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降臨祭(2)

誤字脱字報告本当にありがとうございます。

自分が間違って使っている漢字なども多々見られましたので「……違ったのか。そうだったのか」と国語をやり直す必要性を感じています。



異邦人リュウジロウの取り仕切る工房、その関係者を異端審問局の拘置所へ移送し終えたエウラリアは、自身の塔へと戻った。


異端審問局には現在一席から十三席までの特別審問官がおり、その下に大勢の異端審問官がいる。


十三人の特別審問官たちは、異端審問局の敷地内に「塔」と呼ばれる縦長の建物を持つ。


異端審問官、と言えば誰もが死を恐れぬ狂信者、血も涙もない法の執行人のイメージを持つだろうが、異端審問局は国が定めた機関だ。


第六席であるエウラリアは、主に異端審問局の情報収集を担当する「塔」であるから、彼女の使う塔には非戦闘員、事務処理を得意とする非魔力持ちも多く在籍していた。


異端狩りを主な仕事とし、軍隊と連携してる第四席モーリアス・モーティマーの塔とはその雰囲気も違い、普段は静かな塔が、しかし今はピリピリと緊張感に包まれていた。


自分のテリトリーの異変にエウラリアは軽く眉を跳ねさせる。

原因はすぐにわかった。塔の中の執務室へまっすぐに向かえば、彼女の執務室の椅子にはモーリアス・モーティマーが着席し、ゆっくりとカップキアロを啜っていた。


「あの工房への手出しは禁じたはずですが?」


普段は嫌味なほど丁寧に挨拶をする男が、そういう礼儀作法もすっかり無視してまず口に出す内容。


そういう通達は出ている。

苛烈で知られる異端審問官モーリアス・モーティマーが異端審問にかけようと出張った花街での一件。

怪しいと思われる異邦人が公爵家の庇護を受けていると、それが判明したので保留にせよとそういう取り決め。


あのモーリアス・モーティマーが、一度振り下ろした拳を血にも炎にも染めずに引き下がったのだから、きっと当人がケリを付けるのだろうと、そう静観を決め込む異端審問官たちが多く居たが、しかしエウラリアはそうはいかない。


「ザリウス家の家紋を所持していたとしても、捕えないわけにはいきません」


淀みなく答えると、モーリアス・モーティマーは一寸考えるように口元に手を当てた。


「例の少女を保護したとか……牢はどこです?」


例の少女。魔王の娘という噂の、エルザのことか。


エウラリアは工房を襲撃した際の事を思い出す。硝子の破片がその身に降りそそいだ筈だが、あの少女は無傷だった。あの美しい銀の髪の少女。


エルザを渡せば今回の件は譲る、と暗に言うようなモーリアス・モーティマー。


「彼女は異端の疑いのある少女です。こちらの尋問が終わるまで引き渡すわけにはいきません」

「聖女候補生を異端審問にかけるというのですか?」

「モーリアス・モーティマー。貴方が彼女に肩入れする理由はわかります。しかし、」

「おや。貴方如きに私の何がわかるというんです?エウラリアさん」


穏やかな口調で、しかしはっきりとした殺意を込めてモーティマーがエウラリアを見つめた。


触れてはならぬ地雷というものがあるのはわかっているが、この男にエルザを渡すくらいなら地雷を踏み抜いて暴力でも振るわれたほうがマシだ。そうすれば異端審問官同士の争い、二人より上位の審問官が仲裁に入れる。


だがモーリアス・モーティマーはそれ以上の怒りを見せる事無く、ふぅ、と溜息を一つついただけだった。


「そもそも何故、あの異邦人を捕えようなどという行動を起こしたのです?あの工房はザリウス家の庇護を受けている。ザリウス家は現在最も有力な聖女候補生サーシャ・ザリウスの生家ですよ?ミルカ様に続き、彼女まで聖女の資格を失う、という事態は避けねばなりません」


わかり切ったことを言ってくる。


モーティマーはあえて、どのようにエウラリアが言い繕うのか聞きたいのか。


モーリアス・モーティマーが心酔する、スレイマン・イブリーズが局長を務めている頃と今は違う。当時の異端審問局はどの派閥にも属さぬ完全なる神の鉄槌そのものだった。高位貴族も大国の王族も誰もが聖王国の異端審問局を恐れ、その行動を受け入れていた。


しかし現在の異端審問局はそうはいかない。

強大な盾でもあったスレイマン・イブリーズがいたからこそ、異端審問局は純粋な力でいられただけ。異端審問官として各地で様々な行動するには、資金や貴族への根回しがいる。


今は、各「塔」それぞれは個別に庇護する貴族や商人が必要になった。神の鉄槌であった異端審問官は、俗物に成り下がったのだ。


黙っていると、モーリアス・モーティマーがにこりと微笑みかけてきた。


「私の聖女様を引き渡して頂ければ、礼儀正しいままでいて差し上げます。セルゲイ・ザリウス公爵を私に焼かれたくはないでしょう?」


エルザか、ザリウス公爵か、どちらか選べと言われるのなら、エウラリアはエルザを選べなかった。



+++



「と、いうわけで助けに参りましたよ。聖女様」

「嘘つけぇえええええ!!!!!!」


にっこりと、牢獄に現れたモーリアス・モーティマーさんを前に、私は全力で突っ込みをいれた。


「おや、信じていただけないのですか?」

「私のこと全力で焼こうとしてた人が何を!?っていうか、モーリアスさんが私の身元引受人!!?何がどうしてどうなってるんですか!!?」

「それはこちらの台詞です。なぜ聖女様は大人しくしていられないのです?なぜ見るからに怪しい異邦人と一緒にいる、なんて選択肢を選ぶんですか」


驚きましたよ、と言うその言葉は本心だろう。


私は工房で捕えられ、アゼルさんと一緒に牢に入れられた。アゼルさんと一緒じゃないと舌を噛む、と喚き散らしたら一緒にしてくれた。


あの仮面の異端審問官エウラリアに倒されたアゼルさんは未だに意識を失っている。外傷らしいものはないが、魔術的なものなら私にはどうしようもない。


「さぁ、聖女様。とにかく、私が貴方を保護致しますのでご安心ください」

「えぇええ……私の知る限り一番安心できない人じゃないですか、モーリアスさん……」


その手を取るには一寸、抵抗がある。


私が露骨に嫌な顔をすると、モーリアスさんは「そういえば」と何か思い出したように付け足す。


「これから昼食をと思っていたところです。聖女様もご一緒にいかがです?」


よければ一緒に作りましょうと、とても魅力的なお誘いである。


私はぐっと、親指を立てて二つ返事で頷いた。


「よろこんでー!!!!」






「このお馬鹿……!その頭は飾りなの!!?脳みそちゃんと詰まってるの!?」

「あ、ミシュレ。普通に異端審問局にいますね」


モーリアスさんに連れられて、場所を移動する。

異端審問局というのは、いくつかの高い塔があって、それぞれに役目があるそうだ。


私が案内されたのは、赤い異端審問官の服だけではなく、トールデ街でみたような軍服の軍人さんたちが多く居る塔だった。訓練の声などもあちこちからして、大変体育会系な雰囲気がする。


そしてその厨房にて待っていたミシュレは私の顔を見るなりスパァン、と頭を引っぱたいてきた。


「こっちが色々、異端審問局の動きとか探ってる間に……なんでまた異端審問官に捕まってるのよ!」

「上司が捕まってるのに自分だけ逃げるのはちょっと……」

「あの竜二郎って日本人は悪党でしょ?なんで上司認定してるのよ」


まぁ、それを言われると中々説明しづらいものかある。


それにしても、異端審問局を探ってくれていた、というが、何を探ろうというのだろうか?


「ミシュレさんは聖女様をご心配なさっていたようですよ。魔族に接触しようとしているのを止めよう、と。それならファーティマ・ザリウス公爵夫人を破滅させてしまえばいいと、お考えになられていたようです」

「ちょ、何バラしてんのよあんた!!!」


ミシュレが慌ててモーリアスさんの口を押える……どころか首を絞めるが、身体強化能力に特化した異端審問官は涼しい顔だ。


「え、もしかして……工房が襲撃されたのってミシュレが影で糸を引いてたりするんでしょうか……?」

「いえいえ、ミシュレさんにそこまでの影響力はありませんよ。それはまた別口。少々、面倒なことになりそうです。ミシュレさんはザリウス家に手出しできない理由が有力な聖女候補生がいるから、ということであれば、サーシャ・ザリウス候補生から聖女候補生の資格を奪ってしまおう、とそういう手段を選ばれただけです」


私が竜二郎シェフの厨房で焼き鳥に思いをはせている時に、知らないところで物騒な計画が立てられていた。


「ミシュレ……」

「なによ。別に、貴方の為じゃないわよ。魔族が結界内に現れるなんてことになったら、ロクなことにならないからよ」


いや、そうじゃなくて、サーシャ様に何するつもりだったんだ、と私は注意をしたかったのだが……ミシュレにとってはサーシャ様の聖女候補生の資格を奪うことは、別に大した問題ではないらしく、ツンデレのテンプレのような台詞を吐く。


「ところでモーリアスさん、異端審問局は竜二郎シェフを捕えましたが……これは、竜二郎シェフの背後にいるファーティマ夫人を異端審問にかけるため、で合ってますか?」

「えぇ。そのようですね。今頃、公爵夫人の目の前であの異邦人が拷問にかけられているかと」

「目の前で拷問する必要あります?」


関係性の自白は、竜二郎シェフはしないだろう。


あくまで自分の一存、自分が好きにやったと主張するはずだ。

ならファーティマ夫人に竜二郎シェフのその憐れな姿を見せて……自供させる?


「ちょっと問題の整理をしていいですか?えぇっと、まず。竜二郎シェフ。彼は聖王都にとって有害な食べ物をバラまいた。これが罪状、ですよね?」

「えぇ、そうです」

「そして、異端審問局としては、その黒幕。誰がそんなことを指示したのか……ファーティマ夫人だと分り切ってるのに?」


いや、それは重要ではない?


そもそもの罪状が違う?


ファーティマ夫人は、高位魔族と契約して亡くなった夫を生き返らせようとしている。

それで、魔族と契約というのは良くない事なのでファーティマ夫人は捕えられなければならない?


「うーん??」


何か違和感がある。

何か違う気がする。


サーシャ様のお母さまであるファーティマ夫人。


有力な聖女候補生であるサーシャ様のスキャンダルになってしまう。だから、高位魔族と契約していることを掴んでいても、そう簡単に手出しはできない。この世界は職業聖女により維持できているのだから。聖女候補生は何よりも優先される。


であれば、問題なのは竜二郎シェフの料理か?


しかし、それならば工房を潰してしまえばいいし、竜二郎シェフが一人で罪を被っておしまい、にできることだ。


それなのに、わざわざ今、ファーティマ夫人の目の前で竜二郎シェフが拷問されているという。


「異端審問局は、それぞれ別件で動いている?」


私はじっと、モーリアスさんを見上げた。


「と、おっしゃいますと?」


否定も肯定もしない。

私がなぜそう思ったのか、どう辿り着いているのか、答えを待っている。


「えぇっと、そうですね。はい、あの、モーリアスさんは出回っていた不審な料理について調べてて、それとは別に……別の意図で……つまり、モーリアスさんは異端審問の為に行動していたけど、エウラリアという人は別……目的は、異端審問じゃ、ない?」


トカゲのしっぽ切りも許さない。

聖女候補生のスキャンダルになろうと構わない。


ファーティマ・ザリウス公爵夫人に用がある……いや、違う。


「私と、同じ目的?」


いや、まさか、と思いながらも呟けば、その言葉は正しいもののように感じられた。




++



「だから、言ってるじゃねぇか……女に何ができる?世間知らずのお貴族様だ。何もかも、儂が騙してやったんだよ……」


爪をはがされ、両足にノコギリをあてられ、頭に釘を打たれながら、竜二郎が息も絶え絶えに、何度も何度も同じ言葉を繰り返す。


竜二郎が捕えられたとセルゲイ・ザリウスに知らされたファーティマは、そのまま大人しく義兄について行った。

連れていかれたのは、異端審問局が使う裁判所。


魔力を扱えぬよう、ファーティマの立つ場所には魔力封じの魔術式が描かれている。

異端審問というのは形ばかりで、ただ拷問をすることを目的とした建物だ。


連れていかれた一室にはずらりと異端審問官や、ザリウス公爵子飼いの魔術師達が立ち並び、部屋の中央で竜二郎が酷い拷問を受けていた。


ファーティマが入った時に既に血まみれだった白髪の老人は、しかし、ファーティマを見ても何も言わなかった。


顔色を変えることさえしなかったその強い意思を無駄にしてはならないと、今すぐ駆け寄りたい衝動を堪える。


「なんです、これは」


感情を表に出さぬ、高位貴族としての冷ややかな態度でファーティマはセルゲイに問いかけた。


義兄は己に何をさせたいのか。

ここで己が無様にも竜二郎を助けて欲しいと懇願し、魔族とのかかわりをつらつらと述べるとでも思っているのか?それで竜二郎が助かるのならしてやるが、しかし、ファーティマは愚か者ではない。そんなこと、セルゲイが狙っているのではないことくらいわかる。


異端審問官とセルゲイの狙いは何だ?


既に知られている高位魔族と契約した事実を、今更話して何になるのか。

その事実があっても、己が裁かれぬことはわかっている。


竜二郎を目の前で痛めつけてファーティマの心をズタズタに引き裂きたいだけ、というのなら、それは成功している。だがそんな嫌がらせのために異端審問局が動くのか。


あれこれ考えていると、部屋の扉が開いて異端審問官が一人、新たに加わった。

赤い神官服に、仮面を付けた特別審問官だ。


「異端審問官第六席、エウラリアです。遅くなり申し訳ありませんでした」


その異端審問官は、ザリウス公爵に頭を下げ仮面を外す。

ファーティマの位置から、その顔がはっきりと見えた。


露わになる、その異端審問官の顔。


「……は?」


思わず、間の抜けた声が出た。


「なぜ……なぜお前がここにいる……?」


ファーティマは信じられないものを見るような目で異端審問官を見つめた。


艶やかな黒髪に、儚い女のような、ぼんやりとした顔。


身に着けているものは異端審問官の身分を示す赤い神官服だが、そのゆったりとした服の上からでもわかる、男が抱きたくなるような豊かな体、水晶という称号を得た高級娼婦のもの。


「お前が、お前が……!!!!異端審問官、だと!!?娼婦メリダ!!!」


ファーティマの驚愕など素知らぬ顔で、第四区花街の高級娼館にいた時のゆっくりとした話し方とはまるで違う、感情の籠らぬ事務的な声で異端審問官エウラリアはセルゲイに向け言葉を発した。


「異端審問局の調べでは、被告人ファーティマ・ザリウスは高位魔族と契約し、亡くなったグリジア・ザリウス公爵の蘇生と聖王都住民の泥への耐性力を下げようとした疑いがあります」


淡々と、異端審問官エウラリアはこれまでの異端審問局の調査結果を報告していく。


あくまでこちらを無視するつもりか。

ファーティマは屈辱を感じた。


なるほど夫ザリウスが、聖女に人生を捧げ、龍神の末裔の姫に男の子を二人産ませた夫が、今更なぜ娼婦を囲ったのかと、女として三度目の敗北を味わっていたが、なるほど、何のことはない。


異端審問局と繋がっていたというだけか。


情報収集か何かの一環か。

それではメリダがあの聖女候補生の母親というのも偽りか。

理由はわからないが、花街にいる聖女候補生を保護していたのやもしれない。


つまり、娼婦メリダはファーティマにとって夫を奪った憎い女ではなかった、と。


そんなわけがあるものか!


「わたくしを侮辱するな、異端審問官」


今度は、ファーティマは声を上げなかった。


公爵夫人、高位貴族に生まれた者として相応しい、毅然とした態度。


背筋を伸ばし、目を細め、大きくはないが、しっかりと部屋中に響き渡る声音を出す。


しかし、エウラリアは振り返らなかった。


ファーティマはそれ以上言葉を続けない。こちらから振り向け、とも言わない。

お前が後ろを、わたくしを振り返れと只管待つ。


それでどれ程たっただろうか。少なくとも、時計の一番早く動く針が十回以上は頂点を通り過ぎた頃、やっと異端審問官が公爵夫人を振り返った。


「私は事実を報告しているだけです」

「事実なものですか。このわたくしが、高位魔族と契約して死者の蘇生を願っているだと?あんな男を、生き返らせることを望むだと?」

「マダム!!」


竜二郎が遮るように叫んだ。

だが、すぐに傍の異端審問官に殴られ、黙らせられる。


ファーティマは一度竜二郎の方へ視線を向けた。


彼女が、たった一人心を許せる存在へ送る眼差しは何よりも優しい。


口に布を噛ませられた竜二郎は必死にファーティマにそれ以上何も言わないように、と懇願している。必死、必死なその形相。だが、ファーティマは一度目を伏せ、竜二郎の顔をしっかりと自分の脳裏に焼き付けると、再び異端審問官に向かい合う。


「お前達は勘違いをしている」

「勘違い?」

「聖女に負け、龍神の姫に負け、夫に見向きもされぬ憐れな女と、どうせお前達はわたくしを見下してきたのだろう。あぁ、見縊るな!このわたくしが、ただ待っているだけの女だったと思ったのか!」


あの魔王が、聖王の命を奪おうとした、その日の事をファーティマは今でもはっきりと覚えている。


聖騎士として、夫は、グリジア・ザリウスはスレイマン・イブリーズと対峙した。


そして聖王を庇って、魔王の魔法を受けた。


「だが、あの男は、あの魔王、スレイマン・イブリーズは夫の命を奪わなかった!」


夫は死ななかった。


傷を負い、屋敷の魔力が最も強い場所で安静にしている夫を見下ろしたファーティマは、はたしてあの魔王は本当に聖王を殺す気があったのかと、その事を疑問に思った程、重症だが、命を奪うようなものには思えなかった。


「……それでは、グリジア・ザリウスは誰に殺されたのです?」


エウラリアは静かに問いかける。


元々聖女の加護を受け、龍神の姫と交わった事でその体は純粋な人間種とはいいがたいものになっていた。


その聖騎士グリジア・ザリウスを、スレイマン・イブリーズが殺していないというのなら、誰ができたのか。


「わたくしに、決まっているでしょう」


間違えている。

勘違いしている。


異端審問局は、そこから、間違えているのだ。


ファーティマ・ザリウスは死者蘇生などというバカげた目的のために、高位魔族と契約などしていない。


願ったのはただ一つの凶器。

聖騎士の体を貫き、命を奪える、鋭利な凶器が欲しかった。


鏡越しに恭しく現れたあの悪魔は、三日月のように瞳を歪めて笑い、聖女の加護も聖騎士の守りも、龍神の盾も何もかも、無残に、ただの女の細腕と殺意一つで殺せる短剣を与えてくれた。


その代償として、聖女の子宮と、王都の泥の濃度を上げろと言ってきて、それが人間種にとってどんな結果になるのか、そんなことはファーティマにはどうだってよかった。


「わたくしの報復はわたくしが行う」

「取り押さえなさい!!」


素早く、エウラリアが部下に指示を出した。しかし既にファーティマは自身で片目をえぐり出し、娼婦メリダ……異端審問官エウラリアに向ける。ファーティマの体から離れた眼球には、黒い髪の女の姿が映し出されているはずだ。


「さぁ魔族よ!その女を喰らえ!!結界を踏み越え、聖女の胎を奪うがいい!!」


聖王都はこれで、有力な聖女候補生を失う。

次席の聖女では十分な範囲の土地は確保できまい。小さくなる土地を巡って、人間種は争えばいい。


「いいや、生贄になるのはお前だよ、ファーティマ」


低い、女の声がした。


ファーティマの前には、巨大な鏡が現れ、エウラリアの姿が遮られる。鏡に映るのは年老いた女の、鬼のような形相だ。


降ってきた声に、ファーティマは顔をあげる。


義理兄、セルゲイ・ザリウスと、そしてその隣にはいつの間に現れたのか、砂の聖女エルジュベート・イブリーズが立ち、こちらを見下ろしていた。


「これは……ッ、」


何が起きようとしているのか、ファーティマは一瞬混乱したものの、すぐに理解する。


すぐさま魔力を込めて目の前の、いや、囲むように出現した鏡を破壊しようとするが、聖女の加護でも得ているのかビクともしない。


鏡の中に無限に映し出される老女、ファーティマはその中の一人がゆっくりとこちらに近づいて来ている事に気付いた。その、己の姿で、三日月のように口元を吊り上げた化け物がファーティマに手を伸ばし、頭上まで鏡で塞がれ、密閉された。


そして、箱の中から歌が聞こえ始める。


ファーティマはわめきながら鏡を叩いた。光の届かない密閉空間。だというのに、自分の無数の姿が暗闇の中でもはっきりわかる。その中で一人だけ異質な存在もわかる。


来ないで来ないで来ないで来ないで!

あぁいやだ、いやだいやだいやだいやだ!

ここから出して出して出して出して!!


しかし鏡が砕けることもなく、彼女の意識は途切れた。





ファーティマの絶叫が上がって暫く、ドンドンと鏡を必死に叩く音も聞こえなくなってから、じっとザリウス公爵は鏡の箱を見つめた。


その傍らでは砂の聖女が、その箱に向かって聖女の歌をうたっている。


箱の中は密室。


その下にはザリウスが使える優秀な魔術師三百人に刻ませた魔術式。

そして聖女の歌が鏡の箱の中で響き渡る。


「上手くいった、か?」


聖王都の上位貴族であるザリウスが作り出した対魔族用の檻。


聖女の歌を使い強力な檻となったその中に、ファーティマが契約した魔族は封じられただろうか?


エルジュベートの方をみると、褐色の老女はゆっくりと頷いた。


間違いなく、魔族は鏡の中から現れてファーティマの体に憑依した。その気配を聖女であるエルジュベートは感じ取ったという。


では次の問題だ。

その魔族は、この檻の中で無力化出来ただろうか?


魔術師三百人で編み上げた魔術式は全三十二式になる。


おおよそ、人間種が作り出せる魔術式の最大数と誇れるものだ。大神官ラザレフとて単身で紡ぎだせる魔術式は三十が限界だと聞く。


そこに聖女の歌があれば、高位魔族であっても封じられるはずだ。


鏡の箱の中からは物音一つしない。


ザリウスは鏡の魔術式を使った魔術師に命じて、鏡を一枚外そうとした。

が、そこで異変に気付く。


鏡が石になっている。


「大神官様を呼べ!!」


大声で扉の前に控えている魔術師に告げた。こういった事態を予想していなかったわけではないから、聖王の看病中であっても、大神官は駆け付けるだろう。


ぴしり、と石柱となったそれにヒビが入る。


すぐさまザリウスはありったけの攻撃魔術を使った。


異変を感じ取ったのはザリウスだけではない。他の優秀な魔術師達もそれぞれ瞬時に攻撃態勢に切り替え、ありとあらゆる魔術が石柱に降り注ぐ。


身体強化をした異端審問官たちが石柱を囲み、炎の渦に包まれた石柱をじっと伺った。


炎はすぐに収まった。

いや、不自然にかき消え、そしてその中から一羽の鳥が現れた。


身の丈は、成人男性程あり、大きく扇のように広げた羽は七色に輝いている。その怪鳥は交互にリズムよく脚を前に出し、裁判所の中央までやってくる。


その間、誰もが恐怖で動けなかった。


見かけは派手なこの怪鳥から、滲み出るのは威圧や敵意などという分りやすいものではない。


得体の知れない恐怖だ。


動けない。動いたら死ぬ、殺される。自分がイメージできる限りの残酷な死に方をさせられる。そんな予感が、体を動かなくさせた。


怪鳥はゆっくりと羽を閉じ、そのままシュルシュルと流動的な動きになって、それは徐々に人の形になった。


「これはこれは!!!聖王国の皆々様がどうもおそろいで!!!御機嫌よう!麗しく!!!わたくし地の国の行政を預かっております、アニドラ=アルファスと申します!!」


二メートル以上あろう長身の、しかし体は痩せ頬のこけた化粧の濃い男。


慇懃に礼をし、男がぽん、と手を叩けば、床に刻まれた魔術式がどす黒く染まり、天井に刻み込まれた歴史ある複雑な魔術式が一瞬で黒く染まり、泥となって降り注いだ。


落下場所にいた、泥に触れた、審問官たちは体が溶けて泥に飲み込まれていく。


絶叫、悲鳴、撒き散らされる血と泥。


それらを心地よさそうに目を細めて聞いていた男は、にっこりと、この場に似つかわしくない友好的な笑みを浮かべ口元を三日月のように揺り上げた。


セルゼイ・ザリウスに向かって。


「憐れな公爵夫人を生贄に、わたくしを呼びましたのは貴方さまで?」




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竜二郎シェフの拷問シーンをじっくり書いたんですけど「必要ないな?」と我に返りました。

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