騎士達の事情(2)
「ねぇあなた、彼ってあなたの騎士なんでしょう? わたしが引き取ってあげるから彼にそう言って頂戴」
唐突に声をかけられ、私はさすがに一寸驚いた。
どうもこんばんはからこんにちは、野生の聖女エルザです。
午後の訓練場、聖女候補付きの騎士たちが実力を競い合うという名目でありながら、何かとあれこれややこしい思惑があるというこの訓練。私はアゼルさんが順調に勝ち進んでついに決勝、というところで一度直接応援の言葉でもかけに行くべきかと席を立とうとしたところだった。
決勝のお相手は、ミルカ様に次いで成績が優秀だったという聖女候補生の専属騎士。確かお名前はサーシャ・ザリウス聖女候補生。騎士の名前は知らないが、これまの試合でバッタバッタと相手をなぎ倒してきたのでとても強いのだろう。
それはさておき。
「と、言いますと?」
「見た目も悪くないし、レンハルト、あぁ、うちの騎士のことよ。レンハルトに聞いたけど、魔力も持ってるんでしょ? わたしが引き取ってあげた方が彼にとってもいいのよ。わかるでしょ?」
誰だっけこの人。
なんだかこう、自分が考えていることは相手にも伝わっているというような態度で話を進められるのは、まぁいいとして、しかし私は彼女の名前が思い出せなかった。
同じクラスの候補生ではない。候補生の序列十五位、最下位の私の顔見知りは同じクラスの、小国からやってきた気弱な少女と女性の二人。そして序列十位のジュリエッタさんくらいなもので、目の前の、肩まで切りそろえられた艶のある黒髪に可愛い顔立ちの女の子(13,4歳くらいだろうか)は、そう言えば同じ聖女候補生で時々見かけるなぁ、くらいで……名前は知らない。
しかし、相手は私を知っているようなので、こう、誰だアンタ、と聞くのも申し訳ない。
黙っていると、黒髪の候補生は私が受け答えができないことを嗤うように目を細め「まぁいいわ」と一度区切った。
「あとであの騎士をわたしのところでよこしてよ。荷物なんかなくてもいいわ。どうせ貧乏人の子でしょう? こっちで色々揃えてあげる」
「彼は私の騎士なので、そちらにはいかないと思いますが」
勝手に話を進める彼女に、私はとりあえずそれだけは言っておく。
アゼルさん。
ザークベルム家の、血筋や順番でいえば家を継げる生まれの青年。
彼の私への忠義は、ただの『自分は違う』という証明のためのものだ。
自分を育ててきてくれた騎士ロビン卿が大国アグド・ニグルの間者であった。自分の出自も半生も、何もかもが信じられず、拠り所がなかったアゼルさんを唆して『私を見ろ』と仕向けたので、アゼルさんは私に忠義を捧げることで、自分を保っているだけだ。
だから、別に仕えるのは私でなくてもいい。
忠義を捧げられ『自分はロビン卿のような騎士ではない』と、そう生きられるのならいいのだろうが、しかし、それでは私に都合が悪い。
彼はミシュレの息子だし、魔女の加護を受けた魔獣を使役している。
どこかの貴族やら国の息もかかっていないし、私が「貴方の主人です」という顔をしていれば、自分の理想の生き方のために私に付き従ってくれる盲目さがある。
「自分に騎士がいなくなることを心配してるの? 別にいいじゃない。あなたみたいな落ちこぼれじゃ聖女になれないし、変な噂もあるし、出世の道もないのにあなたに付き合わされてるあの騎士が気の毒だわ」
まぁ、それは確かにそうだ。
だが、こちらの都合で悪いが、駄目なものは駄目だ。そう答えようと私が口を開く前に、こちらにもう一人、聖女候補生がやってくる。
「みっともない真似は止めなさい」
シャラン、と鈴の音がした。
足元まである長いベールに身を包んだ、褐色の肌に錆色の髪の、背の高い女性だ。
「サーシャ・ザリウス様……」
「フォルテ・デガ聖女候補生。第三位の聖女候補生なら、なぜ自分の騎士を信じないのです」
現在最も聖女の座に近いとされる、第一位の聖女候補の登場に黒髪の候補生、フォルテさん……いや、まぁ、フォルテ様がサッと顔を赤くし唇を噛む。
「だ、だって、だって、わたしは、強いって聞いたからレンハルトを付きの騎士にしてあげたのに、彼、こんな最下位の子の騎士に負けるし……こんなことなら、前の騎士のままにしておけばよかったって、反省してるけど、でももういないし。もうすぐ星回りに出なきゃならないのに、強い騎士じゃないなんて、死ににいくようなものだし……」
自分の言動を正統だといいたいのか、あれこれとフォルテ様は爪を噛みながら続ける。
っていうか、星回りってなんだっけ?
「確かに、専属の騎士を決める権限はわたくしたちにあります。けれど騎士はただ身を守るだけの存在ではないのですよ」
ブツブツと続けるフォルテ様を、サーシャ様はぴしゃり、と冷たく言って突き放した。
美人だが、とても怖いな、この人。
「わ、わかってます! わかってるけど……! ッ、もういいです!」
氷のような顔で自分を見つめるサーシャ様に耐えかねたのか、フォルテ様はそう吐き捨てて闘技場を出て行ってしまう。そのすぐあとに、慌てて彼女を追いかける騎士が一人いたので、彼が彼女の付きの騎士なのだろう。
なんだったんだ、一体。
「あの、助けて頂いてありがとうございます」
唖然とその姿を見送り、私は自分の席に戻って行こうとするサーシャ様を呼び止め頭を下げる。
「……あなたも、無駄なことは止めなさい」
「はい?」
「聖女になるのはわたくしです」
褐色の肌に、瞳の色は美しい緑だ。どこまでも通る美しい声に、敵意はなかった。
ただまっすぐに事実を告げる、というその伸びた背筋と顔に私は目を見開く。
「でも、あの、私も一応……聖女候補の一人としてここに来ましたし……」
というか、職業聖女と違って私は野生の聖女なんだけれど……と、思って私は「おや?」と自分の中に沸いた感情に気付く。
あれ? 私、今。
「あなたの事は兄から聞いてます。それでも次の聖女になり、魔王の器を生むのはこのわたくしの役目と、決まっているでしょう?」
「えっ、ちょ……」
「なんですって!?」
私とサーシャ様のやり取りを傍観していた、他の聖女候補生の方々が慌てて席を立つ。
それらを一瞥もせず、サーシャ様は淡々と続けた。
「この中の一人でも、わたくしより強い神性と高い教養、血筋に後ろ盾を持つ者はいますか? わたくしと対等であったのはミルカ様だけ。あなた方が次の聖女に選ばれることはあり得ません」
「ちょ、ちょっと! 何を言うのよ!」
「いくら現状一位だからって……! そんなの、わからないじゃない!」
「聖女の素質はこの中の全員にあるし、それに、生まれなんか関係ないのが聖女でしょう!!」
観客席であるこちらが騒ぎ出したので、なんだなんだ、と訓練場の視線がこちらに集まってきている。
女性だけの、しかも聖女候補生たちの諍いということで、遠巻きにされているが、その中でツカツカと、気にせずやってくる騎士は三人。
「ご主人様、如何されました」
真っ先にやってきたアゼルさんは私を庇うようにして立ち、サーシャ様を睨み付ける。が、その視線に何も表情を変えず、サーシャ様は「ダン」と短く言うと、彼女の前に屈強な騎士がサッと割って入った。
「ダン卿。どうも、貴方の主人が私の主に何か無礼なことを言ったようですが?」
「ふん、おれの主は正直な御方でな。主を無礼というのなら、事実を受け止められぬ愚か者であるということだろうよ」
「貴方は素晴らしい騎士だと思いましたが、認識を改めます。私の主人を侮辱されたと受け取ります」
「成程、決勝戦は互いの主の名誉をかけた戦いになるな、小僧」
などと、やってきてあれこれ騎士の話を進めるが、私は置いてけぼりを食らっている気持ちでいっぱいだ。
アゼルさんと、サーシャ様の騎士二人はそれぞれ睨み合いを始める。
決勝まで勝ち上がった二人の実力者をどうすれば止められるのか。私はアゼルさんの服を引っ張ってズボンでも下ろしたら、場の空気が変わるんじゃないかと思いつくが、私の名誉を守ろうとしてくれている人の名誉を貶めるのは、まぁ、よくない。
「止めろアゼル、そもそもお前が勝ち進んだのが悪いんだ」
と、そこへもう一人、ジュリエッタさんの騎士ロメオさんが入ってきて、二人の体を引き離し距離を取らせた。
「聖女候補生エルジュベート様、あなたからも自分の騎士にきちんと言い含めてやってくださらねば困ります。先程のフォルテ様のような方を刺激しないためにも、我々騎士は聖女候補生の方々の序列にあった実力だというフリをしなければならないのです」
専属騎士は、何も聖女候補生を守る事だけが仕事ではない。
彼らは皆、家や国の思惑を背負っている。聖女という特殊な立ち位置の「政治などわからない女」を上手くおだて、自国が豊かになるように、コントロールしなければならない。
だから、何もわからぬ小娘の、聖女候補生が自分の気まぐれで騎士を変えることがないように振る舞うべきなのだ、とそう、言いたいのが伝わってきた。
あぁ、煩わしいなぁ。
「アゼルさん」
私は自分の騎士の名を呼んだ。
「はい、ご主人様」
「疲れました。帰ります。誘導してください」
ゆっくりと私はサーシャ様に頭を下げた。
この方は、おそらく私を庇おうとしてくださったのだ。
フォルテ様の言動は私が引き起こした。そして、アゼルさんが強い、ということが示された以上、こういう騒ぎに繋がる、または別の問題……どこぞの貴族がアゼルさんを囲い込もうと動いたり、何かあるかもしれない。
いや、そもそも私が知らないだけで、聖女候補の私の騎士になった無所属のアゼルさんを自分たちの都合の良いように使おうと手を出してきている人間もいたのかもしれない。
「私の自覚が足りませんでした」
聖女候補生とか、騎士とか、面倒くさいことが多すぎる。
私は聖女の結界が張れるのに、そう思って、また、あれ? と、心に沸く感情があった。
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