表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
92/162

フラメンカエッグ


「あぁ、姐さん、姐さん、頼みますからこんなところに来ないでくださいよぅ。あぁ、もう、エルザさんのことはおれらでちゃんと見ますから、あぁ、こんなところに水晶様がきちゃあいけねぇよう」


私が買われた娼館は街一番の高級娼館だとかで、使用人も多い。娼婦たちの食事は使用人たちが持ち回りで作り、そのメニューはすぐに食べれて腹持ちが良いもの、が定番であるらしく、大体が茹でた肉や魚の細かいものにスープ、パンである。野菜は生野菜は体を冷やし体調を崩しやすいと言われあまり食べられることがないそうだが、その背景は生野菜は手に入っても日持ちがせずコスト的な問題なのだろうと思えた。


人気なのは卵料理だ。栄養価も高く、安価であるので店主も気前よく毎日ひとつは食べて良いというお達しらしい。


「しかし私は一つといわず三つは食べたい。そう、育ち盛りなのでね!」


油汚れやあちこちに生ごみが落ちている、あまり衛生的によろしくない調理場で卵を手に取り、私はうんうん、と一人頷く。


現在、隣には満月のように美しいメリダかあさんと、その周囲にはこんなところに店一番の高級娼婦が来るなんて! と大慌ての使用人の方々だ。


メリダさんは「水晶」という称号を持っているとてもすごい人らしい。以前は部屋から全くでなかったその人が、私について調理場に来るようになっているものだから、ここ最近は水晶様をひと目見ようと他の娼婦の人たちもひょっこりと調理場をのぞいてくる。


「エルザ、トマトは湯むきして、他の野菜は細かく切って炒めておいたわよ」

「ありがとうございますミシュレ。さすが、あの地獄の職場を経験しただけありますね、手際が良い」

「やめて思い出させないであの地獄」


背の足りない私は調理場に木箱を持ってきて足場にしているがそれでも背丈はまだ足りない。

切ったり炒めたり、をミシュレがやってくれて、フンフンとその鍋を貰い味を確認する。


味付けには塩と、屑野菜でだしをとったスープを使う。少し加え、そこに少しだけ白ブドウ酒を入れる。アルコールをしっかりと飛ばして更に煮る。


「これにサイコロカットした小さなジャガイモを入れてやわらかくなるまで煮詰めます」


スープが半分くらいになるまでが目安だ。

私は芋を加えた料理はパンチが聞いて欲しいので粗びきのこしょうをたっぷり入れたいところだが、メリダさんはこしょうは喉に引っかかるのであまり好きではない、とのこと。仕方ない。


ぐずぐずとジャガイモが軟らかくなってとけてきたので、それを少し深めの平皿に敷き詰めて、丸い窪みを三つバランスよく作る。


「そしてここに生卵を割り入れます。黄身が綺麗に割れるととてもいいですね」


そして卵の周囲には色の綺麗な野菜、ピーマンっぽいものや小さく切ったベーコン、赤や黄色のパプリカっぽい野菜を色鮮やかに並べていく。ここセンスが出る。


「本当は白アスパラも加えたいところですが、まぁいいでしょう。あとは高温で天火焼きして、卵が半熟くらいになれば完成です」

「ただのふかした芋に目玉焼きを乗せるだけじゃダメなの?」

「え、だめです」


何をつまらないことを言っているのか、もっかい厨房行く? と私はミシュレを見上げる。


「まぁ、きれいねぇ。すてきねぇ」


かまどを覗くメリダさんは、うっとりと呟いて少女のように微笑む。

あたりにはトマトソースと芋の焼ける良い匂いが漂ってきた。ちょうど卵の黄身が良い具合にぷるぷるとしている、というくらいで私はかまどから取り出し、火傷しないように気をつけながらスプーンですくって一口食べてみる。


「……私の料理が世界を変えないのはおかしい」


あー、もうめちゃくちゃうまいわーこれ。


このあたりのトマトは生のままだと味が薄いが、聖なる水を使って湯むきすると甘くなる。魔力調理の一つなのだろうが、その辺りは学校の先生にでも質問しよう。


そして甘くなったトマトに、20年前からはやり始めたというジャガイモっぽい根菜が……これまた良く合う。ただふかすとパサパサするのだけれど、これにスープを加え、炒めてうまみを引き出した玉ねぎとニンニクを加えることでとても滑らかな口当たりと、ジャガイモの素朴な味がスープによって力強く後押しされて、えぇ、とても、おいしい。


「パンもカリカリに焼きましたし、ゆっくり部屋で食べましょう」


半熟卵をぷっつりと割ってパンにつける瞬間を想像するととても、お腹が減る。

私はメリダさんに声をかけ、ミシュレにお皿を持って貰って上へあがろうとすると、その背に何人もの娼婦さんたちが声をかけてくる。


「あー、もう! ずるい! アタシらもエルザちゃんの料理が食べたいよ! ねぇちょっと、メリダ姐さんの分を作るならついでにアタシらのも作っておくれよ! 材料代と手間代なら払うからさぁ!」

「作り方は簡単なものばかりなので、お世話役の人にお願いすれば作って貰えますよ?」

「うーん、でもなんか違うのよねぇ!」


ボソッとミシュレが「そりゃ、プロの料理人とじゃ違うわよ」と呟いたが、私が作る料理はほぼスペインの家庭料理だし、日本料理のように繊細な味付けやら下処理の必要なものではない。


「私が読み書きできるようになったら時間が出来ますから、その時は作らせて貰いますね」


料理はしたいが、心配事といえば、下手に作って私の料理の特性……神性が毒にならないか、ということだ。なので料理をする際は慎重に、自分とミシュレで毒見をしている。今のところ作る料理や、食べて貰う場合、その人に害はないのだけれど。


「あ、そこか、私のバナナケーキが興味持たれなかったの」


聖女候補となれば様々な思惑が付きまとうらしい。国同士のあれこれとか、お家騒動にもなったりならなかったりと、中々に面倒なことがあるそうだ。


それで、なるほど、得体の知れない、というか、魔王の娘という私の料理なんぞ、そりゃ、毒でもあるんじゃないかと警戒されはしても、手に取って食べようなどという気にはなれないか。


「聖女候補同士なら大丈夫だと思うんですけどねぇ……?」


今度ミルカ様の口に突っ込んでみるか、とそんなくだらないシャレが頭に過る。


「まぁ、とってもおいしいわ。あったかいおりょうりで、こんなにおいしいもの、はじめてよ」

「メリダさん、それ昨日も言いました。うん、まぁいいでしょう」


毎日毎日、振る舞うものを驚き喜んで食べてくれるメリダさんの記憶力はとても弱い。


私とミシュレも座って、卵料理を食べ始める。


作った料理の正式名称は、フラメンカエッグ。スペインの郷土料理の一つで、あの情熱の国の華やかな踊りの衣裳を表わすような色使いの美しい料理だ。


細いメリダさんには栄養のあるものを沢山たべて貰いたいし、目でも楽しめる料理を作りたい、と今日はこれを選んだ。


「ほう、良い匂いですな。食事の時間に、申し訳ない」


三人で美味しい料理を堪能していると、コツン、と軽く扉を叩く音がして、引き締まった体の偉丈夫が現れた。


私とミシュレはすぐに頭を下げて部屋を出ていこうとすると、メリダさんの一番のお客であるという、聖王都の多分、とても身分の高いおっさん……いや、中年男性は止めるように手を振った。


「いや、いてくれて構わない。メリダがたくさん食べるようになったと聞いてね。これまで何を贈っても一口しか食べれなかった彼女が……と信じられなかったが、どうやら本当のようだ」

「……ッ、ハムをくれた人……!!!?」


メリダさんのお得意さんであるこの人の容姿は聞いていたのですぐに思い当たったが、詳しいことは知らない。

しかし、私がここにきて、あれこれとメリダさんあてに届く滋養のある食材や珍しい品を日をあけずに送ってきてくれている良い仕入先……じゃなかった、良い方がいて、それがこの人か!と私は手を叩いた。


そうか、ハムの人か。


私はうんうんと頷き、丁寧に頭を下げる。


「エルザです。いつも母がお世話になっています」


私のここでの身分は、メリダさんの私生児だ。


一月前、今後のことを考え、アゼルさんの他に王都出身の専属騎士を選ぶようにとラザレフさんが場を整えてくれたのに、何をトチ狂ったのかミルカ様が邪魔して私を人買いに売り払い、まさかの花街で見世に流されそうになった。


そこを、窓からたまたま私を見かけたメリダさんが、それまでぼんやりしていた夢の中の住人とは思えぬほどはっきりとした動きで駆けだして、店主に、私を買わなければ舌を噛むとまで言って脅して、私は金貨50枚で購入された。この金貨50枚はメリダさんの借金になっている。


犯人はミルカ様だと私はわかっているが、残念ながら証拠はなく、ラザレフさんも「逆に、寮にいるより安全かもね?」などとのたまっている。


店主は私がいるとメリダさんの心が落ち着くし、食事も色々手間暇かけたものが出て娼婦たちの機嫌も取れるとか、そんな打算があるそうだ。もし出たいなら金貨100枚払え、と言われ、さすがにそんな持ち合わせはない。


とりあえず現状は、ミシュレをメリダさんと私の用心棒役として呼び寄せ、アゼルさんは騎士の宿舎で夜間を過ごし、朝になるとここまで迎えに来てくれる。


金貨100枚かぁ……。

料理のレシピとか売れないかな…売れないな、私のプライド的に。


「良い匂いだね。私も少し貰えないかな?」

「これはだめよ、グリジアさま。わたくしのかわいいこがわたくしのためにつくってくれたんですもの。あげないわ」

「はは、そうか。残念だ」

「追加で作って来ましょうか?」

「手間ではないかい?」


あ、良い人だこの人。


無理を言っているのを分っているし、私をちゃんと気遣ってくれている。

こういう聞き方をされて断り辛くなっている、というのももちろんわかってくれているうえでのやり取り。


私は首を振って、作ってきます、と答えミシュレと一緒に下に降りた。王都のお偉いさんに何かあったらまずいので、作るのはミシュレだ。


追加で作る、と言えば他の姐さんたちも「それならアタシらのも!」と言ってきたので、他の使用人さんたちも巻き込んで大勢で料理を作る。


すると、見世の外で「なんだ、なんだ、羨ましいほどうまい匂いをさせやがって」「あぁ、腹がへったなぁ」「酒しかのめねぇからなぁ」という声が聞こえてくる。


この花街は沢山の娼婦の館があるものの、そこでは綺麗な娼婦たちと一夜を楽しんだりお酒を軽くは飲むものの、飲食というものはしない。

ここまで来ているのになぜ飲食業が発展しないのか、本当に不思議だが、そういうものだと頭で思っていると、そういうままになるのかもしれない。


私は出来た料理を上に持っていき、グリジアさんに提供する。


おぉ、と短く声を漏らし、グリジアさんはごくり、と喉を鳴らした。


「グリジアさま、わたくしね、これにはしろいおさけがあうとおもうのですよ」


ソッ、とメリダさんがガラスの綺麗な杯に透明なお酒を注いでいく。

まずはそれで喉を潤して、グリジアさんは真ん中の黄身をぷっつりと割った。


……こういう料理って、最初どこから食べようとするかで性格がわかるよなぁ……。

偏見かもしれないが、こう……最初にメインの卵を割る……色町にくるだけあって、むっつりスケベと見た!! と、勝手に失礼なことを考えていると、半熟卵の黄身がたっぷり絡んだジャガイモにベーコンを乗せたものを、グリジアさんは一口で食べ、ぐっと目を閉じた。


「ぐっぅ……」

「熱かったんですか!!? 火傷ですか!!? まさかの舌火傷ですか!!!?」


湯気めっちゃ立ってるんだから熱いのわかるよね!? と私が慌てていると、グリジアさんは私を手で制し、首を振る。そしてごくり、と白いブドウ酒を口に含み飲み込むと、体を震わせ、ぎゅっと目を閉じたまま低い声を絞り出した。


「うまい……うますぎる!!」

「あ、ハイ」


唸ったんですか、そうですか。



Next

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ