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【書籍化】野生の聖女は料理がしたい!  作者: 枝豆ずんだ
第五章 魔女達の舞踏会
156/162

血(5)



(疑問が常にあった)


物心ついた頃からだ。


生まれたのは二番目。予備の王子。第一王子は病弱で、誰も彼もが直ぐに死ぬと考えた。それであるからムスタファは、予備で、次で、二番目であるけれど、ハットゥシャにおいて順番というのはさほど重要ではなく、きんと、己が精進し、切磋琢磨し、怠らず、周囲や自身の自尊心に恥じぬように振る舞えば、生きれば、そのように成長すれば、きっと、きっと、己は上手くやれるだろうと信じた。


ムスタファの母の身分は高く、ハレム内で母こそが主、母こそが最も高貴な女性であると、傍らにいて、育って、見てきた。


(疑問が常にあった)


ムスタファは勤勉だった。良い王子であろうと。父王にとって誇らしい息子であろうと。母をこの世で最も正しい女性にするために、槍が握れるようになった頃から鍛錬に勤しみ、教師たちが「もう十分ご理解されている」と満足するまで学んだ。


周囲はムスタファを褒めそやした。将来有望であると。きっと、誰よりも素晴らしい王になられると、周囲は言った。


はじめて父王に会った時のことをムスタファは今でもはっきり覚えている。


四つの頃だ。ムスタファが狩りで見事な鳥を落とした。王子の最初の成果は父王に奉げられる。そこで初めて王子は父王に謁見することが許される。立派な男であるという、その証明を持って父に会う。


幼いムスタファは緊張していた。


これまで彼の知る世界は、美しい母と、その腰元たち。良い匂いとやわらかな、甘い女たちだけで作られていた。過ごした黄水仙の宮にて、男はムスタファだけだったから、己は男で、か弱い女たちを、いざという時は守るのだという使命感もあった。


それが初めて、父王に会う。男に出会う。教師たちとは違う生き物に出会う。その前の晩は中々寝付けずに、何度も何度も、世話役に「自分は父上に認めて頂けるだろうか「自分の獲物は父上に気に入って頂けるだろうか」と確認した。綺麗な服を着せられて、化粧を施されても何度も「これはおかしくないか」「父上はこういう装いを好まれるだろうか」と不安になった。


子供であるムスタファの耳にも、第一王子アラム・バラスの噂は入ってきていた。母親が元奴隷の女。生まれた子供は弱弱しく、槍を持つだけで息が切れる。一日中寝所から出てこれず、満足に教育を受ける時間も取れないできそこないの王子。


会ったことはない。だが、父上はそんな第一王子も大切にされているという噂を聞いた。慈悲深く、素晴らしい方なのだと、ムスタファは誇らしかった。そういう人の息子。己は強い戦士になり、賢い王子になる。


父上はきっと、喜んでくださるだろうと思った。第一王子が病弱であるのなら、いつ死ぬかもわからないのなら、丈夫な息子がいるだけで安心だろう。第一王子も、まだ会ったこともない兄上も、自分の弟が王としての才覚のある者であるのなら、きっと安心して療養してくださるだろうと、そんなことを、ムスタファは考えた。


謁見の時。覚えている。緊張していた。母に連れられ、王の間へ。そこで初めて、父子の顔合わせ。生まれた時すら宮を訪れぬ父親と初めて会った。


褐色の肌に黒い髪、逞しい体付きの男。鏡で見た自分とよく似ていると、子供心に思い、己もこのように立派な男になれるだろうかと焦がれた。


父王の膝の上には子供がいた。顔色の悪い、少年。六つになる兄王子だった。父王の膝の上で、父王が手ずから剥いた果物を食べさせたり、ゆっくりと飲み物を与えている。


ムスタファは、自分の隣にいる母親がうつむいたまま唇を噛みしめている事に気付いた。今日、この場はムスタファのための場でなければならなかった。他の子供は、王子は、女は遠慮すべきものだった。それが、明らかにラムス王の意向により第一王子が同席させられている。


(疑問が、常にあった)


父王は己を膝に抱き上げてはくれなかった。ただ、形式的に、ムスタファの献上した鶏肉を受け取り、王子としての証である帯や短剣をあたえた。父から子へ、それらしい言葉はなかった。それで終わった。玉座と、その遥か下。そこから距離は何も変わらぬまま。終わった。


「きっと、己がまだまだ幼く、不十分であるからだ」


ムスタファは考えた。

父上が己を見てくださらなかったのは、まだ十分ではなかったからだ。


もっと強く、もっと賢く、もっともっと、優れた王子にならねばならないのだ。そう考えて、そうか、それで、父は己を見てくださらなかったに違いないと納得した。納得しようとした。


八つで初陣を飾り、下に弟も増えた。


イルハムが四つの時に、獅子を仕留めたと聞いた時は、悔しかった。時折教師たちの話に乗る第四王子は己とは違うのだと感じた。


自分は何もかも、必死に、毎朝毎晩、猛勉強してなんとか周囲に認められる王子となれた。けれどイルハムはのんびりとしているだけで、小難しい数式も、逞しい指南役の槍も、なんなく、といてしまう。


それでもムスタファは努力した。


疑問はあった。

どれほど己の背丈が伸びようと、使える魔術式が増えようと、兵たちを上手く扱えるようになろうと、何を得ようと、何を成そうと、父王はムスタファを見ることがなかった。


なぜ?

なぜ、あの死にぞこないなのか。


イルハムならわかる。

あの出来の良い弟に、母親に似て美しく思慮深い天才肌の弟が、父王に気に入られ、次の王と言われるのでれば、ムスタファは血を吐くほどに苦しんだだろうが、それでも、それでも、納得はできた。そして、イルハムならば、あの天才相手であっても負けぬと、己には強い意志があると、覇気があると、奮闘できた。


だが、なぜアラム・バラスなのか。

どうして、己でも、イルハムでもなく、その他の、他の王子たちでもなく、なぜ最も弱く、最も無能なアラム・バラスだけを、父王は見るのか。


疑問だった。


いつも、常々、ずっと、ムスタファには納得がいかなかった。長子というのにこだわるわけがない。ラムス王とて長男ではなかった。自分以外の他の王子を殺して王になった。ハットゥシャとはそういうところだ。そういう場所だ。だが、父王は、ラムスは他の王子たちがアラム・バラスを害することをことごとく阻止した。王子に権力はある。だが、国で最も権力を持つ者は王だ。その王が、本気で守ろうとすれば、誰もアラム・バラスを殺せない。


これでは、王子たちはアラム・バラス以外で殺し合いをするしかない。アラム・バラスをなんとか最後に殺せるようにと考えながら、他の王子を殺すしかない。


だがムスタファはそれをさせなかった。有能で、勇猛な第二王子。己が、己こそが最も王に相応しいものだと大声で周囲に知らしめて、他の王子たちの目を自分に向けて、己を殺そうとする悪意全てを跳ね除けてきた。


(疑問が常にあった、常に、あった)


アラム・バラスに王としての才はない。

それがわからぬラムス王ではない。


だというのにどうして、なぜ。まるで、わからぬ愚行にしか思えなかった。


ただそれでも、ムスタファは、己が父王に認められて、次の王になる機会はきっとあると、そう信じて、そして、この国こそが人間種の最期の砦であり、そこを守る王こそ、人間種で最も崇高で強い男であると、誇りに思っていた。


「あぁ、ああ、ぁあ!!やめろ!やめろ!!俺を惑わすな!!イルハム!!お前の言葉は聞かぬ!お前の声は俺の心に届かぬ!!」


王子だけになった天幕。ムスタファはいつのまにかイルハムから離れ、地面に膝をつき、両手で顔を覆う。


「違う!違う!!俺は王子だ!俺は誇り高きハットゥシャの王子だ!この国を、この大陸を魔族から守り、人間種を救い続ける王になる者だ!」

「いいえ、いいえ、兄上。ムスタファ兄上。いいえ、違います。あなたこそはラムス王の長子に違いない。えぇ、あなたも私も、間違いなくラムス王の子です。昔、聖王国から嫁いできた聖女候補生の腹から生まれた子供。それが我らの父親。ラムス。スレイマン・イブリーズの前の器の種で孕んだ女の腹から生まれた者の、子供です」


それはヤニハの母だ!あの老婆が生んだのは娘だ!そう叫ぶ声が出ない。それは事実か?いくらでもごまかせる。生まれた子供が双子であった可能性もある。


「きっと、父上も、ラムス王も知らなかったのかもしれませんね。途中まで。他の王子たちを殺し終えるまで知らなかった。あるいは、知っていて、慌てたのでは?王家の血が途絶えた。ハットゥシャの王族の血はただの血ではありませんからね」


理解ができる。

納得ができる。


すとんと、落ちるものがあった。


必死に、必死に、アラム・バラスを生かす意味だ。

他の王子を見ぬ理由だ。

使い潰しのように、戦場に送り込めるわけだ。


盾の国は、高い壁と流れる川で魔族の侵攻を防いでいる。戦っている。その、最終局面に、その最後の最期の時には、もはやこの土地は守れぬとなったときは、ハットゥシャの王族の血で発動する古の魔法があると、教育係に教えられた子供の頃の記憶がよみがえる。


それこそが盾の国の、王族の最大の務めであると、王家の血を引くものが一人でなければならない理由、意味、悪用されぬため、最後に生き残った強き王だけが引き金を引けるようにと、その、意味。


「我々はなぜ生まれてきたのでしょう?職業兵士たちでさえ、役目を持って生まれた。望まれる使命がある。命に意味があるというのに、我々は?」


イルハムが、蹲ったムスタファの瞳を覗きこむ。


「兄上、兄上。誰よりも強く逞しいムスタファ兄上。我々が生まれた意味は、理由は、価値は、どうです?私の言葉に耳を傾けていただけませんか?さぁ、兄上」


優しい声だ。こちらを気遣う。愛しむ声。

ムスタファの心は乾いていた。落ちていた。そこへ、するりと蛇のように入り込む声。


「兄上こそが王に相応しいお方と私は信じております。さぁ、我ら兄弟が力を合わせるなど、血に塗れた父王には考えもつかぬこと。さぁ、兄上、私の手を取って。私を信じてください」



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