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聖女候補ジュリエッタ


「いいですかジュリエッタ。貴方は次代の聖女として必ず勝ち残らねばなりません。それがお家のため、お国のためだと心得なさい」


一か月ぶりの母親の訪問に、ジュリエッタの心は沈み込んだ。

いつもいつも、同じ事を繰り返し言われる。

着飾った母の首から下げる宝石はどんどん大きくなるように思えた。


(そのお金はどこから? 私がまだいた頃、うちはパンを買うお金だってなかったのに)


いいや、聞かずともわかっている。

ジュリエッタに聖女の素質があると判明した次の日、見たこともない豪華な馬車がジュリエッタを迎えに来た。そして、嫌だと、行きたくないと泣く自分の頬を叩いた母の手には、もう見知らぬ宝石が輝いていたではないか。


「伯爵さまは貴方を全力で支援してくださるとお約束してくださいました。いいですね、けっして伯爵さまの期待を裏切ってはいけませんよ」

「はい、お母さま」


いつもの母の長い話はやっと終わったようだ。

聞き流していたけれど、どうせいつもの、伯爵さまがどんなに素晴らしい方か、どんなにお金持ちか、どんなによくしてくださっているか、そういう話だろう。


「公爵夫人、大変申し訳ございませんが、ジュリエッタ様はこの後ご予定がございますので」


母に会えるのは嬉しいのにどんどん心が沈んでいく。

そういうジュリエッタを気遣ったのか、傍らに控えていた黒髪の騎士ロメオが背筋を伸ばしてこの母と子の再会を終わらせようとする。


「予定? 実の母親の私より優先されることなど娘にあるのですか」


ジュリエッタを王都へやってから、聖女を生んだ女と国でもてはやされている母は、騎士の言葉に眉を跳ねさせる。何か不快だ、という意思表示だが、貴族の夫人が夜会で一寸やって見せる小技を真似たのだろう。今までは嫌な思いをさせられたら、こんな仕草はせずすぐに怒鳴り散らしていた人だったのに。


「学園のお友達とお勉強を一緒にしようと、約束しているのです」


ロメオが叱られては嫌だと、ジュリエッタは母の視線を自分に向ける。


「お友達……? あなたに友人などいたのですか?」

「はい、その、最近……親しくさせていただいております」

「まさか、噂になった、あの魔王の娘じゃないでしょうね」


ジュリエッタはドキリ、とした。


けれど学園での生活のたまものか、自分も平民の娘だった頃のように感情をすぐに表に出すことはせず、胸の内で押しとどめるのが上手くなったらしい。


「私のお友達は、小国エルナからいらっしゃった御令嬢ですよ?」


目をキョトン、とさせ、母の言葉の意味がわからない、というような顔をする。


すると母は娘を侮る。何も知らない愚かな子、と鼻で笑い、そして、学園にいる娘は知らないのに、遠く離れた己は学園の噂を知る、社交界でもしっかり皆と交流できているのだ、という自信が芽生えていく。


「あぁ、お前ときたら本当に愚かなのだから。ですが、まぁ、聖女たるもの、そのように愚か……いえ、純粋であったほうがいいのでしょうね。ロメオ、娘が良くない噂の者と交流しないようお前がしっかりと管理なさい」


ホホホ、と貴族のように笑う母は、ロメオに命じるが彼は返事をしなかった。聖女候補ジュリエッタの専属騎士であるロメオはジュリエッタの言葉しかきかないのだ。だが母はロメオが返事をしなかったことにも気付かぬほど上機嫌に笑い、そしてぴたり、と笑いを止めてジュリエッタを見つめる。


「でもお前も油断はしないように。今はいいかもしれないけれど、聖女になれるのは一人きり。そのお友だちもお前の敵の一人なのですよ。一緒に勉強する時、お前に間違った知識を植え付けて成績を落とそうとしてくるかもしれない。気を付けなさい」


(彼女はそんなことをするような方じゃないわ!)


そう、叫んでやりたかった。

けれどジュリエッタは微笑んで頷く。いつものように。もう、売られる前の自分のように泣き喚いて母に自分の気持ちを理解してほしい、なんてことはしない。そんな無駄なことは、もうしない。


「はい、お母さま」


そう答えれば、母は満足するのだ。

自分の気持ちを分ってくれたと。自分の考えを理解してくれたと。


自分はちっとも、娘の気持ちを理解しようとしないくせに。




+++




「ねぇロメオ、この髪型はおかしくないかしら? ローブの裾は、広がりすぎていないかしら?」


母に別れを告げて、学園へ戻ったジュリエッタは、出来るだけ早歩きをしながらも身なりをしきりに気にした。


「いつも通りだと思いますが」

「もう、貴方っていつもそう、参考にならないわ」


手鏡でも持って来ればよかったと後悔する。


聖王都が誇る、魔術学園、その聖女科にジュリエッタは在籍していた。

今年で三年生になるジュリエッタは十五歳。聖女科へ来る者は、その素質が発見された時なので、年齢はまちまちだ。ただ共通点は全員が女性であること。


魔術学園の最も奥、何重にも結界が張られた建物が聖女科の学び舎だった。


聖女科の生徒は女性だけだが、聖女候補には必ず専属の騎士が付く。

騎士は自分の出身国の騎士団から付けられる事が多く、ジュリエッタも生まれた小国グリタニアの騎士団長の息子ロメオが付けられた。


名目としては護衛、であるが、聖女候補は身分の低い平民の娘からも出る。その時に、国が他国の聖女候補と水面下の権力闘争で負けぬよう、後ろ盾になるのだ。

平民の出の聖女候補が一度貴族の養女になってから学園へ上がるのも、そういったことが関係しているらしい。


そして、そういうことをしていても、聖女候補の中にも、身分の上下はある。


少し前までは聖女科に君臨していたのは、大神官ラザレフ様の後ろ盾があり聖王都の公爵令嬢だったミルカ様だが、彼女は半年前に大神官様から直々に「資格なし」と言い渡されて聖女候補から外された。

優秀な彼女が何故、とその時は騒然としたし、ミルカ様も随分と暴れ……いや、騒がれ…いや……動揺されたご様子だったけれど、次代の聖女を教育する支援者として学園に残られ、最近は落ち着かれたように思える。


「あぁ、もう先にいらしているわ。どうしよう、私、あの方を待たせてしまったのね」

「あちらは気にされないと思いますが」

「私の気持ちの問題よ!」


もう! とジュリエッタは頬を膨らませる。

母に売られて、何もわからないまま環境が目まぐるしく変わったジュリエッタは、自分にずっと付き従ってくれているロメオを信頼していた。

だから、もう母にもわがままや本心を言えなくなっているのに、ロメオにだけは正直に感情を露わにできる。

その事に感謝してはいるけれど、もう少し気遣いをしてくれてもいいんじゃないか、と思いながら、ジュリエッタは待ち合わせ場所、裏庭の大きな樹の影に厚い布を敷いて座っている少女に近づいた。


(あぁ、今日もなんて美しいのでしょう)


キラキラと、木々の隙間からこぼれる光を受けて輝く銀色の髪。長い銀の睫毛は伏せ目がちになって、その青い宝石の瞳を薄く隠すベールのようだった。


彼女は二週間前にこの学園へ編入してきた者だ。

聖女科ではそれ自体は別に、珍しいことではない。


けれど、彼女は特別だった。


「ジュリエッタさん、ごきげんよう」


読書をしていた彼女は、ジュリエッタの存在に気付くと顔を上げ、その幼い顔に月の吐息を受けたような淡い微笑みを浮かべる。

腕のいい細工師が作った鈴を転がしたってこれほど美しい音は出ないと思う声は耳に心地よく、ジュリエッタは自分の名が呼ばれたこともあり、うっとりとしてしまった。


彼女はまだ四歳、ジュリエッタの弟より幼い子供なのに、聖女の素質があるとこの科へやってきた。歴代でも最年少らしい。


「グリタニアの伯爵令嬢ジュリエッタ様。騎士ロメオ様」


ジュリエッタがうっとりと見とれていると、少女の傍らにいた青年騎士が礼を取ってくる。少女の専属騎士のアゼルだ。このアゼルという騎士は、どうやら貴族の嫡子でも名誉ある騎士団の者でもないらしい。どこぞの家に仕えていた、それはジュリエッタも噂で聞いたが、その家からはもう除名されているとかで、正式な騎士の身分のない青年。それが、この美しい聖女候補の剣であり盾であるという。


それを知った時、ジュリエッタは驚いた。

だがそれよりももっと驚くことが、この少女にはあるのだから、本当に特別なのだ。


「遅くなって申し訳ありません」

「いいえ、私は今日は授業の他に予定もありませんでしたので、早く来て読書をしていただけです。ジュリエッタさんは時間通りですよ」

「えぇほーんと、薄汚い小娘が、神聖な学園の敷地内に居座っているなんて、図々しいにもほどがありますわね。授業が終わったのなら、さっさと女郎街に戻りなさい」


謝罪するジュリエッタを優しく迎える少女に感動していると、甲高い声が庭中に響いた。


「こんにちは、ミルカ様」

「ご、ごきげんよう、ミルカ様」


少女とジュリエッタは、現れた人物に挨拶をする。


金色の髪を長く伸ばし、束ねる事はせず自慢するように腰まで流したミルカは、その整った顔を憎々し気に歪めてジュリエッタを見、そしてその隣にいる少女を強く睨む。


「わたくしの言葉が聞こえなかったのですか。魔王の娘の分際で、聖女候補など汚らわしい」


侮蔑する瞳で見つめ、そして吐き捨てる。

ジュリエッタは怒りが沸いた。


「あんな、根も葉もない噂をミルカ様は信じていらっしゃるのですか」

「小国の平民は黙っていなさい。あなた程度がこのわたくしに意見するなど、身の程を弁えなさい」


確かに生まれた身分は、ミルカは公爵令嬢、ジュリエッタは平民の娘だが、今は違う。

ミルカは聖女にはなれない。けれど自分は、未だ聖女候補だ。


見下される覚えはない。

だが、言い返せなかった。それでもミルカは公爵令嬢。それも、聖王国の公爵家の御令嬢様なのだ。逆らえば、きっと母の耳に入る。そして、きっとなんてことをしてくれたんだと、殴りに来るに違いない。


ぐっと、下を向き拳を震わせていると、ミルカの嘲笑が響く。


「根も葉もない噂なものですか。わたくしは知っているわ。あの恐ろしい異端審問官局長の顔と名前を、あの裏切りの聖女の事も。だからその小娘が平然と名乗った時にわかったのよ。あぁ、魔王の娘だ、ってね。わたくしの、聖女であるわたくしの目はごまかせないわ!」


言ってピシッ、と少女を指差す姿は罪人を裁く正義の使者のように背筋が伸びている。

しかし罪人判定された少女はミルカに顔を向けることもせず、パタン、ぱたぱたと読んでいた本を片付け、あれこれ、とお茶の道具を出し始めた。


「別に隠してもないですからねぇ。あ、アゼルさん、そこのお茶の葉取ってください。ジュリエッタさんが来ましたし、お茶を入れましょう」


全力で無視している。

その存在をこれ以上認識することを止めている。


そういう態度で接する少女は、フルフルと怒りで震えているミルカを放置し、ジュリエッタに微笑みかけた。


「今日のおやつはバナナケーキを焼いてみたんですよ。ありがとうバナナ、ありがとう南国」


彼女はいつも、不思議な料理を作る。


当たり前の顔で、あたりまえのようにするので、それは自分が知らないだけで他の人たちにはきっとあたりまえの食べ物なんだろうと思っていたのに、この二週間で、彼女の作る料理は誰もが知らない、特別なものだと気付いた。


とても美味しくて、不思議な気持ちになる。

食べることが楽しくて嬉しいと思う料理を、彼女は、エルジュベート・イブリーズは作ってくれる。


「エルザ様は特別な方ですのね」

「そういうことはないと思いますけど」

「特別だと思いますわ」


ジュリエッタはわからなかった。

エルザと、愛称で呼んでくれと言ってくれたこの美しい同級生は、なぜ魔王の娘だと、そう周囲にいつも罵られ、そして、恐れられているのだろう。


編入してから二週間が経った。

エルザはいつも一人でいた。

講師や、他の科の生徒でさえ、エルザを見て恐れる。

有名な青の魔術師など、エルザが挨拶をした瞬間首を吊ろうとしたほどだ。


魔王の娘、呪われた少女、火刑台の魔女。

そんな蔑称がエルザに投げられる。


それでも、その銀の髪を揺らして青い瞳をまっすぐに前に向けているエルザはどこまでも美しく、ジュリエッタの目には尊く映るのだ。



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