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愛しのエルザ



乳製品については、あえて語る必要などないかもしれない。

人類史、料理文化において乳製品ほど貢献したものはないのではないだろうか?


フランス料理に欠かせないバター。

ホイップしてよし、ソースにも良し、アイスクリームにもなるんだよね、素晴らしいよ生クリーム。

19世紀の世界が「近く」なることによって広まったチーズ。

カロリーたっぷりだが入れれば絶対に美味しくなるに決まっているもの、それが、乳製品だ。


「つまり、今の私達にたりないのは乳製品なんです。わかりましたか?スレイマン」

「なにを突然わけのわからないことを言っているんだ、頭でも打ったのか?エルザ」


ごきげんようか、こんばんは、またはこんにちは。

どうも、名無しの転生者、改めエルザです。


私たちは森を出て、子供の足の速度でゆっくりと一番近い村を目指していた。あの大雨の日から一週間。それなりに進んだと思うけれど、山々、大自然が広がりまーすというばかりで人っ子一人見えてこない。


男、改めスレイマンは片足が麻痺しているので杖でゆっくりと歩く。私の足とちょうどいい速度なのでその点はよかった。


あの森にずっといても私の第二の人生の目標である「レストランを開業!」は難しいだろう。


母さんとの突然の別れについて、自分の感情にケリをつけるという意味もあって私は森を出ることにした。

荷物はピクニックセットとして持ってきていたあれこれと、スレイマンの元の住処(なんか虫とかいなくなって綺麗になってた)からスレイマンが「持っていけば役に立つだろう」と判断したものがいくつか、だ。


子供と片足の不自由な男の二人で持っていける物は少ないので、私は泣く泣く大鍋を置いて行った。二人で野営するに十分な小さな鍋が一つにコップが二つ、まな板と簡単な調理道具だ。天然酵母と燻製肉などは今後も役に立つだろう。


二人で旅立ちの準備をし、男は「俺のことはスレイマンと呼べ」と名乗った。偉そうに名乗られたので私も返したかったのだが、残念ながら現在の私の名前はわからないのだ。


名前がない、という私にスレイマンは少し考えるそぶりを見せた後「ではお前のことはエルザ、とそう呼ぶ」とまた偉そうにのたまった。


まぁ、今のところ呼ぶ人間はスレイマンだけなのでそう呼ぶのなら返事をすればいいか、と私も頷いたので私の名前はエルザになった。


さて、予定では五日程度で村につくはずだったが、この分だと今夜も野宿である。


「日が暮れる前に、手頃な場所があるといいんですけどねぇ」


スレイマンと私ではきちんと野宿の準備をするのにも時間がかかる。

幸いスレイマンは魔法使いらしかったので「簡単な結界ならはれる」と防犯面では大変頼もしかった。


「夕食、どうしましょうか」

「なんでもいい」

「そういうこと言ってるとモテませんよ、スレイマン」

「子供のお前に何がわかるんだ?」


フン、とスレイマンが小馬鹿にしたように笑った。髪は伸び放題でぼさぼさ、髭ももっさりとしていてだらしのない男だが、これで性格さえマトモならまだ救いがあったろうにと私は残念に思う。


「それにしても、なんか、肉つきました?」

「魔法を使った影響だろうな。生命の力がうまく回るようになってきたし、体に魔力を取り込むのも自然に行えてる」

「へぇー、すごいんですねぇ」


発見した時はガリッガリのミイラ寸前だった男が、今やきちんと肉がつきそれなりの太さのある体になっている。本来の肉体に戻れている、ということだろうか。


「魔力、べんり、おぼえました」

「このバカ娘め、そうではない。魔法を使うためにはある程度体力がいるし、一定の健康状態でなければならない。お前のまずい食事とおせっかいがなければそこまでの状態に自力では戻れなかった」


魔力だけでなんでもできるわけではないらしい。

なるほどなるほど、と頷いて私はハタリ、と首を傾げスレイマンを見上げる。


「……もしかして私今、褒められてます?」

「お前の無知を正してやっているんだ」

「なるほど。つまり、スレイマン的な『ありがとう』なんですね。おぼえました」


あの大雨の日から、なんだかこの男は私に優しくなったような…?気がしないでもないが、気のせいかもしれない。


「違うわ、バカ者め」


一人で納得しているとパコン、と頭を叩かれた。別に痛くはない。


「でも、それでも片足は動かないんですか?」


魔力で体に力が戻って健康になっていく、というのはわかったが、だが未だにスレイマンの片足は麻痺したままだ。

じっと杖と動かぬ足に視線を向けると、嫌そうな顔をされた。


「この足は呪いを受けているからな、呪いをかけた張本人が解かない限り動かんだろう」

「片麻痺の原因って、脊髄とか脳の病気が考えられるんですけど…」


この世界についてまだまだ分からないことばかりなので「呪い」と聞いても、床ずれのように「それって前世知識でなんとかなんじゃね?」と思ってしまう私がいる。


まぁ、麻痺についてはさすがに無理か…。

だからこそ、それこそ、それならば魔法でなんとかできないのか?とも思う。


そもそもこの世界の「魔法」や「呪い」というのは何なのだろうか。


「お前には関係のないことだ。ほら、さっさと野宿の準備をしないか」

「はいはい、わかりましたよー。あ、じゃあ火はお願いしますね」


魔法使いであるスレイマンも魔法で火を起こせるらしかった。

母さんの「自分の意思で燃やせるものを決められる」火とは違って、私が知る「火」と同じものだったため、鉄製の調理道具でないと燃えてしまうのが残念なところだが、そもそも火ってそういうものだしね!!


スレイマンが短い言葉を唱えると、用意した薪が燃え、周囲が暖かくなる。


私は手早く夕食の準備をすることにした。


「そう、こんばんはシチューです。なぜならば!ミルクが!手に入ったから!!!ふははははは!!!運よく!なんか山羊っぽいものがいたから覗いてみたらね!!!あったよお乳!!!」

「……蹴られそうになりながら何をしていたのかと思えば」

「強制的にしぼって怒った山羊っぽいものから魔法で助けてくれてありがとうございます!!!」

「そのまま蹴られて死なれると寝ざめが悪い。それと、言っておくがあれはヤギ?などという妙な名前ではなくカブラという魔物であるので、以後そう呼ぶように」


教師のような口調でスレイマンが私に教える。なるほど、カブラ。それ山羊じゃね?まぁいいか。


とにかく、さすがは山岳地帯。

いました山羊にしか見えない魔物のカブラさん。


山羊と似ているだけあり、そのミルクの味も明らかに山羊だった。独特の濃さ、じゃっかんのえぐさ。だが、味だけではなく効能まで一緒ならば!不眠症改善、情緒不安定にも効き骨粗しょう症にも若干予防効果が期待できる!!


「魔物なので、飲んだら何かとくべつな効果はありますか?」

「魔物なので、それから採取し飲もうなどという愚か者は生憎お前以外知らん。毒かどうかもわからん。ついでに言えば私であるから容易く対処できたのであって、カブラの蹴りは鉄も砕くし、並の冒険者では少々てこずる部類だぞ」

「まじか。え、じゃあシチュー作れないんですか?どうしよう」


すっかり胃はクリームシチューだったのに、困る。

泣きそうな顔でスレイマンを見れば、顔を顰めて溜息を吐かれる。そのまましゃがみこむと片手でぷにっと頬を掴まれた。


「不細工な顔をさらに不細工にするな。こう、腹のあたりがざわざわする」

「不細工ですいません」


まだ鏡とか見たことないので自分の顔の造形はわからないが、まぁ不細工らしい。

川や水をはって見ることができるかもしれないので今度試してみるか?


スレイマンは私が抱えているカブラ乳の入った革袋を手に取ると、ぶつぶつと何かを唱え始めた。


「……毒性はない。安心してしちゅー?とかなんとかを作るがいい」

「ありがとうございます。なにしたんですか?魔法的な?」

「そんなようなものだ」


なるほど、魔法、便利。


目を細めて笑うスレイマンに「目は宝石みたいに綺麗な赤い色してんのになぁ」と思わず口に出して言ってしまった。


「ふん、宝石などみたこともないだろう」

「ありますよー。赤い宝石ならルビーとかトルマリンとかガーネットとか…」


日本でも屈指の高級店が並ぶ銀座でホステスをしていたので、それなりに目に触れる機会はあった。詳しい事はわからないがな!


「スレイマンの目はルビーっていうより、レッドスピネルにちかいですね。長くルビーと間違えられてきた不遇な石ですけど。すごく希少な石でルビーよりも価値が高いはずなんですけど、ルビーの方が人気なんですよねぇ」


この世界にルビーやレッドスピネルがあるのかわからない。じっくりスレイマンの目を見てみれば、なるほど、やはりきれいな色だ。


じっと見つめれば、その赤い瞳に小さな女の子が映っていた。

長い髪に、幼い顔立ちの、だがはっきりと美少女とわかる部類の……私かこれ!!!!


「え!?私、美少女!!!?」


驚きバッとスレイマンから離れる。


「…は?」

「今、スレイマンの目にものすっごい美少女が映ってたんです!私?!!!」

「……………」


自分の顔初めて見た!!もっかい見たい!!とスレイマンの顔に手を伸ばすが、面倒くさそうに払われる。


「このバカ娘が」





=====





弱まりかけたたき火に追加の薪を投げ込み、スレイマンは熟睡しているエルザの髪をすいた。さらさらとした手触りの良い銀色の髪は普段光の神の加護を全身に受けているためか、真夜中でもキラキラと聖なる耀きを放っていた。


寒空の下、天幕もないので眠るなら二人で身を寄せ合う方が効率がよく、エルザは上半身を起こしたスレイマンの腕の中にすっぽり収まっている。


あの大雨から暫く。自分の身体が徐々に元の健康体に戻りつつあるのをスレイマンは感じていた。魔力が満ちて行けば一度鍛え上げた筋肉も次第に戻っていくだろう。


(それでも足は動かないがな)


片足は呪いを受けている。

王宮で大神官に放たれた呪いだ。国内最高の治療師や、伝説の聖女であってもあの大神官の呪いは解けないだろう。


洞窟で死にかけている時にさんざん大神官への恨みやつらみで呪詛を吐き続けたが、その悉くは返され我が身に返ってきた。


「……し、しちゅー…次は…ぐらたんに…」


腕の中の少女が何やら呟く。夢でも見ているのだろうか。


夕食はまぁ、うまかった。鍋の中で植物の茎や根を転がして何をしているのかと思えば、肉を焼き、水を足して煮込んでいった。


カブラの乳を料理に使った者などおそらく人類種初だろうが、カブラの乳でなくてもエルザならば美味く作っただろう。


カブラ。冒険者の中では中級に分類されている、山岳地帯に生息するその魔物は本来気性の荒い生き物なのだが、エルザが近づき無遠慮に乳を搾るまでまるで警戒せずじっとしていた。


それに驚いて暫く眺めてしまって、カブラが怒って後ろ足を高く上げるまで防御魔法を展開させるのを忘れてしまっていた。間に合ってよかった、あの時は血の気が引いた、とスレイマンは思い出し額を抑える。


しかしカブラの乳に毒性はない、と教えてやった時の嬉しそうな顔を思い出し、悪くない気分になった。


無知で愚かで好奇心いっぱいの子供。自分がいなければあっという間に死んでしまうのに、不思議とスレイマンはエルザがいなければ自分もすぐに死ぬだろうと、魔力を取り戻した今でもそう思うのだ。


明日には目的の村にたどり着くだろう。

良い村であれば、エルザをそこの誰かに任せてもいいかもしれない。

洞窟にある自分の持ち物から金や宝飾類は持ち出した。

これを渡せばエルザが独り立ちするまでの生活費には十分だし、その後の生活の足しにもなるだろう。


「なにを善人のようなことを、この俺が」


悪魔だ魔王だ、穢れた罪人だと罵られ石を投げつけられてきた自分が、今更まともな人間のような振る舞いをしていることがスレイマンにはおかしかった。


腕の中で安心しきって眠る幼い少女。


細く小さい体だ。

健やかに、穏やかに育ってくれと願う自分がいる。


名前がない、というから、スレイマンは自分がこの世で唯一信じられた女性の名を贈った。


その名はエルジュベート・イブリース。

かつて世界を滅ぼそうとした魔王を封じた聖女であり、スレイマンの母だった女性の名である。



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