降臨祭(4)
すっと、セルゲイ・ザリウス公爵は背筋を正した。
これが、これこそがセルゲイの目的であり、自分の人生をかけた行いだ。これは正しいことであると信じていて、自分が正しいことを行えることを、セルゲイは誇りに思っていた。
「神代の終末から始まった、人間種の生息地への魔族の侵略。泥での侵攻。これを中止して貰いたい」
魔族は人間種にとって脅威であり、接触することなどあってはならぬと、そう言い伝えられている。
しかし、人間種は敵、魔族がどういった考え、どういう理由で我らの土地に泥を流し込むのか、それを知らない。
我々は、魔族について何も知らない。
「人間種の歴史の中で、高位魔族が人間種の側に出現したと残っている正式な記録は15年前のスル小国での件と、他に数件。高位魔族は人間種を「唆す」と、その事実だけは残っている。つまり、君たちは目的があり、我らと対話することが可能なのではないかね」
セルゲイ・ザリウスはこれまで人間種が誰もが考えもしなかった偉業を成そうと考えている。種族が異なる。だからと言って争い、奪い合うのではなく、理解し合えばいい。手に手を取ることが難しくても、互いを知れば、ずっと恐れ憎しむ対象から、何か違う道が、未来が得られるのではないか。
弟はそんな道は考えもしなかった。
聖騎士にまで上り詰め、宰相も務めた優秀な弟は、しかし魔族は「憎むもの」「敵」だという考えから、何も変えられなかった。
だが自分は違う。
己は、宰相となったのなら、この聖王国を、人間種全てを、今のまま土地が穢れて住める場所が奪われる恐怖から、開放しよう。
己が人間種で初めて、魔族と交流を開いた英雄になるのだ。
そうすれば、もう聖女制度など必要なくなる。
「え……?あなた、馬鹿なんですか……?」
地の国の行政を司る魔族が現れたのは幸先がいいと、自分の幸運に感謝しているセルゲイの耳に、これまでの道化師じみたアニドラの声とは違う、心底こちらを気の毒に思うような声がかかった。
「えぇ……嘘でしょう……?自分の親族を生贄にしてまで??何しろファーティマ夫人は上級貴族でございましょう??そんな貴重な人材を使い潰して?その上、この惨状を引き起こしてまで……企んでいることが、まさかの……ワタクシたちとの……歩み寄りィ???え??スイマセン、あの、砂の聖女サマ……こんなバカな提案、あなたもご存じで??その上で協力なさったので??」
エルジュベートは答えない。歌い続け、ただ一度ちらり、と胡乱な目をアニドラに向けた。
アニドラは信じられないものを見るようにセルゲイとエルジュベートを見つめ、そしてショックで口元を手で覆う。
そして暫く震えているかと思いきや、アニドラは大声で笑い出した。
「成程成程!!!そうきましたか!そう!ですか!!では賢い宰相様ッ!ご立派な貴方サマの考える、あるいは想定されるワタクシどもの目的、とは?えぇ、ある程度あれこれ考えておられるのでしょう?」
「君たちの最も望む結果は「魔王の復活」だと想定した。そして、単純に、魔王の魂を引き渡せというのであれば、とうに人間種の領域に魔族からのなりふり構わぬ攻撃があるはずだ。だが、それはない」
白い塔に歴代の魔王の器を持つ者は閉じ込められてきた。
魔族への対策というのもあった。しかし、自我を持たせぬためというのが一番の理由だ。
それならば、例外であったスレイマン・イブリーズという個体の時になぜ魔族が手を出してこなかったのか。
魔族たちはスレイマン・イブリーズを迎え入れようとはしなかった。スル王国で現れた高位魔族を討ち滅ぼしたのは、スレイマン・イブリーズ本人だ。あの男の性格から、人間種のために高位魔族を滅ぼした、ということは考えにくい。おそらくは、その高位魔族がスレイマン・イブリーズに敵意を向け、そして滅ぼされたのだ。
「君たち魔族にとって、魔王の魂は最早、君たちが望むものではなくなっているのではないかね?対話をしようじゃないか、アニドラ・アルファス公爵。人間種の代表として、歩み寄りたい。君たちとの友情を築きたいのだ」
++
成程、馬鹿な人間種の愚かな提案だが……アニドラは警戒していた。
己は今、こうして聖王都に立っている。
ファーティマ・ザリウスという上等な肉を依代として具現している。これは本来の力の十分の一も出せないが、しかし、高位魔族が人間種の、それも聖王都に召喚されるなど「あってはならない事」の筈だ。
このまま、次の聖女を攫いその腹を使えば、次の魔王の器はこちらの手中に入る。
何が罠か、それを考えた。
既に次の聖女候補、サーシャ・ザリウスの腹に何か仕込まれているのか?
いや、この宰相は本気で「交渉を」と申し出てきている。その英断だか無謀だか、いや、まぁ、アニドラからすれば「馬鹿か?」と呆れかえるような行いだが、しかし、宰相は本気で魔族と交渉しようとしてきている。
そのために、ファーティマを生贄にし、これまであれこれと動いてきたのだろう。
全ては今の聖女システムを変えるために。
だが、それをあの白亜の大神官が容認した?
その事がアニドラには気にかかった。
あの大神官が「魔族に歩み寄ろう」「魔族たちと交渉を」などとバカげた提案を飲み込むはずがない。
何故態々危険をおかして、己をここに呼んだのだ?
今も、この場に駆け付けるわけでもない。聖王の傍らにいるのだろう。あの人間種としては強い力の持ち主が動かぬ気配をアニドラは感知している。
セルゲイ・ザリウスとかいう人間は自分がファーティマ夫人を操っていたと、そう信じている。その振る舞いに不思議な所はない。
あのどこまでも善人であった聖騎士の弟が成せなかった事を自分がするという熱意と正義の心に燃えている。それはいい。そんな程度のこと、アニドラはどうでもよかった。
警戒すべきはこの場にいない大神官の思惑だ。
今もあれこれ、セルゲイ・ザリウスは「提案」をしてくる。人間種と魔族の交流をと、まずは「そんなことはあり得ない」と思われていることを「成し遂げよう」とそう、提案してくる。
己にはできると信じ切った目だ。
砂の聖女が己についた、協力した事で気を大きくしているとしても、この馬鹿に誰も教えてあげなかったのか?
魔族とは人間種を滅ぼす為に存在しているのだと。
「あら、なに、ちょっと。面白そうな話をしてるじゃない」
低い男の声がした。
バタン、と扉が開く。泥に穢され呻く男たちを踵の高い靴で踏み越えながらゆっくりと近づいてくる長身の男。
その唇は女のように紅がくっきりと塗られ、長い髪は高く結い上げられている。
「貴様は……スレイマン・イブリーズの死体を使っているという……魔女の娘か」
「その体は魔王様のもの。貴女のようなつまらない魂が入っていていいものではありませんよ」
セルゲイとアニドラは現れた人物を知っていて、それぞれ言葉をかける。
この状況。
好き好んで参加してくる者などいないだろう場所に現れた黒髪の男。
魔女の娘はコロコロと喉を震わせて笑い、アニドラをじっくりと上から下まで品定めするように眺めた。
「銀髪色白美少女の死体をくれるっていうなら喜んで出て行くわよ。いい加減、髭を剃るのが毎朝面倒なのよね」
「えぇ、そのようなものであればすぐにご用意してさしあげましょう」
「そう、嬉しいわ。ちなみに、私が欲しい体は今絶賛料理中よ」
トンと魔女の娘が床を蹴った。
その瞬間、アニドラの体は床に沈み込む。強制的に、何の遠慮もなしに、上からの重みに押しつぶされるヒキガエルのようにグシャリ、と人間の関節の強度も無視して地面に叩きつけられた。
「オーホッホホホホホホホッホホホホホ!!!!」
そして響き渡るのは、魔女の娘の高笑い。
「無様!無様!!!無様ねぇええ!!!!!!!散々自分が強者です!みたいな顔していたくせに!!!!油断するからよ!!!!ざまぁみなさい!!!!!!正真正銘ガチモンの聖女の結界よぉおお!!!!どう!?苦しいでしょう!辛いでしょう!立っていられないでしょう!!オーホッホホホホホ!!!」
まるでそんな気配はしなかったのに、砂の聖女は相変わらず歌い続けているだけなのに、いつのまにか、アニドラの立つ場所、いや、もっと広範囲に、新たな聖女の結界が出現していた。
聖王国の聖女システムで作られた聖女モドキどもがなんとかつなぎ合わせる結界ではなく、強力な、魔族を拒否する神性結界。
ファーティマ夫人に憑依している程度の今の魔力では太刀打ちできない。
本体との接続を断ち切られ、アニドラの僅かな精神体はファーティマ夫人を使った依代に閉じ込められる。
これか、これが……魔王様をたぶらかした、あの女の結界か。
床に這い蹲りながら、アニドラ・アルファスは憎しみを込めた目で、上を睨み付ける。
そこには銀色の髪の人間種の少女が立っていた。
++
「チンジャオロースが美味しくできたので、拷問中の竜二郎シェフに差し入れしようと思ったんですけど、部屋中泥まみれってすごいですね、これ」
え、誰が片付けるんですかこれ、と私はこの職場の方々に同情した。
「ご苦労様です。お陰様で聖女様に恙無く結界を張って頂けました」
「あら、別にあなた達の為にやったわけじゃないわよ」
目の前には高笑いをしているミシュレ、完全に悪役の台詞だ。私と一緒に来たモーリアスさんとミシュレはなぜかハイタッチを交わしている。
え?何?
ちょっと状況はよくわからないが、まあ、拷問中だか裁判中だかで色々あったのだろう。私は竜二郎シェフと、一緒にいるだろうファーティマ夫人を探した。
楽しくレッツクッキング、モーリアスさんが用意した食材を使ったら、まぁ今更驚かないが何か聖女の結界が発動した。
星屑さんや魔力の強い貴族が中にいるわけではないのでそのうち消えるものだ。
その結界の中で、蹲っている長身の男性がいる。
全身の関節が有り得ない方向に曲がり、顏には苦悶の表情を浮かべ、今も上から何か見えない力で無理やり押さえつけられているような、中々に酷い有様だが……異端審問官の拷問中か何かだろう。
「さて、ご理解いただけましたでしょうか?この御方こそ、高位魔族ですら封じる事のできる真の結界を生み出すことができる。我らが人間種をお救いくださる聖女様でございます」
泥が次第に乾いて砂のようにサラサラと崩れていく中、モーリアスさんが集まっている人たちに聞こえるよう朗々とした声で話し始めた。
……あ、私、利用されてるわ。
這い蹲っている男性、彼をモーリアスさんの言う「高位魔族」だとして、なんで聖王都に高位魔族が出現しているのだ?
私は高位魔族と契約しているファーティマ夫人にその繋ぎをつけて貰おうとしていたが、この地に来る、とは思っていなかったし、かなり難しいもののはずだ。
それが出現している。
誰かが、たとえば今この場にいる……。
「おばあさま」
私は砂の聖女、エルジュベート・イブリーズの姿に気付いた。その隣にはザリウス公爵。
ザリウス公爵が私におばあさまへの料理を作らせたのは、その体を回復させるため。
回復させてどうする。
魔族を押さえつけられる程の、聖女としての力を取り戻すためか。
であれば、ザリウス公爵がこの場に魔族を呼び寄せた可能性があり、そして、人類の守護者だというラザレフさんがそれを、黙認するだろうか?
魔族と契約していたファーティマ・ザリウス。
魔族を聖王国に呼び寄せたザリウス公爵。
その公爵に協力した砂の聖女。
ザリウス家の娘である聖女候補生サーシャ・ザリウス。
全員、失脚する。
なるほど、私はこうして高位魔族を押さえつけられる結界を張ったとして、華々しく聖女デビューが成功したわけだ。
大人って汚いな。
ところで、2019年2月28日ヒーロー文庫さまより「野生の聖女は料理がしたい!」発売します。(/・ω・)/ヤッタネ