エチュード
「さぁ!そんなところに立っていないで!!案内しますよ!スレイマン!」
無言で立ち続けるスレイマンに、私はパンッと手を叩いて呼びかける。
私が手を鳴らせば、真っ白いだけの空間が変化した。
ガラス張りの、高層階。
天井には豪奢なシャンデリア、壁にはプロジェクターで動く絵が不規則に映され、人がゆったりと行き来できる程の距離の開いたテーブルには白とワインレッドのテーブルクロス。その上に飾り皿と銀食器が用意されている。
くるり、と私が片足を軸にして回ると、私の恰好は白いコックコートになった。
スレイマンが一寸小首をかしげ、自分の装いも私と同じにしようとするそぶりを見せたので、私はその手を取って首を振った。
「違います。スレイマンは、こっちです」
「……そうか」
私はスレイマンを客席に案内した。一歩進むごとに、スレイマンの装いが変化する。ボロボロだった衣服はパリッとした仕立ての、異国風の夜会衣裳になり、ぼさぼさだった髪は整えられ、額にかからないよう後ろに撫でつけられる。
「待ってください!なぜ髭だけは!!髭だけは頑なにそのままなんです!」
「煩いやつだな」
これですっきりはっきり、ドレスコードのあるお店でも何の問題なくニコニコ入店できるよ!というイメージを私が浮かべたにも関わらず、この野郎!髭への介入だけは頑として拒否りやがったぞ!!
騒ぐ私を、スレイマンは席に着きながら面倒くさそうに眺め、ぼそり、と呟く。
「こういう顔のほうが、父親らしいだろう」
……威厳的な問題?
確か、聖女育成コースで歴史を習ったときに知ったスレイマンの年齢は三十代前半。三十代の男性に父親的な威厳や貫禄があるかと言われてみれば……個人差かな!
「……え、何ですスレイマン、つまり……髭をそらなかったのは、私の父親役として不自然でないように……変装のつもりだったんですか?」
「……おれは追われる身だからな」
いや、隠す気があったようには欠片も思えなかったけど!?
あの行動の数々、隠す気はあったかな!!?自分で異端審問官とか名乗って……いや、でも偽名を使ってもいたな??
「……そ、そんな細かいことを考えて……」
今更明かされる事実に私は苦笑いを浮かべるしかない。
まぁ、髭の件はさておいて。
私は厨房前にあるバーカウンター、上から吊るされる美しく磨き上げられた透明なグラスを取って水をそそぐ。
店内には過去の偉大な音楽家の曲が食事の邪魔にならない程度の音量で流れ、外に面したガラスの向こうには人工的な夜の光が溢れていた。
「これが、お前の知るレストランか」
「はい。物流が安定して、輸入物により国内の自給率が低くとも国民が飢えることなく、生産される2/3の食料が廃棄され続けている世界ですよ」
「……このような世界にしたいのか?」
「いいえ。できれば、あなたと一緒に作るお店は……私が想像もできない、また全く別の在り方になったらいいな、って、そう思っていました。残念ながら、今私があなたに見せる事ができる、私が考える最もうつくしいレストランは、ここでしたから」
「そうか」
スレイマンは短く頷いて水を飲む。そして私が差し出す、上質紙に金字で印刷されたメニューを手に取り、あれこれと質問してきた。
「どういう形式なんだ?」
「夜の食事ですから、品数は九品のコース料理をご用意しています。前菜、最初に出る小さな野菜料理は七色の塩の花と茹でたカリフラワーに、紫蘇のジュレを添えたもの。続いてハバリトンの生ハムとホワイトアスパラに酸味のあるワインビネガーと卵黄のソースをかけたもの。ドゥゼの森でとれる巨大マッシュルームのアヒージョに自家製酵母で作ったパン。魚料理は―――」
説明していく私の話を、スレイマンが目を細めて聞いている。
料理の説明が出来るのは楽しい。楽しいのは、お客様に話せるからだ。スレイマンが、聞いてくれるからだ。
「お酒もおすすめしたいところですが、私はソムリエの資格はとれなかったですし、星屑さんでも呼びます?」
「来た瞬間燃やす」
私に干渉できる星屑さんならこの夢の世界でも来れそうだし、ソムリエとして仕事をしてもらおうかと提案すると、まぁ、スレイマンは嫌がった。人の夢の中で火災とか止めて欲しい。
そのまま私は厨房へ続く扉に進み、一度ホールに向けて頭を下げた。
「さぁ!私の、えぇ、レッツエンジョイクッキング!」
しっかりとコック帽に髪を押し込み、コース料理に使うお皿を順番に、冷菜以外を並べていく。ディッシュウォーマーから出された皿はほんのり暖かく、調理作業台の上には熱を発する電気が灯っており、私の手元を明るくするだけでなくお皿の暖かさをそのままにする。
既にオーブンは温められ、コース料理用の野菜はカットされシルバーのケースに、寿司ネタのように並べられている。レストランでの夜というのは、既に8割が準備済み。あとは組み立てと調理のみで、下準備というものは開店前に全て行われる。
だから料理人は美しく組み立てる、完璧な状態に調理するという技術的なことにのみ、営業時間は集中できる。
前菜を組み立て、次の料理の調理を同時に行いながら完成した皿をデシャップに乗せる。
「あ、しまった!デシャップ役がいない!!っていうかオンリー私!」
「運んであげるわよ。仕方ないから」
ワンオペは出来なくもないが、タイミングをちょっと間違えた、と私が慌てるとデシャップ台のお皿はひょいっと、持ち上げられた。
「ミシュレ……」
「あなたたちって本当に馬鹿よね」
「……ミシュレ、持ち方が違います……冷菜なんで……端と底だけ指の腹と掌の一部で支えてください……指紋付けないでください……皿の温度が下がる。あと角度……水平にしてください」
「まずはお礼でしょう!!?」
うん、まぁ、お礼は言おう。気を取り直してお礼を言うとミシュレがフン、と鼻を鳴らした。
プレスのきいた真っ白いシャツに黒いセルヴーズの制服。女性給仕役を引き受けたミシュレは髪を高く結い上げ、赤い口紅の、立ち姿が美しい。
ミシュレがデシャップに立ってくれるので、私は料理に専念することができた。ミシュレはスレイマンの食事の速度を見極め、次の料理の声かけをする。
私の方も心得たもので、次の料理にかかる時間をあらかじめミシュレに告げて置き、料理の速度は音楽が流れるように自然に、進んでいった。
「座らないのか」
食後のコーヒーは私が持っていく。
ミシュレは遠慮して厨房に入ってくれて、私は食事を終えてナプキンで口元を拭いているスレイマンに問われた。
「位置的に、こういうものですよ」
「……そうか」
立ったままでいる私をスレイマンは目を細めて眺めた。
「お前は酷いやつだな。おれに副料理長になれなどと言っていたくせに」
「でもよく考えてみたら、スレイマンって絶対、もてなされる側じゃないですか」
恨み言というには可愛らしいものだったので、私が笑うとスレイマンが緩く口の端を上げた。
できれば一緒に作りたかった。
それは今でも思っているけれど、私たちはそうはならなかったから、それはもう、どうしようもない。
「仕方ない。それは、別のやつに譲ってやろう」
「別のって、泥人形とかですか」
「あれはどうしようもない連中だ」
言って、スレイマンは息を吐く。
食事は終え、店内の明かりは一段低くなった。テーブルの上に乗るランプの明かりがスレイマンの顔を照らす。
スレイマンは窓の外を眺めた。
「お前が何者か、どこから来たのか。お前がおれにおれの事を聞かなかったように、おれもお前に聞かなかったな」
店内や、窓の外の文明を、スレイマンは驚かない。
元々ある程度想像していたことがあるという顔であったので、私も何も言わなかった。
「何か望むことはあるか」
「なんです、急に」
「食事をしたら対価を払うのだろう。それがお前のいうレストランという場所のはずだ。ここで金銭のやり取りに意味はない。であれば、何か望むことを言うがいい。おれはもうお前に降るように、湯水のように魔術や魔法を使うことはないが、この望みは必ず叶えよう」
「スレイマンが幸せになりますように」
悩むことなく、答えた。
スレイマンは目をぱちり、とやって、そして顔を顰めた。
「馬鹿娘め、よくよく考えろ。このおれが叶えてやるんだぞ。世界を変えることでも、魔族共を根絶やしにするのでも、なんでもできるんだぞ。お前が欲しいレストランを作ることも、なんでもいいんだ」
「私は自分のことなら、自分でなんとでもしますよ。でも、もう、スレイマンのことは、私、もう、何もしてあげられないじゃないですか」
この夢の中。
スレイマンに会えたけれど、これは目覚めたら消えている。
私は目が覚めたら、また、いつも通り、同じ通り、笑って、笑って、料理がしたいと、レッツクッキングと、そう叫んで、進んで行けるし、そうする。
「馬鹿娘め。お前はどうしてそうなんだ」
ガシャン、とスレイマンがテーブルを叩いた。
顔を顰め、私を睨み付ける。
「おれはお前が幸福であればよかったんだ。それだけが望みだった。馬鹿娘め、わからんやつだ。お前はおれがいなくても生きていけるくせに、どうしておれを振り返る」
「スレイマンのことが好きだからですよ」
言うと、スレイマンが唇を噛んで両手で顔を覆った。
「馬鹿娘め!そんなものは、理由も価値も意味もない感情だ!」
「スレイマンだって私のことが好きなので、お互いさまじゃないですか」
いや、おそろいですね!と畳みかけると、絞殺されそうな勢いで睨まれた。
私は声を立てて笑って、スレイマンの手を取る。
「今まで、ありがとうございました」
「お前の望んだことは、おれにとって都合がいいだけで、お前を不幸にするだけかもしれないぞ」
「スレイマンのことで、私が不幸になるなんて事実はありえません」
スレイマンが幸せでありますように。
私が願うこれは、叶えば、私は一生ずっと、スレイマンを忘れない。
人は、死んだ人間のことを忘れてしまう。声から、姿、思い出がどんどん消えていく。聖王国に移動して、聖女育成コースに入って、私は段々と自分の中から、スレイマンが失われていくことを自覚していた。
風化されて、おぼろげになって、いずれ消えてしまう。
その時に、あの泥人形のようにスレイマンのようなかたちをしたものが現れたら、ばかな私はきっと、間違えて手を取ってしまうかもしれない。
だから、私はスレイマンの声も、姿も、思い出も何もかも、僅かでも忘れずに覚えつづけますように。
立ち上がったスレイマンが、さっと腕を振った。
砕ける、私の夢の世界。
ガラスの破片が降っていく。
向かい合うスレイマンは私の頬に手を触れて、眉間にしわを寄せた。
「エルザ」
名前を呼ばれる。私は破顏して、その手に自分の手を重ねた。
「さようなら、スレイマン」
これで終われると思うなよ(/・ω・)/