血(1)
「静まれ」
一体過去になにがあったのか、ハットゥシャの人たちに恐れられ何かこう、トラウマ再臨!!というような騒ぎになる黄水仙の宮。
阿鼻叫喚。というに相応しいだろう状況に、私が困惑していると、長い手をさっと振って、ニスリーン様が周囲を黙らせた。
「そなた、その口は嘘ばかりつくようじゃな」
「嘘ではありません」
「閉ざされていようと妾の耳に外のことが入らぬわけでなし。そなたを迎え入れたザリウス家はあの男に手ひどい仕打ちを受けたはず。聖王に弓引いたあの男。その娘が聖女じゃと?ザリウス家の養女じゃと?」
嘘ではないんですよこれが。
私は聖女の力があるし、スレイマンは私の父親役であろうとしたり、戸籍上の母親はザリウス家の当主サーシャ様なんですよ。
うさんくさいといえばこれほどうさんくさいこともない。
が、ニスリーン様は冷静だ。
ひとまずとして、私が毒杯に倒れなかったこと、この場に「この身には聖王国がついている」と知らしめにきたのだという事実を受け入れた。
スレイマンのテーブルクロスが実際のところ本当にスレイマン・イブリーズの手によるものでなくとも、聖王国の強い力を持つ者が、私にこれを託したのだという推測はできる。
ご挨拶は、その後は何も目立ったことは起きず、私はシェーラさんに耳打ちされながら差し障りのない会話をして、それで終了となった。
……見つめ合っていた時間の方がながかった気もするが、まぁ、それはそれ。
「よろしければ、私に水蜜の宮まで送らせてください」
黄水仙の宮を出ようというところで、イルハム殿下が呼び止めてきた。
「……これ、断っていいやつですか?」
相手は王子様だ。私はこそっとシェーラさんに聞いてみた。
「イルハム殿下は第四王子……ご性格上、警戒すべきお方ではありませんが……」
「貴女のことが心配なのですよ、ザリウス家の姫君」
水蜜の宮まで距離もある。自分が一緒にいればちょっかいをかけてくる者もいないだろうから、とイルハム殿下は優しげな顔で言う。
「……宮から宮への人の移動は、許可とかいろいろ必要だと聞いていましたが?」
「ハレムでの決まりは女性達が快適に過ごすためのもの。王子である私はその決まりの外にいるのですよ。ところで、エルジュベートとお呼びしても?」
「駄目です」
さりげなく、イルハム殿下は私の隣に並ぶ。
「アラム・バラス兄上が妻を迎えられると決まり、我々弟王子は皆喜んでいるのですよ。これで第一王子以下も妻を迎えることをやっと許されるのですから」
「……?こちらの国では長子の方がご結婚されるまで下のきょうだいは結婚できないんですか?」
ハムシャルワさんに聞いたところ、アラム・バラス殿下は二十七歳。とっくに妃の一人二人いてもおかしくなかったが、お体が弱いので奥さんを貰うことをしなかった、というのは知っている。
だが他の王族も結婚できなかったって……それ、大丈夫なのか。
「我が国では王位を継いだ者以外は殺される決まりですからね。その際に、他の王子に子供がいればややこしくなるでしょう?」
「……はい?」
ぴたり、と私は立ち止まる。
少し先を歩いてから、イルハム殿下が振り返った。
「あぁ、姫君は外国の方ですから、我が国のことをあまりご存知でないのですね。我が国ハットゥシャでは、後継者となった王子以外は皆、不要、無意味、無価値、災いと判断されて処分されるのですよ」
…………いやいや、待って欲しい。
ハットゥシャの、ラムス王に何人王子がいると思ってるんだ?
「王様は、アラム・バラス殿下を後継者にされると決めてるんですよね?」
「えぇ」
「いや、あの、待ってください。は?いや、でも、ならなんで……」
「えぇ。なぜ、我々は生まれたんでしょうね」
イルハム殿下が微笑む。
すっと、自然な仕草で私の髪に手を触れ、自分の唇をあてる。
「あぁ、どうか怯えないでください。遙か遠き国の美しい姫君。どうか私を救ってくれませんか?」
初対面の、それも兄の嫁になるためにいる人間相手に、なにをするのか。
私は距離を詰めてくるイルハム殿下の手を振り払おうとした。しかし、爽やかな表情とは裏腹に、力が強い。
「予備としてならまだわかります。保険は必要だ。ですが、三十人以上の王子を作る必要がどこにあったのか?ハレムというのは国の子宮です。ねぇ、はじめから、アラム・バラスを王にすると決めているのなら、このハレムはもはや役目を終えたはず」
つい、聞いてしまう。その話、に、違和感。
それもそうだ。それは、そうだ。
王様が、アラム・バラス殿下を自分の次の王様と決めている。それはわかる。そう仰っていたし、けれどアラム・バラス殿下はそれを望まれてはいない。
「異国の姫君、貴女の瞳は聡明な光を携えていらっしゃる。その目で見て、我らが第一王子は、はたして王に相応しい男でしょうか?この異国で、何も知らぬ貴女が拠り所とできるほど、素晴らしい男でしょうか?」
「私の男性の基準はスレイマンなので……正直、スレイマン以外は皆……弱いし頼りないし駄目だと思いますけど?」
王位継承とかそういうごたごたに、私を利用する腹づもりかと感じた。
イルハム殿下。第四王子というのなら、ただの善意と好意で私に近づいたわけでもないだろう。警戒する、というよりは拒絶する。
「は、ははは!!はは!それは、そうだ!!」
謎やら不穏な情報、あれこれを提示されて好奇心、自分も何かこの恐ろしい王家の秘密に関わって、それを解決してやろう。哀れな王子さまたちを救ってさしあげよう、などという救世主、あるいは心優しい聖女のような心が私はありません。そう、拒絶すると、イルハム殿下が笑った。
先ほどまでの礼儀正しい、好青年とは少し、様子が変わる。
「姫君、異国の美しい方。本当に、私はあなたを見ると懐かしい気持ちになるのですが、私の記憶に
あなたはいない。ですが、どういうわけか私はあなたを妻にしたいのですよ」
ひょいっと、次の瞬間、イルハム殿下が私を抱き上げた。
「ぶ、無礼者……!!」
シェーラさんが悲鳴を上げる。だが、それもすぐに遠のく。とん、と、高く飛び上がり、いや、魔法、あるいは魔術だろうか?
私を抱き上げたイルハム殿下の体が風に乗った。
「この感情。おそらく、これが、謎解きの鍵でしょう。姫君、申し訳ないのですが、会って頂きたい方がいるのですよ」
「ちょっと待ってください!どこへ!?」
こんなことして、ただですむのか。
お互いに!
一応あれだぞ!?私は第一王子の奥さん候補なんですよ!?そんなヤバい女をかっさらうとか、問題がありすぎるのではないだろうか!