誰が駒鳥を、殺したのか(2)
「どこから、私の思考を操作してたんです!!?」
井戸の淵に座るミシュレは怒鳴る私にしれっと、肩をすくめる。
「貴方があんまりにも馬鹿だから、やりやすかったわ。前世の記憶と人格がある仲間だものね、触れやすいし、侵しやすい」
「私と、未来を見るんじゃ、なかったんですか!」
「貴方、馬鹿ね、本当」
そこでふと、ミシュレが表情を消した。
「私のこと、気の良い同居人とでも思ったの? どうして私が言いなりになるなんて思えたの? 馬鹿ね。ちょっと、おしゃべりしただけで」
心底不思議そうに言うが、しかし、ほんの、少し前じゃないか。
この井戸で、私はミシュレに提案した。貴方が見れなかった、描けなかった未来を見よう、と。そしてミシュレはそれを受け入れてくれて、だから私を井戸から出して、守護霊のように体の中に入ったのではないのか。
「エルザ、貴方ちょっと、あの魔王に甘やかされて勘違いしてるんじゃない? 貴方の言う通りに都合よく、何もかも進むものですか」
あの井戸に閉じ込めているだけでは、スレイマンがいずれ私を助け出しただろうと、ミシュレは予測していたらしい。だから、一度はちゃんと「帰し」てやれば、スレイマンは油断した、と。
「私の事、ただの馬鹿な娘だと思ってたんでしょう。足を開くしか能がなくて、男にだまされるだけだって、貴方、見縊ってたでしょう。未来を見せる? 笑わせないで。貴方の描く未来なんて、ちっとも魅力的じゃないわ」
騙されていた、などと被害者面はさせてくれないらしい。ミシュレはズカズカと遠慮なく言ってくれる。
「私は魔女の娘ミシュレ。井戸の底で殺された女。これ以上の先は望まない、このままでいい。貴方が、料理人として前世の通りに生きることを望むように、私はこのまま、復讐できればいい」
復讐、とミシュレは言うが、しかし私にはわからない。
彼女を殺した人間はもう亡くなっているじゃないか。ザークベルム家に子孫であるからって、そこまで、自分の未来を諦めてまで復讐したいものなのか。そう、そこが理解できないから、私はミシュレに拒絶された、とも言えるけれど。
「私を殺した男はまだ生きてる。クリストファよ。まだのうのうと生きてる、でしょ? 子供もいて、立派なお屋敷で、領主様と傅かれてるじゃない」
タン、とミシュレが井戸を叩いた。
そして再び、私はマーサさんたちのいる現実世界に意識が浮上する。
「エルザ殿……?」
心配そうに私の顔を見るアゼルさんに、私は自分の口や体がちゃんと自分の意思で動かせるかを確認し、笑って答えた。
「ちょっと、寝ぼけてました。すいません」
成程、私は上手くミシュレを騙して自分の側に取りこめたと思ったけれど、そんなわけがなかったと、ただそういう話だ。
私の中にいるミシュレは、私の思考を誘導できる。それも、私がどこからどこまでかと自覚しきれない程、ゆっくりと、ご丁寧に。
……信じれる自分の思考はどこまでだろう。
ミシュレはザークベルムに復讐を、クリストファに死をと、そう分りやすく言ったがそれも信じていいものか。
駄目だ。他人の心が私には見えないのだから、聞く言葉が本当かどうか、わからない。
「……君は、私の母親なのか?」
頭を押さえて佇む私にアゼルさんが話しかける。その顔は困惑、しながらも何か、探るような表情が浮かんでいる。
「どう、思います?」
「……ザークベルム家の、魔女の娘の生まれ変わりというのが現実に起こっているのなら、私を産んだひとが生まれ変わって、それが君、ということも……あるように思える」
私は先ほどまでアゼルさんに好意を感じていたが、今はそれが嘘のように消えている。あれは、ミシュレの感情だったのかもしれない。
ミシュレはルシアの体でアゼルさんを産んだ。
彼女にとってアゼルさんは息子だけれど、でも、アゼルさんは、本来ミシュレが生むはずだった子供の生まれ変わり、ではない。
「……残念ですが、私は違いますよ。私はただのエルザです」
この人は本当に、孤児だ。
ミシュレは、自分が生むはずだった息子の生まれ変わりならアゼルさんを愛しただろう。けれど、ミシュレがアゼルさんを産んだのはただの手段であって、彼に対して思う心はない。そういう風に生まれた彼には、私から何か言うつもりはなかった。
「だが君は先ほど……そうか。いや、妙なことを言ってすまなかった」
アゼルさんは私を見つめる瞳を細め、けれどそれ以上は追及しなかった。
「それで、エルザ殿。なぜこの部屋に?」
「閉じ込められました、私たち」
「……は?」
ルシアが使っていた部屋なんぞ、私は入ったことがなかったし場所も知らなかった。それなのにあたりまえのようにここへたどり着いて、そして今、部屋は開かない。
ガチャガチャとドアノブを回してもビクリともしない扉に溜息が出る。
ミシュレはもし、アゼルに対して自分が何か感情をいだけたら、ここでアゼルに自分が母親であることを名乗り出るつもりだったのだろう。
「……蹴り破れるような、あたりまえの閉じ込められ方ではないな」
アゼルさんはドンドンと扉を叩いたり、剣で切り付けたりもしてくれたが扉は物理法則を完全に無視している。
「……まて、何か……話し声が聞こえないか?」
ここで仲良く二人きり、というのは状況的によろしくない。残してきたマーサさんが使用人さんたちの心無い言動に傷付いていないかも心配だし、早く出たい。
だが、一瞬空間が歪むような奇妙な、違和感。そして周囲の色彩がなくなり、モノクロの世界になる。
『ねぇ、お話してよぅ、ルシア姉上!!』
パタパタとどこかから駆けてくる音がして、子供が部屋の……ベッドに飛び込んだ。
「これは……? あの少年、見かけたことがない……いや、だが、グリフィス様の子供の頃によく似ているような……いや、あれは、領主様、か?」
「彼女のお得意の、精神攻撃でも始まるんでしょう」
過去の映像を見せつけてくるらしい。
『あら、クリストファったら、また来たの? 駄目じゃない。姉さんは怖い魔女の娘なんだから、貴方は次の領主様でしょう? 私に関わっちゃ、駄目よ?』
ベッドに寝ている少女が体を起こし、訪ねてきた少年、幼い日のクリストファの髪を優しく撫でる。窘められながらも優しい声音に少年は頬を膨らませた。
『お父様やお母様はそういうけど……僕には姉上だもの。たった一人の姉上だもの。ねぇ、またお話をしてよ。雪の踊り子たちはどんな歌をうたうの? 山での生活はどんなもの? 魔物が襲ってきたりしないの?』
誰だあのキラッキラした目の天使は。
貴族特有の整った顔立ちに大きな瞳は、まさに天使。あれがウン十年後にはあのクリストファ領主になるのかと私は月日の残酷さに眩暈がした。
「……我々にこれを見せて、どうしろと……?」
「ダイジェストでおねがいします!!!!」
長くなりそうなので私は虚空に向かって叫んだ。
前回はミシュレの一生をわざわざ体感させられたのだが、今回は第三者の目線で、しかもアゼルさんも一緒である。これで濡れ場とか出てきたら気まずいことこの上ない。
というか、ストーリーの想像は付く。
ルシアとクリストファの姉弟の仲睦まじい姿、からの、クリストファの歪んだ愛情、そしてルシアの妊娠、出産、井戸で殺されるという、ルシアの一生。
「どうせまた『かわいそうな私』とか『悪いのはクリストファ』とか刷り込みたいんでしょう!」
面倒くさいなミシュレ!
彼女はまだ私の中にいるのか、それともこの茶番の為に力を外に使っているのか反応がない。
私はアゼルさんの手を握った。
「アゼルさん!」
「な、なんだ。エルザ殿」
私のカンが告げているのだが、アゼルさんは闇墜ちするタイプだ。
ルシタリア君の情報曰く、アゼルさんはマーサさんに執着していて、けれどマーサさんはグリフィスさんを選んでる。そこへ実は自分はザークベルム家の血を引いていて、母親は領主によって殺されていたとか……闇墜ちする未来しか見当たらない。
考えられるのは、闇墜ちしたアゼルさんがここで私を殺し、そのままどこぞに軟禁されてる領主様を殺し、魔女の娘の子としての役目を果たした! これで、母が己を産んだ意味がある、母は認めてくれるだろうか! などと血と狂気に染まったEND、だ。
出生から何から、地雷の上でダンスしているとしか思えない青年騎士である。
「貴方の母親は魔女の娘ミシュレ、そして領主の姉であったルシアです。彼女は自分を殺した領主を、貴方に殺して欲しいから貴方をここに閉じ込めました」
「……は?」
闇墜ちフラグを全力で叩き折る為に、私が出来る事はなんだろうか。
これがマーサさんであれば、こう、慈悲とか慈愛の心でアゼルさんを包み込んで……とか、聖女100%でなんとかしてくれたかもしれないが、マーサさんは多分今後はグリフィスさんのことで手一杯だろう。
「私が……魔女の娘の、子? ……領主様……私は?」
私がデリカシーなく、ただ羅列して告げた情報にアゼルが困惑し目を見開いた。ショックを受けている、のはわかる。そしてそれを、無遠慮に告げられ、傷ついてもいる。
ぐるぐると回る情報をどう受け止めればいいのかと、膝を付くアゼルさんに私は手を差し出した。
「で、それらの情報を知ったうえでお願いします。私を助けてください」
「……君は、何を言ってる? この、こんな時に?」
私たちの周りは未だに、モノクロ世界でルシアとクリストファの青春時代が流されていた。少しずつ歪み、姉へ執着していくクリストファの生々しいセリフが聞こえないわけがないが、アゼルさんはただ私をまっすぐに見ている。
そして私の視界はぐらり、と歪み、再び井戸に引きずり込まれた。
「ねぇ、人の息子をたぶらかさないでくれない? 貴方には魔王がいるでしょう?」
「スレイマンは保護者ですよ。いやぁ、憧れてたんですよね、自分を守ってくれる騎士って」
「……どういうつもり?」
この心象風景は便利なものだ。私とミシュレしかいない世界。私は井戸の淵にいるミシュレをじっと見つめ、首を傾げた。
「この井戸、不気味ですよね。貴方にとってのトラウマなんでしょうけど、もしかして、それって、私も同じことが出来たりします?」
タン、と私は足を踏み鳴らした。
イメージするのは、思い出すのは前世の記憶。何日も何十日も何年もいた場所。
がらりと周囲が変わる。
鬱蒼と生い茂る森も、湿っぽい土も無い。
現れたのは煌々と輝く、電気に並ぶ調理道具、ガス台、巨大な業務用の冷蔵庫、調理台、大小様々な、食器。
「あぁ! 懐かしい!」
私はバッと両手を広げて、かつて勤めた調理場を見渡した。床や壁の傷一つまでもしっかりと再現されたその場所。
「そうそう、良いですよねこの鉄製のフライパン! コンベクションオーブンに真空調理用の……懐かしい!!」
磨き上げられた調理台に頬擦りたい。
はしゃぐ私と対照的に、ミシュレは怯えている。
「な、何なの……ここ」
「私の前世の仕事場ですよ。ふふ、とっても立派でしょう?」
見知らぬ道具ばかりあり、それが不気味なのかと私が首を傾げれば、顔を青くし、引きつった声でミシュレが叫んだ。
「何なの、ここ!!! 貴方の心の、この、場所!!! 何なの……こんなに、憎しみと、苦しみが……充満してる!!!」
「あ、はは。あははは。ははっ」
全身で恐怖を表し怯えるミシュレに、私は笑うしかない。
整えられた厨房。
汚れ一つない。何もかも、綺麗に整頓された素敵な調理場。
ただそれだけなら、それはただの風景だった。作業場だった。
けれどミシュレは感じている。
この場所を、心の底に押し込めそして今、彼女にとっての井戸と対等だと表現した私の泥。明るく輝くこの調理場をどう感じているか。
「ねぇ、ミシュレ。貴方は最初の井戸で私の本性を、仮面の下の告白を聞いたじゃないですか。私がどんな人間か暴いたじゃないですか。今更何です? 今更、こんな程度で何を、人の事、化け物、みたいな顔して見てるんですか?」
前世のこの場所で、私がどう扱われどのように生きてきたか。どんな思いをしてきたか、ミシュレには伝わった。
「貴方……あな……なんで、ここが死に場所じゃないんでしょう!? なのになんで、こんなにも、濃い苦しみを……なんでこんな場所で生きていたのよッ!!!」
おぞましいとミシュレが私を罵る。
私は目を細め、厨房の隅で蹲り身を抱きしめるミシュレの首を掴んだ。
「職場なんてそんなものですよ。さて、ミシュレ。貴方は私に貴方の人生を体験させてくれましたね。この厨房で、この場所での短い経験で申し訳ないですが、折角ですから貴方にも私の人生を体験してもらいます」
「ひぅ……ッ」
「だいじょうぶですよ、体は私ですからちゃんと包丁は避けますし、殴られたり油をかけられた時も、まぁ……あとは残りましたが、それが死因じゃありませんし。折角です。私が忘れたフリをしていたあれこれも、体験していってくださいよ!」
言って私は厨房の出口に進む。表のホールへ出る出口と別に、バーへ出る裏口がある。ゆっくり進み、ミシュレの悲鳴を聞きながら扉を閉めた。
よしっ、これでミシュレは暫く出てこれないだろう!
井戸に落とされたり、散々ホラー体験をさせられたのでこれくらいの仕返しをしてもいいだろう。
ミシュレの絶叫が聞こえるような気がするが、まぁ、頑張ってほしい。
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