暗点
魚のカルパッチョといえば、日本人にはおなじみの「おしゃれレストランの定番料理」である。お刺身の盛り合わせとは違う美しさ。薄くスライスされ、その上にトリュフやオリーブオイル、チーズなどをかけ、色鮮やかな一皿。
薄切りの刺身をお皿の上に一枚づつ重ならないように並べて市販のドレッシングをかけて「カルパッチョです」と言い切っても可。というほど、お手軽におしゃれな料理をお楽しみいただける……。
実は魚のカルパッチョ。トンカツやカレーライスと同じように『西洋料理を日本風にしたらこうなった』料理なのである。
本来カルパッチョというのは生の牛肉を薄く切って、その上にニンニクやイタリアチーズをかけたもの。
赤が多い絵を描かれていた画家のヴィットーレ・カルパッチョさんが好んだのでカルパッチョと名前が付いたとか……サンドイッチ伯爵並に、本人からしたら「そんなつもりはなかった。ただ好きだった」と驚くだろうが……生肉にチーズをかけた料理がカルパッチョなのである。
その牛肉のカルパッチョさんが、日本にいらっしゃって、日本人の「これはカルパッチョである」と作られた魚のカルパッチョが、日本食ブームで本国イタリアにも逆輸入されて「これもカルパッチョである」と、今では世界的に「魚もカルパッチョ」と認められた。
「さて、そういうわけで、作りました、人食い魚と言われる獰猛なお魚のカルパッチョ」
場所は調理場から変わって、ハムシャルワ様が食事をする母屋の一室。そこにはどっかりと大きな体を寛がせた王様がいらっしゃる。まぁ、ハムシャルワ様は王様の奥さんの一人なので、こうして旦那さんである王様がやってくるのは道理である。あるけれど、ハムシャルワ様はみかけは微笑んで王様の杯にお酒をついだりしているのに、どこかびくびくと怯えている。
「何がどうして、池の魚に手を出すことになるのか」
私はといえば、ちょこん、と、王様の前に座らされいる。
差し出す料理は、藍色の丸ザラに乗っている。そぎ切りで薄く切った魚の切り身は菊花造りに並べ、その上には塩と柑橘系の果物の果汁とオリーブオイルっぽいもので作ったソースをかける。
塩と砂糖を適量、グレープフルーツの果汁におろし玉ねぎ、オリーブオイルを1:1:2でよく混ぜるとこんな感じの味だろうな、というソースだ。
「美しいな」
透き通るような白身に、黄金色のソース。王様は目を細めてお皿を眺める。
「で?どうやって食すのが作法だ」
「はい?」
「聖王国の料理ならば作法は承知しているが、貴様の作る料理というのはあの国のものではあるまい。となれば、アグド=ニグルのように二本の棒を使うのが正しいか」
「え、アグド=ニグルはお箸文化なんですか」
「なんだ。知らんのか。貴様の国だろう」
「いえ、そういう可能性をラザレフさんが見出しただけで……そうですね、カルパッチョはお箸で食べると楽ですが……」
正直、食べ方は何でもいい……と言いかけて、私は一度言葉を区切る。
ハットウシャの食文化は、こうして並べられた料理を見る限り、取り分けるためのナイフやスプーンはあるが、基本的には手を使って食べる。
「……」
私は王様の前に並べられた料理の中から、薄焼きのクラッカーのようなものを手元に引いて、その上にカルパッチョを二枚盛り付けた。
「どうぞ」
「うむ」
それを王様に差し出すと、王様は頷いて受け取った。
口を開けて噛み、ゆっくりと味わって、喉に送る。
「あれが恐ろしくはなかったか」
「魚ですか?食材は怖くはないです」
「人を食ったことがあるそうだぞ」
二枚目を要求しながら、王様が面白そうに尋ねる。私はクラッカーの上にクリームチーズを塗って、その上にカルパッチョを乗せて王様に渡した。
「それ、嘘かなぁと思ってるんですけど、本当なんですか?」
「なぜそう思う」
「調理していて思ったより歯が柔らかかったことと、石をかみ砕いた音は、あれ多分、かみ砕いたんじゃなくて、そういう風に鳴る体質なのかなぁと」
獰猛な人食い魚。と言われているが、さて、実際……あの、案外柔らかかった牙で衣類を着た人間を食い殺せるものだろうか。
アマゾン産のピラニアだって、人を襲うことはあるが、完食はできない。
調理を手伝ってくれたメィエさんが言うには「襲われた人は骨も残らず、池の水が真っ赤になったという噂」らしいが、この牙で骨まで残さずきれいさっぱり完食するのは……無理だと思う。
「ふはははは!!存外、頭は悪くないようだ。賢い目をして愚かなことばかりすると思うていたが!」
私が自分の考えを告げると、王様は大声で笑っていたが、ぴたり、と「が、そこまでか」と真顔になる。
王様は私以外の人間に下がるように命じた。その中にハムシャルワ様も含まれており、優しい方は気遣う視線を向け、すぐには動こうとしなかったが、王様が何か言う前に部屋から出て行った。
私と王様以外のひとの気配が部屋から消えて少ししてから、王様はぐいっと、私の首を掴んで引き寄せる。
「で、小娘。余が貴様を。星屑種や魔王の目が我が国に向くこともいとわずに、貴様のような面倒な聖女を国に連れてきた理由を、きちんと考えたか?」