花街にて(4)
「さて、今現在見世の中にいる人間は全て、異端者の疑いがあります。出てきたら即座に捕え尋問にかけるように。あぁ、立てこもりをされても困りますから、とりあえず燃やしておきましょうか」
「ちょ、ちょっとお待ちください!!異端審問官様!!!」
のんびりと、今日の献立のリクエストをするような声で指示を出すモーリアスさんと、それを受けててきぱきと動く黒い神官たちの前に、《緋色の空》の店主が転がり出てきた。
歳の頃なら六十過ぎ。苦労を顔に刻みながらも、抜け目なく商売をしてこの花街の高級店を出すに至った鋭い目つきの老人だ。
「こ、これは、これは一体なんの騒ぎでございましょう! わたくしどもは国の承認を受けてここで長く商売をさせて頂いております! けして! けして異端審問にかけられるような行いはしておりません!!」
老人は見世に火をかけられまいと、必死に身を捩り無実を訴える。
それを受けてモーリアスさんはうんうん、とわざとらしく頷いていた。
「えぇ、確かに、性欲を満たす見世、というのは、えぇ確かに。こちらの……娼館は認可され記録もあります。しかし、ここ最近は少々異なる御商売をされているようで?」
「お、女たちに体を売らせるのは許されて……一緒に食事をするだけの見世の何が問題なのですか!?」
「はい。駄目です」
にっこりと、モーリアスさんは笑う。
「勝手にあちこち、欲を煽られては困ります。ここは聖王様のおひざ元。大神官様の威光の届く聖地であるというのに、競い合う醜い欲望など、芽生える者は悪しき心を持つ異端者に決まっています」
この異端審問官は、ためらわずに人を焼く。
見世の周りには黒い神官たちが集まり、何やら水……いや、油のようなものを、まいている。
「あ、あの異端審問官は何を考えている!!? こんな、見世が密集している区で火なんぞつけられたら!!」
慌ててうちの見世の店主が下に降りて行こうとするが、私はそれを止めた。
「巻き込まれたら、この見世も異端者扱いされますよ」
「なっ!!?」
モーリアスさんはそういう人だ。
私は手すりに捕まり、じっとモーリアスさんを見つめた。
《緋色の空》からは慌てて客と思わしき男性たちが出てくるが、すぐに黒い神官たちに掴まり、抵抗むなしく気絶させられる。
この場で命を奪うようなことはしないらしい、そのことにはホッとした。
「知り合い?エルザ」
「スレイマンの弟子なんです。なのでミシュレ、絶対その姿で出てきちゃだめですよ」
私は念を押しておく。
放っておいたほうがいいのならそうしておくべきだろうか。目の前のお店が全焼して中の娼婦の人たちが全員焼き殺される、というのは、できれば回避したいが、ややこしいことにならないか。
私などが説得できるか? また余計なことをするのではないか。
でしゃばらず、ただ黙って自分の身の安全だけ確保しておくべきではないか、どうせ、いつものように私は何もできないのだから。
……うん?
また、違和感。
私は本来、こんなことを考える人間だっただろうか?
この王都へ来てから、そうだ。
自分が『職業聖女たちとは違って、私は結界を張れる聖女なんだ』という、優越感のようなものを、感じていた。
だから、授業の内容について行けなくても、一人だけ歌に力が込められなくても、焦りも恥ずかしさもなくて……あぁ、そうだ。まるで、そうだ。ここへきて、最下位の聖女候補生なのに、そこに、重きを置かず……なんだ、これ、なんだ、この、思考。
今もそうだ。
メリダさんが、向かいの見世のやり方が良くないものだと言っていて、それをただ黙って見ていた。向かいの見世のこと。関係のないこと、と。
(人が過ちを侵すのを黙って見ている、なんだったっけ、それ、それは、なんていう、ものだったっけ)
ぼんやりと、チリチリ、頭の中に弾けるものがある。
なんだったか、そうだ、何か、変、だ。色んなことがいっぺんにあった。あの雪の凍えるように寒いクビラ街、あの霊峰で、いろんなことがあって、それで、モヤがかかったような、いろんなことがいっぺんに変わって、目まぐるしくて、私はスレイマンのために。
スレイマンのために?
「あぁああ!!」
悲鳴が聞こえ、思考が途切れた。
《緋色の空》に火がかけられ、その炎の勢いが魔術か何かで煽られ増して行く。
「やめろ!!やめてくれ!まだ中には、女たちがいるんだ!!」
店主が半狂乱になって叫び、黒い神官たちに押さえつけられながらも振り払って見世に飛び込もうとしていた。
+++
ふむ、とモーリアス・モーティマーは燃え盛り崩れ落ちる建物を眺めて一人頷いた。暮れる空に伸びる炎のなんと美しいことか。
人の悲鳴や、燃える肉のにおいなども辺りに漂ってくるものの、こういうものが人の心に恐怖を与えるのに効果的であるので、もっと燃えてもらって構わない。
昨今、王都の神殿ではとある問題が上がっていた。
貴族の間で、不要な『欲』が芽生えていると、これはゆゆしき事態である。
神の血を作るガニジャを育てる王都の神殿の水脈。王都の全ての井戸、水源にその成分を染み込ませ、生活している者たち全ての『欲』はある程度、国に管理されているものだった。
それがここ最近、大神殿の思い描かぬ政治闘争や宮殿の女たちの戦い、領地の争いなどがところどころで出てきている。
国同士の人口の微調整をするための戦争が、出世欲や利益を求める奪い合いとして起きるようになっていた。
水の濃度は問題ない。
神殿の影響力も変わらない。
だが、大神殿が望まぬ欲が沸き上がり、変化が起きようとしている。
「本来、このような見世が現れるはずがないのですがね」
この区画にある娼館の役目は、人の本能である性欲を発散させるためのものだ。性病の危険性も抑えられ、この花街があることにより『男の楽しみはこれだ』と決められ、消化されるようになった。犯罪件数も減っているという統計も出ている。
それが役目だ。
欲を発散させる場所。それが役割として作られたというのに、他人と競わせ欲を煽り立て、もっともっとと、欲望を漲らせる見世をするというのは、違う。
求められ定められたことが出来ないのなら、ここには不要。
だから燃やすし、灰にする。
「こんばんは、モーリアスさん」
炎を見上げるモーリアスの背に、幼い少女の声がかかる。
予想外ではなかった。
この区にいるというのは知っているし、なんなら毎日、私兵を使って彼女の行動を報告させてその全てを知っている。
「おや、こんばんは、聖女様」
しかしモーリアスは驚いたように眉を跳ねさせ、そしてゆっくりと頭を下げた。
「魔術学校にご入学されたとか。お祝い申し上げますよ」
「ありがとうございます。入学の事、知ってるなら、私がこのお店の向かい側でお世話になっていることも、知ってますよね。飛び火とか怖いので、やめて貰えませんか」
おや、と、モーリアスは今度は本気で驚く。
見下ろした少女。モーリアスの腰までもない小さな子供。
炎が反射して煌めく銀色の髪は夜の中でも美しく輝いているのに、かつて見た青く輝く宝石のような瞳は、以前ほどの耀きがない。濁っている。これは報告書だけではわからなかったものだ。
「……我々は火の扱いは得意ですから、飛び火などさせませんよ。しっかり、この見世のみ灰にします」
のんびり答えながら、モーリアスは膝をついて少女の目線の高さに合わせた。
顔つきからして、以前のものと違う。
何か切羽詰まったような、思い込んだような、あぁ、この表情を、モーリアスはよく知っていた。
「なんです?」
じっと自分の顔を見つめるモーリアスを不審に思ったのか、少女が不思議そうな表情を浮かべる。不躾を謝ろうとして、モーリアスは口を開いたが、出てきたのはまるで違う、本心だった。
「随分とつまらない人間になりましたねぇ」
「は?」
うっかり出た。
すぐに取り繕うべきだった。だが、モーリアスは、自分でもこれは不思議だったが、つらつらと、その後本心が流れるように出てくる。
「師が貴方を庇って亡くなったとか。それで悲劇の乙女のような顔ですか。聖女ではないと散々言いながら聖女科に入学ですか。それも、自分の本意ではないみたいな顔ですか。それで、これまでの自分を押し込めても師を生き返らせる、その意地が自分の強さ、みたいな顔ですか。いやぁ、無様というよりみっともない顔ですよ。聞く限り、聖女候補生としての生き方も中途半端、大神官様にたてついたその勢いも実がなく中途半端、あげくこんな場所で何をしているのかよくわからないし意味もなさそうで、ちゃんと考えて生きていますか?」
「長いので一言でお願いします」
並べた全てを、少女はあっさりと拒絶した。
そしてモーリアスは反射的に答える。
「本当に師を生き返らせることが出来るのですか」
炎が燃えている。
焼ける、肉のにおい。
いや、このにおいは。
+++
焼肉食べたいな。
あ、どうもこんばんはからこんにちは、野生の転生者エルザです。
燃える見世を前にして、恐ろしい異端審問官と対峙して、私の思考は至って正常だった。
燃える、燃える、炎が燃える。
暗い夜空に真っ赤な炎が立ち上り、悲鳴や嗚咽があちらこちらから上がっているけれど、私が突っ込みたいのは見世で燃えているだろう大量のテリーヌドパテやら、肉類がとても良い匂いをあたりに漂わせている、ということである。
香辛料文化の国なので、肉の焼けるにおいに、こう、混ざり合った香辛料の……言ってしまえばカレーっぽい匂いが充満している。
私がモーリアスさんと話をしている間に、燃える見世の中に火の耐性魔術を発動させたアゼルさんが飛び込んで逃げられなかった娼婦の姐さんたちを助けている。
私は私と目線を合わせてくれているモーリアスさんを見つめ返し、その瞳に映っている自分の顔を確認し、そしてモーリアスさんの顔を見る。
「なんて顔をしているんですか、モーリアスさん」
あれこれつらつらといきなり捲し立てられたし、なぜか非難されたがそれらを私がしっかり受け止める義理はない。言いたい事は一つだけだろうと思って問うてみれば、大の大人の男も震え上がらせる恐ろしい異端審問官殿は不意に、子供のような顔で答えてきた。
「……私としたことが」
自分の吐き出した言葉とその響きに、モーリアスさんは我に返って片手で口元を覆う。手袋をはめたその手から血がにじんできて、モーリアスさんが羞恥から唇を噛み締めたのが分かった。
「……このにおい、人の焼けるにおいではありませんね」
「人間がこんな良い匂いで焼けてたらショックですよ、私」
ぐるり、とモーリアスさんが炎に燃える見世を眺め、目を細めた。
「この匂い、この成分が原因のようです」
「と、言いますと?」
「私が口を滑らせた理由です」
モーリアスさんは特殊な訓練を受けた異端審問官だ。その体はラザレフさんの依代になったり、身体強化で刃物を素手で叩き折れるようになったりと突っ込みどころ満載だが、そのため、精神攻撃や毒物などは効かないらしい。
そのモーリアスさんが、この炎によって焼かれたもののにおい、成分を嗅いで、自分が話そうとしていない言葉が出た。
「この効果は、聖女様がトールデ街で作られたものに似ています」
私が作ったホットミルクか。
問答無用で他人に神性の効果を叩きこみ、何らかの影響を与える。私の所為で教会の人たちが亡くなった、というあの事を思い出し私は俯く。
「この見世で出していたという料理に……聖女様は関わっていますか?」
「いいえ、出しているのは何の変哲もない保存食を綺麗に並べただけのものだと聞いてますけど」
関与を疑われたが、私は今回は無実だ。
王都で流行っているテリーヌドパテ。
それはどこぞの魔術工房で作られている品と聞くから、モーリアスさんが調べればすぐにわかることだろう。
黙っていると、ぶつぶつと何かを呟きながら考え込んでいたモーリアスさんがもう一度私に視線を合わせてくる。
「聖女様は、あの見世をどう思いましたか?」
「どう、とは?」
「男の自己顕示欲や自尊心を煽り囃し立て財産を奪おうとする見世と、その手段の為に浪費される料理について、です」
なんて答えて欲しいんだろう。
四歳児に『キャバクラをどう思う?』と聞いてどうする、と思うが聞かれたので考える。
「料理は、必ず目的があって作られるものなので、その目的について良し悪しを考えるのは、別に……ありません」
アゼルさんの発言といい、この《緋色の空》は間違いなく何か人の精神を操ったり、あるいは何らかの影響を与えられるものを混入させている。
しかし、それを食べたからどうなった、というのは、そのために作られた料理であるので、卑怯だとか料理がかわいそうだとかそういうのは、特に思わない。
「料理をこよなく愛する聖女様、おそらく、この見世が出していた料理の数々は恐れ多くも初代聖女様が結界を張り守ってくださったこの大陸の人々に不和を齎す毒が混ぜられております。忌々しき事態ですね」
頷かなきゃ駄目だ、という空気だ。
私は縦とも横ともつかない微妙な方向に小さく首を揺らし、答えを濁す。
「あ?!儂の料理が、なんだってッ!?」
すると、私たちの方へ怒気を孕んだ声が投げられた。
振り返るとそこには、真っ白い前掛けに白い厚手の布で作られた服……コックコートの、老人が立っていた。
「神崎竜二郎シェフ!!!?」
「は?誰じゃい、おまえさん」
見覚えのある顔に叫ぶと、老人は怪訝そうに私を見つめ眉をひそめた。
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