*魔王*
貧相。貧弱。矮小。すぐにでも握り潰せる存在。
それが、魔王の目に映る“聖女”の姿だった。
銀の髪はマーナガルムの祝福を受け、青い瞳は、どこぞの竜の魔女と同じ強い光を携えてはいるものの、肉体はどこまでも脆弱。ただの幼児だ。
(で、あるが)
執念。情念。あるいは執着。
魔王は随分と長い間、その魂を人間の中に閉じ込められてきた。聖女の胎に宿させて、魔王の魂をゆっくりと何百年もかけて削り取ろうというその発想。おぞましい事だ。命を育む女の胎。それも聖女という神に選ばれた女の胎に、世界を破壊するために存在しているものを入れるなど。
効果はあった。
魔王の意識はまどろんで、徐々に、徐々に、自分が人間である夢を見るような、他人の記憶を夢見るような、そんな心持。
魔王の身体で目覚めたものの、まだどこかまどろんでいるような。ここが本当に夢の中でないという確証が魔王にはなかった。自身が夢の中ではないと信じていても、夢ではないという否定をするには、忌々しい事に観測者が必要だった。
「……」
魔王はひょいっと、幼女を抱き上げる。
びくり、と幼女の顔が強張ったが、魔王と目が合うと笑う。あぁ、と、安心したような笑み。それが、魔王には僅かに腹立たしい。
この幼女、魔王の赤い目が自身を映し何の情も抱いていないことに安堵した。「お前は違う」と、安心している。
ここで握りつぶしてやろうか。
否定は必要だった。
夢の中でまじりあうような魔王の魂と、器となった者たちの記憶。乖離させる必要があり、この幼女の否定の目は必要だった。殺してしまえばもうこの青い目が自分に向けられることがなく、そうなれば、魔王は自分が何者なのか、わかれないままになる。
スレイマン・イブリーズという男の記憶を、魔王は持っている。
傍若無人な男だった。これまでの器の中でもっとも、自分と近しい存在だったと魔王は理解している。何代にもわたり、器と魂の同期化が行われた末のことだろう。魂が人間として生まれる事に慣れた結果とも言える。
だが、魔王には自分が「スレイマンではない」という自覚が欲しかった。
幼女を足蹴にしたのも、その確信を得たいからであった。
納得。あるいは、それこそ安心というに相応しいのかもしれない。
魔王という存在が、何を弱気なことをと、そのように自嘲しないわけでもないが、しかし。
(……あの男の記憶。『スレイマン』と呼ぶ幼女の声。青い目に映る、男の姿)
己は違う。
そうではない。
(例えば私が、一言自らを『スレイマン・イブリーズである』と言った途端。あの青い目に、私自身が映ることはなく。全て上書きされる)
夢の中の記憶。
あの男の記憶を、魔王は覚えている。じっと見ていた。映像のように、流されるように。見ていて、聞いていて、そうして。
あの青い目が見て微笑むのは、自分であるかのような錯覚を、していた。