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降臨祭、前日

誤字脱字機能でのご報告ありがとうございます。とても助かります。



あの女が同じ屋敷で暮らす事こそなかったものの、亡き先代夫妻が使っていた離れに住まわせると、夫の兄の決定を聞いたとき、ファーティマは久しぶりに義兄セルゲイ・ザリウスと口論をした。


いや、本気で義兄に逆らおうというつもりではない。


現当主であるセルゲイの決定だ。

未亡人がいくら夫の愛人を家に迎える事を嫌がったとて、それが考慮されることはない。そもそも、ファーティマの使用人がメリダの娘を雇おうとしたから始まった身請け話である。


ファーティマはメリダが絶対に自分と顔を会せることのないよう、最初の挨拶さえ不要だと切り捨て、それを承認させるために喚き散らしたに過ぎず、セルゲイの方もそれをよくよく承知の事だった。


「……歴史あるザリウス公爵家に、あのような者たちを入れるなど……わたくしは歴代ザリウス家のご先祖様に顔向けできません」

「心中お察しいたします、奥様」

「わたくしたち使用人は皆、奥様の味方でございます」


ファーティマが溜息をつけば、控えている腰元たちが揃って声を上げた。女主人として長くザリウス家を仕切っていたファーティマは、留守にしがちな男たちよりも使用人たちの忠誠心を得ているのだ。


何も言わずとも彼女達はファーティマの為に、彼女が悲しい思いをすることがないようにあれこれと行動してくれるだろう。


「あの子供の方はどのように過ごしているのです?」

「あの私生児でございますか……?リュウジロウの魔術工房に出入りしているようですが、まだ小さな子供ですからね。下働きの手伝いをしているとかなんとか」

「そうですか」


ファーティマがメリダの私生児に会う事はもちろんないが、しかし窓の外から見えた少女の姿を思い出す。


光を受けて煌めく銀色の髪に、苦労など知らない幸せそうな顔。


高級娼婦の子として産まれたからか、その身に着けているものは贅沢品ばかりで、稀有な魔獣を従えた騎士まで得ているとか。


ふつり、とファーティマの心に女としての嫉妬が沸き上がる。


己の娘が聖女候補生である事はまさにまさしく、相応しい事だ。道理である。ファーティマが産んだ子供はサーシャ一人だが、その一人娘が聖女の素養を持っていたことで、息子を産めなかった彼女は何とか、ザリウス公爵家の女主人としての地位を追われずに済んだ。


男に媚びを売るしか能のないメリダが聖女候補生を産んだ事に対しての嫉妬は大きい。が、それよりも、そういう女を母親にしながら、聖女候補生という……ファーティマの、由緒正しい貴族の血筋であるファーティマの娘と同じ身分であるという、私生児に対して、腹立たしい思いがした。


それでふと、ファーティマは竜二郎の提案を思い出す。


魔族との契約の代償として己は娘を差し出すつもりだったが、あの銀髪の子供にする、それは悪くないかもしれない。


そんなことを考えていると、ファーティマの元にセルゲイがやってきた。義兄の日中の訪問は珍しい。


「実は、少々困ったことになりましてね」


義兄はファーティマに対して礼儀正しい態度を取る。きちんと挨拶をし、女性に対して失礼でない距離を保ちながら、セルゲイ・ザリウスは切り出した。


「私は聖王国に恥じるような事はしておりませんし、何かの間違いだとは思うのですがね。大方、敵対派閥の工作でしょう」

「なんの話です?」

「異端審問局に召喚を受けました」

「そうですか」

「この私が、よりにもよって魔族と手を組み、聖王様のお命を狙っているなどと、根も葉もない噂がたっておりましてね。それを異端審問局が真に受けたようです」

「聖王様を支えるべき貴族同士が、権力争いなど嘆かわしい」


淀みなく、ファーティマは答えた。

その声音や表情に動揺は現れていない。セルゲイは「えぇ」と頷き、溜息を吐く。


「しかし、私も公爵です。黙って異端審問にかけられるつもりはありません。味方派閥の有力貴族の協力を得て、この召喚がそのまま私への裁判にならないようにはするつもりです。ですが、あの苛烈さで知られる異端審問局ですからね。何をしてくるかわかりません。義妹殿はご実家に身を寄せられては如何でしょう」


おや、と、ファーティマは意外に思った。


てっきり、セルゲイが来たのは己に協力してくれと、そう白々しく頼みに来てのことではないのか?


ファーティマはかつては社交界の華だった。

今はそういった付き合いは、どうでもよくなっておろそかになっているものの、かつて懇意にしてくれていた人々に声をかければ、義兄が異端者として焼かれないように便宜を図って貰うことも可能だろう。


そうして己を動かして、セルゲイでなくファーティマ・ザリウスを異端者として吊り上げるつもりなのだと、これは異端審問局とセルゲイの罠であると彼女は判じていた。だが、予想に反して逃げろ、と提案してくる。これはどういうつもりだろうか?


「わたくしはザリウス家に嫁いだ身。当主である貴方の危機に何もしない、というような恥知らずな振る舞いは致しません」

「しかし義妹殿、相手は異端審問局です。貴方にとって、印象の良い連中ではないでしょう」


そう、確かにそうだ。


夫、グリジア・ザリウスを殺したと言われている男は異端審問局の局長だった。それゆえ、ザリウス家と異端審問局には確執がある。だから、今もセルゲイが異端審問局と結託して己を罠に嵌めようとしているなど、ファーティマがただの貴族の女であれば考えもつかないだろう。


だがファーティマは、自分が魔族と契約していることなど、とうに異端審問局に掴まれていることを自覚していたし、この、見かけは善人そうな義兄が最も大切に考えるのは家ではなく砂の聖女であることも知っていた。兄弟揃って情けない。


「尚更です。わたくしは夫を異端審問に奪われました。この上、貴方まで失うことになれば、ザリウス家はおしまいです」

「跡継ぎには甥のエスパーダがいるではありませんか」

「夫の息子ですが、わたくしはあれを嫡男とは認めていませんよ。聖騎士の身分であれば、いずれ聖女の為に死ぬでしょう」


建前の、望まれるだろう会話をし、ファーティマはセルゲイに協力すると、そのように約束した。彼女を説得できないと認めた義兄はそれ以上は何も言わず、仕事の為に宮殿に行くと退室した。


そして翌朝、いつものように竜二郎の作る朝食を食べながら、人払いをして件の話をすると、不快そうな顔を隠すことなく、ファーティマの使用人ははっきりと言った。


「それは、明らかに罠ですぜ。マダム。あの公爵はマダムの性格をよくわかっていて、そんな風に言ってきたんでしょう。逃げろ、と言われれば気高いマダムは絶対にその通りにはしないと、わかっているんです。卑怯な野郎だ」

「でしょうね」

「わかっておいでなのに、なぜ連中の思い通りに振る舞うんです?」

「……」

「マダム、自棄になっちゃァいけませんぜ」


ぐいっと、竜二郎が身を乗り出した。普段はファーティマに近づかない男が、今は手を伸ばせば触れられるほどの距離にいる。手を握りたいらしかった。しかし、火傷や切り傷、油まみれの手がファーティマの白い手に触れることを恐れ、その手はもじもじとするばかりで伸ばされはしない。


「良い機会でさァ。逃げろと言ってきたなら、なぁに、その通り。逃げちまいやしょう。マダムは不服でしょうが、何も連中の思い通りに利用されちまうなんてなりやせん」

「ですが、実家はどのみちセルゲイの手の者がいます」

「長く勤めさせて頂いてそれなりにツテもありやす。少しご不便をおかけすることになりやすが……公爵にわからねぇよう、国を出て、のんびり遠い田舎にでも隠れやしょう」


それがいい、と竜二郎はパッと顔を明るくしてあれこれと話始める。まるで宝石箱から一つ一つ、大粒の石を見せてくる商人のような口ぶりで「今の時期なら南の方にブドウの美味い村がある」とか「工房の魔術師どもを皆連れてって、マダムが不自由しないようにしよう」とか「道中の料理はずっと儂が作りますからね」と、屈託のない笑顔で言う。


「……そう、ですね。それも、いいかもしれませんね」


セルゲイが自分を異端審問にかけたいと、そう考えている以上、そのように身を任せるのもいいかとどこかでファーティマは思っていた。もうどうでもいい。夫が死んだ時に、ファーティマの人生は終わった。気は済んだのだ。


だが、竜二郎がじぃっと、その黒い目で自分を見つめて「一緒に逃げましょう」とそう言ってくる。それが、ファーティマにはたまらなかった。


ファーティマが頷くと、竜二郎は飛び上がって喜んだ。すぐに準備をしてくる、こういうことは時間をかけちゃいけないと、そう言って、立ち上がる。


「約束ですぜ、マダム。今度は朝食だけじゃねぇ、三食きっちり、儂にマダムの為の料理を作らせてくださいよ!」


これが人生で最も幸福なことだと言わんばかりの様子で、竜二郎は出ていく。その姿を見送って、己も身の周りの整理をしなければとファーティマは決意した。


らしくもなく、胸が高鳴っている自分が可笑しい。


「ここではないどこかへ……?今更」


自分から出ようなどとは思わなかった。女主人として、グリジア・ザリウスに嫁いだ身として、どのような仕打ちを夫から受けようと、この家に居続けることが彼女の意地であった。なのに、竜二郎に言われて、それもいいかもしれないと、そう思う自分に驚いた。


旅行は、夫と結婚した時にいくつかの小国を回る予定があった。けれど夫の愛人の一人が男の子を産んだとわかって、その旅行はなくなった。それっきり、実家に帰ることもなくファーティマはずっと王都で暮らしてきた。


宝石は持てるだけ持って行こう。

魔術式の編まれた布もありったけ持っていって、出発までにいくつか、更に編んで行こうと久しぶりに魔力を込める針を持つ。


旅にはどんなものが必要なのだろう。

恰好や、荷物。わからない事ばかりだ。竜二郎に任せておけば問題ないと思うが、しかし、的外れな恰好をして竜二郎に笑われないだろうか。


考えながら、ファーティマは数年ぶりにその晩、ゆっくりと眠る事ができ、清々しい朝を迎えた。


けれど、どれだけ待っても、いつものように竜二郎がやってくることはない。


セルゲイから竜二郎が異端審問局に捕えられた、という知らせを聞いた時、ファーティマは声を上げて笑い出した。


「わたくしの望んだ幸せ一つ!!一つと叶わぬ!!!」




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明日はクリスマスですね。私はローストビーフを作ってぼっちクリスマスが確定してます。猫もいるので完全ぼっちではないです。一人でケーキ食べます。悲しくない。

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― 新着の感想 ―
先週から読み始め、いま112話です。 ファーティマ&竜二郎、善いです! 善良とは言い難い生を生きてきた大人たちの純情……。 金も悪知恵もありながら、彼らの幸せは、彼が彼女に捧げる一皿がすべて……。 …
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