第一王子アラム=バラス
「こんにちは、なんと……呼べばいいのかな?」
聖王国から遠く、ハットゥシャまでの空路は順調だった。途中、竜二郎シェフが船酔いしたファーティマさんを気遣ってシャーベッドを作ったり、私にちょっかいをかけようとした王子のひとりが、王様の逆鱗に触れて船からコードレスバンジーさせられたりと、些細なことはあったが、おおむね順調だった。
到着時はさぞ盛大に迎えられたのだろうが、私は残念ながらそれは見ていない。
王様は「花嫁はまだ民に姿を見せるものではない」という考えがあるようで、周りが見えない篭のなかに入れられた。
そして運ばれて暫く、王様が私の篭の蓋を開けさせた時、私はあまりの退屈さに中ですっかり眠ってしまっていた。
「……エルザです」
「こんにちは、エルザ。良い夢は見られたかな」
「……とくには」
寝ぼけた私は、目の前に見知らぬ男の人がいたことに少し驚き、けれど問いかけにはきちんと答えられた。
豪奢な宮殿の一室とわかる。聖王国の宮殿も立派だったけれど、私が見てきたのは神殿や神官達が働く場所であるので実用的なつくりをしていた。
ここは、とても身分の高い人が贅をこらし、寛ぐためにつくられていて、飛行船での王様の部屋と似た雰囲気だった。
篭の中で寝ていた私に声をかけ、のぞき込んでいるのは表情の柔らかな男性だ。
年の頃なら三十近いだろうか?穏やかな顔だが、やせていて、目の下には隈がある。顔色は青白く、何か長年煩っているだろう、穏やかな顔は生への諦めからの達観のようにも見えた。
「私はハットゥシャの王子のひとり、アラム・バラス。よろしくね」
「……よろしくお願いします?」
「アラムは余の後継者である」
状況のわからぬ私は、アラム・バラス王子に手を引かれ篭の中を出る。そのまま柔らなクッションの上に座り、ぼうっとしていると、王様の声がした。
「父上、」
「何も言うなアラム。余の考えは変わらぬ。其方こそが我が世継ぎよ。いい加減そうと飲み込め」
国に戻ったからか、王様の装いは外交用の衣装から、やや落ち着いたものに変わっている。それでも傲慢な態度はそのまま、息子相手でも自分の意思をぴしゃり、と相手にぶつける。
アラム王子は目を伏せた。
それ以上何も言わぬという服従の姿勢に、王様が鼻を鳴らす。
「小娘、貴様は聖女だ。星屑種が執着し、魔王さえ貴様を望んだ。そういう娘は聖女以外の何者でもなく、貴様は奇跡を起こせなければおかしい」
どういう理屈だ。
突っ込みたかったが、私が口を開こうとすると、隣の王子がそっと、私の手を握った。見上げれば、何も言ってはいけないよ、と、幼子を諭すような顔。
「アラムは生まれてより今日、百の病を患っている。ありとあらゆる魔術や呪術で死を退けてきたが、小娘、貴様は我が息子を救え」
「……父上、どうぞ言葉を発することをお許しください」
「泣き言なら聞かぬ」
「いいえ、いいえ父上。そうではありません。私は今日まで多くの命を身代わりに生き延びてまいりました。もはや後戻りできるとは考えておりませんが、しかし父上、よもや、私の病を治す、その為だけに、エルザを連れて戻られたのですか」
その声には、絶対の存在である王様を咎める響きさえあった。
……アラム王子は私の状況をご存知のようだ。私が、星屑さんをこの地に呼ぶ可能性、面倒ごとを引き寄せる厄介な存在だと、知っていて、それを自分のために連れてきたのかと、そう咎めている。
ハットゥシャに王子はたくさんいるはずだ。
傲慢で、自分の息子を容赦なく突き落とした王様が、アラム王子には……甘い?
王様はアラム王子の問いかけには答えなかった。ただ「小娘、よくよく心がけよ」とだけ告げて、出て行ってしまう。国に帰れば王様は為政者としてやることが多くあるのだろう。
「……すまないね」
「いえ、というかむしろ、すいません」
王様を見送り、アラム王子は疲れたようにクッションに半身を預けた。百の病がどうとか、よくわからないが、確かに顔色は良くないし、呼吸が苦しそうだ。
「どうして謝るんだい?」
「私は色々、その、面倒くさい子なので」
「誰もがそうだ。きみは私のために連れてこられてしまった。私も、君にとっては面倒くさい子だと思うよ」
アラム王子は傍仕えたちに命じて、自分の身体を寝台まで運ばせる。歩くことも難儀するらしく、大男が二人がかりでアラム王子を運んだ。
天蓋付きの大きな寝台に横になり、王子は私を呼ぶ。
「他の王子には会ったかな」
「いえ、王様が、会わなくていいと」
「そうか。きみはこれから王宮で暮らすのだろう?下のほうにヤニハという弟がいるんだが、何か困ったことがあったら、あの子に相談するといい。頭が良くて、楽しい子だ」
「……私は、あなたを治療するために連れてこられたみたいなんですが、それについては?」
私は医者ではないし、今こうして王子を見ても「なんか具合が悪そう」くらいにしかわからない。けが人などならある程度、どうすればいいのか、想像はできるが、病人というのは医者だって「何が原因なのか」わからないことが多くあるという。
「私は生まれたときからこうなんだ。身体の中のいろんなものが、呪われている。父上は他にもたくさん王子がいるのに、私を跡継ぎにされようとなさる。英知に富み、勇猛果敢であらせられる父上の、唯一の欠点だよ」
ゆっくりと確認するように息をする。
暫く、王子はハットゥシャについて私が知らなさそうなので、自分が知る限りの話をしてくれた。この国には大きな川があって、その水は絹の星屑種に浄化されている。
国境では魔族たちとの攻防があるが、国を流れる川の水を飲んで育った国の兵士達は、魔族に対抗できる強い肉体を持っているという。
「アラム・バラス王子、そろそろお休みくださいませ。無理はいけません」
「あぁ、そうだね。エルザ、すまない、少し眠るよ」
小一時間ほど話をしてくれたが、普段こんなに起きていることはないそうだ。傍仕えたちが進言し、アラム王子はそれに従った。
私はといえば、扱い的には「アラム王子の婚約者」に、いつのまにかされていた。あれ、おかしいな。王子様を選ばせてくれるはずでは?おかしいが、まぁ、アラム王子は優しい人なので不満はない。
「次は私はどこにいけば良いんです?」
見知らぬ宮殿、いろんなルールがあるはずだ。幼女の私があちこち歩いても、迷子になった!と全力で主張すれば赦されるだろうが、きちんと人に聞くことは大切だろう。
私は王様のハレムで寝起きするように、と言われた。
ハレム……こう、中華モノなら後宮的な?女達の園。一人の男の寵愛を競うどろっどろの修羅場!みたいなところだろうか。