森の中(1)
気が付くと、森の中を歩いていた。
あれ?なんだっけ。
これ、なんだっけ?と首を傾げながら歩き続ける足は止まらず。
あぁ、そうそう。そうだった。思い出した、思い出した。
ぽん、と手を叩き私は両手を天に掲げる。
「そう、やっとできたよ生肉生活からの脱出…!!ベーコンの次に私が挑戦すべきなのは天然酵母!!!」
母さんと暮らす木の中マイホーム、から降りて森の中を散策中。
私はあちこちで食べられそうな木の実や草を採集しながら、あれこれと思考を巡らせる。
どうも、名無しの転生者です!
名無し……?ですよね??うん、名無し!!!
素晴らしい事に母さんが炎を出せて、しかもそれが私の任意の物を焼いてくれるという不思議ファンタジーな代物だった!それをこう、良い感じに使ってさらなる料理を!と思うのだけれど、その為の食材集めが大切だ!
「あれ……?それにしても、母さんは、どこだったっけ??」
ふと、私は違和感を覚える。
いつもと変わらぬ森の中。巨大な狼の母さんがいると森の獣たちは息を潜めて姿を現さない。私はいつも母さんから見えるところから離れない……のだし…あれ?
「こんなところに、井戸なんてあったっけ?」
目の前にはいつのまにか、古びた井戸があった。
石を重ねて作った、丸い形の井戸。上にはよくある屋根がなくて、ただぼんやりと口をあけているような、不格好な井戸である。
井戸。
この異世界に転生して、この森に来て初めて見る人工的に作られたものだ。
「森の中に、人がいた……んでしたっけ?」
しかし私の心にはなぜか『やっと出会えた文明社会!』という喜びはわかない。
ずきずきと、何か、お腹が痛い。
変な物でも食べただろうか?
よもや、ついに生肉生活時代のツケがまわってきた……?やはりお肉はどんなに新鮮でも異世界でも生はまずかったのだろうか。そうなのか。
「まぁ……井戸があるっていうことは……食材を冷やして作れる料理が……いや、その前に、井戸ならお水が大量に一気に使えるのでお風呂とか!!!沸かせるんじゃ!!?マイホームは水が溜まるのに時間がかかりましたしね!!!」
「バケツも井戸の底まで届く縄なんてないでしょ?馬鹿ねぇ」
お腹を押さえながら、とりあえず井戸を発見しそこから広がる健康で文化的な生活を考えると、いつの間にか真横、私と同じように井戸を覗きこんでいる女の子がいた。
「え、誰?」
女の子、というにはお姉さん。
年齢は……18歳とか、その辺りだろうか。暗い色の髪に、瞳はどんよりと沈んでいるけれど、表情は明るくて嫌な印象を与えない。
「ミシュレよ。忘れちゃったの?友達じゃない」
「そう、でしたっけ?」
そうだったっけ?
でも、言われてみればそんな気がする。
そうそう、私にはミシュレっていう魔女の娘の腐れ縁がいた。
魔女の娘ってなんだっけ?
まぁいいか。
「ミシュレはお風呂入りたくないですか?」
人手が二人あれば、私一人でお風呂計画を実行するよりもきっと上手く行くはずだ。
私は井戸の中を覗きこんだ。
どこまで続いているのか、深くて底が見えない。
森の中は木々が生い茂っているとはいえ、日中はとても明るい。この位置から底が見えないっていうことは、そうとう深いんだろうか。
「この森って、なんでもアリな反則的な所があるから探したら温泉とか湧いてるんじゃないの?」
井戸を覗く私の首根っこをひょいっと、ミシュレが掴んだ。
落ちたらひとたまりもない、というような目だったので大人しく井戸から離れる。
何か、獣の声のようなものが聞こえたけれど、母さんのものとは違うもっと甲高い声だったし、私は無視した。
「温泉、いいですねぇ。異世界の温泉って、なんか回復効果とかありそうじゃないですか?」
「普通の温泉にも疲労回復の効能はあるじゃない」
「なんか、この森にもありそうな気がしてきました!ミシュレ、一緒に探しに行ってくれますか?」
お願いすると、ミシュレは「仕方ないわね」と肩を竦めながらも承諾してくれた。
そうだ。ミシュレと私は友達だった。
私はミシュレの友達で、名前は……なんだっけ?私は名無しの転生者…あれ?でも、おかしいな。
何か、忘れているような。