仮面の告白 前編
長いので二回に分けます。
気が付いた時には、裸足で山の中を歩いていた。親はいない。いや、いたのかもしれないけれど、少なくともそれは後に私が知った「無条件で何もかもから守ってくれる存在」ではなかった。
子供の脚では、山の中を歩くのは難しくて、そのうちに力尽きた。どうして歩いているのかもわからなくて、どこへ行こうとしているのかも、わからなかった。
ただ、死にたくないと思った。
ただの、幼い時分であるのに、それでも「死ぬ」ということがどういうことなのか、私は理解していたように思う。
終わってしまう、何もかも真っ暗な穴の中に落ちて、誰にも知られることなく、私というものがなかったことになってしまう。
それが途方もなく恐ろしかった。
ぺたんと、座り込んだのは大きな木の下だった。
そこで横になって目を閉じれば二度と目覚めぬ気がして、必死に必死に起きていた。お腹がすいて、喉が渇いて、頭が痛くなって、裸足で歩いてあちこち切れたところがじくじくと、紫色になっていた。もうどれくらい食べてないのか、飲んでないのか。地面を掘れば、虫くらいいないのかと、体が動く間に試したけれど、硬い土は爪がはがれるまで頑張って掘っても、掘っても、表面しか削れずに、そして何も、出てきてくれなかった。
「あぁ、なんじゃ。いらぬというに、人間種どもは。全く、煩わしい」
死にたくない、死にたくないと、それだけを考えた。
振り返る思い出もなかった。
だから、死にたくなかった。
そうしていると、目の前がヒュゥルリと妙な音を立てて、冷気と供に、一人の女の人が現れた。
「わらわこそ、滅びの大樹の魔女の一柱。階位ビナー。司る宝石は、って。そなたに言うてもわからぬか。ふぅむ、どうしてくれようか、此度の生贄は」
美しい黒髪に、真っ白な瞳。周囲にキラキラと光る結晶を漂わせた、凍り付くほど綺麗な女の人は、私を見て首を傾げた。
「放って置いて獣どもの糧にするもよし、踊り子たちの玩具にするもよし、であるが。いい加減飽きて来たのぅ。そこな人間種の幼体。其方は何かあるか?」
「死にたくありません」
状況はわからなかった。けれど、それだけは、すぐさまに答えられた。すると、美しい人は一寸驚いたように白い眼を大きく見開いて、そしてきょとん、と首を傾げた。
「おかしなことを言う。其方ら人間種は死ぬために産まれて来た者であろう。それがお役目であるぞ?」
「でも、私は、死にたくないです」
生きてどうなるとか、どうやったら生かして貰えるんだろうとか、そんなことは頭になったか。ただ、終わりたくなかった。まだ、私は目を開いて、いろんなもを見て、そして、私はここにいるというのを、ちゃんとわかっていたかった。
「なるほど、なるほど。そういう者もおるのじゃなぁ」
美しい人は、しきりにそうつぶやき頷いて、そして私を抱き上げた。
「で、あれば。なるほど、命短い人の子よ。其方を生かそう。続けさせよう。この魔女の庇護の元、健やかに育つがよい。いずれ死ぬ命が、何を見ていくのか、それをわらわに教えるが良い。長い魔女の苦役、そういう穏やかさがあっても良いだろう」
シャラリと、女の人の来ているサラサラとした布が軽い音を立てて、その白い腕が私に伸ばされた。
そうして私は、高い高い山の上で、氷の魔女ランゴダの娘となって、大事に、大事に育てられた。
===
母は少し変わった人で、いや、人間種ではないから、それは、私から見たらそうで、魔女の間では普通なのかもしれないけれど、けれどちょっと、変わったところがあるように見える人(?)で、私が十歳になる頃には、人間種というものに興味と親しみを持つようになった。
「わらわはこの山を己の領地として、威光を示すよう定められておるが、それは人間種には関係のないこと。なのになぜ、下界に住まう人間種はわらわを崇め、恐れるのか」
沢山の精霊たちに囲まれ、讃えられる美しい母は私に優しかった。人でないものなのに、その愛し方は私が受け入れ居心地が良いと思えるものだった。
「それは……お母さまがすごいから、だと思います」
「凄い?」
「はい。あの、私は、あまり難しいことは、その、わからないんですけど、でも、お母さまを見ていると、すっごく、憧れます」
大事に大事にされて育った私は、母を心から敬愛していた。
彼女は強く、気高く、そして優しいひとだった。魔女というのはどれほど恐ろしい存在なのだろうと思っていたが、楽しことがあると笑ったり、私が修行中の踊り子さんたちとばかり一緒にいると拗ねて泣いたり、そういう、可愛いところもある人だった。
「そうなのであろうか?」
「そうなんです。だから、皆お母さまに憧れて、そして、感謝してるんじゃないかって、思うんです」
母はこの山に雪を降らせる。
その雪は染み込んだ大地に作物をよく実らせ、土地を豊かにするそうだ。
だから、この山には子供が奉げられる。
魔女への生贄として。
それを母は煩わしいと言うけれど、人は、そうでもしないと不安なのだと私は思った。
自分達はこれだけ魔女様を恐れ、敬っている。
だからこれからも、雪を、どうか雪を、と、そう願いと、恐れを込めて。
此処にいて、様々なことを学んで知って、そう考えついた。
===
山を下りるように、と言われたのは14の時だ。
「お前は、死すべき生き物なのだから、わらわたちと死ぬまで共にいるのは不憫だ。人間種の中に戻り、幸福に過ごすが良い」
私は全力で縋りついた。
どうかここに置いてくださいと。お母さまや、皆と一緒に、これからもずっとずっと、ここでいさせてくださいと懇願した。
けれど、母は首を縦には振ってくれなかった。
幸せになって欲しいと、ここではそれが難しいから、と、そういう母の目には私への愛情があった。
どうして、どうしてそんなことを言うのだろう。
ここにいることが私の幸せだった。
皆でいつまでも、いつまでも幸せに暮らしていけるのに、どうして私を、母さんは追い出すのだと、その時は悲しかった。
私はこの土地の領主様のお屋敷に置いて貰えることになった。
領主ザークベルム様は私を『魔女様からの預かりもの』だと、大切にすると約束してくださった。
そして母は、私がここで幸福で過ごせているのなら、自分の領分である雪を、山だけではなくザークベルム様の治める土地全てに降らせると、そう領主様と決められたそうだ。
毎年、冬になると山から私を心配して精霊種の踊り子さんたちがやってくる。
踊り子さんたちは私の無事を確認すると、領主がもてなしのために集めた子供たちと遊んだ。彼女達は子供が大好きなのだ。
私は彼女たちに母の事をいつも尋ねた。
変わりはないか。私のことを何か言っていなかったか。
彼女たちはいつも同じように答えた。
『貴女が幸福でいることを願っていますよ』と。
だから、次第に私はそれが母への恩返しになると、そう思うようになった。
ザークベルムの旦那様は、元々は孤児だった私を大切に扱ってくださった。
欲しいもの、足りないもの、何か困っていることはないかといつも気にしてくださって、私にはもったいないくらいだった。
……奥様が、私を見る目が、変わっていった。
旦那様といる時は、私を見て微笑んでくださっているのに、二人きり、たとえば……私に、年頃の貴族の娘が嗜む刺繍や、楽器を教えてくださるとき、その目はまるで汚らわしいものでも見るかのように冷たかった。
奥様がそうだと、侍女や腰元、使用人たちの目も少しずつ変わっていく。
朝、身支度を整える時のお湯が、温められていなくて冷たい水だったり、私のスープにだけ味がなかったり、部屋の掃除をされなかったり、そういう事が、増えて行った。
けれど、自分の身の周りのことは自分でできたし、彼らが、孤児を領主ご一家と同じ扱いをしなければならないのは、それは確かに嫌なのだろうと、そう勝手に考えた。
私に優しくしてくださるのは旦那様と、庭師のキコレだけだった。
キコレは私より四つ年上で、子供の頃頭を大きく打って、あまり素早く働かなくなったそう。何か話すのも一苦労で、いつも「あーああー。うー」と唸ってはもじもじとうつむいてしまう、大きな子供のような人だった。
けれどキコレは優しくて、私が一人でいると綺麗な花をくれたり、木の上に鳥が巣を作った事や、草笛のやり方、甘い柔らかい実のある木を教えてくれた。いつもヘラリ、としまりのない顔で笑って、私が悲しい顔をしていると、大慌てで、なんとか笑わせようとおどけて見せるのだ。
お屋敷の中で窮屈な思いをすることもあったけれど、領主様が毎晩私をお傍に呼んでくださり、昼はキコレがいてくれたから、私は幸せだった。
あぁ、お母さま。
ありがとうございます。私は幸福です。
いつも、屋敷から見える霊峰に感謝の祈りを奉げた。
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「ねぇ、奥様。最近、お腹が苦しくて仕方がないんです。急に張り出して……何か病気でしょうか?」
きっかけは、私の一言だった。
お腹が苦しくなって、衣服を緩めるようになってきたのだけれど、これは肥ったというよりはお腹に何か空気でもたまったように膨れている。それが不思議で、同じ女である奥様に相談した。
「この……!!! 恩知らず!! 泥棒猫!!!」
最初に、頬を打たれた。そしてよろめいた体が突き飛ばされ、床に倒れると、そのまま髪を掴まれた。
恐ろしい形相で、奥様は私を見降ろしていた。
「あぁ、やっぱり! やっぱりね!!! そうだろうと思っていたわよ!!! この娘を孕ませれば安泰ですもの!!! 汚らわしい!!! 魔女の娘!!!! わたくしに子供ができないからと……!!! なんていう仕打ちでしょう!!」
騒動に、使用人たちが駆けつけて奥様と私を見降ろした。あぁ、さすがにこの状況なら助けて貰えるだろうと私は期待した。奥様を落ち着かせてくれるだろう。
けれど、そうはならなかった。
奥様の叫び声に、その内容に彼らは驚き、そして私を見る目がいつも以上に険しくなった。
そして、私は旦那様が留守のその時、髪を掴まれたまま引きずられ、腹を何度も蹴られた。
恥知らず。
親程も歳の離れた旦那様に足を開くとは。
お優しく誰からも愛されている奥様がいながら。
お前が来てから奥様がどれほど苦しまれたか。
口々に罵られる言葉の意味がわからない。
だって、私はこの屋敷に、領主様に、大切にされなければならない存在でしょう?
お母さまが、それを望まれている。
魔女の、お母さまは、私を愛してくださって、案じてくださって、私が、ここで幸せでないと、領主様は困るのよ?
雪が降らなければ、この土地の人たちは困るのよ?
なぜ、なのに、どうして、皆、私を嫌うのだろ。
気付けば私は、旦那様の部屋にいた。
「私の帰りが遅くなったばかりに……すまなかった」
「……いいえ、いいえ、旦那様」
私は旦那様によって、折檻をする奥様や使用人たちから助けられた。奥様は精神を病んだとして、数人の使用人と共にどこか遠くの別荘に行かれ、使用人の半分が入れ替わり、キコレが庭を忙しく掘っていた。
私は大けがをしたし、お腹がどんどん膨れて行って、苦しくなっていった。
その年の冬に、山から踊り子さんたちと、そしてお母さまがやってきてくださった。
お腹の大きくなった私を見て、とても嬉しそうに微笑まれ『お前の血筋が続く、これほど嬉しいことがあろうか』と言ってくださった。
そう、これでいい。これでいいのだ、正しかった、と私は安心した。
お母さまが喜んでくださっている。
私はお母さまや、領主様、キコレに大切にされ愛されている倖せな娘なのだ。
私はそう信じ、確信し、自分が誇らしく感じた。
お母さまが私を拾ってくださって、愛してくださったから、私は幸福になれた。
これは御恩返しだ。
お母さまに、私を愛してくれるお母さまに、私の子供を見せてさしあげられる。
その子もまた子を作り、お母さまは、私を拾った事に価値を見出してくださるだろう。
「あ、あ、あぁ、おおきく、なる、だなぁ。すんげぇ、なぁ……」
天気の良い日は、キコレが庭を案内してくれる。
大きくなったお腹では早く動けないけれど、キコレはゆっくりゆっくり、私の歩みに合わせてくれた。
私と話をすることが増えたからか、キコレは言葉を多く喋れるようになっていった。椅子に腰かける私の大きなお腹に耳を当てて、子供のように屈託なく笑う。
私はキコレの茶色い髪を優しく撫でて「この子が生まれたら、もっとしっかりしてくれなきゃ嫌よ?」と笑った。
庭師のキコレの収入では、妻子を養うには心もとないだろう。
私も働こう。領主様なら、良い働き口を見つけてくださるかもしれない。
そう思って、その晩、私のお腹を撫でる領主様に聞いてみた。
「……どういうことだ?」
旦那様の顔は、真っ青になった。
「どうって……。父親のキコレだけ働かせるのは嫌ですし、二人の子ですもの。一緒に、働いて育てて……」
何を、驚いているのだろう?
私は首を傾げた。
「……私の子では、ないのか?」
「え? 領主様、子の種がないじゃないですか」
なのに、なぜそんな勘違いをしたのか、私は不思議だった。
領主様は、男性の生殖器に備わっている、子供を作る為の種がない方だ。
これは、精霊の踊り子たちが話していて聞いている。
奥様との子が生まれなかったのも、奥様がご自分の所為だと思っていらしたけれど、あの方には二年後、子供が生まれる予定になっていると、これも精霊たちの噂話だ。
「毎晩、旦那様が私の体を開こうと、子供ができるわけ、ないでしょう?」
私はキョトン、と瞬きし、そして、旦那様が手に持った燭台が私に向かって振り下ろされた。
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昼ドラかよ。
昨日は「あ!!ブクマが……!!3000いってる!!?」とちょっとテンションが上がって、ロードを飛ばしてスカイツリーに行ってきました。
あんみつ買って、コンビニでバニラ買って、冷房の効いた家で白玉クリームあんみつとしゃれこみました。いいよね、あんみつ。寒天のこりこりっとした歯ごたえに、白玉のねっとりとやわらかく弾力のある、もっちもちさ…。こしあんの絶妙な甘さに、添えられる果物やら何かよくわからんゼリーの鮮やかさよ…。バニラと生クリーム乗せるとか、もう誕生日かよと疑いたくなるこの豪華さ。あんこ+バニラの破壊力。でもあの、赤えんどう豆だけは意味わからん。必要か?