魔女の悪意と、マーテル商会
人は、どこまで残酷になれるんだろう。
考えてしまえば養鶏場。一生を狭いゲージの中に閉じ込められてただ只管餌を食べ、卵を産み肉になる。その他、人間の人口が増え、発展し、需要と供給が大きくなるに連れて「人間に食べられる動物」の扱いは変わっていった。
それを残酷と考えるのは料理人として相応しくはないのだろう。
私は動物園のふれあいコーナーで兎を抱く時は「なんて可愛いんだろう。ふわふわだ」と愛でたし、でもその日の夕方、調理場で血抜きがされ皮の剥がれた兎肉を解体し、煮込み料理にした。
双方は同じ命だ。食用とそうでないかという違いはある。それを同じと考えるのも、違うと考えるのも、どちらも矛盾してはいる。
けれど「これは可愛い」「これは美味しい」と思う、その私の意識はなんなのだろう。
私は前世の短い人生の中で、それらに対しての自分の中のはっきりとした考え方を、答えを見つけられないまま命を奪われた。
第二の人生を異世界で送る中、時々私は考える。
私が前世で殺されたのは、深夜の変質者による「誰でも良かった」という犯行だろう。けれど犯人だって、自分の家族や友人の女性にそのようなことはできなかった筈だ。
犯人にとって私は食用の兎のように、意思があること生きていること、これまで生きてきた中での思い出があること、明日があること、を考慮しなくていいものだったのだろうか。私がどれほど苦労して、努力して、明日を楽しみにしていたか、そんなこと、全くこれっぽっちも、犯人には関係なかったのだ。
「ヒィイイィイイ!!!!ブィイイァイイアア!!!!!」
どうも、こんばんはからこんばんは、ごきげんよう、気分が悪いです。野生の転生者エルザです。
目の前で豚のような悲鳴を上げながら叩きのめされている男たちを眺め、私はどのタイミングで止めるべきなんだろうと、首を傾げた。
教会の前で暴れていた命知らず共は、モーリアスさんが登場し最初は「坊主が何の用だ!」などと息巻いていたのに、異端審問官が神々の名を唱えながらその真っ赤に燃える拳で一人、また一人と血まみれ火だるまにしていくのを見て恐怖に震えていた。
それで逃げればいいものを、なぜだか頑張って挑んできて、被害は悪化する一方である。
私と一緒にいる教会の見習いさんが解説してくれたのだが、王都の異端審問局に席を置く彼らはその体の一部に神の名を刻み、神の使徒となって歯向かうものに鉄槌を食らわせるらしい。
鉄槌っていうか拳だね!!
神官さんたちの怪我は彼らの使う治癒の魔法で治るものらしく、教会の中であの老神官さんが自分の怪我を治すより先にと自分より若いものたちの治療を優先させていた。
私はこの隙に逃げ出そうかという外道な考えが浮かばなかったわけではないが、一宿一飯の恩と、あと目の前で神の狂信者と化してるモーリアスさんに追いかけられたくないので、素直に皆さんの手当てにまわる。
と言っても治癒魔法を使えない私の出来ることなど殆どないので、寒い教会の中、順番待ちをしている彼らに何か暖かい飲み物でも出せないかと傍にいる見習いさんに相談すれば「聖女様はここにいてくださるだけでいいのです!」と恐縮された。
そんなわけにはいかない。なので、レッツクッキング!!!!なんか久しぶり!!
私は萎縮する見習いさんを何とか口説き落として調理場に連れて行って貰い、私が使っても明日の皆さんの食事に影響がない大量にあるもの、を聞いていく。
なるほど、牛乳と……あとハーブか。
ふんふんと頷きながら私の知る牛乳よりちょっとエグさのあるそれと、ハーブの香りや味を確認し小鍋を手に取った。
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おや?と、異端審問官モーリアスは薄汚い背徳者ども殴る手を止める。辺りになにやら甘い、良い匂いが漂っている。
時刻は月が傾きかけた頃、もう酒場も閉まっている。窯の火もとっくに落とされているだろう中で料理をしている所があるものか。
「こっ、このクソ坊主!!!」
「黙りなさい」
じっと匂いの元を辿ろうとしているモーリアスを隙があると判じたか、命知らずなチンピラが殴りかかってくる。それを逆に殴り鼻の骨を砕いて黙らせ、あぁ、とモーリアスは細い目を更に細めた。
これは教会からだ。
だが教会に常備してあるようなものでこれほど良い匂いが出せるだろうか?
モーリアスは神の名のもとに屑どもを地獄に叩き落すことが使命であり趣味である男だが、そんな彼でも料理という趣味があった。
好奇心にかられて教会の方へ戻ると、そこにはけが人に湯気の立つカップを配っている聖女様の姿があった。
「なにをされているのです?聖女様」
「あ!師匠!」
「……」
なぜか食事を出したら師匠と言われたのだったか。思い出しモーリアスは顔を顰める。
王都にて大神官様より受けた命は二つ。
1つはドゥゼ村の結界の再調査。
ラザレフ様は「あの村の結界は間違いなく一度破られている」とお話になられた。そして、それならば結界を張ることのできる聖女があの村にはいる、ということだ。
それを探し出す、というのがモーリアスの使命。
しかしドゥゼ村にたどり着く前に、あちこちに新たな結界が張られていた。それは内に星屑種を収めぬものであるから小規模であるけれど、正しく認定され人間種が管理すべきものだった。
そしてその結界を辿り、出会った聖女、それが彼女だった。
モーリアスは自分が出した料理を、感動しながら食べた聖女を思い出す。
食事というのは一種の儀式だ。
神官たちは体に魔力をみなぎらせ、正しく動かすために効果のある食材や意味のある順序をしっかりと守り、口を動かしていく。
だが聖女様は一口食べてはぎゅっと目を閉じ、味わうように何度も頷き、皿の料理をじっくりと眺めてその姿を楽しまれているようだった。
それがモーリアスには、驚きだった。
そしてただ驚き目を見開くしかないモーリアスの手を取って、まっすぐに瞳を覗き込み聖女様は「師匠になってください」などと言われた。
モーリアスは異端審問官である。
教会内でもその苛烈さを恐れられ、危険視されている。スレイマン・イブリーズの母である聖女エルジュベート・イブリーズを火刑台に送ったのも彼だ。
少しでも神の教えに背く者は許さない。
それがたとえ聖女であっても。
そういう、神の為ならばどれほども残酷に冷酷になれる男の手を、幼い少女はキラキラと憧れる王子様であるかのように取って、熱っぽい目で見つめてきた。
驚くということ以外に、モーリアスが出来ることなどなかった。
「これは……温めた牛の乳に、香草を?」
「はい。師匠が私の食事に使ったスパイスでやりたかったんですけど、コスト的な問題で断念しました。でも美味しいですよ」
聖女の為に用意した食事はモーリアスが自費で買い集めた最高級の食材を使っている。教会の食糧庫にあるわけがない。
モーリアスは聖女が配ってるカップを一つ己も貰い、口に含む。
砂糖を使っていないはずなのに、口当たりが優しく甘さを感じさせる味だった。ふわり、と鼻をつく香りが戦って高ぶっていた気を落ち着かせ穏やかにしてくれるような。
「なるほど、香草を詰めた小さな布袋を牛の乳をいれた小鍋に入れて煮出したのですね」
「はい。さすが師匠。これ師匠のスパイスでやったらとっても美味しくなると思うんですけど!」
「聖女様が飲まれる分だけであればお譲りしますよ」
下々の者が高貴なる方と同じものを口にする必要はない。
そう言い含めると、聖女は「おいしいものは分け合うともっと美味しいんですけど」とモーリアスにはわからぬことを言う。
「……それにしても、これは……魔法?」
飲んで暫くして、体がぽかぽかと温まってきた頃、モーリアスは自分の掌をじっと見つめる。
魔力が戻っている。
香草にそう言った効果があるものがあったとしても、説明のつく回復量ではない。
そう感じたのはモーリアスだけではないようで、カップを手にした神官たちが口々に「聖女様のお力だ」「やはり聖女様だ」と呟いている。
モーリアスは聖女が飲み物を作っている間一緒にいたという見習いにその時の様子を聞いてみた。見習いは異端審問官に話しかけられ完全に萎縮していたが、変わった様子はなかった、と涙声で答えた。
使った道具や食材は、教会で普段使われているありふれたものだ。
やはり、この銀色の輝く美しい髪の御方こそ300年ぶりに人間種に神が遣わされた聖女様なのだ。
確信し、モーリアスは王都に戻った際、誰よりも先に彼女を大神官様に引き合わせねばと心に誓うのだった。
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「村長!!!?じゃない!!髪がない!!!」
ホットミルクをあらかた配り終わり、私はなんだか元気になって治癒魔法をかけまくる神官さんたちから離れた。そして教会の入り口に座っているご老人をなんとなく見て、声を上げた。
「うん?誰じゃ、お嬢ちゃん……」
マーサさんのおじいさんである村長と同じ顔、同じように曲がった腰、だが頭に白髪が一本も生えていないツルッツルのスキンヘッド。
「ドゥゼ村から来ました!!!紹介状なくしましたけど!!!村長の親戚ですか!!?」
これで他人の空にならちょっと恥ずかしいけれど、勢い込んで聞いてみる。
するとご老人は私の勢いに少し驚いた様子を見せてから「あぁ、傭兵たちが話してたのはお前さんか。確かにきれいな顔をしている」と頷いた。
こんなところで出会えるなんて!
流石は私の幸運値はEX!!!
神に感謝の祈りを捧げながら、私はご老人、マーテル商会のマーテルさんに事情を説明した。
最初は「つまり……領主様に逆らうのか」と非協力的な反応だったマーテルさんだが、私が「マーサさんはワカイアたちに慕われています。彼女を見捨てたと判断されればどうなるか、わかりますよね?」と聞くと少しだけ顔色が変わった。
そして、溜息と共に語るマーテルさんはドゥゼ村を利用していたことは認めた。だが「どのみちあの村の連中では誰かの食い物にされた」と言い、それなら村長の親戚である自分が利用した方が、ただ悪いように使い潰されるだけではなくなったのだ、と弁明してくる。
その事について私が判断できることはない
「実際、ただうまいだけの話じゃなかった。あの村まで行きたがる元傭兵を探すのは中々骨でな」
「そうなんですか?」
「あぁ。魔物も多い上に、なんの魅力もない貧しい村だからな。若い女が抱けるわけでもないしのう」
「はっははは、そんなことしたら蹴り潰されますよ」
というかこのジジィ、幼女相手にそこまで話すんじゃない。
私は顔を引きつらせ、そして話の続きを促す。
「だが数か月前、そうじゃな、お前さんが移り住んでから様子が変わった。あの村へやたらと行きたがる者が出たんじゃ」
「私の父が魔物をあらかじめ追い払っておいてくれるから楽になった、ってことじゃないですか?」
どこで聞いているかわからないので、スレイマンの名は出さずに私は聞く。だが村長は首を傾げた。
「その魔術師さんの話は聞いておるがな……そもそも、きっかけは、村から戻った傭兵の一人が変死を遂げてからなんじゃ」
丁度、私が泉の結界を張りなおすための食材を運んでくれた、私にとって最初の隣町からの一団のようだ。それならよく覚えている。
変死を遂げた人の特徴を聞いていると……どうも、私とマーサさんの方をニヤニヤ見て「売り飛ばせばいい金になるぜ」と話していた男の人のようだ。
「そしてこの街では、その男の変死から……急にあのバカ息子どもの羽振りが良くなっていった」
バカ息子ども、というのは街の権力者の二人の息子らしい。
マーテルさんは亡くなったその父親と交流があったようだ。昔からロクでもない子供たちだったと苦々しく語る。
そして街で一番大きな商会だったマーテル商会が、この数か月であっという間に、新たな街の統治者となった長男の弟が親しくする商会に業績を追い抜かれ、弟の口利きで取引先がどんどん取られていっているようだ。
「街では諍いが絶えず、バカ者どもが大きな顔をして歩くようになった。先代が生きていた頃はこんな街ではなかったのだがな……誰も、咎めようとしなくなった」
「……悪いことは悪いことなのに、ですか?」
私は荷物を盗られたのに動いてくれなかった兵士たちの話をする。
「……誰もが、正しいはずのことができなくなっている。心では連中を許してはならないと思うんじゃがな。自分の意思と違うものに、上から押しつぶされるよじゃ。まるで、魔女の毒でも飲んだかのような……」
ぎゅっと、マーテルさんは自分の胸を抑える。
その苦しそうな様子に私は「まさか高齢者の……!!!突然の心臓発作!!?」と慌てたが、そういうわけではないらしい。
だが心配なので教会からホットミルクを一カップ貰い、マーテルさんに差し出す。
「飲むと安心しますよ」
「……これは……なるほど、落ち着く。良い匂いじゃ」
気に入ってくれたようで目を細めて飲んでくれるマーテルさんに私は簡単な作り方を説明した。どこのご家庭でも誰でも出来る。ようはロイヤルミルクティみたいなものだ。違うか。まぁそれはいいとして。
説明を聞いていたマーテルさんは「ほうほう、つまり……なるほどなるほど」と頷きピン、と指を立てて提案してきた。
「領主の館までの案内人と、旅の道具はこちらで用意しよう」
「なるほど、つまり香草を布に入れた小さなものを売りたいので、この方法を他に黙って置くのと上手いやり方を教えてくれ、と」
「……」
ティーパックだね、それ。
よく話だけで「商売になる」と考えたなぁと私は関心する。
だが私が納得して先に提示したのが意外だったらしく、マーテルさんは驚いた顔をし沈黙する。
「そこまでわかったのなら、駆け引きをしてわしからもっと引き出そう、とはせんのか?」
「話は早い方がいいと思いまして」
それに頭の良い商人を自分が出し抜けるとは思えない。
私はどこまでも料理人で、ただの子供なのだ。
美味しいものが商品として手軽に手広く広がるのなら、それはとても嬉しいことだ。
とりあえず私たちはアルパカさんの前で簡単な契約を交わし、違えることがあれば魔法種ワカイアにより裁きを受ける、とそういうこととなった。
そして、マーテルさんが準備をしてくれるまで私は大人しく教会で軟禁生活を送ることになった。王都へ行く馬車は元々マーテル商会が用意することになっていたらしく、どうにか日にちを稼いでくれてるらしい。相手は異端審問官だから、がんばれ、としか言えない。
そしてその間も、時折街では小さな諍いから発展した暴動により、怪我人が出て神官さんたちが治癒魔法をかけるのに追われていた。
元々はこんな街ではなかったという、その話を信じるなら、それなら一体、こんな街になって誰が得をするのだろう。
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