なんて、酷いことを
短くて申し訳ない。
スレイマンにエルザを託されたマーサは、テオ・ルシタリアの案内で辿り着いた部屋に入り、しかしどう助ければいいのだろうかと首を傾げた。
「エルザちゃん、寝てるみたいだけど……」
「僕もそう考えたが、何をしても目覚めない。時折、顔に黒い模様が浮かぶ。これは呪いをかけられている状態だと思う」
横たわったエルザの顔は白く、生気がない。
その体にはスレイマンがかけたらしいマントや体の下には不思議な模様の描かれた布が敷かれている。
「……スレイマンさんは、私にエルザちゃんを任せたのよね?」
優れた魔術師らしいあの方が出来ないことを、自分のような村娘に出来るのだろうか? だがマーサは、じっと見降ろすエルザがこのまま白い顔のまま目覚めないかもしれない、そのことが怖かった。
彼女はいつも楽しそうに笑っている。何をするにも一生懸命、全力で、走り回っているような気がした。マーサはそんなエルザが眩しくて眩しくて、目を細めて眺めたものだ。
そのエルザが、今は生気のない顔で動かないまま。
「エルザちゃんなら……きっと、こういうんでしょうね。こんな時こそ、れっつくっきんぐ、って」
「れ、れっつ?」
「よくわからないけど、お料理をするときにエルザちゃんが言うの。きっと何かのおまじないなのね」
そう言えば、エルザは聖女様の結界を張る、と言ってワカイアの泉のほとりで料理をした。その時に現れた不思議な光。神秘的な光景をマーサは思い出す。
「……エルザちゃんみたいに、楽しくお料理をしたら、同じことが起きるかもしれない」
「は? 料理を? 今この状況で??」
車輪の騎士に追われている状況で何を言っているのか、とテオが顔を引きつらせる。だがマーサは、思いついてしまえばこれが正解のような気がした。
「不思議な事は起きないかもしれないけど、でも、私が歌いながら、楽しそうにお料理をしていたら、きっとエルザちゃんは起きてくれると思うの」
エルザはいつも、マーサを見ると嬉しそうに駆け寄って来た。マーサが何をしているのか、何か手伝うことはないか、訪ねて、そしてマーサがお礼を言うと、また嬉しそうに笑った。
「えぇっと、確か……これね!」
ごそごそと、マーサはエルザの体を調べる。
スレイマンが作ったと言う不思議な布は、エルザが料理をするときに火や水を出すのに使っていた。一度マーサも使わせて貰ったことがある。ラグの木を食べているマーサは体内に魔力が満ちている為、これを使うことが出来た。
「あとは、何か食材と……お鍋とかがあればいいんだけど」
領主の館の空き部屋らしいここにはそれらしいものはない。
「……本気で料理をするつもりか」
「それがいいと思いました。テオ・ルシタリアさん、どうか力を貸してください」
頭を下げれば、細い顔の青年……いや、女性は何度か唸り頭を揺らしながら、最後は頷いてくれた。
「この部屋はあの魔術師によって僕と君以外入ってこれないようになっている。僕が食料を探しに行くから、君はここで待っていてくれ」
===
私がこうしている間にも、街は危険な目にあっているのだろうか。いや、まぁ、その辺は大丈夫だろう。スレイマンいるし。
井戸の中で浮いたり浮かんだりとしていても、現状の何が変わるわけでもない。
私はじぃっと、井戸から丸く見える空を見上げた。
夢の中というか、意識だけこの井戸に閉じ込められている。それはなんとなくわかった。
あ、どうも、こんばんはからおはようございます。異世界でも料理がしたい、野生の転生者エルザです。
最近色んな事がありすぎて、初志を忘れそうになりますが私の目標は王都とか大きな街でレストランを開く事です。そのために必要なあれこれをしている、これは大事な下積み時代と思っていますが、それにしても、既存のお店に修行に行けばよかった前世の世界と違って、さすが異世界はファンタジーですね。お店を開くために、魔女を倒さないといけないって、よく考えたらどういうことなんだこれ。
などと、誰に向かってかわからないが頭の中で情報整理をしながら、私は井戸の水をぱしゃり、とする。
ここでじっとしていても埒が明かない。引きずり込まれた他人の夢から覚める方法というのは分らないが、井戸の底というのは良くない気がした。それで、まずはこの井戸から出ようと試みて、はたりと気付くものがある。
「……止めてくださいよ、めっちゃホラーなんですけど」
水の中からぷかり、と浮かんできたもの。水死体だ。パンパンに膨れ上がって、あちこち……細かく見たくない程の、無残な姿になった。赤ん坊。
狭い井戸の中、私は触りたくないが、体を動かせば水面が揺れてこちらに向かい、ゆらゆら近づいてくる。その赤ん坊の死体、ぐちゃぐちゃになった、眼球があっただろう箇所が私に向けられ、そして歯のない口が開き、ケタケタと笑う。
「うわっ、こわ……」
そのままバシャバシャと水を蹴って、私の方へ寄ってくる。なんだこれ、突然の水系ゾンビなのか、と妙に冷静な自分もいる。私はこちらの首に向かって噛み付いてこようとする赤ん坊を押し退けながら、溜息を吐いた。
「ちゃっちいこけおどしとか止めて貰えません? ミシュレ」
「どうしたら貴方の魂に隙が出来るのかしら?」
ひょいっと、井戸からミシュレが顔を覗かせた。
これはミシュレの夢。そこへ引きずり込まれた私は彼女の悪夢に付き合わされている。
先程から思ったが、どうにもどうやら、ミシュレは私の心をへし折ってしまいたいらしい。
「前世の深い傷もそんなに抉れなかったし……ひょっとして貴方、すっごく薄情なんじゃない?」
「いえ、あれは結構堪えましたよ。でも、それはそれ」
「ルシアの時に子供を産んで、もうザークベルム家に生まれてこれなくなったのよ。それで、それなら、新しい体が必要でしょう? あの双子は、母親の愛情がずっと守ってるから私が取り憑けないの。心をズタズタにしようにも、いつもお互いに守り合ってるし」
だからって私を狙うとか、それは命知らずにも程があるんじゃなかろうか。
しかし、まぁ、成程。それで、悪夢を見させて徐々に蝕もうとしたわけか。共感させようとしたり、同情を買おうとしたり、あれこれ、可愛らしいことである。
私はこの夢から覚めるには、このザークベルム家の凶器である井戸から出なければならない。それで魔女の娘、ミシュレの手から逃れられる。そう感じた。だがどう出ればいいのか。何か刃物があっても、子供の腕力で高い井戸を這い上がるのは無理だ。ミシュレは井戸の上で、私が諦めるのを待っている。
『うーんと、これで、いいかしら?』
『ちょっと待て!!? いいのか?! これでいいのか!!? 洗ってないだろうこの野菜!!!』
『でもほら、土には栄養があるって、エルザちゃんが言っていたような……心配なら、洗いましょう?』
『待て!! なぜ皿を洗う薬を野菜に付け……タワシで擦るなぁあああああああ!!!』
悩める私の耳元に、何か聞こえてきた。いや、頭に直接聞こえてくる……この声は、マーサさんと、ルシタリア君?
『骨ごと肉を切ろうとするな!!! あぁッ、危ない!! 板に刃物が刺さって……!!! 料理をしたことがないのか君は!!!』
『あら、あるわよ? 木を細かく刻んでスープにするの。私、得意なのよ?』
『料理の話をしているんだが!!!?』
のほほんとしたマーサさんの声に、焦るルシタリア君の叫び声……。
やめろ…やめてくれ……。
私の心に動揺が走った。
ガクガクと体が震え始め、先ほどの赤ん坊の水死体に襲われた時に感じなかった恐怖が全身を支配する。
『ほら、良い具合に煮えて来たわ! 寝ているエルザちゃんも一口これを食べたら、きっともっと食べたい! って飛び起きてくれるわよ』
『寝てる人間に、毒を盛る気か!!!?』
映像は見えない。
だが、頭に直接聞こえてくる……この会話。
私は井戸の壁に急いで寄り、全力で頭を打ち付けた。
起 き ろ わ た し !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
何か変なモン、強制的に流し込まれるぞ!!!!!
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