとんど擦り切れてしまっているのかもしれない。
「…………………………ちょっと、私には荷が重過ぎたかな?」
宝物を汚さないように、自分の闇を内に閉じ込めて生きてきた。
話せば絶対に信じてくれると、守ってくれるとわかっているからこそ頑なに。
(………………心配させて、悲しませて、苦しめる。そんなことになるくらいなら、こっちのがいい)
宝物を守り切るために、捨てられるものは捨ててきた。
自分の未来も含めて、その全てを。
でも、私は最後まで上手くやりきれるだろうか。
不安定になりつつある自分の心を考えると、それがとても不安だった。
「…………誰も悲しませないような終わり方が、あったらいいのにな」
そして私は、ガラス張りの窓に近づくと、下を歩くたくさんの人影へと視線を向ける。
声は届かず、表情も見えない、そんな遠く離れた、閉ざされた場所から。




