プレリュード
こんにちはから、こんばんは。
突然、閉じ込められました、エルザです。
兵士さんたちを送り出して、その後、イルハム殿下はムスタファ王子と話があるとかで、私を一時放置しどこかへ行かれた。
私としては、ハムシャルワさんが心配しているだろうし、シェーラさんも責任を問われていたら嫌だなぁという心があるので、ハレムに帰りたい気持ちがある。しかし、ここからどうすればハレムに戻れるのか、手段やどれくらいの距離かわからない。
行動に迷っていると、なぜか職業兵士ではなさそうな、人間種の兵士のひとたちに、今いる小屋のようなところに連れていかれました。
最初は周りに邪魔にならないようにここにいろという配慮かな?と思いもしたのですが、どうにも、扉にはしっかり鍵がされて、窓も外が見えないようになっている。
閉じ込められていますね?と私が判断しても被害妄想ではないだろう。
最初の頃はトントンと扉を叩いて、イルハム殿下のことや、いつまでここにいればいいのかなど尋ねたが、言葉は何も帰ってこない。
これはまずい。けれど、騒いでどうにかなるようにもなっていないというのはわかる。
私はぐるり、と小屋を見渡した。
藁を敷いた寝床のようなものに、水と桶。
トイレとか、これっぽいな、とそれは限界まで考えないようにする。
とりあえず藁の上に座って、自分の掌を見つめた。
兵士さんたちの手の感触を思い出す。
「……聖女の結界は万能じゃない。下級魔族は入ってきて、ずっと、戦い続けないといけない」
上位魔族を防げているだけでも十分凄いのだろう。
けれど、それでも取りこぼしがある。そのことを考える。
……私はこの場所を「気の毒だ」と湧く心があった。産んで産んで死ぬ場所。そういうために作られている。食用の家畜も、人間が生きていくために育てられてつぶされる。消費されている。それは同じだ。用途、意味、必要性。
前世でフォアグラを食べたことがある。
とても美味しかった。
イチジクや赤ワインソースと一緒に食べると、あのこってりとした脂が下の上でとろけて、果物の爽やかな赤身、赤ワインの酸味とよく合う。
美味しいけれど、私はフォアグラの作られ方を目の前で見ると「可哀想!!」と「こんなひどいことを!」と嫌悪感を抱く。
私が、今職業兵士さんたちを「気の毒だ」と思うのは、それに似てるのだろうか。
「女!ここか!」
考えていると、ドン、と大きく扉が開いた。
「ムスタファ殿下」
げ、と思う。声の大きい、全体的に苦手なタイプの第二王子殿下。大股でこちらに近づいてくる。イルハム殿下は一緒ではないのか?
おひとりで、扉はまた大きな音を立ててしまった。
「イルハムは国へ帰らせた!喜ぶがいい!女、お前はこの場所に有用だ!」
突然なんだこの大男。
怒鳴っているわけではないのだろうが、一々圧がある。私は反射的に立ち上がり、壁の方に下がった。扉はムスタファ殿下が背で塞いでいる。
「なんの話です?」
「うむ。女、お前が労った兵たちは変化した!執着心というのか、何かしらの意思が胸中に燃えている!特別な魔術も薬も用いらず、お前が行ったのだろう!お前はこの地で兵たちを鼓舞しろ!」
聞けば、私が握手をした兵士さんたちは、これまでの投入された兵士たちのようにただ黙って先にいる兵士たちの動きを真似、学び、ただ黙々と役目を果たそうとはしなかったそうだ。強い意志を持ち、周りが死なないように、少しでも長く、この場を守るものが多くいるようにと、そのように考え、必死必死に、戦っているらしい。
「お前は料理を得意とするのだろう!ならば振る舞え!ここにお前が自由に使える作業場を作ってやろう!お前は兵たちへ料理を振る舞い、この場を己の故郷のように思わせろ!あぁそうだ!それがいい!それが良いな!」
……違和感。
ムスタファ殿下、最初に会った時は話を聞かないし、女性軽視に失礼極まりない野郎だと思った。それが、掌を返して私へのこの評価。
私が兵士さんたちへ何かできたとして、それを、利用すると決めての掌返し。というのもわかる。わかるが、何か、違和感。
愚かな方ではない、という印象があった。だから、たとえば私をここに留めることを本当に、必死必要、当然としたいのなら、イルハム殿下に説得させる、あるいは言い聞かせるべきだ。
私はアラム・バラス殿下の花嫁としてこの国に連れてこられている。それを、イルハム殿下が攫ってこの場所に連れて来て、そして第二王子の一存で残す。
どう考えても、ラムス王の逆鱗に触れる案件だ。
それをムスタファ殿下は考えないのか。考えた末のこの行動か。違和感。疑問。納得がいかない点がある。
「料理をさせて、くれるんですか」
提案に、私は目を細める。
「あぁそうだ!好きに作り、振る舞うがいい!誰もがお前を望み、求め、この土地を守ろうと強く信じるだろう!」
……料理は大切だ。
例えば、ムスタファ殿下の言うように、この場所で私が食堂のようなものを始めるとする。そこで食事、日々の楽しみ、会話、交流が出来れば、この場は活気づき、ここを守ろうと兵士さんたちは奮戦するだろう。
「自分達で、知能を奪っておいて?」
思わず口に出た。
この場所は以前は笑い声があったはず。そう聞いた。イルハム殿下はそのようにおっしゃっていたが、それが邪魔、不要になって、薬を持ってそれを消したのではないか?それを、今更戻す、食堂という手間をかけて、そのようにする意味があるのか?
たとえばこれが、何か心温まるおとぎ話か何かであるのなら、外からきた女性が、暖かい料理を作り、この場が良いように変化する……などという展開もあっただろう。
だが、ここまで、こうしてこのように。消費。消耗品。合理的に管理されたこの場所に、今更、そんなままごとを持ち込むわけがない。
「私をこの場所に留める為以外の、目的が私には思いつかないのですが」
ムスタファ殿下を見つめる。どこかスレイマンに似た黒髪に目の大きな人は、大声で笑い声を立てて、口を大きく開いて、私に手を伸ばしてきた。
首でも絞められるのか、身構える。けれど違った。
藁の上に押し倒される。
ぐいっと、顔を掴まれ、無理矢理ムスタファ殿下と顔を合わせられる。
「女、お前は聖女なのだろう。お前がアラム・バラスを救う。あのできそこないの体にある全ての呪いを解き、盾の国に正統な王を齎す聖女だ。お前を国には返さない。ラムスを殺し、俺が国を手に入れる。お前は俺の妻となり、その力を、祝福を俺によこせ」
ぐいっと、ムスタファ殿下の手が私の服を剥ぎにかかった。
………。
せ、性犯罪が起きる!!
正直、殿下が何を言っているのかまるでよくわからない!!
わからないが!!私は反射的に、手を伸ばしてムスタファ殿下の目に指を突っ込んだ!
頭突き!同時に股間を蹴りあげ!素早く殿下の体の下から抜け出し、肘で一気に首の後ろを殴りつける!!
うめき声が聞こえた!!良い感じのうめき声が聞こえた!!
そこから振り返ることなく扉にダッシュ!!
幼女の体じゃなくてよかった!こっちのボディは歩幅が大きいぞ!がんばれ私!
鍵がかかっている可能性はあった!
だが私の幸運値はEX!扉は開き、外に飛び出す!!
「ま、待て!!」
「誰が待つか!!性犯罪者は死ね!!!!!!!!!!」
そう言えば前世の私の死因ってこれだったな!!思い出して、もう一度ムスタファ殿下の股間を蹴りつけたくなるがそれは我慢した!
走る、走って、途中ですれ違う人が一瞬私をぎょっと見て、手を伸ばす。なんとかそれを振り払い、私は崖の上に行きついた。
土地勘のない場所はこれだから……!!
「貴様……!この女!!なんという無礼な女か!」
鍛えているからか、ダメージからの回復のはやかったムスタファ殿下が追いついてくる。大変怒っていらっしゃるが、強姦しようとして拒否られてキレるとか意味がわからん。頼むから死んでくれと思う。
「どこへも逃げられんぞ!この国でお前の味方となる者などいない!この地であればなおの事だ!庇護されぬ女はみじめな末路と決まっている!この俺が妻にしてやるというのに何が不満だ!!」
何もかも気に入りませんけど!!?
怒鳴り返したいが、実際、私に退路はない。
前方にはムスタファ殿下。後ろは泥が流れる死地。
何がどうして、何が起きているのかさっぱりわからないが!
「あなたとアラム・バラス殿下なら、アラム・バラス殿下の方がまだマシです!!」
選ぶ権利くらい私にもあるだろう!
そう思って、叫ぶと、喚き散らしていたムスタファ殿下がスッと表情を消した。
冷静になった、のではない。
つかつかと、私に無言で近づき、私が抵抗する間もなく、私の首を掴む。
「この俺とあの死にぞこないを比べるな!!!!!」
怒号。
これまでの、ただ大きかった声とは違う。
逆鱗。他人の、最も触れられたくない所を無遠慮に触れられえぐられた故の怒声。びりびりと、私の体に叩きつけられる怒気。
首を掴まれ、宙づりにされる。
そのまま崖の下に落とされるかと思ったが、怒りながらも冷静な部分があるのか、殿下が私の体を崖の端から引き寄せる。その時、大きな影がかかった。
「え?」
ムスタファ殿下の後ろに大きな影が出来る。
私の後ろ、崖の向こうから、何か大きなものが太陽を遮った。
ぱくり、と、音がする。
私の視界が真っ暗になる。見えたのは、私の背後にあった何かが、私の体ごと、私の首を掴むムスタファ殿下の腕ごと、私を飲み込んだ。
漠然と、泥だと感じた。
泥が、あの、結界の外にあるはずの泥が大きく、高く、崖の上まで高く上がって、ぱっくりと、私を飲み込んだらしかった。
全ての音と、光が消える。
泥に飲み込まれて、私の体が勢いよく沈んでいく。
無音のはずだったのに、囁き声のようなものが聞こえてきて、それが、段々と大きくなってきた。音だ。話し声、囁き声、色んな声や、感情や、出来事が頭の中に一気に押し寄せる。
泥の中に体が沈む。
泥の中、生き物の色んな感情や記憶や声や物語がひっきりなしに、私の頭の中に入って来た。鼻や口や、目や耳、体中の穴という穴から、泥が入り込んでくるような無遠慮さ。
苦しい。苦しい。頭の中に、自分の知らない記憶が感情が、叩きこまれていく。泥の中の憎悪、記憶、記録、ごちゃごちゃと詰め込まれていく。フォアグラのガチョウになったような気分だ。ガチョウもこんな気持ちだったのだろうか。自分の知らないものを望まぬものを無理矢理詰め込まれる。
ぐちゃぐちゃと、自分の体が泥であふれる。破裂してしまうんじゃないかというほど、あふれて、あふれて、急に体が落ちる。
「……なぜ、おまえがここにいる?」
次に感じたのは、冷たい床の感触だった。
冷え冷えとした空気に、薄明かり。
私は急に軽くなった体と、解放された呼吸にごほごほと咳をして、泥を吐く。全身が泥まみれになって、悪臭が鼻についた。目に染みる。
「?」
低い声が聞こえた。私の頭上。ごほりと泥を吐きながら、顔を拭い、視界をはっきりとさせようと試みる。
暗い、薄暗い、鬱蒼とした古城のような場所。私の下には、私の体にまとわりついていた泥で汚れた、真っ赤な絨毯。
玉座があった。
私のいる場所から段になった高い所に、玉座があった。
「答えよ」
短い言葉。私は顔をあげて、目を大きく開く。
玉座に座る、誰かがいる。
長く黒い髪に、真っ赤な瞳。頭には大きな角が生えて、軽く開く唇には牙があった。豪奢な椅子に鎮座する、異形の姿。黒と金を多く使った、礼装のような衣裳を着たその姿。
私は彼が誰だか、わかった。
聖王都で見た、泥人形ではない。
「魔王」
働き方改革で残業時間が48時間までになった!!
鬼女紅葉欲しかった。