良いところを見せたい、頼れる男になりたい
「顔色が良いな、アラム・バラス。聖女の料理というものは、やはり奇跡を起こすようだ」
酒杯を傾けながら上機嫌に、王様が笑った。
私が飛び出して、その後、ハムシャルワさんたちが呼び戻されて夕食が再開されたよう。私がアラム・バラス王子と戻ると、王様は私の行動を咎めることなく夕食に加わるように促してきた。
「まさかあの池の魚を口にする日が来るとは思いませんでした。父上」
「で、あろうな。余とて珍しく驚いたものよ。ナーパムが知れば顔を赤くして悔しがるだろう」
ナーパムってどなただろうか。首をかしげると、私の隣に座って「わたくしがお傍にいる限り、お嬢様にはキチンとしていただきます!」と燃えてるシェーラさんがそっと耳打ちしてきた。
「……水蜜の宮の池に、あの魚を放った者でございますよ。王子と王女を一人ずつ生んだお妃さまのお一人でございます」
「ハレム怖い」
すまない王様。てっきり王様がハムシャルワさん軟禁目的でお魚を放り込んだとばかり思ったが、これ、あれか。女の園のどろどろの戦いの一端か。
「……でも、それならどうして今まで放っておいたんです?」
こそっと、私はシェーラさんに聞く。
自分の寵姫が他人にそういう目に合わせられていたのなら、王様が魚を駆除したりしてくれればよかったのに。
シェーラさんは答えなかったが、内緒話がしっかり聞こえていたらしい王様が会話に入ってくる。
「他の宮の者も魚を恐れてうかつには近づかぬゆえ都合もよい」
……なるほど。以前どなたかが食われて亡くなった、という噂。あれは王様が流させたものだったのかもしれない。
「む?アラム・バラス、そなたの杯があいているな。小娘、足さぬか」
「あ、はい。殿下、何を飲まれますか?料理はお酒と一緒に楽しめるといいですからね!」
「こやつは酒は飲まぬ。果実の汁を冷やしたものか、」
息子の好みは把握しているようで、王様は給仕たちにいくつかの候補を持ってこさせる。
「……少し、飲んでみようかな」
けれど、アラム・バラス殿下は一寸考えるように沈黙して、一度父王の杯を見たあと、私に杯を差し出してくる。何かお酒を注いで欲しい、ということだろう。
「……ほう!ほう!!そうか!おぉ、そうか!何をしている!ハムシャルワ!者ども!アラム・バラスが酒を所望だ!!秘蔵の火酒も雪の名酒も、おぉ、そうだ!余の寝所にある蒸留酒を持て!」
アラム・バラス殿下がお酒を飲みたい、と言い出した途端。王様がはしゃぎだした。膝を打って喜び、あれこれと指示を出す。
「え……大丈夫なんですか?殿下」
普段お酒を飲まない殿下だそうで、私は心配になる。
「……いつもは心臓に負担がかかるからと飲まないのだがね。今はとても体が軽いし、男というものは酒に強いものなんだろう?」
いや、私は知りませんが、アラム・バラス殿下が言うのならそうなのだろうか……。
ハットゥシャ、アルハラ文化があるのか……?
さて、アルコールは少量なら体にいいとか、実はそれは迷信だ!とか、そういう前世の記憶を思い出す。病弱なアラム・バラス殿下がお酒を飲みたいという、それは「体に悪い!!」と止めるべきか……。まぁ、本人が望んでいるのだし、殿下はご自分の体のことをよくわかっていらっしゃるはず。
「私はまだ体が小さいので、お酒は飲めませんが、それじゃあ殿下。お酒に合う小料理を何か作って来ましょうか?」
「今あるもので十分だよ。あぁ、父上が大層はりきっておられる」
そんなつもりではなかったのだけれど、とアラム・バラス殿下は困ったような笑い顔をする。
あれよあれよと言う間に、王様の命令でたくさんのお酒の瓶が運び込まれた。
王様はその一つ一つを「これは最初の一口が辛いが、喉を通ると甘く感じる」「この酒は酒精が低いからお前でも酔わぬだろう」「この酒は眠る前に飲むと良い夢を見られる」と丁寧に説明した。
……はしゃいでおられるな、王様。
「さぁどれにする!望みのものを申せ!よもや息子と酒を飲み交わす日が来ようとはな!!」
なるほど、私にはわからない感情だけれど、父親というものは息子とお酒が飲めるのがことさら嬉しいとか……そういう話を聞いたことはある。
アラム・バラス殿下はそのうちの、青い瓶に入ったお酒を選んだ。私は少しだけ杯に注いでそれを渡す。
「……とても、美味しゅうございます。父上」
「……そうか。そうか!!そうか!」
うむ、うむ、と何度も頷いて、王様はそのあと「今日は良い日だ!」と叫んで、ハレムや、城中にいる全ての人に酒を肉を振る舞うよう命じられた。
***
「あの死に損ないが、今更健康になるなんて冗談でしょう!?」
お祭り騒ぎの水蜜の宮とは別の、ハレム内“三美の宮”の女主人ヒンド夫人は、ラムス王が皆に振る舞うようにと届けさせた酒と肉の贈り物を見て顔を引きつらせた。
声も姿も心も美しい、故に三美の宮の主であると常日頃から己を誇るこの女性は第四王子の生母である。元々は将軍家の娘で、兄が良い地位に就くためにハレムに差し出された。
「聖王国の聖女候補の少女を花嫁に。やれやれ、父上様は本気で兄上を王になさろうというおつもりなんでしょう。あ、母上、こちらの品は私がいただいても?」
「イルハム!お前、どうしてそうのんびりしていられるんだい!」
ヒンド夫人は息子を王にしようと長年狙ってきた。いや、ハレムで息子を産んだ母なら誰だってそうする。王になれなかった王子は皆殺されるし、その生母とて無事ではいられない。
幸いヒンド夫人には実家の力があり、兄は魔族との戦いを繰り広げる前線の地で常に功績を挙げ続けている。生まれた順番とて、四番目、いや、実際第一王子のアラム・バラスなど数える必要はないと侮っていたので、三番目ならばチャンスはあると、そう信じてきた。
「あの死に損ないがまともになったら!これまで第一王子に見向きもしなかった連中がこぞって後ろ盾になるかもしれない!無欲なハムシャルワなら傀儡にできるからと侮る者は多いのよ!」
「とは言いましてもね、母上。私は第四王子という身分以外に、それほど秀でたものはありませんし、アラム・バラス兄上やハムシャルワ夫人なら、いかに慣習といえど、我々を皆殺しになんてなさらないかもしれませんよ?」
「あの二人がそうでも、ラムスがするわよ!」
ヒンド夫人は息子を怒鳴りつけた。
彼女の実家の血を濃く引いたイルハムは背が高く、逞しい戦士の体つきをした青年だ。髪は大地のように茶色く、瞳は黒真珠のように真っ黒。両親の外見の良いところを全て持って生まれた恵まれた者であるのに、その性格は、一体誰に似たのか、全面的にやる気というものを持ち合わせていない。
もしや産む時に己の胎に残してきたのかと嘆くほど、ヒンドは息子の性格に悩まされてきた。
「しかし母上、長年どんな治療師でも治せなかった兄上の病を、今更子供ひとりにどうにかできるものでしょうかね?聖女候補の娘を花嫁にして、その奇跡で兄上がご自身の全ての病から逃れられるというのなら、なぜ今まで聖女候補を迎えなかったのか。いいえ、それよりも、女の祈り程度でどうにかなるのなら、聖女候補生ではなく聖女そのものを我が国に招待して兄上を看て貰えばよかっただけだ」
ラムス王から賜った酒瓶を一本、気軽にあけて並々と手酌するイルハムはのんびりとした顔で、しかし彼にしては珍しく声に慎重さを含ませて言った。
「……お前がどう思っているかは知っているけれど。イルハム、お前は賢いし、王の器を持っている。それに、王子たちの中で一番、ラムスに似ていると私は思っているわ」
癇癪を起こしていたヒンド夫人はぴたり、と大人しくなり、息子の隣に座る。
彼女とて愚かではない。息子が、己の産んだ王子が本当にただの怠惰で愚かな者であれば、ただ命を奪われぬ道のみを必死に探った。
だが息子には王としての目があり、才がある。
母としてそれを誰よりも認め、信じてる以上、ヒンドは自分にできる全てをかけて、息子を王にしたかった。
イルハムもその母の思いを知っている。知っているので、無視ができない。このハレムに産まれた者は母親以外の愛情を知らない。母の愛を受けられない王子とている中、己がいかに幸福かを知っている。
できれば平穏にのんびりと生きて、それで、殺されるならまぁ、それでもいい。いいが、自分が諦めたら母も死ぬ。殺される。それは、やはり、そうなのだろうと、まぁ、わかっている。
「是非一度ご挨拶をしないといけませんね、母上」
さて、出来れば何も変わらず、このままでいたいと思うのだけれど、それも、どうにも、きっと、無理なのだろうと悟っているイルハム王子。杯の酒を一気に飲み干して、夜空を仰いだ。
「偉大なるアフラーの神は、あの聖女候補の少女を我が国の国母に迎えられるおつもりかな」