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【書籍化】野生の聖女は料理がしたい!  作者: 枝豆ずんだ
第五章 魔女達の舞踏会
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クビラ街(1)


アグド=ニグルの軍人のジグル中佐は胃が痛かった。


聖王国管轄の結界内での任務について数か月。

まったく、これっぽっちも、何の成果も得られていない。


氷の魔女ラングダの怒りを買った、気の毒な街クビラ。


アグド=ニグルからの復興支援の申し出を、ことごとく跳ね除けられているのは、まぁ、セレーネ・ザークベルムの心情を考えれば無理からぬこと。


だが上からは「早くクビラの街を制圧しろ」と圧力がかけられている。


クビラ街を襲った悲劇から暫く。

アグド=ニグルはかねてより進められてきたザークベルム家令嬢と、アグド=ニグル貴族との縁談を成立させてしまおうとした。


だが間に入っていた、こちらではロビン卿と名乗っていたザークベルム家の忠臣は、アグド=ニグルの軍人であったことが発覚してしまったし、その上ロビン卿を溺愛する魔女殿がイレーネ・ザークベルムを「ついで」とばかりに攫ってきているため、ザークベルム家からの我が国への感情は最悪だ。


いや、貴殿の愛する妹君は我が国の皇帝に気に入られて国賓と同じ扱いをされているし、そりゃあ多少の軟禁状態であるにしても、手ひどい仕打ちは受けていないはずであると、そう説明しようにも聞く耳をまるで持たれない。


さて、ジグル中佐の任務は破談したセレーネ・ザークベルムとこちらの貴族の縁談を再度まとめることではなく、復興支援の名目で、率いた軍を市内に入れて、ザークベルム家の女子供がなんとかやりくりをする街の統治権を得てしまおう、という……全くもって、正義とは何だと胃が痛くなるような任務だ。


半分いやがらせなんじゃないか、とも思う。

この街ではすっかり裏切り者とさげすまれるロビン卿、彼はジグルの伯父であるし、ジグルの両親は皇帝陛下のご息女をお預かりしながら失踪している。

ご息女が成人すればジグルは彼女の婿になる、という話も出ていたので、皇帝陛下のお怒りは相当のものだった。

親族の度重なる失態。

ロビン卿ご本人に手を出すなど、魔女の怒りを買う。


だから、甥であるジグルがこの街に適当なちょっかいをかけて、聖王国に睨まれ殺されて来い、と言われているような気がしてならない。


まぁ、今後のアグド=ニグルの情勢からして、この街での小競り合いに聖王国が目を向けてくれていれば都合のいいこともある。


それにしても、伯父は外から裏切り者と呼ばれ、両親は内から裏切り者と追われて、ジグルは自分が祖国で「裏切り者の血筋。あいつも裏切るに違いない」などと後ろ指をさされていることを思い出し、胃が痛む。


「……その上、この雪か」


街には入れて貰えないので、街の外での野営。

空から降る白い雪に顔を顰める。


……今のクビラ街に軍事力はほとんどない。

小国エルナの他の街と同じように、領主の張る結界がある程度の害悪を防ぐが、騎士や領主一族が有事には魔力を使い防衛線を行う。

それが、先の悲劇により騎士団は壊滅状態であるし、セレーネ・ザークベルムも現在は金策のため外に出ている。

街の中には飢えと雪への恐怖に怯える住民に、領主嫡男の細君がなんとか街をまとめている状態。


ジグルが腹を決めて武力行使すれば、あっさりとクビラの街は制圧できてしまう。

それはわかっているが、ジグル中佐は恥じというものを知る男であったから、本国の指示通りに街を蹂躙することは、自身の力の及ぶ限り行わないと決めていた。胃は痛むが。


しかし、雪だ。

この雪。

悪意は感じないが、しかし、雪はひとの心から温度を奪う。


軍人たちが街に入れば、か弱い市民は怯えるだろう。

だが雪だ。

この雪が続けば、降り続けば半壊した街は冬を越せるだろうが?


軍人たちへの恐怖か、命を奪う雪への恐怖か。


ジグル中佐は考えた。

己は名目上は、クビラ街の復興支援というものを頂いている。

そしてジグル自身の正義に問うてみて、彼らを助けることになんら躊躇するものはなかった。


彼は副官を呼び寄せて、いくつか指示を出したあと、自分は軍服を脱ぎ街の住人と変わらぬ装いになって、そして街へ向かった。



**



「困ります、お客様!今、旦那様は大切な商談中でございまして……!」

「うん、礼儀作法は出来る限り守りたいと私も考えているけれどね、ことは中々、一刻を争っているんだ。私はハットゥシャの王子だから、王族のわがままということでここを通して貰うよ」


ヤニハは自分を止めるラダー商会の職員たちを無視し、ツカツカと商会の階段を上がっていく。

後ろの方ではラシッドが「申し訳ありません。こういう方なんです」と頭を下げて回っている。


山から戻ったヤニハが向かうのは、おそらく今回の雪の原因であるラダー商会の会長殿のもと。豪華な調度品の並ぶ廊下を進めば、あれこれ言い争う声がする扉まで直ぐだった。


「貴様にこれほど甲斐性がないとは思わなかった!何度だって貴様は僕を失望させてくれるんだな!ラダー!」

「……ルシタリアの小僧が偉そうに……!貴様に私の何がわかる!!!」


部屋の中には、男装の美しい令嬢に、げっそりと痩せ細った身なりの良い中年男性。ヤニハはすかさず男装の令嬢の前にするりと身を滑らせ、怒りで赤くなった頬に手を添えた。


「美しいお嬢さん、あなたの怒りが私にはよくわかります」

「誰だこの変質者は!!」


燃えるような眼がヤニハを睨み、そして左手が振り上げられた。さすがにこの街で二人の女性の平手打ちを受けるのは嫌だったので、ヤニハはそれを避けて、追いついたラシッドに首をかしげて見せる。


「国では私が微笑むと殆どの女性がとろけるような笑顔を向けてくれたんだが?」

「ヤニハ様好みの気の強い女性が多くてよろしいじゃありませんか」


なるほど、そう前向きにとらえることにしよう。

ヤニハは肩を竦め、そして「誰だ?」と不振そうにこちらを見ているラダーに微笑んだ。


「私はハットゥシャの王子、ヤニハ・アダ・シャザーンと申します。クビラ街の大商人ラダ―殿。ともに街を救いましょう!」


クビラ街を襲った魔女の悲劇、そこから細君を失い、その後立て続けに花嫁をなくし続けているかつての大商人は一瞬「この派手な男は頭がおかしいのか」というような、他人への嫌悪より憐れさが勝ったような、酷く同情的な瞳をハットウシャの王子に向けた。


「街を救う?何からだ」


ヤニハの言葉に素早く反応したのは、同席している男装の令嬢、今はクビラ街を支える重要人物の一人、テオ・ルシタリアだ。


あの嫡男夫人と言い、この男装の令嬢といい、クビラ街には賢い女性が多い。それはとても素晴らしい事だとヤニハは頷き、テオ・ルシタリアに微笑む。


「と、言いますと?」

「答えを求めているのは僕の方だが。ハットゥシャの王族というのは商人のような話し方をする」

「王族と言っても末席でしてね。王族らしい豪勢な暮らしをするためには、自分で稼がねばならないのです」

「妙な男だな」


僅かにテオ・ルシタリアが笑った。笑うと暗闇にほんのりと蝋燭の明かりがともされたように感じる小さな微笑みだ。


「ハットゥシャの王子という君……その君の面白さに免じて、それじゃあ僕が答えよう。僕が言いたいのは君が想定して僕らにぶつけようと考えている「敵」は誰かということだ。この街を望むのは、聖王国、アグド=ニグル、それにエルナの貴族がいると思うが、さて、君は僕らを誰の敵にしたいんだ?」


ヤニハはこのテオ・ルシタリアという令嬢が男でないことが残念で仕方なかった。前にヤニハが想像した通り、クビラ街がこのような救いのない状態にまでなったのは、商会の力不足が理由の一つである。


もしルシタリア商会のこの令嬢が男であれば、その賢さに自分の娘を差し出して繋がりを持ちたいと考える商人や貴族は多くいただろう。


残念ながら彼女は女で、女というものはどうしたって男に軽視される。その賢さも埋もれる。


僕ら、とルシタリアは言った。

ヤニハが来たのはラダー商会で、たまたまルシタリアは同席していたに過ぎない。だがルシタリアはラダーがこれからヤニハに「利用される」だろうことを理解したうえで、自分もその駒として使えと、ラダーを見捨てなかった。


「誰がラダー殿の花嫁を殺していると思いますか?」

「……は?」

「外には雪が降る。雪はかつての氷の魔女ラングダが冬の踊り子たちに降らせていた。だが魔女はもういない。では誰が?」


ヤニハはルシタリア、そして続いてラダーに視線をやった。

賢いルシタリア、その隣でラダーは震えている。


「……貴様ッ、ラダー………!!!まさか、貴様、そこまで………!!!!貴様はどこまで、僕を失望させるんだ!!!!!!貴様は本当に、僕が……貴様はラダーだろう!!!」


すかさず、ルシタリアがラダーの胸倉を掴んだ。

妻を亡くし続ける憐れな男は抵抗しない。ただ口からか細い悲鳴を上げ、目を閉じる。


「……ッ、貴様など!僕が殴る価値もない!!!」


ルシタリアは歯を食いしばり、自身の中の荒れ狂う感情を制御した。

そのままどっかりと、座り込み、美しい顏を片手でぐちゃぐちゃと乱暴に拭って、顔を上げた時にはこの街を守る商会の長としての、自尊心にあふれた瞳をする。


「次の婚礼が必要だろう。それなら、僕がなる。この僕が、テオ・ルシタリアがラダーに嫁ぎ、妻になる。しかし、僕はみすみす殺されはしないぞ。力を貸せ、ハットウシャの王子」

「ヤニハとお呼びください。そしてご安心を、私はそれなりに魔術の心得がありますので」


請け負うと、ルシタリアが鼻を鳴らした。


「そうか。だが僕の知る最高の魔術師も、案外あっさり死んだ。君もそうならぬように」


こちらの身を案じてくれていると言うより、驕るなという忠告だろう。だが悪い気はしない。ヤニハは嫌味や皮肉は多くされたが、こういう善意からの忠告はあまりない。


本当に女であるのが残念だ。


女であるので、どうしたって「こういう美しい女を寝所に横たえたら素晴らしいだろうな」とそういう考えが浮かんでしまって、「ともに戦うのに心強い」と、そういう考えが後になってしまう。


さて、ラダー商会の応接間で今後の段取りを話し合おうとしていると、来客があった。

ラダーを訪ねてきたのだが、その顔立ちがグルド人、つまりはアグド=ニグルの者だという。


アグド=ニグルの人間はこの街では現在最も嫌悪されている。

長年ザークベルム家につかえ、街の人間たちからも慕われていた騎士団長がまさかの裏切り者、街を襲った悲劇は全て裏切り者の所為だと、そこまでではないが、しかし、最も多くの憎しみの原因と考えられ感情を抱かれている者ではあって、その国に対しての感情は、まぁ、仕方ない。


「アグド=ニグルの軍人が何の用だ?」


応接間にて対応したのはラダーだ。

ルシタリアに面罵された情けない男だったが、それでもまだ商会の会長としての多少の責任感は残っているらしい。


訪問者はジグル・ホンジュと名乗った。街の外に待機しているアグド=ニグルの軍の指揮権を持っている中佐殿。


「雪が降ってきた。この件について、この街の対応を聞きたい」


この軍人殿は雪の原因ではなく、その雪に晒される街をどう守るのかとそれに関心があった。


「聞いてどうする」


ラダーはちらり、とルシタリアとヤニハを見てから、探るように軍人を見つめる。


「自分の言葉がどれほど信用されるのか、想像するより低いのだと考えますが……」


ジグル中佐は一度言葉を区切り、なぜラダーとの席に男装の麗人や異国の貴人がいるのか、それを指摘はせず言葉を続ける。


「この街には現状、戦力としてではなく、復興、いや、現状を維持するだけの人手すら足りない。私は皇帝陛下より250人の中隊の指揮権を頂いている。そろそろ部下たちに長期休暇を与えたいと考えているところだった」

「……占拠するつもりか?」


ラダーは警戒の色を浮かべるが、対してヤニハとルシタリアはそろって呆気にとられ、互いに顔を見合わせる。


この軍人、実直にすぎないか?


つまり、この軍人はこの雪によってクビラ街の住人がさらなる悲劇に見舞われることを案じて、軍としてであれば色々問題もある。それなら単純に人手として、自分の権力の許される範囲で、クビラ街を魔女の雪の手から守らせてくれないかと、そう申し出てきているのである。


領主の一族に、ではなく、商会に来ているのは、軍人として領主に提案ではなく、商人に人手を買ってくれと、そういう形にすることで「休暇中に見知らぬ土地で副業は禁止しなかった」と、中佐が責任を取るつもりなのだろう。


罠か?いや、それはない。

目の前の軍人、見るからに正直そうな青年だ。


年のころなら二十代の、若くして中佐の座に上り詰めた実力と、そして長期休暇を理由に部下たちを自由にしても彼らが中佐の考えの通りクビラ街のために協力してくれるだけの人望を持つ、人格者。


ヤニハは自分の運の良さがこういう男をよこしてくれたのかと、それほど珍しい善人。


そういう善意を断る理由はないし、これからヤニハとルシタリアが行うこと、敵に回す存在について考えれば、街の心配をしなくて済むのはありがたい。


ラダー商会はジグル中佐の申し出を受け入れた。


ジグル中佐率いる中隊は軍人としてではなく「休暇を持て余した外国人が、立ち寄った街で日雇い労働力として協力する」という、なんとも……下手過ぎる言い訳を馬鹿正直に報告書にあげられることとなった。



***



さて、かつて魔王が己の愛しい娘を魔女の手から逃すために死した土地で、奇しくも彼女を妻にしようと考える異国の王子と、彼女の婚約者候補であった青年が、その地で出会ったわけである。


雪の降る、ザークベルム領クビラ街。


かつて大量の人が死に、死に、殺されて、そのツケが生き残り達に課せられた忌まわしき土地である。


氷の魔女ラングダの死後、魔女の暮らした神殿に捕らえられたグリフィス・ザークベルム。

彼の仕える主人は、ラダーの花嫁の死を望んでいる。



**


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