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ドゥゼ村

※感想にてアドバイス頂きました補足部分を削除しました。

ありがとうございます!こうした助言大変ありがたいです。




一番最初に覚えているのは凍えそうな寒い夜、スラム街の路地で縮こまって寝ていた記憶。周りに親なんかいない。いつからいないのか、クロザは覚えていない。そもそも親なんていうものが人間には誰にでもいるんだと知ったのは随分後になってからだ。


スラムの汚い町を逃げ出せず、そのままチンピラに育って、ごろつきになった。クロザは腕力が強かった。だから、他の自分と同じような子供たちを殴って食べるものを集めさせて、自分だけガツガツと食べた。そうしたら他の子どもたちよりますます大きくなって、強く育った。だからごろつきになった時も、腕っぷしだけは多分、町で一番だったように思える。


「やぁやぁ、なるほどなるほど。さすがに強い。なぁあんた、あんた、なぁ、それならどうか頼まれごとをしてくれないか」


国が荒れた時、そう言って町の偉そうな奴から金を渡され戦争にも出た。綺麗な顔のお貴族様や騎士様なんぞがふんぞり返る後方とは逆の、泥や血やクソで塗れた前線はクロザのようなごろつき上がりの傭兵が重宝したらしい。別にクロザはどこの国がどことどう争おうと興味はなかったが、なるほど、こうして金を得られるのかと知った。町で金をちまちま巻き上げるよりも、ただ人を殺せば手に入るのは、あれこれ考えずに済んで気も楽だった。


それからしばらくして、戦争がぴたりと止んだ。

なんでも魔王だか魔族の貴族だかが見つかったとかなんとか。


それで人間たちは争っている場合じゃなくて、神話時代の力を取り戻そうと北の地にいるなんとかって狼を探そうってことになったとか。


聖女様が大国アグド=ニグルにて各国の王たちを説得しただとか。


または聖女様は魔王に殺されてしまってその仇を討とうと聖女様を愛していた王たちが立ち上がっただとか。


クロザのような平民にはわからないが、様々な噂が流れた。何が本当かはわからなかったが、何かが起きたことは確かだった。


それで、よくわからないが戦争は減ったのでクロザは小さな村から村への移動の際の護衛なんていうのをやってみた。


戦争で世話になった貴族の軍人が「人間相手でどれだけ蛮勇を誇ろうと、我々人間種は魔獣の爪のひと薙ぎにはかなわない」と、いつだったか話していたのを覚えていたのだ。それで、その貴族が治める領地について行って、領主が直接治める街からは遠いが一番「鍛えられるぞ」と言われた村へクロザは行くことにした。


ドゥゼ村という、山岳地帯にあり、冬は山から踊り子たちが雪を降らせ、夏は大陸から通る火竜の鱗粉が落ちて肌が焼けるような、そんな容赦ない場所にある村だった。


「あら、あなたが今回の傭兵さん?ふふ、ようこそ、ドゥゼ村へ!」


その村はこれまでクロザが知らないものが多くあった。いや、村は貧しかった。何もなかったが、けれど、村人たちはみな穏やかで、優しく、クロザのような乱暴者でも皆きちんと、一人の人間として見て、扱ってくれた。


名を呼んで親し気に挨拶してくれる。

クロザを見て何か嫌なものを見たように顔を顰めたりはしない。


子供たちはクロザを見て怯えることなく、強さに憧れキラキラとした目で見上げてくれた。

村の老人たちは小さく頼りなかったが、「いつもありがとうね」「助かるよ」「あんたのような人がいるなら安心だ」と、クロザの存在を受け入れてくれた。


良い村だった。


こんな厳しい場所にあるのに、誰もそれを嘆いたり、恨んだり、逃げ出そうなんて、誰かを出し抜こうなんて考えていない。


居心地の良い、本当に良い村だった。


「……俺はこんな村で生まれたかった」


それから何度も、クロザは村への護衛を引き受けた。一か月に一度だけ。村へ行くには大人の足で5日かかる。往復で10日だ。滞在時間や物資の準備期間を考えれば、かなり頻繁に、ドゥゼ村へは物資が届けられていることになる。クロザはこの村を領主が大切にしているのだと、それが友であったので誇らしく感じた。


そして通って半年、6度目の訪問もいつものように歓迎され、クロザは親しくなった村の娘と、彼女が「村でも特別な場所」という綺麗な泉に行った。


ぽつりと本心を呟くと、彼女は一瞬驚いた顔をして、けれど優しく微笑んでくれた。クロザは彼女が好きだった。一緒になってくれと、言いたくて6度目の今日は彼女に贈ろうと髪飾りを用意してきた。


それを渡して、彼女に求婚しよう。そう思って道々やってきたというのに、いざ彼女を前にするとクロザは怖くなった。


自分はこの村に相応しくない。どれほど酷いことをしてきたのか。

このドゥゼ村の人たちのように何の罪のない人間だって、自分は脅して殴って奪ってきた。戦争に出たくなかっただろう新兵だって、「あぁ、こいつを殺すのは楽でいい」くらいのことしか考えず殺してきた。


そんな自分が、この優しい村を、やさしい彼女を望むなどできるはずがないではないか。


黙っていると彼女がクロザの頬に触れた。周りには彼女を慕うワカイアという珍しい魔法種が彼女とクロザを見守っている。触れた瞬間ドキリ、とクロザは心臓が高鳴って、そして彼女の唇が自分に触れた時、もうこのまま死んでもいいとさえ思った。


「……あなたが、わたしの全てならいいのに」


小さく彼女は呟く。

微笑んでいるのに、辛そうに眉を寄せている。その、どこか何かを必死に耐えるような姿にクロザは反射的に彼女を抱きしめた。これまで自分なんかが触れては彼女を傷付けてしまう、汚してしまうと自分からは指一本でも触れられなかったのに、全力で、彼女の骨が軋むのも構わずに抱きしめた。


「俺の全てはアンタのものだ。俺を村の男として受け入れてくれ」


彼女は泣きながら頷いてくれた。クロザも泣いた。嬉しくて嬉しくて、クロザは泣いた。彼女もそうだろうと思って、うれしくて泣いて、ひとしきり泣いて落ち着いた後、ワカイアたちの方へ飛び出し全力で妻となる人への愛を叫びながら、ワカイアたちを抱きしめた。嬉しくて仕方なかった。


それからはまるで、夢のようだった。


村中でクロザたちの結婚を歓迎してくれた。友の領主までわざわざ祝いの品を贈ってくれて「奥方を幸せにしろよ」という旨の手紙までついてきた。


あぁ、もちろんだ、もちろんだ!


クロザは自分のような屈強な男がこの村にいれば、これまでできなかったことができると信じた。主食のラグの木を斬りおとすのも、自分なら一人で出来た。

隣村から一団がやってきて、村に物資と傭兵の護衛にかかった金銭を要求する際の交渉に同席し睨みをきかせれば以前の半分の金額で持ってきて貰えるようになった。


皆を、俺を受け入れてくれた村を俺が救うんだ。俺がもっと、もっと良くするんだ。


これまで戦争でしか役に立たなかった腕が村を守れる。

これまで誰かを脅すことしかしなかった口から村への気遣いが漏れる。


クロザは生まれて初めて、幸福というものを知って、それを何のためらいもなく受ける事ができた。


―――彼女の様子が、変わるまでは。


「なぁ、一体どうしちまったんだ?もう何日も、外に出てないじゃないか」


妻はある日突然、これまでの穏やかさが嘘のように暗くなった。ずっと家の中にいて、しくしくと泣いている。クロザと目が合えば「ごめんなさい」「ごめんなさい」と繰り返し息が出来なくなるまで泣く。その年の夏にイルクが産まれて、これから親子3人でもっともっと幸せになるのだと、イルクが大きくなったらどんなことを教えようか、どんな風に過ごせるかを考えて期待に胸を膨らませていた頃だった。


「ごめんなさい、あなた、ごめんなさい、ほんとうに、ごめんなさい」


最初は、妻が外を自由に生きてきたクロザを村にとどめてしまったことを悔いているのかとも思った。だが結婚して数年経った。それはさすがに今更だった。


子供を産んで女は少し不安定になるのかもしれないと、近所の人たちにも心配され助言され、出来る限り妻のしたいようにさせた。イルクの世話はクロザがし、男手で足りないものは村長の孫娘が手伝ってくれた。子育て中の他の村の女がイルクに乳を飲ませてくれた。


だが秋を過ぎ冬のにおいが山を覆っても、妻は泣き腫らしたままだった。

村人の誰もが参加するワカイアの体毛を刈る仕事にも参加せず、ずっとずっと家の中にいた。案じた村人たちが「ワカイアたちの散歩にでも行ったらどうだ?」と誘っても出てこなかった。


「このまじゃ、病気になっちまう」


クロザは案じ、妻を少し強引に連れ出した。


ラグの木のスープを食べている村人たちは丈夫だが、だといっても心が弱っていれば人はあっという間に病気になるものだ。戦場でも心から弱ったものが死んでいった。


「なぁここ、懐かしいだろ?」


今はもう村長の孫娘しか入ってはいけない場所となったワカイアたちのための泉。


この二人にとっての思い出の場所ならば、妻は微笑んでくれるのではないか。

そう期待して連れてきた。


「俺はこの村で、おまえと一緒になれたことが嬉しいんだ。俺はろくでもないやつで、本当はこんなに幸福になんか、家族なんか持っちゃならねぇんだろうに、それでも、俺はおまえとイルクを世界で一番幸せにしたい」


愛しているんだ。何よりも、誰よりも。自分の命なんかじゃ比べ物にならないくらいに、妻とイルクを大切に思っていた。


妻だって同じはずだ。


この想いが伝わるように、とクロザは妻の細くなった手を掴み瞳を見つめる。


「…………うそよ」


だが、虚ろだった瞳がまっすぐに、正気の目でクロザを見つめて呟いたのは、否定の言葉だった。


「嘘なもんか、俺は、」

「いいえ!いいえ!いいえ違うわ!それは違う!!違うのよ!!!」


妻は泣いていた。これまでのように静かに、ではなく、全力で、体の全身で拒絶するように、そうしなければ己が死ぬとばかりに身をよじり、首を振る。


「あなたのそれは違うわ!あなたは本当は私を愛してなんかいない!!!いるものですか!!!」


叫びその声が泉に木霊する。クロザは妻の変貌に茫然とした。


「あぁどうして!どうしてこんな場所に連れてきたの!!!!こんな、呪われた場所に!!!!」


彼女はどうしてしまったのだろう。

長く家にいてついに頭がおかしくなってしまったのか。クロザは悲しくなった。追い詰められた様子の妻を抱きしめて安心させてやりたかった。立ち上がった彼女に合わせてクロザも立ち上がり、両腕を広げて彼女に近づく。だが彼女は後ろに下がる。


「最初っから、最初から、あなたは騙されていたのよ!」


この村の女は年頃になると、隣町が護衛に雇う傭兵を一人選んで夫にする。断られることはない。ワカイアが祝福すると、どんな人間でもたちまちこの村に住みたくなるのだという。


「そんなバカな……」

「信じられない?!本当よ!でなければ誰が…!!!誰がこんな不自由な村に来るっていうの!!!?」


彼女はずっと苦しんでいたそうだ。夫を、クロザを騙したことを。いや、それ以前に愛してもいない男を村のために「この男ならいいか」と選んだことを苦しんでいた、とそう叫ぶ。


「誰でもよかった、あなたじゃなくてもよかったのよ!!!なのに、なのにあなたは!!!バカみたいに騙されてる!!!」


もう限界だと、彼女は泣き崩れた。

周囲にはいつのまにかワカイアたちが集まっていて、心配そうに妻の方に近づいていく。その1頭の鼻先が妻に触れそうになった途端、彼女は甲高い悲鳴を上げた。


「やめて!!!!!!私からこれ以上奪わないで!!!!!」


どこにそれほどの力があるのか。妻はワカイアを突き飛ばし、半狂乱になって走って行った。クロザはそんな状態の妻を一人で行かせることはできないと、状況についていけないまま、妻の…「あなたを愛していない」という言葉を、飲み込めぬままそれを追った。


次に妻を見つけた時、彼女は静かになっていた。

ラグの木の林の中にうつぶせになり、もう動かなかった。


妻に駆け寄り、呼吸を確認する。心臓に耳をあて、生気のない真っ白い顔を両手で掴む。

何度も、何度も何度も何度も名を呼び、恐怖で体が震えた。


彼女の体から暖かさが消えていく。

寒い冬の日、抱きしめてぬくもりをくれた柔らかな体が冷たく、硬くなっていく。

言葉にならない音が、クロザの喉から漏れた。


何が、なぜ、どうしてこんなことに?


慟哭し、何度も何度も自分の頭を打ち付ける。


周りには追いついたらしいワカイアたちが、彼女を悼むように集まっていて、そしてクロザはなぜかその時、妻はこの魔法種たちに殺されたのだと、そんなバカなこと、と否定する頭が一瞬で消え、その考えに支配された。


「寄るな……寄るな……!!!!!!俺たちに近づくな!!!」


妻の身体をかき抱きながら、泣きながら叫ぶ。だがクロザの本気の怒号もワカイアたちは聞こえぬように前進し、コツン、とその鼻をクロザに付ける。


そして、クロザは妻の体を抱きかかえて村に戻った。

その心には、先ほどまでの深い悲しみや憎悪や、そのほかの感情「あぁそうだ。村の皆に、妻が死んだことを知らせないと」という考え以外の全てが消えていた。


村のしきたりに従い、妻の遺体を埋めて、泣くイルクは村人たちが見てくれた。「なぁに、ワカイアたちに遊んで貰ったらすぐ忘れるさ」という言葉を聞いても「そうか」としか思わず、ただ、なぜ自分と妻がこんなことになったのか、を考えた。けれど考えて、考えたところで自分がどうしたいのかということもわからなかった。


そして時々、村ではそういう事が起きた。

誰かが事故で亡くなったり、生まれた子供がラグの木を受け付けず飢えて死んでしまっても、誰も、あぁ、そうだ。最初から、そうだった。


この村には悲しみが、なかった。




Next


もうエルザに食べられていいんじゃないかな、ワカイア。

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