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来たか、とギュスタヴィア、世には絹の星屑と呼ばれている星屑種の一欠片は微睡みの中、ゆっくりと覚醒した。
中央に座した、琴の星屑種の砕かれる音は高く世界に響き渡り、このハットゥシャの神殿にまで届いた。
いずれ、ここへも来るだろうと思っていたので、驚きはない。
長い時を過ごす星屑種に感情の起伏は少ないものだが、ギュスタヴィアはとりわけ、感情の揺れが少ない欠片であった。
この地へ降りて、人間種でいうところの百年、いや、三百年か。とにかく、それなりの時間を過ごしてきて、驚いたことなど片手で足りるほどしかない。
「久しぶりですね、ギュスタヴィア」
人間種が建てた神殿の、物質世界とはまた別。
地表は卵の殻である。
星屑種がまどろむ場所は卵殻膜である。
現れた星屑種。銀の髪に白い肌、長い耳の、元々は新緑の民の末裔であった戦士の死体。美しい顔に昔通りの微笑みを浮かべて、気安くこちらに呼びかける。
世に鷹の星屑種と呼ばれるもの。
星屑種というものは本体は、空から墜ちた巨大な岩だ。それゆえ、何かの入れ物を求める。琴の星屑種はこの世で最も美しい鉱石を己の体とし、鷹の星屑はたいそう美しい肉と骨を使った。
さて、絹の星屑種は巨大な蛇を選んだ。いつだったか、迷い込んだこの国の王子が「絹のように美しい鱗だ!」と瞳を輝かせたゆえに、絹の星屑と呼ばれるようになった。
ギュスタヴィアと、星としての名を呼ばれるのはどれくらいぶりであろうか。
「…… 」
鷹の星屑の、星として空にあった頃の名を発する。が、それは人間種のことばでなんと発せられるものか、人間種が誰も呼んだことがないのでわからなかった。ギュスタヴィア自身、己の名の音が人間種の音で「ギュスタヴィア」と聞こえることを今初めて知ったのだ。
「わたくしもくだきにきたのですか」
「えぇ。何か問題でもありますか?」
「かのじょはどうこたえたのですか」
問題。
問題は、ない。
ギュスタヴィアは思考する。問題はない。むしろ、望まれるべきことだ。鷹の星屑種は、空にあったころからギュスタヴィアとは違った。天に高く君臨する天狼が命あるものの全ての尊敬と祈りを受けている中で、それを他の星々が羨む中で、彼だけは違った。
人間種にとって、星屑種は泥から自分たちの世界を守る為に必要な存在だ。装置だ。生命線だ。それは、最も重要なことであり、価値のあるものだ。
鷹の星屑種の力は強い。彼ひとりですべてが叶うのなら、彼にそういう気が起きたのなら、ギュスタヴィアは、己は砕かれるべきなのだと、そう判じた。
「そう、わたくしはおもう。わたくしはしこうする。わたくしは、ねがう。たかよ。わたくしはこの地がいとしい。ゆえに、おまえがこのちをまもるというのならくだかれよう。そのようにおもう。かんじる。が、ゆえに、ゆえに、おまえがこの地をほんとうにまもるためにわたくしをくだくのか、とわねばならない。おまえはわたくしをなっとくさせねばならない」
「おや、これはこれは。随分と、人間のような心をみせるのですね。ギュスタヴィア、我々はただの装置。ただの熱力。ただの囚人であるはずであったのに、一体、どういうことでしょう」
「わたくしはこの地がいとおしい」
ハッ、と、鷹の星屑が乾いた笑いを浮かべた。
だが事実だった。これは真実だった。ギュスタヴィアは、絹の星屑種はこのハットゥシャを愛している。ゆえに長くこの土地をまもってきた。魔族たちの侵攻の最も激しい土地となったのも。境界線となったのも、彼女が激しく戦う意思を、心を持ち続けたからで。そうでない他の星屑種の土地が沈み、彼女の土地が残っただけだ。
鷹の星屑は強い。戦う意思など持たずとも、泥を退ける強い力を維持し続ける。
その鷹がこの土地を守るというつもりなら、ギュスタヴィアは己がこの土地を守るより、それはずっとずっと、この土地の者たちにとって良いことだと判じた。
だが、ギュスタヴィアは鷹を信じられぬ。
己と違い、鷹の星屑種が、人間種のために結界を維持し続けたい、などと思うわけがない。琴の星屑を砕いて、領土を奪って、なんとする。
「心外ですね。私も愛しい存在を見つけたのですよ」
「うそをつくな」
「いえいえ、本当です。愛しい愛しい私の乙女。彼女のために私以外の星屑種を全て砕いて、私だけが彼女の星になります。なれます。そうします」
うっとりと、歌うように鷹の星屑がなんぞほざくが、ギュスタヴィアはまるで信じる気になれぬ。己を納得させよと言っているのに、まるで説得力のない世迷い言だ。
「おまえはしらぬのか。それともしこうせぬのか」
「なんです?」
「おまえがいとしいというものがほんとうにいるとしよう。いたとしよう。それで、おまえがゆいいつとなる。そのすえに、そのおとめはどうなるか、しらぬのか」
鷹のいう乙女というのは、聖女のことか。聖女なら、たしかに、本当に聖女がまた、再び、世に現れたというのなら、確かに、全ての結界をつなぎ合わせ一つとし、全ての土地の隅々に祝福を与えることもできるだろう。
「しらぬのか。たかよ。いちばんたいせつなものは、にがしてやるものだ。そばにおこうなどとかんがえるな。たいせつなものは、われわれのそばにおいてはならない」
人間種は死ぬ。必ず死ぬ。生きて、死ぬことが役割で、それから外れたものは人間種ではなくなる。
聖女ひとりに結界を管理されたら、人間たちは「困る」のだ。聖女とて必ず死ぬ。死んだときに、結界も壊れる。ゆえに、職業聖女制度が生まれた。
鷹の乙女が聖女なら。唯一の存在として、聖女となってしまったのなら、それは、人間種にとっては都合が悪い。死なれたら終りだ。だから、死なぬようにするだろう。
「あぁ、愚かなギュスタヴィア。すっかり、人間のような心を持ったようですね。私は私の乙女が私だけを頼ればいい。私だけが彼女の星であることを望む。だから、あなた達が目障りなんです。ご理解頂けましたか?」
「おまえはおまえのおとめのこうふくをかんがえぬのか」
と、口に出した途端、ギュスタヴィアは体の半分を砕かれた。
警告だ。いや、違う。本来なら、一瞬で己の体は、本体ごと粉々に砕かれる。鷹はそれをしなかった。警告、ではない。興味だ。関心を、引いた。
鷹の星屑はギュスタヴィアが人間種のように人間種を守る心を持っていると判じ、その上で、ギュスタヴィアが口に出した「幸福」というものに興味を示した。
ギュスタヴィアは続ける。
「わたくしはしこうした。わたくしはせんたくした。どうすれば、わたくしのたいせつなこをまもれるのかとじゅくりょした。わたくしはにんげんしゅのこうふくをりかいした」
人間種に星屑種の思考が理解できないように、星屑種は人間種のこころを考えない。理解しない。できないものであると鷹の星屑種は結論を出している。だがギュスタヴィアは否と言う。
ひょいっと、鷹の星屑種が手を振ると、ギュスタヴィアの体が元に戻った。いつの間にか、辺り一面には埋め尽くすほどの花が咲く。
「なんです?それは」
問うてくる。猶予を与えるというつもり。
ギュスタヴィアは繰り返した。
「ほんとうにたいせつなこはとくべつなこにはしない。とくべつなものはつかいつぶされる。すてきなものはうばわれる。だから、わたくしはみがわりをつくったのです」
あぁ、と、鷹の星屑種が頷いた。
三日月のように目を細め、唇をつり上げる。よくよく思い至ったという顔で、目を伏せ、口元に手を当てた。
「あぁ、それは、なんと慈悲深いことでしょう」