*大神官ラザレフ*
「冗談か何かだと言って欲しいんだけど、誰かそういう余裕のある者はいる?」
この世の軽薄さをすべて集めて人の形にしたような男、と、そのように振る舞い続けるラザレフだが、さすがに今はそうも言っていられない。
白い顏には疲労と、いささかの呆れを浮かべ執務室の安楽椅子を軋ませた。
全くあの幼い聖女、そしてラザレフにとって義兄弟ともいえるあの男は、なぜこうも厄介な生き方ばかりしたのだろう。後者は死んでいるというのに、それでもなお面倒を重ね続けてくれる。
ラザレフの言葉に執務室の誰も言葉を返せない。
聖王国、大神官執務室の誇る有能な秘書官たちは皆口を閉ざし、絶望の色をその顔に浮かべている。
自分がこの調子ではよくはないとラザレフもわかっている。
だから、愚痴はこれまでとして、一度額に指を当て、状況を再度確認した。
「つまり……あの男は自分が死した後、あの少女……エルザの魂に魔王の力を隠し、彼女が『スレイマン』と認識した者が魔王としての資格を得るという呪いをかけた、と」
「そして、エルザを傷付ける者はけして彼女にとって『スレイマン』には成り得ない。魔族や泥人形が聖女を殺して力を奪おうとすればするほど、魔族たちは魔王復活から遠ざかる、ということです」
ラザレフの言葉を引き取ったのはこの場唯一の女性だ。
サーシャ・ザリウス公爵令嬢、いや、今はザリウス公爵そのものか。
両親の命の嘆願に服従を誓うような娘ならまだ可愛げがあるが、彼女が今この執務室にいるのはラザレフの味方としてではなく、彼女は今現在、ラザレフにとって最大の邪魔ものだった。
サーシャの美しい髪の上には、白銀に煌めくティアラが乗っている。ラザレフが大神官としての目で見ずとも、神気を放ち、それが星屑種により賜った契約の証であることがわかる。
人間種を守る結界を維持する為、結界内には星屑種が祭られているが、その結界を回る聖女を聖王国はつくり出してきた。
その聖女候補生たちが聖女となる最大の難関は、結界の星屑種に認められるかという点。
星屑種たちは信頼した聖女に自身らの本体の一部であるという特殊な金属を贈る。
それを用いて、装飾品を作り、舞い踊る際にはそれらの宝飾品を身につけ結界内と精神を繋げる。
だが、そう頻回に彼らの認める聖女を都合よく作り出せるわけもなく、基本的に過去に作られた装飾品を聖女の正装として身につけるのだ。
「……」
そしてその中でも最も稀有なものが、最大規模の結界を擁する鷹の結界の星屑種からの贈り物だ。
これまで人間種側に無関心を貫いてきた鷹の結界の星屑種殿が、サーシャ・ザリウスを、彼女を信頼するとティアラを贈った。
これでラザレフは大神官として彼女を排除する事が出来なくなったし、先の騒動の責任を取らせることもできなくなった。
「それで?あの子の、エルザちゃんの様子はどうかな?相変わらずよく寝てる?」
女というものはなぜいつも自分の邪魔ばかりするのだろうかと、いささかラザレフは苛立ちたくなる。
「はい。何事も恙無く。何か夢でも見ているのでしょう、時々微笑する様子が見られます」
獣に表情などあるものかと思うが、まぁ、神の獣となったエルザが現状唯一懐き、大人しくさせることのできる彼女が言うからそうなのだろう。
「それにしても、思ったより弱い子だったね。選択は人間種の義務であり特権だというのに、選べないから逃げるだなんて。君もそう思うだろう?サーシャ・ザリウス公爵。ようはエルザちゃんが、魔族たちが送り込む泥人形や、いっそ魔王本体を拒絶してくれればいいのに、何もせずただ夢の中に逃げるなんてね」
「大神官ラザレフ様。わたくしを怒らせようとしても無駄ですよ。わたくしは鷹の星屑種より、彼女を守るよう命じられました。わたくしはここでは礼儀正しくいようと考えております」
サーシャ・ザリウスが鷹の結界種の信頼を勝ち得たのは、何もエルザが懐いたからというだけではないことはわかっている。
彼女は、エルザに同情する数少ない人物だった。
だから不快になりそうな言葉を吐いてみたけれど、怒ってはくれない。怒りは感情を分りやすく表し、スキがあれば精神的に干渉できるよう楔を打てるのだが、残念だ。
同情的。どうすればそんなことを抱けるのかラザレフには不思議でならない。
聖女の力を持ち、魔王に愛され力を預けられ、星屑種に守られ、魂にはマーナガルムが混ざっている。
望めば世界をどんな風にもできるエルザのどこに『気の毒だ』と思える要素があるのだろうか?
“魔王”を決められない、彼女にとって次なんてものはなく、拒絶し失い続けるだけということが悲劇的だろうか?いや、英雄的じゃないか。
それのどこが『むごい』のか、夢の中に逃げたくなるほどの苦しみだとはどうしても思えない。
「まぁとにかく、引き続きエルザちゃんの監視を頼むよ。神代の生き物だ。目覚めれば、何をしでかすかわからない」
ラザレフは溜息を吐き、感情で物事を考える愚かしさを呪った。
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どうしてガチャは蒼いのか。