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野生の聖女は料理がしたい!【書籍化】  作者: 枝豆ずんだ
第五章 冬の踊り子編
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落ちる、影


大国アグド=ニグル。


四つに分かれた大陸の内、聖女の結界の引継ぎが上手く行き泥に沈まずに人間種の生活圏が確保された二つの大陸を合わせても最も巨大な軍事国家の名である。


君臨する皇帝はその統治を五百年続けており、人類種の国の八割が聖王国の聖女制度に頼っている中で、独自の手段で聖女の結界を維持し続け国土を守っていた。


皇帝は自国民にとっては神にも等しき存在であり、その統治は優れ五百年間内乱が起きたことは一度もないという徹底ぶり。国民は皇帝を敬愛し、皇帝もまた自国民を何よりも大切にする名君だった。


スレイマンは思い出す。


魔王の魂が囚われ封じられたのは三百年前。


それより以前に、確か……まだアグド=ニグルが土地は広いが軍事力の低い弱小国家であった頃、魔王が気紛れにアグド=ニグルを侵攻し人口を十分の一まで減らしたことがあったはずだ。


いや、それだけではなくてその百年後くらいにも、魔王を警戒してあれこれ戦力を整えとうとして、あと十年程で魔族の伯爵くらいは退けられる戦力が整う、という所を襲撃して皇帝とその側近たちを蹂躙した覚えもある。


…………いや、そういえばほんの十五年程前にも、単身でアグド=ニグルに攻め込んで王都を焼いた気がする。燃える王都で足蹴にしながら、自分を睨み付けてくる皇帝の青い瞳を思い出しスレイマンは小首を傾げた。まぁ、今はそんなことはどうでもいいのだ。


「聖王国の管理する小国に、アグド=ニグルの手の者が何の用だ?」


あの死にぞこないの皇帝はあれこれと面白いことを考える。


スレイマンが知る範囲ではあるが、百年ほど前からあの国では生まれた赤ん坊の頭に魔族の角を埋め込んで、血統や素質に関係なく高い魔力を持つ兵士を作り上げていた。

自国の民を我が子と慈しむ皇帝であるから、人体実験に自国の子供は使わず、侵略した国の人間を使ったり、適正調査の為にあちらこちらから子供を攫ったりと、他国に非難される材料には事欠かぬ国である。


「貴様はクリストファの、ザークベルム家の古くからの家臣であろう。何十年も前からこの地に潜り、行わねばならないようなことなどあるのか?」

「皇帝陛下におかれましては、十年も二十年も、それほど長い時間ではありませんからなぁ」


のんびりと答えるロビン卿に、スレイマンはふむ、と少し考えるように口元に手を当てて、そして中年騎士の両腕と両足を斬りおとした。響く、絶叫。


「いや、何。話をするだけなら、もはや手足は不要だろう? 抵抗されて一々相手にするのが面倒だ」

「お噂通り、異端審問官殿は手厳しい」


脂汗を額にびっしりと浮かべながらロビンは乾いた笑いを浮かべるが、スレイマンには心外だった。


これでも随分丸くなったと自覚しているのに、こんな程度で厳しいなどとは。


「狙いは何だ? この土地の聖女の結界の、星屑種を奪おうというわけではないな。聖王都の管理する結界に鎮座した星屑どもはそこを住処と決めている。攫えるような類のものでもない」


ここでロビンを殺してしまうのは容易かった。だが、十年単位で潜入したその目的が気になった。


「魔女を生み出す事、ですよね」


問い詰めようとするスレイマンの耳に、ここにいる筈のない子供の声がかかる。


「何故ここに来た。馬鹿娘」


溜息を吐き、声のした上空を見上げれば翼の生えた魔獣の背に乗り浮かぶエルザがいた。





===





「どうも、こんばんはからこんばんは、もうすっかり深夜で幼女の体の私は眠くて仕方ないんですけど、まぁ、頑張りますよ」


アゼルさんに手伝って貰って、トン、と地面に降り立てば風の結界の効果が消え辺り一面に漂う、むせかえる程の血の臭いに顔を顰めた。


「……」


巨大な、それはとてもとても、大きな、見たこともない不思議な姿かたちの生き物が、地面に横たわり絶命している。あちこちを切断され、鎖でつながれ、槍で押さえつけられているその姿。


不思議と、恐ろしさはなかった。

これが魔女だと、すぐにわかった。


ミシュレは私の心の奥底に閉じ込めているので、この惨状を見て反応することはない。

私が近づこうとすると、スレイマンがそれを止めた。


「もう死んでるんですよね?」

「あの血は猛毒だ。下がっていろ」

「ですって、イレーネさん」


言えば、これまで大人しくしていたらしい、金髪に美しい顔の令嬢がぴくり、と体を強張らせた。


「セレーネさんから聞きました。貴方は魔女になるつもりだったんですね?」


問えば、イレーネさんは両腕両足を斬りおとされ身動きが取れなくなっている中年騎士、ロビン卿に顔を向け、何か言葉を待つようなそぶりを見せたが、ロビン卿が何も言わないので、彼女もそのまま押し黙った。


私はイレーネさんを拘束するようにアゼルさんにお願いし、アゼルさんがイレーネさんの両腕に魔術式の編み込まれた布をかける。


「失礼します。イレーネ様」

「……アゼル。セレーネは無事ですか?」

「お屋敷でお休みになられています」

「そう。死んでないなら、いいのです」


言って、そのままストンとイレーネさんはその場に座り込んだ。


「わたくしたちはどうすればいいのかしら。いいえ、それよりもっと前からね? わたくしたちは、どうしたらよかったのかしら?」

「言っても意味ないんですけど、領主さんが、二人のお母様を井戸に突き落とした、それをセレーネさんが目撃してしまった時、ロビン卿を頼らず別の大人にすべきでしたね」

「わたくしたちの話を聞いてくれる大人はロビンしかいなかったのです」


それはわかっている。


魔女の娘の生まれ変わりだと、恐れられ疎まれ軟禁されていた双子だ。優しくしてくれるのはロビン卿しかいなかった。そうなるようにロビン卿が仕向けたのだから、そもそも、どこからどう省みても、イレーネさんもセレーネさんも、ロビン卿に利用されるという運命は決まっていた。


「私はお二人を騙したわけではありません。確かに、我が祖国の利益を一番に考えた計画ではありましたが、お二人にとっても最善の道だと今でも思います」

「……ロビン様」


地面に這い蹲りながらも、その声音の強さは変えずに淡々と語るロビン卿を、アゼルさんが痛ましいものを見るように眺めた。


育ての親のこの姿。

アゼルさんがどんな思いをいだいているのか私には想像することしかできない。


「イレーネ様は本来、魔女の娘ミシュレの魂を入れるための器として選ばれその体はお母上の胎の中で育てられた。しかし、ミシュレの魂の宿らぬ貴方は、領主の娘でも魔女の娘でもない不完全な存在だ」


ゆっくりとロビン卿がイレーネさんに囁く。


あ、これ聞かせたらアカンやつじゃない? 別にもう聞かせなくてもこっちとしてはわかっているから言わせなくてもいいやつじゃない?


生まれた双子。どちらがどちらかというその問題。

その所為で死んだ母親。目撃してしまったセレーネ。


イレーネにはミシュレの記憶がある。自分のものではないという自覚もあり、自分はミシュレではないと理解もしていて、しかし、自分が魔女の娘の生まれ変わりになるはずだったのだということもわかっていた。


だから苦悩した。自分は何者なのか。どう生きるべきなのか。魔女の娘と振る舞えばよかったのか。母の殺害現場を目撃し、それを恐れたセレーネが魔女の娘の方ではないと知られたら、きっと殺されてしまうとも思った。


そういう、様々な葛藤、子供の苦しみ。頼るべき大人がいない双子を、ロビン卿は唆した。


というか、色々話を組み立てていくと、そもそもルシアにクリストファが懸想してしまったのも、そもそもロビン卿が唆したように思える。


「スレイマン、ちょっとロビン卿を締め上げといてください」

「殺した方が早いぞ」

「今殺してしまうと、勝手に結ばれたセレーネさんとアグド=ニグルの貴族の人との婚約がそのままになって、ザークベルム家が乗っ取られます」


マーサさんが攫われた時に、あの態度の悪い使者の人がアゼルさんに向かって叫んでいた言葉を思い出す。色々情報が揃った今だからわかるが、あれはそういうことだったらしい。


私はグリフィスさんがマーサさんに惚れて更生しようとしていなければ、きっと愚か者のままロビン卿に良い様に利用されて後ろからバッサリやられてたんだろうと、そこまで考えてゾッとする。


長い年月をかけはしたが、ようは、ザークベルム家の乗っ取りと、人工的に魔女を作れないかという実験だ。

その実験場に選ばれたのが、たまたま、魔女の呪いを受けたとされるザークベルム家だったと、そういう話。


「―――魔女を作るだと? そんな手段があるものか」


色々すっきりしたと私が一人納得していると、スレイマンが難しい顔をしていた。


「……わたくし、魔女の種を飲み込めば、魔女になれると聞きましたわ。そのために、スレイマン様に魔女を倒して頂く必要がございましたの。そして、そのスレイマン様をわたくしが殺す必要もございました」

「聖王都の聖女制度とはわけが違う。聖女は元々人間だが、魔女は違う。人間種が成れるのは同じ人間種だけと決まり切っている」


スレイマンは否定するが、私にこの話をしてくれたセレーネさんも、魔女の腹から取り出した種を飲み込めば、飲んだ者は魔女になれるのだと、そう信じている様子だった。


「種、飲んじゃうとどうなるんです?」

「うん? そりゃあ、決まってるさ? 普通は苗床になって死んじゃうよ!」


私はスレイマンに問いかけたつもりだったが、スレイマンが答えるより早く、唐突に、明るい少女の声が場違いに響いた。


「エルザ!!」


素早く、スレイマンが私の腕を引きマントの中に庇う。


その一瞬遅れで、周囲が炎に包まれた。


アゼルさんは魔獣を呼び、イレーネさんをその魔獣の翼で守る。自身も何か唱えていたので風の防御壁を張ったのだろう。だが炎の威力の方が強いのか、二人の顔は歪んでいる。


「スレイマン!!」

「……わかったわかった。いいから、大人しくしていろ。顔を出すんじゃない」


私はスレイマンが守ってくれるので絶対に安全だが、周りはそうではない。

そうじゃなくて全員守ってという意味で呼ぶと、呆れた溜息ひとつ吐いて腕を振り、炎はあっさりと消えた。


「いやぁ、さっすがに強いよねぇ。僕の炎ってそう簡単に消えない筈なんだけど、自信なくすなぁ~」


炎が消えて開けた視界には、燃えるように赤い髪の女の子が、ロビン卿に杖を向けて立っていた。


十歳かそこらの、まだ丸みを帯びた顔の美しいというよりは可愛らしい部類の少女。着ている服装はこの世界で私がまだ見たことのないタイプ。前世の記憶を引っ張ると、中華風とも見える服装。


「……同胞を弔いに来たか?」


ビリビリと、スレイマンから怒気のようなものが上がる。星屑さんと対峙した時に似てる。


女の子はスレイマンの怒気を正面から受けてもまるで怯える様子がなく、コロコロと目を細めて笑った。笑うと猫のようである。


「まさか。ラングダは愚かだよ。子供を拾って育てる程度は、まぁ、僕だって覚えがあるけれど、まさかそんなものの為にここまでするなんて。これまでの全てを無駄に無意味にしちゃうんだもの。愚かすぎてどう反応していいかわからないよ」


同胞、と言いそれを肯定する発言であるから、この女の子、魔女の類なのだろうか。


赤毛の女の子の杖がロビン卿の体をコツンコツンと叩くと、斬りおとされた四肢が元通りになった。透明な布で覆っていただけで最初からそこにあった、見えなかっただけだ、とでもいうような気安さに、私は驚く。


「おや、その子。とっても綺麗な銀髪に、青い目だ。まるでどこぞのお姫様のようじゃないか。姫君と言えば、そういえばうちの姫君も君のように青い目だ。銀の髪の美しい、」


女の子の目が私を捕え、面白そうに歪む。

もっとよく見ようと近づくその少女の足元に、スレイマンが黄金の槍を落とした。


「これに興味を持つな、貴様も氷の魔女のように滅ぼすぞ」

「僕はラングダみたいな下位の魔女じゃないから、ちょっと難しいんじゃない? っていうか、見るくらいいいじゃないか」

「両目をえぐり出す、顔を出せ」


いきなり出てきたボクッ娘と、スレイマンは淡々と会話をする。顔見知り、という様子だが友好的には見えない。少女はにこやかにしているが、常に他人を小馬鹿にしたような話し方をする。


「僕がラングダの種を奪うワケにはいかなかったから、君が殺すのを待っていたんだけれど……横取りしてしまうお詫びに教えてあげるから感謝してね。通常、魔女の種を生き物が飲み込めば世界樹の苗床となる。でも、生き物の力はたかが知れているから樹はそれほど大きくなれない、ざーんねん」

「そんなことは知っている」

「この僕がお話してやっているんだ、黙って聞きなよ、夜の王」


茶化して話す少女にスレイマンが冷たく切り捨てるように言えば、ジロリ、とこれまでと打って変わって冷たい目をした少女がスレイマン以上に高圧的に吐き捨てる。


「なので、本来は祝福という属性を持ってる種を反転させちゃうのさー。ふふ、すっごいね、驚きだね、そんなことを考えつく人間種は恐ろしいね!」


なんだかノリノリで、一人この場をコントロールしようと言う態度の少女に私はただ困惑する。


だが、ぱちんと指を鳴らした少女の面前にキラキラと光る小さな粒、種のようなものが現れ、目を見開いた。


「そういうわけで、この種は僕が貰うし、ロビンとこっちの器の方は僕が回収しまーす」

「は?! 駄目です! それは私とスレイマンのですよ!!!!」


いきなり出てきて、自分が主役みたいな顔をしながら何を言うのか!


私は思わず飛び出して、少女の手から種を奪い取ろうと手を伸ばす。指先がわずかに触れ、そのまま勢いよく伸ばしきれば奪い取れると、そう期待した。


「あはっは!!」


魔女と、目が合った。


目に痛いほどの赤い髪に、金色の瞳。その瞳がまっすぐに私を見つめ、見つめ、ぐるぐるとのぞき込み、相手の瞳に私が映っていると、そう自覚しかけた瞬間、後ろから強く腕を引かれ、私の位置と、私を後ろから引っ張ったスレイマンの位置が入れ替わる。


「あれっ? 身代わりかい? まぁいいや、それなら君が、落ちろ」


大きく下がる私の位置から見えたのは、魔女に顔を抑えられ瞳を覗きこまれたスレイマンの後ろ姿。


その黒髪が揺れ、体は糸が切れた人形のように、そのままどさり、と地面に崩れ落ちた。


魔女の高笑いが響く。


私が即座にスレイマンに駆け寄り体をゆすり何度も何度も呼びかけても、その顔は大きく目を見開いたまま瞬きすらせず、体は氷のように冷たく、硬くなっていくだけだった。


恐ろしくなり、私はスレイマンの胸に耳を当てる。

呼吸も、心臓の音も、脈も、聞こえない。


スレイマンは、死んでいた。







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