火刑台の、聖女
残酷な描写があります。
苦手な方はご遠慮ください。
「この街には罪を罪とも思わず、恐れ多くも神の教えに逆らう異端の輩がいます」
異端審問官の声は青空の下で朗々と響き渡った。説教をするよりは教鞭を取り数学でも教えている方が似合いそうな青年の顔で、しかしモーリアス・モーティマーは誰よりも熱の籠った瞳で神の名を口にする。
「永久に天に輝く我らが神は全てを見ておられる。神はこの青年の魂が魔女によって穢され、神聖なる教会に魔女の種子を運び花を咲かせようとなさったことを、御見逃しにはならない」
「ち、違う!!!!私は何も……!!!何も知らない!!!」
屋敷の外には人が溢れかえっていた。
集まった人々をぐるりと囲むのは武装した軍隊だ。
広場の噴水の水は抜かれ、大量の藁や薪が集められ、中央部分には人ひとりを縛り上げるには丁度良い大きさの柱が立てられている。
その真正面に立つ異端審問官は自身の前に跪き涙を流す若い兵士に同情めいた顔を向け、わかっている、とでもいうようにゆっくりと頷いて見せた。
「善良な者の魂こそ魔女は好むのです。貴方はあの少女が魔女であることを知らなかった。そうですね?」
「は、はい!!そうです!ただ……困っていたから、可哀想だったから……だから、教会へと……こんな、こんなことになるなんて、知らなかったんです!!だって、あんな小さな女の子が……!教会の神官様たちを呪い殺すなんて!!!何かの間違いです!」
必死に叫ぶ兵士の顔はここへ来るまで随分と殴られた為に原形を留めぬ程はれ上がっている。片目は潰され、両手の爪は全て剥がされていた。むき出しになった背中には尋問のため何度も振り下ろされた鞭による傷が重なり、皮膚が破られ血が噴き出していた。酷い痛みだろうに、それでもここが最後の場だと、兵士は気力を振り絞っているらしかった。
「あぁ、なんということでしょう!」
モーティマーは顔を悲痛に歪め、今にも胸が張り裂けそうになるという芝居がかったしぐさで喉を震わせた。
「まだあの少女を庇うのですか?」
今、異端審問官の胸に沸く思いは歓喜であった。
見せしめとして、あの少女に接触した、教会に連れて来たという若い兵士の命を奪う。モーティマーにはそれだけで十分だった。
たとえあの少女が聖女の結界や、聖女の奇跡によりガニジャの効果や暗示を全て解くことができたとしても、「魔女に関わったから異端者として殺された者がいる」「それは善良な、なんの罪もない青年だった」と、その事実から生まれる人々の感情、それは薬草や魔術で強制されたものではない。
人間が自身の感情からくる想いは、記憶を消さない限り消えはしない。
それだけでよかったというのに、件の兵士はこの場において不要なまでに勇敢だった!
「どうぞ、どうか、お願いします。異端審問官様、どうか。私は彼女が何者であるか、知りません。でも、あの子は本当に困っていた。あんなに小さいのに。来たばかりの街で、脅かされて、独りぼっちで。頼ってくれたのに。大人を、頼ってくれたのに、私は勇気がなくて、あの子を助けてあげられなかった。だから、どうか、お調べ直しください。あの子は、魔女では、ありません」
途切れ途切れに、血を吐きながら兵士が訴える。
兵士が血を吐きむせる度に、広場の中から悲鳴が上がった。中には彼の母親と思わしき老女が息子に近づこうと必死に暴れていて、彼女まで巻き込まれてはならないと街の男たちに抑えられている。
モーティマーは、ここで兵士が少女への憎悪や自身の身の潔白でも叫び続けてくれれば、彼は憐れな被害者、人々に彼の仇を!と強く扇動するつもりでいた。
だがこの青年は、なんとも、この期に及んでまだ!善人である!!
自分がこんな目に遭っているのは誰の所為だか考えないのか?
自分がこんな目に遭っていることを恨まないのか?
いや、あの少女が魔女でないと教会が判断すれば自分が開放されると見込んでの発言か?
――いいや違う。それはない。もはや、それはない。
兵士の片方しかない目は絶望と悲しみ、苦しみに満ちていた。
訓練を受けた者であれば、もう自分の命が助からなことはわかるはずだ。潰れた目も、砕かれた足の骨も、ぐちゃぐちゃになった皮膚も、もはやどうにもならない。
自分の命が終わることを、受け入れている者の目だ。
「なんともまぁ、憐れな」
モーティマーは自身の服が汚れるのも厭わず膝をつき、兵士の頬に手を触れた。皮の手袋は出血する頬をざらりと撫でて更なる痛みを与えただろうが、感覚が麻痺しているのか、兵士に反応はない。
「魔女に魂を穢されたままなのですね」
片手で合図を送れば、部下たちが兵士を乱暴に立たせた。両肩を持ち上げ、宙づりになっている状態で、兵士は痛みに絶叫する。
「この憐れな青年の魂は救われなければなりません」
厳かに、どこまでも聖職者の顔でモーティマーは民衆に言葉を投げる。
「どうぞ皆さん、ご安心ください。炎によって、魔女に触れられた魂は浄化される。この青年は天の神々の庭にて永遠の命を得るでしょう」
火刑台に縛りつけられた青年は、必死に何かを叫んでいたがもはやその内容はどうでもいい。準備が整い、何の問題もなく火がつけられ、煙が上がって来た。煙ですぐに意識を失ってしまわないよう、兵士の口と鼻には水で湿らせた布が巻かれている。
兵士の母親の悲鳴は上がらなかった。先ほどの方に視線を向けてみれば、意識を失い横たわっている姿がちらりと見えた。
ここからの発言は、慎重にならなければならない。神の血により、教会関係者の言葉は彼らに染みわたりやすいようにはなっている。けれど今の彼らを支配しているのは、教会への信仰心ではなく恐怖だ。
「さて皆さん、どうか考えてみてください」
モーティマーの背後では、布でくぐもりながらも絶叫をあげる兵士が燃えている。通常の火刑では馬車七台分でも人ひとり灰にするのは難しいが、異端審問官が異端者の火刑のためだけに扱う炎は、人体の油によりよく燃える。
「この青年は何故、焼かれなければならなかったのでしょう?」
ゆっくりと、周囲を見渡す。
モーティマーと視線が合えば、次に火刑台に上がるのは自分だと思っているのだろうか、誰もが顔を伏せ、身じろぎ一つしようとしない。
「そこの貴方、えぇ、貴方です。どうです?」
そんな中、モーティマーは適当な人間を一人指名した。中年の男性だ。
「へ?!え、あ、え……えっと……」
「どうか焦らないで、ゆっくりでいいのですよ」
突然の事で動揺し、そして恐怖で立っていられなくなる男を優し気に見守り、モーティマーは言葉を待つ。
「は、はい、あの、そりゃ……魔女を、教会に連れて来たから、で?」
「うーん、惜しいですね。ですがまぁ、良いでしょう」
はい、ありがとうございます。とモーティマーは男から視線を外した。
及第点を貰えた事で己が殺されずに済んだと知った男は大声で泣き叫ぶ。
「最も重要なのは、魔女を庇った事です。さて皆さん、よろしいでしょうか?」
パキンと背後で音がした。燃えた兵士の体が崩れてきているのだろう。
「この街にはまだ魔女が潜んでいます。けれどこの街の隅々まで知り尽くした皆さんの協力があれば、きっとすぐに魔女を見つけることが出来るでしょう。逆に――」
一度言葉を区切り、モーティマーは気の毒そうな顔で背後を振り返り、大きく頷く。
「見つからない、ということは誰かが魔女を匿っている、庇っているという事。魔女の手に触れられた魂が一つだけであれと、私は祈っていますよ」
見つからなければ、疑わしきものは全て燃やす。
そう宣言し、モーティマーは傾き始めた太陽に目礼する。
「貴方がたの善行は全て我らが神が見守り下さっている。けれど、神がお休みになられた後は、残念ながら手遅れです。―――皆さん、急いでくださいね?」
日が暮れるまでに、街中草の根分けてでもあの少女を探し出し、我々に差し出せ。
モーティマーはそれだけ言って、丁寧に一礼して微笑んだ。
初めての授業が上手くいった事を喜ぶ新米教師のような顔で、しかしその瞳は煉獄の炎を見つめ続けた悪魔と同じ色をしていた。
====
「君たちは怪我人の手当てを。裏口から逃げれるようなら、あぁ、駄目か。裏口にも人がいる。それなら兄の部屋に食料や必要な物を運び入れて身を隠していなさい。あの部屋ならば魔法にも耐えられる強力な魔術防護がされている」
怯える使用人たちにてきぱきと指示を出しながら、カーシムさんは屋敷の中を大股で歩く。
こういう姿を見ていると、やはり為政者の器なのだろうなぁと私は納得した。
どうも、こんにちはからこんばんは、野生の転生者エルザです。
カーシムさんのお屋敷は現在、囲まれていました。
服装やら何やから街の人々であるとわかるけれど、彼らは手に松明や鎌を持ち、その形相には憎悪と悲しみが色濃く浮かんでいる。
それは突然やって来た。
最初は街の人々が、ついに彼らが信じるカーシムさんの「悪逆非道」について意見しに来たのかと、教会の暗示も振り払う程、大きく膨れ上がった感情ゆえかと、誰もがそう思った。
だから、まずは人当たりもよく弁も立つ執事さんが門の前で彼らの話を聞こうと出て、殴り倒された。
あっという間の事だった。
執事さんは一瞬で血まみれになり、慌てて屋敷から飛び出した若い体格の良い使用人たちに引きずられて何とか集団リンチから逃げ出して、カーシムさんは敷地内を囲む塀に防犯の為に編み込ませた魔術式を発動させた。
それはカーシムさんの許可した人間以外入り込めない、という高位の魔術式だという。元々貴族や裕福な家の住まいには魔術式でのセキュリティがある。しかしカーシムさんの家のものはスレイマンが強化した、というもので、成程これなら安全だと私もほっとした。
そして運ばれた執事さんが治療をされながら語ったのは、彼らが私を差し出せ、と言ってきたということである。
「なんで街の人たちが私を?」
私を追っているのは異端審問官だろう。
私はまだ街の人たちとそれほど関わり合いはない。
「理由はわかりませんが、街中を探しても私が見つからなかった。と、なればあとは怪しいのはカーシムさんのお屋敷、ってことでしょうか?」
「それに私は街では嫌われていますからね。なるほど、魔女を匿う悪魔、ですか」
自分の守りたい街の人間たちに、自分の評価がどんどん下がっている。その事実にカーシムさんが落ち込んでいるが、今はそれどころではないと思う。
「教会が聖女様を探すのを、街の人々に協力を要請した、ということでしょうか」
「だとしても、これは異常です。彼らの目には恐怖がありました。カーシム様や、聖女様へのものではありません。あれは、己の命が脅かされている者の目です」
酷い怪我だろうに、きちんと情報を主人に伝えねばという使命感から意識を手放さずにいる執事さんは、自分の記憶を探るように言葉を続ける。
「軍靴の音が、僅かですが聞こえました。広場の方が明るく、煙が上がっていた。―――あの異端審問官が、街の人々を扇動したのかもしれません」
この執事さんは昔はどこぞの国の軍人をしていたのだそう。それが国で何かがあり、いられなくなり流れてカーシムさんに拾われたそうだ。
今後の事を相談し合う主従から一歩離れ、私はゾットさんにこっそりと話しかける。
「この状況、ゾットさんはどうするべきだと思いますか」
「テメェで考えろや」
「そこをなんとか」
私の役に立たないと腕が戻ってこないゾットさんである。お願いすればその長身をわずかに揺らし、一度目を閉じる。
「俺とゴーラ、それにテメェの三人だけこの屋敷から逃げ出すことは出来る。今はあのクソ野郎が勝手に付けやがった魔術の腕もある」
「でもよう、兄貴。それじゃあ、屋敷の連中はどうなるんだ?」
「聖女サマがいねぇからって納得して大人しく帰る、わけはねぇだろうな」
これまでの、刷り込まれた「恨み」もある。
一気に爆発し、暴徒と化すだろう。いや、現在も、これは暴動になりかけている状況ではあるか。
「……私は、あちこちに小さな結界を張って教会の暗示を解くつもりでいましたが……そう上手くはいかないですよね、やっぱり」
教会が神の血というもので街の人たちに暗示をかけていたとして、それが浄化の力でどうにかできるとして、執事さんの言う通り、彼らを今突き動かしているのが「恐怖」だとしたら、それは神の血の暗示とは関係のないこと。この暴動は治まらない。
「皆でこの街を出る、っていうのは、可能でしょうか?」
ここまで感情が膨れ上がってしまっているのなら、今はいっそ街から出た方が良い。私は執事さんとカーシムさんに聞いた。カーシムさんの屋敷にいる使用人の殆どは住み込みだ。身寄りのない者や行き場を亡くした者をカーシムさんは屋敷で雇い入れたらしい。
つまり彼らを置いて行けば、カーシムさんの仲間として、街の人々によってリンチされるだけだ。
「難しいでしょうね」
「門からでなければ街からは出られません」
二人は揃って首を振った。
ゾットさんとゴーラさんと私、アルパカさんだけなら、闇夜に紛れ高い壁を越えていくことも出来るかもしれないが、屋敷全員となると、これは難しい。
かといって、このまま立てこもっていても状況は変わらない。
「私が出ていく、っていうのが現実的な気がします」
少し考え、私は答えを出した。
私が昼前に、教会から逃げ出した。だからモーティマーさんは私を探していて、そして街の人たちを巻き込んだのだろう。
あの時はあの場にいたらスレイマンとの関係を問いただされ、私も命の危機を感じたから飛び出した。けれど今は状況が違う。
「荷物も取り戻しましたし、ゾットさんとゴーラさんがいます。モーティマーさんをどうにかしないと、この街はこのまま、カーシムさんが思い描くような自立する街にはなれないですよね」
この街にはドゥゼ村の今後もかかっている。
スレイマンが考えたこの街の今後は、その未来は、かなり見たい。
この世界は私にとっては異世界で、私は前世の記憶を持っている転生者。
ドゥゼ村でも最初、私は転生者だから!異世界にない知識を持っているから!そう息巻いていた時があった。
でも、私が転生者で、いかにこの世界にない知識を持っていたとしても、それでもこの世界で生きている人たちは私よりよほど頭が良くて、様々なことを考えていて、試みているじゃないか。
「だからと言って、聖女様を差し出すわけにはいきません」
カーシムさんは顔を顰め、私が出て行こうとする扉の前に行き、両手を広げる。どうやって説得しようか、と悩んでいると、扉が乱暴に開き、カーシムさんが後ろから殴り倒された。
「ぐっ……!!?」
「カーシム様!!!!?」
主人を助けようと執事さんが体を起こそうとするが、動ける体ではない。
ゾットさんとゴーラさんはすぐさま私を扉の方から引きはがし、前に庇うように立つ。
頭から血を流して倒れるカーシムさんを見下ろし、鈍器を構えているのはあまりによく肥え過ぎた中年の男性だった。
え、何この豚。
「き、き、聞いたぞ……!!ま、魔女を、匿ってる、そうだな……!!カーシム!お、お前、おま、は!!この家、を!泥を!!!」
「サリム様……何という事を……」
執事さんが名を呼ぶ男性、サリムは顔を怒りで真っ赤にしてカーシムさんを何度も踏みつける。
だらしなく肥った体に油の乗った顔。髪は生えておらず、つるりとしていた。しっかりと引き締まった顔のカーシムさんとは似ても似つかないその風貌。
「う、うす、汚い、ばい、売女の子を!!ち、ち上があわれんでや、や、ったというのに!お、おまえは!!!」
サリムはドンドンと癇癪を起し地団太を踏む。床がその度にグラグラと揺れ、サリムの垂れた頬肉を揺らした。
私はカーシムさんを助け出したかったが、ゾットさんに強く腕を掴まれる。
「あぁいう、何も考えねぇで動き回る肉の塊が一番厄介だ。何をするかまるで予想がつかねぇ」
「でも、カーシムさんが」
「あのオッサンならまだ息はしてる。死んじゃいねぇだろう」
だが放って置けばどうなるか。
「お、おい!おまえ!!」
神経に障る甲高い声でサリムが私を指差す。
「こ、この、この屋敷から、出ていけ!!しゅじ、主人は私だぞぅ!!」
「わぁ、人の言葉をしゃべれる豚さんは賢いですね。その通りですよー」
私は無邪気な子供の顔ではしゃいでて手を叩き、サリムに微笑む。
「この屋敷の主人は貴方なのでー、私がここに居続ければ貴方も一緒に火刑台でーす。ふふ、豚の丸焼きですね!」
安い挑発だと自分でも呆れたが、しかしサリムはきちんと煽られてくれた。顔を真っ赤にし、ズカズカと私に近づいてくる。それで私は目くばせをし、動ける使用人の人たちが素早くカーシムさんを部屋の外に運び出す。
「で、出てけ出てけでてけでてけでてけ!!!!」
サリムは癇癪に暴れる子供のように無茶苦茶に腕を振り回す。あちこちにぶつかり、調度品が倒れ壊されていくが、分厚い脂肪と皮膚、それに厚手の服のお陰かサリムが怪我をする様子はない。
こんなに怒り狂って疲れないのだろうかと私の頭は冷静だ。
だが次の瞬間、サリムの言葉で思考が停止した。
「お、おまえの所為で教会の神官たちは死んだ!それに、お前に関わった若い兵士も焼かれた!!!お、お、お前と関わった、この家は、もうおしまいだ!!!」
====
「この魔女め!!!」
「悪魔の子!!!」
「呪われ者が!!!!」
「出ていけ!!!」
屋敷から出て広場迄の道の上で石を投げられた。
唾を吐かれ、汚物を投げつけられながら、私は自分の腕を縛り上げる縄により引きずられるように歩いた。
一人の老婆が私に向かって掴みかかり、その髪を掴んで地面に叩きつけた。
「お前が!!!!お前が息子を殺した!!!やっと兵士になれたと!!!!亡くなった父親のように街を守るのだと!!!!!!!やっと!!!やっと!!!!あぁ!!!あぁあああ!!!!!!あぁあああああああああ!!!!!!」
半狂乱になった老婆は私の体中を打ち付け、引き抜かれた私の髪を握ったまま何度も何度も罵った。
私から老婆を引き離そうとするゴーラさんをゾットさんが押しとどめる。兄貴分の行動に驚く弟分は、しかしまっすぐに私たちを見るゾットさんを見て、項垂れた。
老婆は次第に力尽き、泣きじゃくりながら崩れ落ちた。
「なんでだ、なんだって、あの子はお前なんかと関わった。放って置けばよかったんだ。そうすりゃ、死なずに済んだのに……!」
私は昨日、私を教会まで連れて行ってくれた人の良さそうな若い兵士の顔を思い出す。
あの青年、火炙りにされたそうだ。
私が魔女という、それを広く知らせるための見せしめ。酷い拷問を受け、それでも死なせて貰えず、異端者として炎に焼かれ更なる苦しみの中で死んだらしい。
そして私が泊まった教会の人たちも、血を吐いて死んだと、そういう。
私と関わったからだ。
私が魔女だから、彼らは死ななければならなくなったと。
そう、異端審問官は街の人々に囁いた。
再び引き摺られ広場に向かう私の頭の中で、ぼんやりと「これが漫画やドラマなら」と、自分が物語の主人公であれば、これはどう、乗り越えられる問題なのだろうかと考える。
私は異世界転生者で、たとえば、それだけで、物語の主人公だっただろう。
だから、それなら、私が主人公なら、これが私の為の物語ならば、どうにかしてこの状況でも「めでたしめでたし」になる道はある筈なのだ。
だが違う。これは私が主人公の物語、私が主役の舞台ではない。だから、誰もが自分のために生きていて、私にとって都合の良い出来事だけが起きるのではない。
私の所為で人が死んだ。
殺された。
その事実が重くのしかかり、受け止めきれず頭の中で「これが物語なら」などと逃避したくなり、そんな自分に良くない感情が騒めき出す。
ひっきりなしに、石が投げつけられ、あちこちが切れて血が出ているようだったが、それは今はどうでもいい。
(私の所為)
違う、兵士さんは自分の判断で行動しただけ。
(私の所為)
でも私が要因となっている。
(私の所為)
私に関わったからという事実で、殺された。
(悪いのは私ではない)
その通り。殺した異端審問官が悪いに決まっている。
(悪いのは私ではない)
でも私が逃げ出さなければこうはならなかった。
(悪いのは私ではない)
私が逃げたから、殺された。
思考を重ねれば重ねる程、出てくる結論は「私に責任がある」という事だった。
自分が加害者ではなくても、罪や悪でなかったとしても、それでも、私が原因だと、その、はっきりとした事実を自分で認めてしまった。
「ごきげんよう、聖女様」
引き摺られた先、広場の火刑台の前には穏やかに微笑む異端審問官がいた。その家庭教師のような面を見上げ、そしてその後ろにある焼き落ちた柱のようなもの、その残骸に唇を噛み締める。
「まだ私を聖女と呼ぶんですか」
「えぇ。貴女は紛れもなく真の聖女の魂を持つ選ばれた存在です」
「どうしてこんなことを?」
私は周りを見渡す。
こちらの声が聞こえるか聞こえないかギリギリの離れた所に軍人らしい人たちが立ち、その後ろには憎悪と恐怖に顔を歪めた街の人たちがいた。
「どうして、とは?」
「私を捕まえるだけなら、モーティマーさんなら、他にいくらでも方法があったでしょう」
「えぇ、まぁ」
あっさりと認めて、異端審問官は口元に手をやる。
「ですが手ぬるい方法では、貴女に状況をひっくり返されてしまうでしょう?たとえば、我々を真の悪役、ということにして、カーシム代理長をこの街の英雄にする、とか。折角の神の血の影響を全て台無しにしてしまい、自分は聖女として周囲に認められるようにする、とか」
赤い神官服の青年はどこまでも穏やかに微笑んでいる。その細い目は私に対しての憎悪や嫌悪はない。今も聖女として見ている瞳で、しかし確実に私を追いつめ火刑台に送ると、その強い意思が見て取れた。
「見せしめのための拷問だけでは、聖女の奇跡が起きて五体満足になってしまうかもしれない。骨や肉が残っていれば再生させられるかもしれない。御伽噺のようでばかばかしくは思いましたが、しかし、真の聖女ともなればどんな奇跡を起こしてしまうかわかりませんからね」
私はもうこの街で許されることはない。
この異端審問官はここまでやって、そう追いつめた。
「そしてこの街から、私は貴女を逃がしません。さぁ聖女様。貴女は魔王に助けを求め、この街に魔王を呼びなさい。そして晴れて魔女になるべきなのです。さぁ、どうぞ?」
異端審問官は恭しく、私を新たに組まれた火刑台までエスコートしようとするが、私は歩き出さない。
しかし両腕を縛る縄を引っ張られれば、足を踏ん張っていようとズルズルと引き摺られていくしかない。
上機嫌に神を讃える歌を口ずさむ異端審問官は天を仰ぎ「あぁ、良い夜だ!」と叫ぶ。
私の体は火刑台に縛りつけられ、そして火がつけられた。
Next
長くなったので二回に分けます。




