以前から食べたいと思っていました(3)
前世で『死ぬまでに食べてみたい魚ランキング!』というものを勝手に自分で作ったことを思い出す。いや、日本人であるのなら、魚が好きであるのなら、誰だって一度は考えるだろう。誰だってそうする。私はそうする。
さて、そのお魚ランキング、堂々の一位といえばもちろんシーラカンスだ。
シーラカンス。生きた化石ともいわれる幻の魚。ぜひ食べてみたいと、憧れを抱いた前世の乙女心を思い出します。噂によればそんなにおいしくないとか、まぁ、それはそれ。
そしてその次点、二位にランクインしていたお魚の話をしよう。
ピラニアだ。
ピラニア。が、実はピラニアという種の魚の名称ではないのである。
アマゾン川など南アメリカの熱帯地方に生息する肉食の淡水魚は総じてピラニアと呼ばれるもので、60センチ以上にもなる大型のピラニアさんや、観賞用として扱われた小さなサイズのピラニアさん、牛をも襲うピラニアさんなど色んなタイプの魚が「ピラニア」と呼ばれている。
えぇ。食べてみたいですね?
ぜひ、調理してみたいですね?
「と、いうことで、牙もあるし肉食らしいし、ここは気候も暖かい土地なので、ピラニア認定オッケーだと思います」
「すいません……何を言ってるのかわからないです……」
どうも、こんにちはからこんばんは。ハットウシャの第一皇子のお嫁さん候補になりました、エルジュベート・ザリウスです。
シェーラさんを追い出して、慌てふためく調理場の女性たちに自己紹介をすると、女性たちは色々迷った末に、自分たちの業務を全うすることを選んだらしかった。
私には調理場係見習いという若い女性を一人つけて、他の人たちは食事作りに戻る。シェーラさんが一緒にいれば、私は「平伏しなければならない高貴なお方」という扱いになるのだが、ぽつん、と取り残されていると「ここでの決まりもよく知らない外国の子供」になるのだ。
「あの、お嬢様。シェーラ様がずっと扉を叩いていらっしゃいますし、出て行かれたほうがいいんじゃないでしょうか……」
見習いさんは名前をメィエさんと言って、13歳のお嬢さんだ。褐色の肌に茶色の髪の、礼儀正しいお嬢さんは心配そうな顔でちらちら、と扉の方を見る。
「いえ、私は今、このピラニアを美味しくしないといけませんから無理です」
「……これは恐ろしい人食い魚です。食べるなんて……そんな恐ろしいこと、いけませんわ」
「最近食べられた人がいるんですか?」
「え?いえ、わたしがこちらにお仕えするようになってから一年が経ちますが、わたしがいる間にはそういった悲しいことはありませんでした。ですが、昔どなたが不幸な目にあわれたというのは聞いています」
少なくとも一年以内に食われていないのなら胃に人肉が残ってるとかそういうこともないだろうし、まるで問題がないと思うのだが。だめなんだろうか。倫理的な問題だろうか。
「それに、この魚はとても硬い鱗を持っていますから、料理するなんて無理ですわ」
「あ、いえ、その件に関しましては実はどうにでもなるんです」
「……はい?」
私はひょいっと、母さんの爪ナイフを取り出して、ピラニアの頭を切り落とす。
「……」
びっくりしたのか停止してしまったメィエさんを横目に、私は大量の水で魚を洗う。鱗はガリガリと母さんの爪ナイフの背部分で落とせる。
血が毒だったらどうしよう、とも思ったが、硬い鱗を持つ魚だ。身を守るための武器は鱗と牙であるのなら、体内に毒を持つ必要もない。
……などと慢心するとロクなことがないので、学習能力の高い私は例の魔法のテーブルクロスを取り出す。
「魔法魚だって言っていたので、この魚自体に魔力があるはず……と、いうことは、ここにこうして置いて、毒消し的な事をしてほしいなぁ、と思うと……」
お皿に乗せた魚をテーブルクロスで包んでみると、一瞬キラキラと光る。そうして開いてみると、私の目に明らかにわかるほど、鮮度を取り戻した美しい魚の三枚おろしが……!!
「え?え??なんです!?その布!!?」
「知り合いの遺作なんです。大体なんでもできる素晴らしいテーブルクロスです」
ありがとうスレイマン!と、私は心の中で感謝を叫び、調理を再開する。
できればメィエさんにここでの魚の調理方法を聞きたかったが、見習いのメィエさんは下処理やその他の雑用はこなしているものの、料理らしいものは心得がないらしい。
他の人に聞こうにも皆さんお仕事中。邪魔をしてはいけない。
それで、仕方ないのでここは前世知識の応用だ。アマゾン川に生息するピラニアの食べ方を思い出してみる。
衣をつけてフライにするか、スープに入れて煮込む。
「油で揚げたらなんでも美味いものなので、今回のピラニアを味わおう!にはちょっと不適切ですね。スープも……嫌いではありませんが、今はそいう気分じゃありません」
木板の上に乗せられた美しい切り身を見つめる。これはもうお刺身一択ではなかろうか。だがピラニアの刺身……。
寄生虫問題に関しては魔法のテーブルクロスが解決してくれてるだろうからいいとして。
サクリ、と一枚切ってみて口に入れる。綺麗な水で泳いでいただけあって泥臭さなどない。味は……淡泊さはない。むしろ、こってりとしていて、脂が乗っている。といって、鰤とは違う。
海面上に高く飛び上がることの出来る力強さ……石をもかみ砕く顎の筋力……魚肉というより哺乳類の肉感を思い出させる!!
「一口食べると溢れだすなんかこう……パワー!!あっ、これ魔力か!魔力がみなぎる……!!」
さすが魔法魚!
一時的に食べた分だけ魔力を与える!!
……まぁ、私はそういうオプションは別に求めていないのですが、食べるとちょっと元気になる食材、ということは覚えておこう。
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ハムシャルワは驚いた。今日は、驚くべきことがいくつも起きる。
いつ殺されるか怯える日々の己の元に、太陽のように輝く銀色の髪の少女がやってきた。力のない母子を守る盾となってくれるのか、それともいらぬ災いをもたらすのか。それはハムシャルワの決めることではなく、己はいつだって与えられるものをただありがたく受けるしかない身。
それでも少女が、エルザが息子の盾となってくれるよう祈ることは許されるだろうと、それなら、己はエルザに気に入られるようにやさしいおんなでいようと決めた。人の顔色を窺うことは得意であるし、幼い身で異国に嫁いだ少女はきっと母親の愛情を欲するだろうという打算。
「様子はどうだ」
そういう、受け身受け身のハムシャルワ。エルザがシェーラを怒らせてまで調理場にこもったことは聞いていたが、好きにさせておやりなさいとだけ言った。
そうして暫くして、そろそろ夕餉の時間だと思い出した頃、水密の宮にこの国の支配者が現れた。
「……陛下の御温情を受け恙無く」
褐色の肌に黒い髪。幾人もの子供がいる歳であるのに未だに衰えぬ肉体を持った、戦士にして王であるこの男を、ハムシャルワは誰よりも恐れていた。
ハムシャルワは、四十年前、元々先王のハレムに入るために買われた女奴隷だ。
だから、この男、ラムスがどんなに恐ろしい王であるのかをよく知っている。気に入らない者は息をするように殺すし、ハレムの女たちのことも、子供を産む道具か何かとしか思っていない。
何人もの王子を色んな女に産ませておいて、息子の顔と名前をロクに憶えもしないのは、息子などいくらでも産ませられるからだ。
その残酷な男がアラムバラスに執着する理由を、ハムシャルワは知っている。
知っているから、なおの事、おぞましい。
「あの小娘のことだ。なにかしでかした頃だろう?はは、ハムシャルワ。あれにお前は扱いきれぬぞ。お前はきっとあれに振り回されて、昔のように大きな声をあげたり、走り回るようになるぞ」
「陛下が望まれるのであればそのように致します」
黄金を身に着けた眩しい王は少年のような顔で笑うが、平伏したハムシャルワはその言葉に神妙に頷く。一瞬、空気が歪んだ。不況を買ったか、と怯える。狼狽して、身を固くしたハムシャルワをハットゥシャの王は見下ろし、大股で歩き出した。
「小娘!聖女!アラム・バラスの花嫁はどこにいる!」
「陛下!」
「国王陛下!」
普段静かな水密の宮。大人しい気質の女主人の穏やかな時を守るための宮が、男の大声でかき乱される。腰元や使用人たちは大慌てで王を持て成す為に動き回る。
「王様!とても良いところに!いらっしゃいませ!」
そこへひょこっと、調理場からエルザが顔をのぞかせた。ハムシャルワは喉の奥で悲鳴を上げる。
そのような気安い態度!王の怒りに触れたら!
ハムシャルワは走り出して、エルザをその腕に抱きしめて庇う。
「陛下!偉大なる我らが王!どうぞお許しくださいませ!この娘にはまだ何も教えていないのです!王へのご無礼は全てこのわたくしの責でございます!」
エルザは我々母子を守ってくれる盾になる。きちんと、そう、盾として役立つようになるまで、己が守らねばならない。
ハムシャルワは必死に赦しを請い、エルザを抱きしめたまま床に額をこすりつける。腕の中のエルザが苦しいのか暴れるが、いつラムス王が怒って暴力を振るってくるかわからない。
女子供にだって容赦なく、ラムス王は暴力を振るう。少し前、ハレムの女が子供を産んで、祝いの宴が開かれた。だがその赤ん坊が宴の最中、排便をしたからという理由で、不快に思ったラムス王は女親を殴りつけて窓から落とした。
そういう男だ。エルザに何をするかわからない。
身を小さくするハムシャルワを、ラムスはじっと見下ろした。愚かな女を見るような目をしているのだろうと、ハムシャルワは思う。
「小娘、料理というのはできたか。何を作った。余をもてなす用意はできているのであろうな」
が、ラムス王はハムシャルワには何も言わず、予想外の言葉を口にする。
「池の魚でカルパッチョを!!」
もごもご、と、ハムシャルワの腕の中でエルザが叫んだ。