以前から食べたいと思っていました(2)
「まぁ……」
一瞬だが、激しい戦いを終えた私がニコニコ顏で宮の母屋に戻ると、腰元たちから私の暴挙を聞きつけたハムシャルワ様が出迎えてくださった。
私の帯にぐるぐる巻きにされた獰猛な魚を見て目をぱちり、とさせたあとハムシャルワ様は一寸驚いたように声をあげただけで、何も言わない。なので私はニッコニコとしたまま魚を掲げる。
「今日は魚料理ですよー!」
***
水密の宮の調理場は三つの竃と大小の洗い場で作られていた。
褐色の肌をした女性たちが数人、夕食の支度を始めており、私が調理場に入ると全員が手を止めて床に頭を押し付ける。
「え、あの……作業を続けてください!?むしろ私も混ぜてください!!」
「そういうわけにはまいりません。あなたさまはアラム・バラス王子殿下のお妃となるお方。あなたさまが料理に関心がある、と仰せつかっているのでこのような場所に入ることを黙認致しましたが……」
と、私に調理場を案内してくれた腰元さんがベールの向こうで顔を顰めたのがわかった。
背の高いこの腰元さん、名前はシェーラさんと言うらしくハレムの古株だそうだ。ぴんと伸びた背筋に規則正しい歩き方は厳しい家庭教師か何かを連想させる。
料理というのは使用人が行うことで、そして彼女らは決められた手順と時間で料理を完成させ主人の前に並べなければならない。
ので、私が見物にくることは彼女たちの仕事の邪魔になる、ということだ。
私が手伝いたいと申し出ると、シェーラさんは「とんでもないことでございます」と眉を顰める。
「エルジュベート様はまだお小さくいらっしゃるので、まだ姫君としての自覚をお持ちではないのでしょう。ですが、このハレムに来た以上、このシェーラがしっかりとあなたさまをしつけて差し上げます」
「……と、仰いますと?」
「まずは礼儀作法、この国のしきたりや歴史のお勉強でございます」
「……なぜ?」
「エルジュベート様はこの国に嫁いで来られたのですよ?」
当然のことでしょう、とシェーラさんは頷く。
「……つまり、私はこの魚をおいしく調理できない、ということでしょうか……?」
私は激しい攻防を繰り広げて獲た食材を掲げて見せる。こんな話をしている間に、どんどん鮮度が落ちてしまっている……。なんということでしょう。
「料理など誰にでもできることです。エルジュベート様、あなたさまは国王陛下がお選びになられた、アラム・バラス王子殿下の唯一無二のお妃さまでございます。あなたさまに必要なことはこの国の王太子妃として相応しい振る舞いを身に着けることでございます」
ぴしゃり、とシェーラさんは私に言い放った。
「でも、王様は」
「いけません、エルジュベート様。でも、などという言葉を使ってはなりません。あなたさまがきちんと良識をわきまえるまで、わたくしとハムシャルワ様が言う言葉には全て「はい」とお答えくださいませ」
……あれ?私、なんでここに連れてこられたんだっけか?
確かに、アラム・バラス王子のお嫁さん……にはなったけれど、こうして本格的な花嫁修業編をスタートするような流れだっただろうか?
いや、シェーラさんは間違っていない。彼女は「第一王子の生母が預かった少女」がきちんとした乙女になるように躾ける……ことが自分の使命だと信じている。立場的にそうだ、と判断したのか、あるいはハムシャルワ様が命じたのか、それはわからないが。
「わかりました。つまり、この魚は私がひとまずおいしくカルパッチョにしますから、その間にシェーラさんは、私の花嫁修業の授業内容を考えておいてください」
一時間後にまた集合しましょう、と私は真顔で言って、シェーラさんを調理場から追い出すように背中を押して、ぱたん、と扉を閉めた。
「よいっしょっと」
しっかりと扉があかないように内側から固定する。何かドンドン、と叩く音や私を呼ぶ声が聞こえるが、まぁ、それはそれ、これはこれ。
「……」
「こんにちは。と、いうわけで、皆さんが調理しているのを眺めつつ私も調理をしますので、どうぞよろしくお願いします!」
私はこちらを唖然と見ている調理担当の女性たちにぺこり、と頭を下げた。