大人の雪だるま
私と誠君、それにハル姉。
とりあえず炬燵にでも入ろうかと、客間の襖を開け廊下に出ると、何故だか誠君が驚いた様子で立ち止まる。
「どうしたの?」
周りを見渡しても特別、変なところはない。
一応、ハル姉の方も見てみたが、何かをしたわけではないようで不思議そうな顔をするだけだった。
「あー、いやさ。こんだけ雪積もってるとこ見るの初めてだったからさ」
「ああ、なるほど」
確かに、言われて気づく。
窓の外は深い雪で覆われていて、昨日までとはまるで別世界のようだ。
私は、見慣れているからこれが普通だったけれど、誠君はそうではないのだろう。
感嘆と驚きが入り混じったような表情をしていた。
「誠のとこは、あんま降らないのか?」
「そうですね。ちょっと積もったら大騒ぎというか、ほとんど冬用タイヤも履いて無いくらいのとこなんで」
「マジか。ちょっとおすそ分けしたいくらいだぜ。雪かきとかほんと大変でさー」
「夏なら、ぜひ。かき氷にして食べるんで」
「ははっ。夏に降るとかどんな異常気象だよ」
「昨今の地球温暖化なら……あるいは」
「あはははっ。ねぇよ!」
雪国故の銀景色というところだろうか。
そう言われると、中学生の時に町の方の中学校に行き始めた時は、ほとんど積もらないことに驚いた記憶がある。
知識をつけた今では、途中に挟んだ山の影響であると理解できて、特に思うこともないのだろうけど。
(…………いつの間にか、気づけなくなってくんだ)
もしかしたら、大人になるとはこういうことで、経験を重ねれば重ねるほど、新鮮さとか驚きとか、そういったものが失われていってしまうのかもと、なんとなくそう思わされてしまった。
「ん?どうした透?」
「…………うん、ちょっとね。大人になるって、いい事ばっかりじゃないんだなと思って」
「前は、早く大人になりたいっていってなかったか?」
「なりたいは、なりたいんだけどね。人生って難しいなって」
想い出は、遠く。たとえ、同じことが起きたとしても、人は同じ喜びを得られない。
昔ははしゃいでいた雪景色に、今は何も感じなくなってしまっているように。
だから、少し怖くなってしまったのだ。
私と誠君の人生も、ずっと一緒にいれば、いつかは色褪せてしまうんじゃないかって、そんな考えてもどうしようもないことに対して。
「…………はぁ。透は、いろいろと難しく考えすぎる時があるよな」
「……うん。つい、ね。そういうこと考えちゃうの」
これが、私の悪い癖だというのは知っている。
それこそ、ハル姉みたいに細かいことを笑い飛ばしていけたらって何度思ったかもわからない。
とはいえ、これは変えようがない私の性格の一部だし、おばあちゃんも思慮深さに繋がるところだと言ってくれたので、今は仕方がないことだと納得している。
「…………………………………………」
「…………………………………………」
それでも、やっぱり面倒くさ過ぎただろうか。
誠君もとうとう呆れてしまったかと、不安になる。
首を竦めて、苦笑しながら一人で歩いて行ってしまったハル姉のせいで、会話が止まってしまったから余計に。
「ごめ――」
「…………バイクでさ。昔、親父によく連れていかれたところがあるんだ」
「え? あ、うん」
そして、沈黙に耐え切れずに謝罪の言葉を投げかけようとした瞬間、それに重なるようにして聞こえてくる相手の声。
戸惑う私に、誠君は何を思ったのだろう。
穏やかにふっと笑うと、こちらをぎゅっと抱きしめてくれる。
「ほんと、景色がいいところでさ。小さい頃の記憶なのに、今でも感動したのをはっきりと覚えてる」
「…………うん」
「それこそ、とても自分で行けるような距離じゃなかったから、せがんで連れていって貰う時もあったくらいでさ。正直、何回行ったかも覚えてないくらいなんだ」
白い吐息が出てくるくらいの冷たい冬の空気。
それでも、触れ合った場所はやっぱり温かくて、心が落ち着いていく。
「けどさ、やっぱりどうしたって飽きてくるんだ。俺もだんだんと、友達とかゲームとか、他の楽しいことを知ってくしさ」
「…………うん」
「ちょっと、嫌だよな。そこは何も変わらないのに、自分が変わったせいで感動できなくなるって」
「…………うん」
何事も、繰り返されれば色褪せてしまう。
唯一無二だった光景が、経験が、増えていけばそれは数あるうちの一つに変わってしまうのだ。
だから、私は急に怖くなってしまった。
この家に来るのはもう初めてではない。他の事だってそうだ。
そして、それが溢れかえれば、いつかは幸せも薄れていってしまうんじゃないかって。
「でも、この前久しぶりに一人で行って思った。やっぱり、綺麗だなって。また来たいなって」
「…………うん」
「それに、親父に連れてきて貰わなくても来れるってのが、すごく感慨深くてさ。食べたアイスが、子どもの時よりも美味しく感じた」
「ふふっ。そうなの?」
「まぁ、運転の疲れが美味しさを引き立ててくれたんだろうな」
「…………そう、なんだ」
それは、成長したからこそ、大人になったからこそ、得られた経験なのだと誠君はそう言ってくれる。
ずっと同じように感じることは出来ないかもしれないけれど、それでもまたふとした時に思い出せたり、違う良さを見つけられると。
「だから、なんとかなるよ。きっとさ」
「……………………ありがとう」
「ははっ。なんなら、今から雪だるまでも作るか? 新しい発見があるかもしれないぞ?」
「……うん。作っちゃおう」
「え……冗談だったんだけど。さすがに、寒くないか?」
「ふふっ。私、誠君と違って雪国生まれだから」
「……そりゃ、羨ましいことで。まぁ、いいや。一緒に作るか、雪だるま」
「ふふっ。うんっ!」
雪は積もり、春になったら溶けて、また積もる。
同じことの繰り返しに、もしかしたら、飽きたり、うんざりしてしまうこともあるのかもしれない。
それでも、やっぱり未来の私も、同じように何気ない幸せを感じられているはずだ。
だって今、年甲斐もなく雪だるまを作るというだけで、これほど幸せになっているのだから。




