もう二度と、二度とこんな悲しい思いはしたくない!
木の器の中にどろりとよそられたのはクタクタになるまで煮込まれたラグの木。土のにおいと、思わず鼻をつまみたくなるすえた臭いが湯気になって襲ってくる。木製のスプーンですくって口に運べば、まず最初に感じるのはザラリとした木の触感と思わず吐き出したくなるほどのえぐみ。三歳児の乳歯で噛み切れるものではなく、なんとかぐちゃぐちゃと口内でさらにやわらかくして水分で飲み込む。
「……ぅ、ぐ…う、ぇ…」
「泣きながら食うやつがあるか。食べたくないなら無理をして食うな」
どうも、こんばんはからこんにちは、ごきげんよう野生の転生者エルザです。
頑張って喉に押しやり流し込んでも、胃が「こんなん消化したくない」とばかりに揺れて戻そうとしてくる。それを口を押え息をゆっくり吸う事でやり過ごし、私は自分の向かいに座ったスレイマンに首を振る。
「いいえ、いいえ、ぜったいに、食べきります」
私たちは村長さんの家の空き部屋に泊めて貰えることになった。私たちが移住したいという話はスレイマンが明日の朝タイミングを見て村長にすることにし、とりあえず今晩は旅の疲れもあるだろうからと二人だけで先に食事をし眠るようにと気を使って貰った。
それで私はスレイマンと向かい合い、この村の主食「ラグの木のスープ・魔力入り」を食べているのである。
「……お前がこれをそのまま食べるとは思わなかった」
まずい、めちゃくちゃまずい、っていうかこんなん人間の食べ物じゃねぇと心底思いながらも黙って食べていると、スレイマンがボサボサの髪の奥で目を細める。私はなんとか四分の一ほど胃に納められたので、小休止とばかりに一度膝の上に器を置く。
正直、これをなんとか食べられる料理にすることは難しくなかった。
手持ちの干し肉、ベーコンの切れ端、この旅でいくつか手に入れた魔物の食材や少しだけ残っている母さんと過ごした森の木の実など。調味料だってある。
だが私はあえて何も手をくわえずこのまま食べることを選んだのだ。
「……この味をしらなければ、だめなのです。この村に住むときめたから、だから、もう二度と、こんなものを食べないですむように、私はこの味をわすれません。私の食事でもっとも悲しい、この記憶をわすれません」
手持ちの調味料はこの村に住み続けるのならいつかは消える。その他の食材も、私が村の外から持ち込んだものだ。今後同じ物が手に入る、というものでなければ駄目だ。
「……そうか」
「つき合わせてすいません」
「ふん、悪いと思うのなら明日からはこれよりマトモな食事を出せ」
私の意地に付き合わせていることを詫びると、スレイマンは木のスープを乱暴にかきこみ口元を拭う。味に頓着しない、ような態度のこの男でも、やっぱりまずいものはまずく味わいたくはないらしい。
「まずは森に狩猟に行くことを村で始められるようにしてもらいたいんですけど、これってどう思います?」
森は食材の宝庫だ。危険はあるが、人類は危険な場所でも自分たちの知恵や工夫で対処し乗り切ることができる生き物である。
たとえば罠を張れば、自分より攻撃能力のある獣を捕ることができる。適した武器、投擲や弓を使い接近せずに獲物と戦い勝つこともできる。
スレイマンの魔術や魔法で魔物をしとめて村の食料としたところで、それではスレイマンが村の狩人になるだけだ。片足が不自由なのでそれ程遠くにはいけず、取れる獲物だって限られてくるはず。
だから、長期的に見れば村人たちに狩りの習慣が出来ればいいのだが…。
「まず村長の反対が大きくあるだろうな」
「どうしてですか?」
「魔物のいる森、その付近にあってこの村がこれだけ平穏なのは、これまで村が森に手出しをしなかったからだろう。魔物や獣、魔法種は縄張りを重視する。この村は森に隣接していながら、まじりあうことがないことで均等を保ってきたはずだ」
それを崩せばこれまで通りの村ではなくなる。それを村長が危惧しないはずがないとスレイマンは言い切った。
「畑を作る、という道も、この村の食糧問題を解決できるほどの収穫は無理だ」
「土の問題、ですね?」
最初は良い手だと思ったが、その後にこの村や周囲の土を調べて私はかなり難しいと頭を抱えていた。
土が粘土に近いのだ。粒子が細かい、ということは空気の流通が悪く植物が窒息死する。しかも青灰色の粘土だ。これはもうほぼ空気がない。
「ラグの木が育つということは、土に瘴気が含まれているということだ。ラグは瘴気を養分とし魔力に変えている。普通の植物がこの土で育つのは無理だな」
私の見たものと、スレイマンの魔術師からみたものは違うが結論は同じだった。
そしてスレイマンの言葉は、たとえ私の知る「粘土をなんとか植物が育つ土にする」という方法、耕し肥料を使い空気の隙間をつくり微生物を繁殖させる、ということをしても、瘴気という私の前世知識ではどうにもならない問題を突きつけ、絶望させた。
「……となると、やっぱりあのアルパカにかけるしかないですね」
「また妙な名を…。あれはワカイアという名がある」
アルパカの方がしっくりくる。
「スレイマンはあのアルパカの体毛で魔術式を編んだことはあるんですか?」
「ワカイアは確かに魔力を通す珍しい種で魔術式を編んだ布を作る事が出来るが、染色に向いていない欠点がある。あんな素朴過ぎる色の布を身に着ける趣味はない」
もう聞けば聞くほどアルパカの特性じゃねぇかと思わずにはいられないが、魔法種というので今後はワカイアと呼ぶしかないかと私は諦める。
「なんかこう、あのワカイアしかない特別な力とか効果ってないんでしょうか」
「何もないからこの300年この村はこうなんだろう」
にべもない。
しかし、それでもスレイマンは自分が知る限り、という前置きでアルパカの体毛の需要について、どんな魔術式が編み込まれているものが多いかなどを教えてくれた。
この村に住む、という私の考えに賛同してくれているとは思っていなかったので少々意外に思う。
だが聞けば聞くほど「……だめだ、ブランド化も難しい…」と頭を抱えたくなる。
一応、長所としては以下の通り。
・この村にしかいない貴重な魔法種。
・魔力を通す体毛。
・一頭当たりで一年間にとれる体毛は三キロ。
・寿命は15年程度。
・餌はラグの木の葉を食べるので村での飼育は簡単。
一方短所だが……
・魔力を通す体毛が取れる魔法種は20種ほどいる。
・成長し体毛を取れるまでに時間がかかる。
・一年で3キロは他の種に比べると少ない。
・染色に向いていない。
・魔術式を込めない布だと脆い。
・この村の人間にしか毛を刈らせない。
などなどと言ったところだ。
「………体毛じゃなくて、肉とか利用できないでしょうか」
「この村にとってあの魔法種は家畜ではなく共存相手だ。肉を食べるなど、共食いのようなものだろう」
「せめて乳が絞れればよかったのになぁ…」
十一か月で一頭しか出産できないため、乳が取れる期間がものすごく短い。それをアテにはできないし、子育ての邪魔はしないという村人の考えがありそうだ。
村人にとって家畜ではない。
これはかなり重要なことだろう。
私たちが村に住むという希望を叶えるために、けして忘れてはならないことだ。
村人の生活を改善したい、というのは私のエゴ。それを押し通すにあたっても、彼らに無礼を働きたいわけではない。
尊重しなければならないところを蔑ろにしては、反感しか買えないだろう。
となると、あと使えそうな手は……なんかあっただろうか。
「……それにしても、これほんとうにおいしくないですね。冷めると更に」
美味い要素はかけらもないが、それでも暖かい方が幾分かマシだったように冷めたものを前にして心底思う。
冷めて硬くなった木のスープは器の中で布のように膜を張り、その刻まれた木の欠片が模様のように見えた。
「………これだ!!」
はっと、私ははじかれたように顔を上げる。
そして直ぐに自分の料理道具や食料の入っている葛籠に手を伸ばし、ごそごそと中身を漁って目的のものを取り出した。
「これです、これですよ!スレイマン!!これなら、いけます!!!」
「……薄汚れた布がどうした」
私が取り出したのは瓶などが割れない様に包んでいた厚手の布である。元々はスレイマンのいた洞窟にあったなんの変哲もない布だが…私の目にはもう、金の布と同等に見える。
「待っててくださいマーサさん!私は必ずこの村を豊かにし…小麦粉やバターに困らない生活で、ケーキを作ってあげますからねー!!!!!」
夜分であるが構わず叫び、その手に布を掲げる。
アルパカの体毛を出荷するだけだから買いたたかれるのだ。
それならば、この村で作ってしまえばいいのではないか!
そう、魔力が通せる特殊な布を!!!
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日付変わる前に投稿したかったので短い話。
おやすみなさい。